7.疑正推察
机の上に飾られていた時計は既に日付が変わってそこにあった。
そして、その時計の下には修が書いたと思われる手紙もあった。
あっちゃんへ
おーちゃんに聞いたよ。
ボクが居ない時間あったみたいだね。
でも、ボク直ぐに帰って来たよ。ホントだよ!
でも、おーちゃんがウソついてるとは思えないし……
何があったのかな……ボクも知りたいよ。
あ、それは別にちゃんとクレープ食べてね。
甘くないやつで作ったんだから、後で感想聞かせてね!
「仕方ないヤツだな」
手紙を読むだけでもどんな顔をして書いていたのかが伺え、嵐は思わず笑っていた。
いつもの場所に靴をしまい、少し考えてから音も立てずに階段を降りた。
流石に全ての部屋の明かりは落ちていたが、家具の配置はもう覚えている。
特に手探りになる事も無く、台所にたどり着けば心の内で家主に侘びを入れながら冷蔵庫を開けた。
出掛け間際に言われたとおりの場所にラップがかけられた皿が置いてあり、それを手に取り部屋へと戻った。
机の上にそれを置き、買って来た紅茶と並べて思わず重たい溜め息がこぼれた。
「……嫌がらせか」
クレープ自体に挟まれた生クリームもたっぷりだが、添えられたクリームもまたたっぷり。
しばらく無言のまま睨み付け、諦めの溜め息を零した。
引き出しに押し込んでいたファイルノートを取り出し、挟んであった地図を取り出した。
こちらに来る前に日香里が送ってくれたものだった。
地図を見やすい位置に置き、隣においていたノートにペンを走らせた。
今日、回った場所を簡単に書きながら、地図と見比べるがいまいちピンとくるものが無かった。
そして、最後に見えた場所がどこなのかが分かれば手がかりなるかと思い、もう一度光を呼ぼうとしたが胸の奥で鈍く痛んだ感覚に集中を途切れさせた。
いつ、使ってたんだ……?
光を呼び起こし、使役するには彼には限度があった。多くて一日に二度まで。
短い距離なら三度は呼び起こす事は出来るが、体の内側から無理だと拒否され知らぬうちに眉間に皺が寄っていた。
「それとも、さっきのアレが原因か?」
呼吸を正しながら、限度内で使っていたにも拘らず拒絶されたとすれば、先ほどの公園での一件しか思い当たるものが無い。
同時に思い出すのは、駐輪場へと駆けていたはずの志穂が消えた瞬間。
あの後に訪れたのは強制的に意識を途切れさせられた、立ち眩みに似た意識の消失。
そして、時間が巻き戻ったように同じ事が目の前で繰り返された。
朧気に地図を眺めていた視線の先には、大月といた交差点。
初めて触ったはずの大月の愛用の手帳に残っていたのは、妖と対するときに纏ういつもの風の鱗片と同じもの。
修からの手紙へと目を向けもう一度読んで、思い当たった事は一つだけ。
「俺も記憶に無い時間があるってことか……」
自嘲とも取れる酷薄な笑みを浮かべたが、もしそうならと、今のままでは手掛かりに繋げられそうなものは無いと判断を下した。
にしても……修のやろう、どこが甘くないだっ。
無理矢理、完食したが胃に残るような甘い重みに頭を抱え、今までとは違う溜め息を付いていた。
◇◆◇◆◇◆◇
「お? 重役出勤ですなぁ……って、顔色悪いなぁ。大丈夫か?」
三時限目の授業が終わってからようやく姿を現した友人に、大月はからかおうと近づいたが明らかに調子が悪そうな嵐を心配げに覗き込んだ。
「うっせぇ……」
「しかもいつにも増しての、低気圧……」
「竜堂君、おはよ。大丈夫なの?」
「…………あぁ」
隣から声をかけられ、些か睨むように目を向ければ大月と同じように心配そうな表情を浮かべた遥がいた。
そういや、隣だったっか……
昨日の今日でどの席にいたかと思い起こせば、ヒドイ話ではあるが彼女の席は間違いなく嵐の隣。
「調子悪いなら無理しなくても良かったんじゃない?」
「風邪でも引いたのか?」
「ちげぇ……あのバカのせいだ」
棘を隠さず吐き捨てた彼に、二人は思わず顔を見合わせたが先に思い当たった大月はあぁ、と頷いた。
「修のヤツなにやらかしたんだ?」
「……せぇ、寝る。とりあえず、昼休みなったら起こせ」
「お前、何しに来た」
大月の尤もな言葉にも耳をかす事も無く、机の上に置いた鞄を枕にそのまま突っ伏し微動だに動かなくなった。
そして、そのまま昼休みに入り大月は言われた通りに友人を起こすと、付いて来いと促し教室を後にした。
「昨日、何があった」
「は? いきなりなんだよ」
階段を下りながらすれ違う他の生徒たちの存在も気にした様子も無く、隣を歩く大月へと投げかけた。
「昨日、お前から噂の話を聞いただけのはずだった。だが、触った記憶の無いものにお前の手帳には咒を掛けていた」
「“しゅ”って何だって……睨むなよ、ちょっと気になっただけじゃないか」
聞きなれない言葉に首を捻り、問い返そうとしたが調子の悪さと相まっていつも以上に刺々しい視線を向けられた彼は聞くことを諦め、昨夜のことを思い返した。
「確か、噂の話して……手帳出してぇ」
うーんと唸りながら一つ一つを思い出し、小さく手振りを加えながら自分がどう行動していたかもなぞっていた。
そんな間に嵐はまだ人だかりのある購買部の横に設置されている自動販売機へと足を向けていた。
「お前さんさぁ、人に振っといてマイペースだな」
「胡散臭い話をしている自覚はあるからな」
そう返しながら、お茶パックを二つ買ってそのうちの一つを、不服そうな目を向けてきた友人へ投げ渡した。
「それで、何か思い出したか?」
「思い出すも、いきなりお前に取り上げられたんだからな、手帳……」
「そうか」
「んでまあ、取り上げられて驚いてる間に消えたわけだ」
「……それだけか?」
これでお終いと言いたげに言葉を切った大月に、今度は嵐が不満そうに目を向けた。
「それだけって……」
追求されてもそれからの記憶は、驚き過ぎてたせいか余りよく覚えていないのが本音だった。
ストローを口に咥えたまま、再び唸り始めた大月はあっと思い出したように手帳を取り出した。
「確か、手伝えって言うメモと変な記号が出た」
「記号……?」
「でも、覚えるよりも先にどんどん増えて、しまいにゃまっさらに消えた」
「……その時か」
あれは一体なんだったのかと尋ねたい大月とは対照的に、嵐は一つ自分の中にあった疑問が解け一人頷いていた。
「なんだったんだよ、あれは?」
「記憶の無い俺に聞くな。それは別にして、他に何を俺に伝えようとしてた?」
飲み終わり空っぽになったパックを側にあったゴミ箱へ投げ捨て、同じように大月も捨てたのを見てから再び、今度は教室へと戻る道を歩き始めた。
「その噂の出所じゃないかって言うおまけの話だったはずだけど……」
「歯切れ悪い言い方だな」
「わりぃ、メモってたつもりが無かったんだよ」
今度こそ罰が悪そうに呟いた大月に、嵐は特に気にした風も無く「そうか」と呟いた。
「……お前はどこでこの噂知ったんだ?」
「ん、今回のは掲示板巡ってて見つけた」
「掲示板?」
「ぶーちゃんねるの新都伝ってスレ。あぁ、何なら見るか?」
教室に着くなり大月は直ぐに自分の鞄を漁り、携帯を取り出しいつもの様に嵐の前の席を占領した。
慣れた手つきで目的のものを探し出し、嵐へと携帯を向けた。
「これこれ、もう新規の書き込みは無いんだけどさ、今年に入ってから出来たヤツよ」
「……ろくな書き込みねーな」
最新の件数だけ表示してあったがまともな反応は殆ど無く終わっていた。それを遡るように書き込まれていたコメントを読んでいけばちらほらと“遭遇した!”、“声聞いた!”など真偽は分からない書き込みもされていた。
まあ、その直ぐ後には否定や小馬鹿にしたコメントが付いていたが、丁度中ほどまで遡ったところで、嵐はスクロールしていた手を止めた。
目に付いたコメントは『白黒が出どころ?』とだけ書かれていた。
「これ、どこの事だ?」
「ん? 笹尾のことだな。あ、それ見て、おまけ噂聞いたんだ」
「二人とも、何してるの?」
興味惹かれたようにひょこりと声をかけてきた遥に二人は顔を上げた。
「んやー、修をからかうネタ探しっての?」
「別に」
ほぼ同時に、そばに立っていた彼女へ返事を返し大月の言葉に彼は少しだけ意外そうに目を向けた。
「竜堂君までそんな事するんだ。ちょっと意外」
「いやいや、オレ一人じゃ直ぐにバレちゃうじゃん? 身近な協力者はドッキリには必要だよ、新城君」
くすりと笑う遥に大げさに手を振って答える大月に余計な釘刺しは不要と思い、携帯へと目を向け直した。
「あ、それよりさ、新城。お前たしか、笹尾高に友達いたよな?」
「うん、塾のトモダチだけどねって、大月君に話したことあったっけ?」
「新聞部のネットワークも広いからね。んでさ、例の神隠しの噂知ってる?」
「知ってるよ。トモダチのトモダチが実際に遭遇したって言われてるくらいだし」
「おー、超強力な助っ人の予感。今日とか明日に話聞けたりしない?」
噂のちょっとした内容でも聞けるかもと、目を輝かせた大月に遥は困ったように眉間にシワを寄せて自分の椅子に座った。
「あー……ちょっと、それ難しいかも」
「なんで?」
「その二人ともが噂の事自体、嫌になってるみたい」
当事者と噂されているだけに、相当周りからしつこく聞かれたことが原因だと言い遥たちもあまり本人たちの目の前では触れないようにしていると告げれば大月は、あっさりと引き下がった。
「そっかぁ、んじゃさ、新城が知ってる話でいいから教えてくんない?」
「いいよ。わたしが聞いたのは……っても、結構有名なとこばっかだよ?」
「いいから、頼むわ」
「それでいいなら」
そう断りを入れてから、ちらりと携帯へ目を向けたままの彼を見て話しはじめた。
わたしが、聞いた話は……
街を歩いてるとどこからとも無く聞こえてくる声があるんだって。
『ねえ、知ってる?』って……小さな男の子の声で。
その声を聞いて、振り返ったり、『何を?』とか返事を返したら、攫われちゃうんだって。
どこかで見た事のある街なのか良くわからない場所に。
それでもね、直ぐに戻ってこれるのは確かみたい。
ただ、いきなり消えて心配した友達……A子が『どこに行ってたの? いきなりいなくなって心配したんだよ』ってB子に言ったら、
『え? 普通に一緒に帰ったじゃん』って何も無かったように返事が返ってくるの。
『何言ってるの? 一緒に帰ってないよ?』
『そんなはず無いよ。一緒にいつもの店よって帰ったじゃん』
って、二人の記憶が食い違ってるの。
だからA子はB子の家で確かめようって話しになって一緒にB子の家に行ったんだ。
でも、B子のお母さんはこう言うの『あら、昨日もB子と一緒に遊びに来たじゃない』って笑って返事が返ってきたんだって。
変だよね。
だって、A子には一緒に帰った記憶も遊びに行った記憶も無いまま。
それどころか、A子は一人で、いなくなったB子を探しに店に行ったし、家にも帰ってきてるか聞きに来ただけ。
なのに、友達とそのお母さんは違う答え。
だからB子は自分の中の結論を言ったの。
『神隠しにあったのって、私じゃなくて……あなたじゃないの?』
って、でもA子は否定し続けたけど、それを証明できるものはないの。
だって、その子以外はみんな消えたはずの子の時間を覚えてるんだから。
「って言うだけ」
「なるほどねぇ。A子だけが違う記憶を持ってるのかぁ」
「そう、変だしちょっと怖いよね。ねえ、竜堂君?」
「……そうだな」
話しの内容は聞いてはいたが、振られた声には見向きもせず適当な相槌だけを打ち返した。
「おいおい、嵐。せっかくの情報提供者のありがたい話をそう聞き流すなよ」
もう少し協力しろと含めるような大月の言葉に、彼はやはり興味なさそうにしながらも体を起こした。
「まあ、敢えて気になるといえばどんな場所に連れて行かれたのかって所くらいだな」
「そうだな、もうちょっと具体的な場所とか分かれば、それ織り交ぜて話せばもっと信憑性でそうだよなぁ。そしたら、修のやつもっとビビるかも」
「立花君、可哀想……でも、仔犬みたいでちょっと可愛いかも」
「だろ? だから、ついからかいたくなるのも親友の性と言うヤツで片付けようかと思うわけだ」
「……泣かせるなよ」
どこまで情報集めでどこまで本気なのか、一層目を輝かせ力説する大月に些かの不安を覚えて釘を改めてさしておく。
「ん? その辺はあれだ。結果をお楽しみに?」
「そうしたら、事実を捻じ曲げてでも伝えておく。俺に非は無いと」
「はっは~~。そうなる前に、お前に押し付けてやるさー」
「それなら、わたしがちゃんと二人で共謀してたって伝えてあげるね」
「いやいや、そうしたら悪の組織に頼まれた事にしておく」
大月と遥の会話を聞き流しながら、スレッドの一番最初のタイトルまで戻ってきていた。
投稿された日付は大月の言うように新しい。今年の初めの頃になっていた。
ただ、所々にあった書き込みの内容にはそれよりも前を示すものもあった。
そして、昼休みの終了のチャイムが鳴りはじめたのを聞き、携帯を元の持ち主に返して鞄を掴み上げた。
「竜堂君、授業始まっちゃうよ?」
「調子もどらねーから帰る」
授業の準備を始めていた遥に告げながら、嵐はそのまま教室を後にした。