星の糸
少年は孤独な仕立て屋だった。
深い緑に覆われた丘の上の四角い小屋。
それが彼の唯一の居場所であり、仕事場であった。
空の色が濃紺に変わる頃、彼の仕事ははじまる。
大小の星々が瞬き始め、さえぎるものなき丘の上からは、体をぐるりと回すだけで、
夜天のひとかけらを眺望することができた。
宇宙が近い。あまたの星座が、ひそやかに互いを見守っていた。
丘のふもとから、ひとりの青年が現れた。
品の良い上等な服を身に纏い、するどい切れ長の目をしていた。
星の光に迎え入れられ、金色の髪がきらきら光っている。
「ここは、仕立て屋だと聞いた」
辺りを見回しながら青年は言った。
そして律儀にも名を告げた。
ヨシュア、母が名付けたのだと。
少年にとっては久方ぶりの客だった。
「ここで作れるものは限られています。あなたは知っての上でご依頼に?」
少年を見据えて、ヨシュアは頷いた。
「妹が病気なんだ。もうすぐ、死ぬ」
彼の青い目に静かな水が揺らいだ。
「彼女のために、いっとう素敵なドレスを仕立ててくれないか」
彼の強い眸から、透き通った雫がこぼれ、頬を伝っていった。
「では、すこしお待ちを」
少年は引き受ける前に、ヨシュアに見せなければならないものがあった。
自分が編み出すものが、彼の大切な妹につり合う美が宿っているか、確かめなければならなかった。
「妹さんは、星は好きですか?」
「もちろんさ。だからここに来た」
毎夜のように眺めては、笑っているんだ。
ヨシュアは自分を宥めるように瞑目した。
「眸は開いて。見ていてください」
少年は指先を天にさらした。
指し示された星はいっそう輝きを放ち、
一筋の光となって少年の方へと向かっていった。
地上に、天の光が降りてきた。
それは消える間近の星から借りた、赤い糸だった。
「星によって、色は異なるのか?」
糸を眺めながらヨシュアは言った。
少年が別の星から糸を引いてみせると、
葡萄のような濃い紫色をしていた。
「オリオン座にしてくれ」
少年は何も言わずに了承した。
その日から少年は仕事をはじめた。
星から糸を借りてきて、かたりかたりと音を立てて機織りをした。ヨシュアは毎夜のごとくやってきて、小さな椅子に腰掛け、機織りの木がぶつかる音を頼りに眠りについた。
星の糸は繊細で、夜が明ける前に織り込んでしまわなければ光を失ってしまう。
だから雨の日や曇りの日は、少年はドレスのスケッチをして過ごした。
「もっと裾は長い方が良い。ドレープも」
ヨシュアはドレスの意匠について、さまざまな提案をした。彼の頭の中にはすでにイメージがあって、言葉を尽くして少年に伝えた。
たったひとりの妹を見送るために、ヨシュアは夜を徹して少年のスケッチブックに向き合った。
そして二週間後、ついに生地が完成した。
星の光を地上に降ろした、世にも素晴らしい逸品だった。
素肌をやさしく撫でるような触り心地で、幻想的なきらめきを湛えていた。
「妹さんの調子はどうですか」
少年が尋ねると、ヨシュアは顔を俯けて言った。
「あまり良くない。だが、急いてもいけない」
葛藤するヨシュアに少年は声をかけた。
「きっと大丈夫です。すべては運命のもとに」
その晩から、少年はさっそくドレス作りに取りかかった。ふたりで描いたスケッチを頼りに、トルソーに生地をくるくると巻いたり、離したりした。
この作業もやはり、夜の間に行う必要があった。縫い糸もまた、星なのである。
銀の針は流れ星。糸切り鋏はてんびん座。
繊く儚いものは、きちんとした扱いをしなければ壊れてしまう。
ヨシュアも手伝いを申し入れ、丁寧な手つきで針に糸を通したり、まち針止めをしたりして、夜を過ごした。
生地の完成からさらに二ヶ月の時を経て、世界にひとつだけのドレスが出来上がった。
ヨシュアが心の中で描いた通りの、優雅なドレープがやわらかく流れる、死を彩る美しいドレスだった。
「……」
ヨシュアは言葉もなく、目の前のドレスを眺めていた。彼が立ち尽くす床面に、涙がぽたりとこぼれ落ちた。
少年は棚から、老木でつくられた衣装箱を取り出し、淡く発光する橙色のドレスを丁重に詰めた。小さな星の刺繍が入ったハンカチで目元を拭って、ヨシュアはぎこちなくその箱を受け取った。
命の終焉がせまっていた。
「ありがとう」
ヨシュアは箱を抱えて、丘を降りていった。
その日の夜は、いやに明るかった。
満ちた月すら凌ぐほどのまばゆい星の輝きが、空を覆い隠そうとしていた。その光は、オリオン座の左肩から放たれていた。
ひとつの星が旅立ったのだ。
天の星々は永い時を生きた老星を祝福し、その華やかな最期を見届けた。
橙色の星の光で紡いだドレスが、喜びと感謝を伝えるように、夜空にゆるやかに広がっていく。
少年は丘の上から、ひとつの命の終わりを見送った。




