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星の糸

作者: 結木翠
掲載日:2026/09/16

 少年は孤独な仕立て屋だった。

 深い緑に覆われた丘の上の四角い小屋。

 それが彼の唯一の居場所であり、仕事場であった。


 空の色が濃紺に変わる頃、彼の仕事ははじまる。

 大小の星々が瞬き始め、さえぎるものなき丘の上からは、体をぐるりと回すだけで、

夜天のひとかけらを眺望することができた。

 宇宙が近い。あまたの星座が、ひそやかに互いを見守っていた。


 丘のふもとから、ひとりの青年が現れた。

 品の良い上等な服を身に纏い、するどい切れ長の目をしていた。

 星の光に迎え入れられ、金色の髪がきらきら光っている。


「ここは、仕立て屋だと聞いた」


 辺りを見回しながら青年は言った。

 そして律儀にも名を告げた。

 ヨシュア、母が名付けたのだと。

 少年にとっては久方ぶりの客だった。


「ここで作れるものは限られています。あなたは知っての上でご依頼に?」


 少年を見据えて、ヨシュアは頷いた。


「妹が病気なんだ。もうすぐ、死ぬ」


 彼の青い目に静かな水が揺らいだ。


「彼女のために、いっとう素敵なドレスを仕立ててくれないか」


 彼の強い眸から、透き通った雫がこぼれ、頬を伝っていった。


「では、すこしお待ちを」


 少年は引き受ける前に、ヨシュアに見せなければならないものがあった。

 自分が編み出すものが、彼の大切な妹につり合う美が宿っているか、確かめなければならなかった。


「妹さんは、星は好きですか?」


「もちろんさ。だからここに来た」


 毎夜のように眺めては、笑っているんだ。

 ヨシュアは自分を宥めるように瞑目した。


「眸は開いて。見ていてください」


 少年は指先を天にさらした。

 指し示された星はいっそう輝きを放ち、

 一筋の光となって少年の方へと向かっていった。

 地上に、天の光が降りてきた。

 それは消える間近の星から借りた、赤い糸だった。


「星によって、色は異なるのか?」


 糸を眺めながらヨシュアは言った。

 少年が別の星から糸を引いてみせると、

 葡萄のような濃い紫色をしていた。


「オリオン座にしてくれ」


 少年は何も言わずに了承した。


 その日から少年は仕事をはじめた。

 星から糸を借りてきて、かたりかたりと音を立てて機織りをした。ヨシュアは毎夜のごとくやってきて、小さな椅子に腰掛け、機織りの木がぶつかる音を頼りに眠りについた。


 星の糸は繊細で、夜が明ける前に織り込んでしまわなければ光を失ってしまう。

 だから雨の日や曇りの日は、少年はドレスのスケッチをして過ごした。


「もっと裾は長い方が良い。ドレープも」


 ヨシュアはドレスの意匠について、さまざまな提案をした。彼の頭の中にはすでにイメージがあって、言葉を尽くして少年に伝えた。

 たったひとりの妹を見送るために、ヨシュアは夜を徹して少年のスケッチブックに向き合った。

 

 そして二週間後、ついに生地が完成した。

 星の光を地上に降ろした、世にも素晴らしい逸品だった。

 素肌をやさしく撫でるような触り心地で、幻想的なきらめきを湛えていた。


「妹さんの調子はどうですか」


 少年が尋ねると、ヨシュアは顔を俯けて言った。


「あまり良くない。だが、急いてもいけない」


 葛藤するヨシュアに少年は声をかけた。


「きっと大丈夫です。すべては運命のもとに」


 その晩から、少年はさっそくドレス作りに取りかかった。ふたりで描いたスケッチを頼りに、トルソーに生地をくるくると巻いたり、離したりした。

 この作業もやはり、夜の間に行う必要があった。縫い糸もまた、星なのである。 


 銀の針は流れ星。糸切り鋏はてんびん座。


 繊く儚いものは、きちんとした扱いをしなければ壊れてしまう。

 ヨシュアも手伝いを申し入れ、丁寧な手つきで針に糸を通したり、まち針止めをしたりして、夜を過ごした。

 

 生地の完成からさらに二ヶ月の時を経て、世界にひとつだけのドレスが出来上がった。 

 ヨシュアが心の中で描いた通りの、優雅なドレープがやわらかく流れる、死を彩る美しいドレスだった。


「……」


 ヨシュアは言葉もなく、目の前のドレスを眺めていた。彼が立ち尽くす床面に、涙がぽたりとこぼれ落ちた。

 少年は棚から、老木でつくられた衣装箱を取り出し、淡く発光する橙色のドレスを丁重に詰めた。小さな星の刺繍が入ったハンカチで目元を拭って、ヨシュアはぎこちなくその箱を受け取った。


 命の終焉がせまっていた。


「ありがとう」


 ヨシュアは箱を抱えて、丘を降りていった。


 その日の夜は、いやに明るかった。

 満ちた月すら凌ぐほどのまばゆい星の輝きが、空を覆い隠そうとしていた。その光は、オリオン座の左肩から放たれていた。


 ひとつの星が旅立ったのだ。

 天の星々は永い時を生きた老星を祝福し、その華やかな最期を見届けた。

 橙色の星の光で紡いだドレスが、喜びと感謝を伝えるように、夜空にゆるやかに広がっていく。


 少年は丘の上から、ひとつの命の終わりを見送った。

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