交錯する運命
路地に、重苦しい沈黙が落ちた。
前の会話の余韻も、もう残っていない。
「……なら、行くぞ」
ヘルメスが瞬間移動する。
靴の羽飾りが光を切り裂き、拳が路地の空間を裂いた。
いつきは反射的に"右手"をかざす。
触れた瞬間、拳の軌道がわずかにずれる。
「くっ……!」
しかし、ヘルメスは笑っただけで攻撃をやめない。
跳び蹴り、掌打、空間を切り裂く拳——全てが無数に連鎖し、次々と襲いかかる。
いつきは必死に"右手"を伸ばして防ぐ。
触れるたびに攻撃の勢いは削がれるが、完全に止めることはできない。
「……やめろ、やめろ……!」
ヘルメスは瞬間移動を繰り返す。
「……なるほどな。触れられなければいいのか」
言葉と同時に、攻撃の軌道が変化する。
拳は遠くから飛び、
右手の届かない角度へ——そして——
いつきの体に拳が直撃した。
「うっ……!」
背中を壁に打ちつけ、膝から崩れ落ちる。
右手を胸に押さえる。痛みが全身に響く。
ヘルメスは間髪入れず、再び距離を詰める。
「……止められないな」
"右手"が胸を押さえた瞬間を狙い、
拳が肩や腹を襲う。
いつきは息を荒げ、
守ろうと必死に"右手"を伸ばす。
指先は震え、腕の軋みが痛みを伴う。
脳裏には病室で微笑む母の姿。
その想いだけが、彼を支えていた。
ヘルメスの攻撃は止まらない。
触れられなければ、すべてが命中する。
路地の空間を、拳の軌道が切り裂く。
「……くっ……まだ……まだ……!」
"右手"で抵抗するが、限界はすぐそこまで迫っていた。
呼吸は荒く、痛みが全身を走る。
「……まだ……まだ……!」
ヘルメスは笑う。
「よく防ぐな、だが……」
瞬間移動。
今度は視界の左右、前後——複数方向から同時に拳、蹴りが飛んでくる。
触れられない攻撃が、襲いかかる。
「くっ……!」
いつきの"右手"はヘルメスの攻撃に触れた瞬間しか止めれず、触れなれない蹴り、拳が
肩、腹に当たる。
身体が悲鳴を上げる。
そして、ヘルメスは一瞬の隙を突く。
「……これで終わりだ」
ヘルメスの拳が空間を割く。
右手の届かない位置。
強烈な衝撃がいつきを襲う。
——背中に直撃。
「……っ!」
いつきは頭を壁にぶつけ膝から崩れ落ちる。
路地の静寂が、その衝撃で震える。
ヘルメスは距離を取り、じっと観察する。
「触れられなければ、こうも簡単だ」
いつきは額から汗を滴らせ、意識が遠のく。
「……くそ……」
路地の地面が冷たく、痛みが重なり、世界が暗く沈む。
⸻
そのとき、少女の声が響く。
「やめなさい!」
風のようなスピードの蹴りがヘルメスを襲う。
「っ!?」
ヘルメスは驚き、わずかに体勢を崩す。
薄暗い路地の端から踏み込んできたのは。
——ましろだ。
小さい体でも、揺るがぬ意志が宿る。前進の向きを"固定"し、戦闘準備は万端だ。
「いつき、大丈夫!?」
ましろの蹴りが連続し、ヘルメスを襲う。
ヘルメスは攻撃を近くの電柱へ“ずらす”。
「!?…位置がずれた?」ましろは驚く。
「……この力……」
ヘルメスは眉をひそめる。
「小さき者が、よくも……」
ましろは前進を"固定"したまま、反撃の軌道に攻撃を乗せる。
ヘルメスは冷静に確実にましろを捉える。
「"固定"する力……だろう?」
息をつく暇もなく、路地には二人の戦意が張り詰める。
ヘルメスは観察者のように、ましろの動きを分析し、次の手を探る。
転移攻撃が単純には当たらなくなり、交わるはずの因果がさらに複雑にすれ違い始める——。
突如、低く響く声が、戦闘を切る。
「……やめておけ。」
ヘルメスが辺りを見渡すと、
暗闇の奥から高身長の男が現れる。
無数の瞳が顔のあちこちに浮かび、世界を冷静に解析している。
「……誰だ?」
ヘルメスが問いかけるが、答えはない。
静かな観察の視線だけが、二人を見下ろす。
「なるほど……」
アルゴスはゆっくり歩き二人に近づく。
「止める力……それを試すのか」
戦局の“ズレ”を逃さず、攻撃や防御の未来を視界に映す。
「観測者……か」ヘルメスがつぶやく。
アルゴスは静かに立ち、二人の交錯する力を計測する。
路地は戦いと観測の中心に変わった。
⸻
「……君が、なんでここに?」
驚きを隠せないヘルメス。
アルゴスは表情を変えず答える。
「お前に言う必要はない」
「ふっ……君が敵になるとはな」
ヘルメスは警戒の笑みを浮かべる。
「敵も味方もない、必要をこなすだけだ」
アルゴスの声は理知的で、空間に響く。
ましろは問いかける。
「……なに?知ってるの?」
「俺に知らないものはない」
その一つの視線はヘルメスを捉え続ける。
「彼は有名人だからね。神の間では」
ヘルメスは笑みを浮かべつつも戦意を隠さない。
⸻
路地の空気は張り詰める。
倒れたいつきを前に、ましろとアルゴス、そしてヘルメスが、静かに間合いを測る。
「君が動くと言うことは……そういうことなのかな?」ヘルメス。
アルゴスは沈黙。
ただ、視線だけで問いに応じる。
「……わかった。
今日は神の機嫌が悪くならないうちに、帰ろう」
柔らかく微笑むヘルメス。
「いつきに伝えておいてくれ」
「また会いに来る」
途端、音もなく"姿を消す"。
空気に残るのは、わずかな風の揺らぎだけ。
ましろは肩を震わせ、呟く。
「あいつは……何者?」
アルゴスは冷静に答える。
「神の使いだ。気にするな」
「それより……いつきを助けなきゃ」
いつきに駆け寄るましろ。
アルゴスは静かに見守る。
「急げ、時間は限られている」
その背後には、まだ見えぬ世界の均衡が、静かに揺れていた。




