対面1
寒空の下でクラウは躊躇することなく、片面が三メートルはあろうかというほどの大きな木製の扉の前に立つ。
「ミユ、準備はいい?」
「……うん」
自分の意に反し、小さく頷いてみせる。心の準備なんて、一生かかってもできはしないだろう。扉を見上げ、息を呑み込む。
クラウはドアノッカーを握ると、三回打ち鳴らす。間を置かず、壮年の執事姿の男性が姿を現した。彼はクラウの顔を見て、穏やかに微笑む。
「おかえりなさいませ」
「ただいま」
その瞳は私も捉えていたけれど、私には一切触れなかった。お辞儀をすると、だだっ広いエントランスを通り抜けて廊下の奥へと消えていく。使用人しかいないエントランスに入り、天井を見上げてみる。魔導師の頃に城で見たようなシャンデリアがぶら下がっていた。呆気に取られ、言葉が出てこない。
ほどなくして、煌びやかな衣装を身に纏った男女が現れた。そこから放たれる重圧が私の心を重くする。見た目の年齢から察するに、クラウのご両親だろう。理解した瞬間に呼吸が浅くなった。
黒髪のその男性は、銀の目を若干吊り上げている。
「よく無事に帰ったな。と言いたいところだが……」
男性は大きく溜め息を吐き、口を引く。
「どうして止めたのに出ていった? 何かあったらどうするんだ」
ゆっくりと確かに響く低い声に、私の身も縮こまってしまう。
「息子の恋人の前で話すことでもないでしょう? ……ごめんなさいね」
今度は銀髪の女性が止めに入る。アイスブルーの瞳で男性を睨みつけると、私に向かって苦笑いをした。
「リビングに行きましょう。ほら、レオニスも突っ立ってないで」
「あ、ああ」
どうやら、クラウのお父様の名前はレオニスというらしい。女性がレオニスの背中を押すので、レオニスの足も前へと進む。
コートをメイドに預け、私たちもクラウのご両親の後に続く。片手はクラウの手を握りながら、もう片方の手で拳を作りながら屋敷を見回してみる。紺の絨毯、歴史が重ねられたように見えるレンガの壁、突き抜けるように高い天井――どれもが圧巻だ。
学校の教室よりも広い一室に入ると、一人のメイドにお辞儀をされた。それを気に留めてあげられるほどの余裕はない。クラウのご両親がソファーに座るので、私たちも向かいのソファーに腰を下ろす。ソファーの丸みを帯びたこの形は見たことがある。
テーブルに紅茶を用意されたものの、喉は乾くのに口にする気にはなれない。
「自己紹介がまだでしたね」
クラウのお母様は優雅に紅茶を含むと、にこっと微笑んだ。
「私はキャサリンと言います。もう察せられているとは思いますが、クローディオの母です」
続いてレオニスも膝の上で手を組み、口元を緩める。
「私はレオニス。クローディオの父親だ」
私も名乗るべきなのだろう。二人の顔を確認し、ぎゅっと両手を握り締めた。
「ミエラです。よろしくお願いします……」
私も喉から飛び出してしまいそうな心臓を気にしながら、短い自己紹介をしてみる。声は弱い上に震えてしまった。
「これはクローディオが留守の間、母さんとも話し合ったことなんだが」
レオニスは柔らかい表情のまま、圧は消さない。
「八ヶ月後に、クローディオ、お前に私の爵号の一つのダランベール侯爵の位を貸与しようと思っている。その式典の時にミエラとの婚約を正式に発表する」
その言葉に、クラウが息を吸い込んだ音が聞こえた。会ったその場で婚約の話をされるなんて、私も思いもしなかった。ちらりと隣を見ると、頬をほのかに赤く染めたクラウと目が合う。
キャサリンはレオニスの隣で優しい笑みを浮かべている。しかし、キャサリンは一度、その笑顔を消した。
「問題はその八ヶ月間です。ミエラ。貴女には、一人で花嫁修業に勤しんでもらいます」
きりっとした声が部屋の空気をひりつかせる。
「……一人で? 俺も一緒に――」
「それは許可しません。会うのは週に一回、それだけです」
両親の前で初めて声を上げたクラウだったけれど、すぐにキャサリンに打ち消された。
「ルーゼンベルク公爵家に相応しい教養を身につけられなければ、婚約も白紙にさせてもらう」
続いてレオニスも凛と声を張る。二人は本気だ。私が耐えなくては、クラウと一緒にいられる権利を失ってしまう。
そんなのは嫌だ。両手にさらに力が入る。
その手にクラウの片手が乗った。
「俺も耐えるから。だから、一緒に乗り越えよう」
そこに笑顔はない。ただ決意に満ちた瞳が私の方を向くだけだった。
私も力強く頷いてみせる。花嫁修業は私の問題だけれど、会えない寂しさに襲われるのはクラウも一緒だ。
不安はある。本当に私にできるかは分からない。でも、改めてレオニスとキャサリンの瞳を見詰めてみる。
「私、やってみせます。頑張りますから、見ていてください」
たった一人でエメラルドには逃げ帰りたくない。好きな人がちゃんといるのに、他の人と送る人生なんて考えたくない。
レオニスとキャサリンは、私の顔を見て頷いてくれた。
ただ一人、クラウだけが不安そうに瞳を揺らしていた。




