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エイシスト  作者: 翔陽
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神になれなかった男

薄暗い部屋で、男は壁にもたれて座っていた。

白いローブも十字架も今はもうない。

あるのは、鉄の扉と沈黙だけだ。


——あの日のことを、思い出していた。


「兄ちゃん、またそんな顔してる」


振り返ると、幼い妹——ルナがベッドに腰掛けていた。

無垢で素朴なその表情に、兄エリオスの胸はふっと落ち着く。

ルナは脚をぶらぶら揺らしながら、いつものように笑っている。


「……どんな顔だ」


「なんか、もっと見てほしいって顔」


図星だった。

エリオスは小さく息を吐く。


「そんなことないさ。いつもルナが見てくれてる」


そう言って、つたない手品を披露する。

ルナは目を輝かせ、声を上げて笑った。

それは、いつもの光景だった。


ルナは、よく祈る子だった。


「神様ってさ、ほんとにいると思う?」


エリオスがそう聞くと、ルナは少し驚いた顔をしてから、こくりとうなずく。


「いるよ」

「だって、お願いしたら聞いてくれるもん」


「……なにをお願いした?」


「兄ちゃんが、ちゃんと笑えますように」


その言葉に、エリオスは何も返せなかった。


いつもと変わらない会話。

いつまでも続くと思っていた。

この幸せな日々が。


———

八年前。

エリオスが六歳の時、妹ルナは生まれた。

神を信じる、ごく普通の家庭だった。

人並みの幸せがこの家庭にはあった。


———


それは突如崩れた。


ある日。

二人は川沿いの道を歩いていた。

夕暮れの空を映し、水面は橙色に染まっていた。


「ねえ兄ちゃん」

「私ね、ちゃんと神様にお祈りしてるよ」


「……そうか」


ルナは川のそばで立ち止まり、目を閉じる。

小さな手を胸の前で組み、祈り始めた。


「神様、神様」

「兄ちゃんを守ってください」

「それと——」


その瞬間だった。


足を滑らせる音。

短い悲鳴。


「——ルナ!」


川は、思っていたよりずっと速かった。

細く幼い身体は水に叩かれ、あっという間に流されていく。


「ルナ!」


エリオスは叫び、川へ飛び込んだ。


「神様!! 助けてくれ!!」


何度も、何度も呼んだ。

「お願いだ...助けてくれ!」


だが、水は冷たく、流れは無慈悲だった。


ルナは最後まで、祈るように手を伸ばしていた。


——神様を、信じたまま。


引き上げられた身体は、もう動かなかった。


「……嘘だろ」


濡れた髪、閉じた瞳。

その顔は、穏やかだった。


「祈っただろ……」

「ちゃんと……祈ってたじゃないか……」


返事は、なかった。


「……神は、いなかったのか?」


葬儀の日、大人たちは言った。

「神の御心じゃ」


——エリオスには

その言葉の意味が、まるで分からなかった。


理解できないまま...

胸の奥に黒い感情だけが残った。


その日から。

エリオスは“祈り”を憎むようになった。

そして同時に、渇望かつぼうした。


——信じられる存在を。

——疑われない力を。


時だけが過ぎた。


大人になったエリオスは、手品で生計を立てていた。

神を信じる家族とは、距離を置いた。


ある日の夕方。

劇場へ向かう途中で、泣いている少女に出会う。


なぜか、懐かしい気持ちがした。


自然と、手品を見せていた。


少女は笑った。

その笑顔に、エリオスの頬を雫が伝う。


「お兄ちゃん、ありがとう」


その瞬間、男は初めて“力”を感じた。

想いが、器に満ちていく感覚。


「……神じゃなくても、人は救える」


それから、"不思議なこと"が起こり始めた。

"手品"は研ぎ澄まされ、常識を超えた。


傷を癒し、物を浮かせ、世界に干渉できる。


人々を救うために、"力"を使い始めた。


「神は救わなかった」

「でも、人は救われることがある」

「なら——救った存在こそが、"神"なんじゃないか」


舞台で"手品"を見せるたび、

観客の期待、祈り、願いが一本の流れとなって向かってくる。


「……信じられるほど、力が湧く」


舞台は教壇になり、広場になった。

「信じろ」

初めは穏やかに。

信仰者に届いていた。

救いのための言葉だった。


人々は膝をつき、男を見上げた。

「神様どうか、お救い下さい。」


「信じろ」


その言葉は、いつしか命令に変わっていた。


——人の笑顔を見たかっただけだった。

それが生業なりわいになり、義務になり、

救いになり、力へと変わった。


"神"はいない。

なら——なればいい。


だが。

"救済"の裏では別の想いが生まれ始めた。



——壊したい。


神を信じた妹を壊したじゃないか。

なら、すべてを壊してしまえばいい。


しかし、あの少年は、"それ"を壊した。


「……ルナ」


エリオスは鉄の扉の向こうを見つめる。


「お前は、正しかった」

「信じたことは、間違いじゃなかった」


ただ——

"神様"が、いなかっただけだ。


「あの少年は、神を否定したんじゃない」

「祈りの行き先を、壊しただけだ」


ルナの声は、もう聞こえない。


神は救われなかった。

だが、"神"を生んだ世界は——まだ、そこにある。

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