11.中央確認
その日、三岡志穂は親友の山中若菜と共に霞ヶ丘中央図書館へ向かっている途中だった。
自分の町にも図書館はあるが霞ヶ丘中央図書館の方が広く蔵書数も多い。また通学路の途中に存在しているため、それならばと、中学生のころから二人は良く訪れるようになっていた。
それに大きいだけあり、学習用フロアの席数が多く完備されていることも利用しやすい点だった。
塾で貰った課題プリントを互いに渡して、苦手なところを互いに教えあい訊ねあい歩いていた。
館内に入りいつものようにエレベーターで学習用フロアへ上がったが、そのどれもが埋まってしまっていた。
「ざ~んねん。奥もないや」
「やっぱり、時間悪かったみたいね」
仕方無しに、一般蔵書フロアへ戻るべく部屋を出て再びエレベーターホールの前へと戻ったが、エレベーターは地下に向かっているところだった。
「今日は運が無いね。面倒だし階段使おうか」
「そうだね」
志穂の提案に若菜も頷き、狭い階段を降り始めた。
公共施設にしては幅も狭く、一段一段の高さもある。自然と慎重に降りる二人はすぐ階下の児童書フロアに近付くと、なんとなく癖づいたように入り口へと視線を向けた。
蔵書フロアには断熱のためか自動ドアが取り付けられているのだが、以前、児童書フロアの自動ドアが故障して開きっぱなしになっていたとき、飛び出してきた子供と派手にぶつかった記憶があった。
ただそれだけなら良いのだが、階段と自動ドアの距離が近い上にコンクリートだけの壁と床。
互いに大事になる事はなかったが、若菜は階段に沿って作られていたコンクリート製の花壇に腕を強かに擦りつけ、一階の救急センターに立ち寄る羽目になった。
それ以来、二人とも出来るだけエレベーターを利用するようにしていた。
「ね、わかちゃん」
「ん~?」
無事に一般蔵書のフロアにたどり着き、志穂は並びで空いていたソファに急いで辿りついてから声を掛けた。
「……あの話し、のこと、誰かに聞かれたりした?」
他人の迷惑にならないようにと小さな声で若菜へ切り出した。
同じように鞄を置いてソファに腰を下ろすタイミングで彼女は見ていなかった。志保の震えた唇が音も出せずにいた。
「なにそれ……遥にまた言われたの?」
「ううん。違うけどさ」
「ならいいじゃん。あれはただの記憶違いって、志保が言ったんじゃない」
「……そうだった」
あの時と同じ、学校や塾の友達に聞かれたときと同じ嫌悪を露にした口ぶりに、志保は思い出すように頷いた。
でも、あんたが“覚えてるのも事実”なんだろ?
不意に過ぎる言葉に志保は、自然と下唇を引き上げ悄然となる気持を奮い立たせるように拳を作っていた。
「遥じゃないけど、同じ体験した人に会ったよ」
「なによそれ。それも、あんたみたいに勘違いしただけでしょ……ほら、この話は終わりにして模試対策するんでしょ」
肘で突付かれながら、ファイルを下敷きに宿題を広げた若菜に、彼女は今度こそ悄然と視線を床に落としていた。
◇◆◇◆◇◆◇
時計を見たとき、時間は十八時二十五分になる前だった。
自転車を共に並べ、嵐と大月は先日と同じようにコンビニの前にいた。
「もうすぐだな」
大月の言葉に、嵐は視線だけで同意を示してペットボトルを弄んでいた。
「……本当に、もう一回あるんかな?」
「それを確かめるっつっただろ。ほれ、貸せ」
「大事に、マジで大事に扱えよ!」
目を合わせることも無く手のひらを大月に向けて差し出せば、熱を入れた言葉と共に彼は愛用の手帳を嵐に手渡した。
「それに、試してみるのも一つだって言ったのもお前だ」
「そりゃあ言ったけどさ、でも、この前みたいなバトルになったら手帳の無事が確保できないし!」
「……人様の心配は無しとは、流石だな」
「嵐なら刺されても死なない無いと思ってる!」
「全力で殴って――――」
胡散臭いまでの良い笑顔を浮かべた大月に、嵐はやはり目を合わせることも無く言葉を紡ぎかけたが目の前を通り過ぎたものを見つけ、手渡された手帳へと意識を集中させた。
開いたページは大月が書いたスケジュールや、新聞部のメモが書いてあったがその上に薄く文字が浮かび上がった。
「前と、違う……」
思わず零れた言葉に嵐は目を向けたが、すぐにページをめくり始めた。
三、四枚ほどめくった先のページは半分が白紙になっていたが、そこには淡く輝く緑色の文字が、今度は暗号めいた形ではなくきちんとした文字で浮かび上がっていた。
「“交差点”、“二十八日”、“郁谷”……って、また消えた」
あの時と同じように文字が消えたのを確かめてから、腕時計に目を落とす。時間は十八時半になったばかりだった。
嵐はそのまま手帳に半分力を乗せたまま次の場所へと風を飛ばした。
「今のに何か心当たりないか?」
「んにゃ~~……悪いけどナンも。ただ、郁谷っていったら満谷陸橋の先の地区だな」
「笹尾高とは」
「全然遠いぜ。反対方向だし、それ関連付けるなら中央公園とかも全然遠いし」
「……まあ、一つ、新しく情報が手に入ったって事ぐらいか」
手帳を主へ返せばすぐに大月は開かれたままの空白部分を、今見た文字で埋めていた。
「修が居なくなった場所も分かれば、なんか分かるかな?」
「無理だろ。当人が覚えてないんじゃ、場所も時間も分からないままだ……」
「どうした?」
途中で弱くなっていく言葉を敏感に聞き取り、大月は嵐の顔を覗き込んだ。
「現場と時間、分かる場所がもう一つあったな」
「マジで! なら次はそこ行こうぜ」
「付いてくる気か?」
「もちろーん! 最後まで見届けたいですものん」
「気色悪い……」
「うん、悪かった」
しかし、時間を合わせて向かうと話せば大月はあからさまに残念そうに首を横に振った。
「親が居るから無理」
「意外なセリフだが、まあその方が俺としては楽だな」
「だーがしかし、今からなら行けるぞ! ほれ、行くぞ!」
「人の話し聞かねぇな」
「いいんだよ、確認するのに時間を外していくのも一つってことだよ」
そう言って大月は自転車に手を掛け、嵐を促した。
ここから中央公園はさほど離れてはおらず、すぐに目的地に着いた二人は中央図書館の駐輪場ではなく、すぐ傍のパークハウスの裏手に自転車を止めて公園の中へと入っていった。
夕闇に覆われ始めた今時分でも、中央のステージでは何処かのダンス部員が音楽を掛けて練習をしているのが見えた。
それを塾へ向かう途中らしい小学生たちが眺めながら通り過ぎ、時折友達同士で手を動かして笑っていた。
「んで、どこで見たんだよ?」
「そこの近くだな」
公園に入ってすぐにある左側にあるプランターの花に囲まれた平たいすり鉢状になっている芝生を示した。
「それで、どういう状況で、消えたって相手はどんな奴だったんだ?」
「状況って言われても別に、何もだな」
ゆっくりと歩きながら石階段を登り始め、なんとなしに嵐は図書館へ目を向けた。
「見たのは……三岡志穂本人だけどな」
「……マジかッ!」
「でけぇ声出すな、うっせぇ」
さらりと言ってのけられ、大月は思わず嵐に詰め寄っていた。
「そりゃ驚くだろ! 本人に会ったってのもそうだけど、他人に興味持たなさそうなお前が、相手を覚えてることにびっくり驚いたわ」
「今度こそ全力で殴っていいところだな」
「ぐはっ、マジで殴りやがった……でも、よくその相手が三岡志穂だって分かったな」
殴られた脇腹を擦りながら、経緯を聞けば思わず口元が歪んでしまい奇異な眼を友人から向けられた。
「どっかで本人から話を聞いてみたいなぁ」
「無理だろう。お前だって、興味本位だけで事故のことを聞かれたら良い気はしないだろ」
「うっ……それは、そうだけど」
「それに、当人と周りの記憶が一致してないんだ。大勢に流されてケリつけてるなら、むやみに穿り返す必要もないだろ」
「嫌な言い方すんなよ。確かに興味本位って言われるだろうけど……」
「助けたいか? 俺は真似したくない理由だがな」
階段を上りきりタイル張りの広場から中央公園全体が見渡せる。石階段と同じ白い石で合わせた手摺に上半身を預けながら、ため息混じりに続けた。
「良いんじゃないのか、ただ、それを相手に押し付けるのはどうかと思うがな」
「オレは、修に押し切られて良かったと思う。もし、そうじゃなかったら、麗菜たちはずっと同じところで寂しい思いしてたと思うし」
「それはお前が向き合う覚悟を決めたからだろ。全員が同じように出来るわけじゃない」
「……覚悟決めるきっかけにもなった」
「お陰で苦労させられた」
だが、悪い気はしない。と密かに付け加えていた。
「まあ、そんなこんなでオレはもう時間になっちまったわけだ」
「あぁ、遠慮なく帰れ」
「ヒドッ冷たっ!」
「温かく見送られたいか?」
「そのほうが怖いからいい」
大月は片方の口だけで器用に笑い、来たばかりの階段を跳ねながら戻っていった。
「そうだっ、お前の番号聞いてねぇんだけど」
「修に聞け」
「お? りょーかいっと。またな」
遠目にニカッと笑った友人の笑みに嵐は一瞬だけ、早まったかと思いながらも図書館のあるエントランスホールへと入っていった。
入ってすぐ左側は大ホールとなっていて、壁には次の公演ポスターが沢山貼ってあった。
ポスター自体は有名な劇団の舞台や落語などの公演日が連なっているが、他には小さな劇団の公演日や嶺徳学園の吹奏楽部のコンサートの手書きポスターもあれば、隣の小ホールで行われる幼稚園の発表会などもあった。
一度修の家に戻るかそれとも、この近辺を調べるかを設置されている自動販売機からジュースを買い、ロビーの空いているソファに座りながら考えつつ、一昨日からのことを辿っていた。
分かりやすい鍵は満谷陸橋と……バスか。それに、郁谷、今月までの二十八日か。
それと、三岡志穂と山中若菜に、記憶が無い俺と修……決め手になるもんは無いか。
やっぱ、時間合わせてくるか。
飲み終わった紙カップをくしゃりと潰して立ち上がると、見計らったように携帯が震えた。
電話ではなくメールだ。
開けば修からで、ただ一言“お腹すきませんかっ!”と絵文字付きで送られてきていた。
一応当人とは帰宅を一緒にしたが、家の中までは入らずそのまま大月と共に外に出て来ていた。
確かに、何をするにも腹が減ってはままならない。ゴミを捨てて、彼はそのまま足早に帰宅の途に付いた。