始まる1
私の未来は途端に色を取り戻したかのようだった。書斎には最愛の人がいるのだ。今は父と何かを話し合っている。
その様子を気に掛けながらも、母はまっすぐに私を見た。
「ミエラ、貴女はここを離れた方がいい」
「えっ?」
てっきり、サファイア行きを反対されるかと思っていた。クローディオと離れたくない私の気持ちを分かってくれたのだろうか。そう思ったのだけれど、実際は違っていた。
「エメラルドの王都では、元魔導師様を排除した方がいいっていう過激派が動き始めたらしいの。お父様が噂で聞いたみたい」
「何、それ」
「貴女があまりにも落ち込んでいたから言い出せなかったけれど……元魔導師様のオッドアイは目立ち過ぎるわ」
実際に私は緑と焦げ茶のオッドアイだし、クローディオは青と銀のオッドアイだ。目の色なんて、隠し通せるものではない。
天変地異を防げるはずの私たちが、エメラルドで起きた地震は防げなかった。その事実は変わらない。でも、私たちは王の認識を正した。
負の感情を星の中心に押し込めるなんていうことは止めさせ、世界をあるべき姿へ戻した。そのことで、民衆が私自身を追い詰めるなんて。怒りではない。ただ、胸がざわついてしまう。拳をぎゅっと握り締める。
母は眉間にしわを寄せながら繰り返す。
「サファイアが安全なら、ここを離れなさい」
祝福の気持ちではなく、身の安全のため――クローディオのことを受け入れてくれたわけではない。笑顔で送り出して欲しかったのに。唇を噛み締める。
それ以上の会話は続かず、振り子時計が時を刻む音だけがリビングに響く。今、クローディオと父は何を話しているのだろう。
数分後、その沈黙は破られた。二人が書斎から戻ってきたのだ。父は細い息を吐き、クローディオは金の髪をさらりと撫でる。二人とも浮かない表情だ。
「ミエラ、お母さんから話は聞いただろう?」
父は宥めるように私を見る。
「……うん」
「噂がこの街に来る前に、何なら今夜にでも発った方がいい」
この街は私が生まれ育った街ではない。この人たちは神が与えてくれた偽りの家族だ。私とは何の関係のない人たちなはずなのに、幼い頃からの記憶だけが植え付けられている。兄と花冠を作って遊んだり、母と買い物を楽しんだり、父の誕生日を祝ったり――この人たちの笑顔が私の出立の邪魔をする。
父の横で、私が日本で生まれ育ったことを知っているクローディオは僅かに微笑んだ。
「サファイアには元魔導師排除しようなんて過激派は現れてないから、俺もミエラのご両親の意見には賛成だよ」
「でも……」
「サファイヤには行きたくない?」
「違うの。お父さんとお母さんには祝福して欲しかった……」
嫁入り準備と避難は全くの別物だと思うのだ。ただ私は、この人たちから「いい人が見つかってよかったね」の一言が欲しいだけだった。
視線を落とす私に、父と母はうろたえる。
「祝福してない訳じゃないぞ? クローディオ卿は誠実な方だ。会ったばかりだが、話しただけで分かったよ」
「ええ。人柄も身分も申し分はないの。寧ろ、ミエラでいいのか疑問に思うくらい」
「それってどういう意味~?」
なんだか、私がクローディオの生家――サファイアのルーゼンベルク公爵家に嫁に行くのが恥ずかしいと思われているみたいだ。確かにお転婆な所は認めるけれど、礼節くらいは兼ね備えている。
私が頬を膨らませると、両親は小さく笑った。
「その意気なら、向こうでもちゃんとやっていけそうだな」
「クローディオ卿、よろしくお願いいたします」
母はかしこまり、頭を下げる。そんなことをするから、クローディオは慌ててしまった。
「お母さん、頭を上げてください」
「……ごめんなさいね。私も涙もろくなってしまったみたい」
頭を上げる前に、母は片手で両目を拭った。そこで理解した。両親は私を追い出したいわけではない。避難しなくてはならない現実とクローディオの迎えが同時に来たので、ただ好機を逃したくないだけなのだ。
「私、サファイアに行く。だって、クローディオと一緒にいたいんだもん」
クローディオの顔を見上げると、彼は私の手を取り強く握ってくれた。
私の記憶の笑顔が泣き顔に変わらないように、私の未来を掴み取るためにも、私はサファイア行きを決意した。
クローディオと自室へと移動し、荷物をまとめ始める。何を持っていけばいいのだろう。なるべく、クローディオの家族には迷惑をかけないようにしなくては。
洋箪笥を開けると、畳まれた色とりどりのドレスが姿を現した。しかし、取っ手にかけた私の手に、クローディオが片手を重ねる。
「ドレスはルーゼンベルクで用意するから、旅で着る物以外は持っていかなくてもいいよ」
「う~ん、何泊くらいするのかなぁ」
「大体一週間ちょっとかな」
一週間ということは、ドレスは七着必要ということだろうか。手前にあるものから適当に出していく。
「結構かかるんだね~」
「そりゃ、国境を越えるからね」
世界を越えてきたのに、国境越えの方が大変に思えてしまう。時間を持て余すだろうし、トランプやボードゲームも持っていった方がいいのかもしれない。
トランクに荷物を全て詰めてみると、思った通りパンパンになってしまった。金具がはじけ飛ばないか心配なほどだ。
そんなところで、部屋のドアが開いたのだ。振り向いてみると、口を真一文字に結んだ兄が突っ立っていた。
「ミエラをよろしくお願いします」
言いながら、兄は勢いよく頭を下げる。
「お兄さんまで……。頭を上げてください」
クローディオが苦笑いをすると、兄は頭を上げてニカッと笑った。
「貴方はミエラの運命の人らしいので」
「ちょっ……お兄ちゃん!」
一度は運命の人だと口には出したことはあるけれど、それを本人にバラさなくてもいいではないか。私が膨れっ面を向けると、兄はさっさと撤退していった。




