加速と衝動
いつきは額の汗をぬぐいながら、アルゴスに目を向けた。
「……あなたが観測者?」
アルゴスは静かに頷く。
「あなたがましろに
いろいろ教えてたの知ってる」
「俺の"力"も知ってるの?」
アルゴスは一つの視線をいつきに向けた。
「右手に触れるだけで、人の動き、想いの向きを変化させる。触れたものは方向転換、削除もできる。そして、矢印が見える」
「矢印……?」
「誰かの想いの向きだ。向きを変えれば、その行動の可能性も変わる。相手に触れれば、自分の身を守れる。自分の身体に触れれば運動エネルギーが統一され、力が増す」
アルゴスはまた一つの目線をいつきの右手にやる。
「目に触れればいつもより矢印が見える。身体、腕、足に触れれば力が統合され威力、耐久を増す。戦いでは、この二つを使い分けることだ」
ましろは小さく息を吐き、決意を示す。
「……じゃあ、練習するわよ。次はいつきも、右手の"力"をもっと自由に使えるように」
「待ってよ、俺が何をするって言うの?」
「いつきが何もしなくても、
その力を周りはほっとかない。」
路地の空気が張り詰まる。
「さっ、特訓するわよ」
———そう言うと
ましろは蹴りの基本動作から、
受け技までを繰り返し指導する。
いつきは訳も分からぬまま、
ましろの言うことを聞いた。
"右手"で足や腕に触れ、
運動エネルギーを統一して動きを補強する。
いつきは息を切らしながらも、"力"の感覚を少しずつ体に馴染ませていった。
———
「……なるほど、こうすれば、攻撃を予測して防ぎながら反撃もできる」
いつきは小さく笑う。
ましろも頷く。
「ええ、でもまだ基礎よ。
実戦ではもっと複雑な動きが必要になる」
アルゴスは少し離れた場所から、静かに見守る。
「次に動くのはアレスだ。準備は早い方がいい」
路地の風が軽く揺れ、
微細な因果のズレを帯びる。
世界はまだ静かだ。
だが、その裏で、運命は確実に動き始めていた。
ましろはいつきに手を添え、額の汗を拭う。
「大丈夫?身体痛くない?」
「大丈夫……ありがとう」
いつきは小さく息を吐き、"右手"の感覚を確かめる。
アルゴスの多くの視線は街の彼方に向けたまま—
独り言のように呟いく。
「世界は見ている。
"神"がいるかどうかより、運命は動く」
静かな路地の中、三人の呼吸だけが、未来の戦いを予感させていた。
———
光も影もない円卓の間。
六柱神たちが静かに座する中、空間を裂くような重圧が漂う。
「……退屈だな」
六柱神第六席・動神アレスが立ち上がる。
赤黒い鎧が軋むたびに、空間がわずかに震える。
「そろそろ、俺が直接動く時だ」
その言葉に、円卓の他の神々は即座に反応した。
「待て、アレス」
六柱神第五席・祈神天照の声は冷静だが重みを帯びる。
「無暗に世界に干渉してはならない」
六柱神第四席・変神ロキも影を揺らしながら言う。
「進めたい気持ちはわかるが、
今は試す段階だ。衝動だけで突っ走るな」
「……俺の前に立つな」
アレスの声は鋭く、足元の床にひびが走る。
「止まるくらいなら、破壊するまでだ」
六柱神第三席・観神アテナが冷たく視線を向ける。
「衝動だけでは世界を救えない。
無駄な被害を出すだけよ」
アレスは一瞬黙った。
拳を握りしめ、無言で息を吐く。
だが、目の奥に光る衝動は収まらない。
天照が言葉を継ぐ。
「ならば、家臣を出すべきだ。
あなた自身が前線に出る必要はない」
アレスは一瞬、眉をひそめる。
「……家臣か」
「奴らの力は信頼できる。私が保証する」
天照は静かに頷き、視線をアレスに合わせた。
ロキも微笑む。
「衝突する力を制御するなら、それが賢明ね。必要な干渉は最小限に」
アレスは拳を軽く握り直し、肩をすくめる。
「……わかった。今回は家臣に任せる」
「俺が出るのは、次だ」
アレスの背後から漂う血の匂い。
「俺の力は、まだここにある」
しかし、今は静かに退き、
家臣を戦場へ送ることを承諾した。
円卓の間には一瞬の沈黙が訪れた。
静寂の中、アレスの衝動と力の余韻だけが残る。
そして、
赤黒い鎧の巨躯は円卓の影に溶け、
次の行動に備える。
家臣が、いま動き出す
——六柱神の意志を携えて。




