因果が交錯する夜道
いつきは夜道を歩いていた。
ましろとの出会いから頭の整理が追いつかず、
意味もなく歩いていた。
いつきはふと背後に違和感を感じた。
振り返るいつき。
その男は突如として現れた。
「……お前は、誰だ」
背後に立つ男を、いつきは睨みつけた。
「俺は神の使いだ」
「神の……使い?」
いつきの声が震える。
「この世に神なんていない」
「いないんだよ」
ヘルメスは肩をすくめた。
「いや、いる」
「嘘つけ!」
「そんなはずない!」
「そんなこともないさ」
「この世界は、神によって保たれている」
「保たれてなんかない!」
叫ぶように言葉が飛び出す。
「神様なんていない!」
「いてたまるか!」
いつきは必死に叫ぶ。
ヘルメスは、初めて少しだけ目を細めた。
「……視野が狭いな」
「なぜ、そこまでムキになる?」
「ムキになんて……」
言いかけて、言葉が詰まる。
「……じゃあ、なんで母さんは死んだんだよ」
いつきの脳裏に浮かぶ、笑顔で微笑む母の顔。
一瞬の沈黙。
ヘルメスは否定もしなかった。
「それは、この世の理だ」
「神のせいではない」
「ことわり……?」
いつきは歯を食いしばる。
「そんなの、ただの言い訳だ」
「だったら、祈る意味なんてないだろ」
「母さんはいつも祈ってた、どんな時でも」
いつきの目は微かに潤っていた。
「無駄ではない」
ヘルメスの声は、冷静だった。
「神がいるから、この世界は混沌に沈まずに済んでいる」
「秩序と、安定が保たれているんだ」
「……俺は」
いつきは拳を握りしめる。
「この世界より、母さんの方が大事だった」
「だから言ってる」
「神なんて、いない」
今のいつきには精一杯の抵抗だった。
「いや」
ヘルメスは、はっきりと言った。
「神は、いる」
「うるせぇ!!」
いつきの叫びが、夜気を切り裂いた。
その声に反応するかのように、
カラスが一斉に飛び立つ。
ヘルメスは息を吸い、口を開く。
「神は——」
その瞬間だった。
いつきの"右手"が、無意識に前へ伸びていた。
触れていない。
距離は、まだ一歩分ある。
それでも——
「——いる」
ヘルメスの声が、届かなかった。
言葉は発せられた。
音も、確かにあった。
だが、それはいつきの耳に“意味”として届かない。
まるで、
途中で落とされたように。
途中で、ほどけたように。
「……?」
ヘルメスが、わずかに眉を動かす。
「今の……」
いつき自身も、驚いていた。
右手が、熱い。
触れていないのに、何かを"掴んだ"感覚が残っている。
「……なに、したんだ……俺」
ヘルメスは一歩下がった。
警戒ではない。
確認の距離だった。
「なるほど」
呟く。
「君の力は、言葉を壊したんじゃない」
「意味が届く“流れ”を、止めた」
「……意味?」
「そう」
「言葉は、想いを運ぶものだ」
ヘルメスは、自分の口元を指さす。
「俺の言葉は、世界の構造を語るものだった」
「君は、それを否定したんじゃない」
いつきを見据える。
「必要ない未来だと、判断した」
「そんな……つもり、ない」
「だろうな」
ヘルメスは、少しだけ笑った。
「君は壊さない」
「強めもしない」
「ただ——」
一歩、距離を取る。
「交わるはずの因果を、すれ違わせる」
いつきは右手を見つめた。
震えている。
怖い。
でも——嫌じゃない。
「……もし、それで」
声が低くなる。
「誰かの言葉が、人を壊すなら」
"右手"を、もう一度前に出す。
「俺は、それを……止める」
ヘルメスの目が、確かに光った。
「合格だ」
「……は?」
「いや、まだ試験の途中か」
彼の姿が、わずかに揺らぐ。
消えない。
移動もしない。
ただ、立っている位置の“意味”が変わった。
「いいよ、いつき」
どこか嬉しそうなヘルメス。
「次は——」
後ろに飛び跳ねながら、
ヘルメスは言った。
「拳で話そう」
夜が、静かに軋んだ。
言葉では交われない因果が、
今度は“衝突”として、交わろうとしていた。




