救われない者の前に
街は静かだった。
昨日の広場の惨状はまだ片付けられず、瓦礫の隙間から、かすかな煙が立ち上っている。
いつきは歩きながら、自分の右手を見つめた。
あの時感じた"熱"は、もう消えているはずなのに、指先の奥に残滓のような感覚がある。
何が起きたのか――まだ、言葉にできない。
⸻
噂は広まっていた。
世間では「神を名乗る男が逮捕された」。
だが、別のところでは「神を止めた少年が現れた」と囁かれている。
誰も、その少年が誰なのかを知らない。
けれど街の空気は、確実に変わっていた。
⸻
街の外れ。
人通りの少ない通りに、黒いマントを纏った女が立っていた。
いつからそこにいたのか分からない。
気配すら感じさせず、ただ静かに、街を見ている。
女の足元には、祈るように膝をつく者たちの姿があった。
「あぁ...女神様。」
「どうか...」
祈り。
期待。
救われたいという切実な願い。
それらすべてが、この女の"力"となっている。
「……ごめんね坊や。」
女は、遠くを歩くいつきの背を見つめ、微かに笑った。
⸻
いつきの脳裏に、昨日の光景が浮かび上がる。
信仰する人々。
街を破壊した自称“神”。
そして――それを止めたという、
紛れもない事実。
胸の奥に、小さな疑問が芽生えた。
なぜ、あの男は止まったのか。
考えた瞬間。
右手に"熱"を帯びたような違和感が走る。
それはまるで、答えを拒むように。
⸻
その時だった。
いつきは、足を止める。
理由は分からない。
ただ、
背中に突き刺さるような視線を感じた。
ゆっくりと振り返る。
少し離れた場所に、
黒装束の女が立っていた。
女は、まるで愉しむように微笑んでいる。
次の瞬間。
周囲にいた信仰者たちが一斉に動いた。
祈っていた手がほどけ、
視線は揃い、足音が重なる。
人々は迷いなく走り出した。
いつきに向かって。
「……なに?」
思考が追いつかない。
なぜ、人々が自分に向かってくるのか。
後ずさるいつきに女は穏やかな声で告げる。
「安心しなさい」
その声には、慈しみすら滲んでいた。
「彼らは操られているわけじゃない。
ただ、“信じている”だけよ」
女は一歩、前に出る。
「祈りは向けられる先を選ばない。
力も同じ」
そして、静かに名を告げた。
「――我が名は、モイラ」
その名が響いた瞬間、信仰者たちの動きが、
さらに鋭くなる。
「....⁉︎なんなんだよっ」
そう叫ぶいつき。
モイラは微笑みを崩さずいつきを見据えた。
「貴方の力を試させてもらうわ」
「力?なんの話?」
いつきの右手に、再び"熱"が灯る。
逃げ場は、
もうどこにもなかった。




