軋む神域、動き出す因果
荒野に佇む礼拝堂。
その崩れかけた屋根に、一匹のカラスが羽を休めていた。
——その下へ、近づく人影。
⸻
崩れた壁の隙間から、太陽の光が差し込む。
逆光の中、その影はオリエントに向かって声をかけた。
「やぁ、ぼうや」
オリエントたちは一斉に声の主を見る。
——全員、即座に臨戦態勢。
だが、その姿を認めた瞬間。
オリエントは深くため息をついた。
「……なんだ、あんたかよ」
そう言って腕を頭の後ろに回し、瓦礫の山に寝転ぶ。
「おい、知り合いか」
低い声でペイモンが問う。
「あぁ……」
オリエントは目を閉じたまま答える。
「ちぇ、つまんねぇ」
ハザエルは不貞腐れたように、ナイフを指先で回す。
オリエントが見ていた影——
モイラだった。
彼女は、礼拝堂の中心に倒れている男を見る。
「……また、いじめてたの?」
呆れた声音。
「いじめてねーよ」
「事情聴取、ってやつ?」
オリエントはどこか楽しそうだ。
「あんまり派手なことするんじゃないよ」
「また“神”に目をつけられるわ」
声は、どこまでも穏やかだった。
「うるせぇな」
「関係ねぇだろ」
オリエントは吐き捨てる。
「この人、嫌い」
アリトンが壁にもたれ、ぼそりと呟く。
「……まったく」
モイラは溜息をつく。
「あの時、見逃してあげたのに」
「本当に——死にたいの?」
「……」
オリエントは、何も言い返せなかった。
その沈黙に、三人が反応する。
「おい、今の何だ?」
ハザエルが身を乗り出す。
「女に負けた話か?」
「違ぇよ」
オリエントは舌打ちする。
「ガキの頃だ」
「神の家臣とかいう連中に、狙われてた」
「ほう……」
ペイモンとハザエルの目が、わずかに光る。
「もういいだろ」
オリエントは身体を起こし、瓦礫の上にあぐらをかく。
「今日は何の用だ」
「ずっと見てたのか?」
「あんたたちが“神”の周りを荒らしてるから」
モイラは静かに言う。
「忠告に来たの」
「もう、やめなさい」
「やめるわけねぇだろ」
オリエントは笑う。
「次は祭りを潰す」
「“神”を引きずり出すんだ」
「……本当に、馬鹿ね」
モイラは顔を覆う。
「ガキは調子に乗らない」
「あんまりやんちゃすると——尻叩くわよ」
「っざけんな!」
オリエントは立ち上がり、左手を突き出した。
その瞬間——
モイラは、目を閉じた。
"矢印が走る"。
見えない因果が、一直線にオリエントの頭を貫く。
「……っ」
オリエントは、その場に崩れ落ちた。
「おい!」
ペイモンが叫ぶ。
「何をした」
アリトンの視線が鋭くなる。
「心配しないで」
モイラは静かに言う。
「すぐ目を覚ます」
そして背を向ける。
「あんたたちも」
「“神”には、気をつけなさい」
そう言い残し、荒野へと歩き去った。
瓦礫の中で、オリエントを囲む三人。
———
⸻
場面は変わる。
神域。
血の匂いが漂う空間。
踏みしめるだけで、因果が軋む。
イニュオは片膝をつき、槍を地面に突き立てていた。
頬には、かすかな血の跡。
——人間につけられた傷。
「……戻ったか、イニュオ」
低く、圧のある声。
動神アレスが、背後に立っている。
「命令違反だな」
「ええ」
イニュオは立ち上がり、振り返る。
「ですが、最適解です」
「撤退が、か?」
「はい」
頬の血を拭いながら言う。
「続ければ、少年は“壊れる”」
「壊れて何が悪い」
アレスは笑う。
「それが戦場だ」
「違います」
イニュオの声は、静かで揺るがない。
「壊れる前に止めるべき存在です」
アレスの戦意が、膨れ上がる。
「……ほう」
「彼は逃げませんでした」
「恐怖を削り、迷いを消し、それでも前に出た」
「人間だぞ」
「だからです」
沈黙。
アレスの視線が、イニュオの頬の傷に止まる。
「……その傷は?」
「彼の拳です」
「……拳?」
「はい」
イニュオは微かに笑う。
「“神”の戦意を、読んで殴りました」
——ドンッ
足元が砕け、空間が悲鳴を上げる。
「面白い……!」
純粋な昂揚。
「どう評価した?」
イニュオは即答した。
「観察対象ではない」
「兵器でもない」
「神の玩具でもない」
槍を強く握る。
「——危険分子です」
アレスは、腹の底から笑った。
「いい……いいぞ!」
「だから止めたのか」
「ええ」
「彼は、まだ未完成です」
「今壊すのは、無駄」
アレスは背を向ける。
「……なら、次は俺が行く」
「それは——世界が持ちません」
「知っている」
「だから壊す」
「アレス」
イニュオが、名を呼ぶ。
「彼は——」
一瞬だけ、感情が滲む。
「私が、仕留めたい」
沈黙。
やがて、アレスは振り返った。
「……いいだろう」
「だが条件がある」
戦意が、空間を圧迫する。
「その時は、俺が見届ける」
「——この目で」
獰猛に笑う。
「生きていたら」
「“神”として認めてやる」
イニュオは息を吐いた。
「……了解」
槍を担ぐ。
「次は、殺し合いだ」
「望むところ」
二人の戦神が笑う。
その瞬間——
世界のどこかで、因果が大きく軋んだ。




