PARTⅡ 郭公時計(おもいで) 【1】
保盛十五の春のこと。
――ガラガラガラ――
――ガラガラガラトン――
静かに閉めるのが安治だった。
「もう来た、今日はまた一段と早いねぇ」
掘り火燵の向かいにいる祖母の恵が、保盛に笑いかけた。保盛はこれから父の車で駅まで送られることになっていた。
「支度はできてるか」
安治が襖を開け入って来た。
「うん。できてる」
上着のまま火燵に入っていたので、直ぐ立ち上がれた。
「時間、何時だ」
「五十六分」
「少し早いか」
「でも、電車は来てますよ。あそこで止まってるから」
母の蓉子が台所から顔を出し、隅に置かれていた風呂敷包みを持ち上げた。
「それを持たせるのか」
安治が蓉子を見た。
「そうですよ。内祝いの品とお義母さんが作った羊羹と照岡の餡子」
「持ちにくいだろうが」
保盛は手に、自分の物を入れた布袋を提げていた。
「そうですか? でも、私はいつもこれで。乗物に乗るだけだから膝に置けるでしょう?」
「座れなかったらどうするんだ」
「そうだねぇ。バスは揺れるしねぇ」
恵の言葉が終わらぬうちに安治はいなくなると、持ち手のしっかりした大きな布袋を手に戻って来た。
「ほら」
保盛は急いで包みと手提げを中に入れ、肩に掛けた。
「行くぞ」
出て行った。
安治がいなくなると、隣の部屋にいた早苗がとことこと。下の妹は風邪気味で学校を休んでいた。
「ねぇねぇ、なんで自転車じゃなくて車なの? 早苗も一緒に乗っちゃだめぇ?」
蓉子に絡みついた。
「帰りは伯父ちゃんが送ってくれるからよっ。学校休んで何言ってるのっ」
「ただいまぁ」
深雪が帰宅。上の妹は、今日は半日だった。
「あれ。お兄ちゃんどこ行くの?」
「伯父ちゃんの家」
先に蓉子が答えた。
「そうなんだぁ」
深雪と目が合った。
「いいなぁ。深雪も百合ちゃんに会いたいなぁ」
一瞬止まった保盛に、恵が言った。
「保ちゃん、いいから早くお行き」
保盛は茶の間を出た。
外では安治がまだ乗らずにいた。
「荷物は後ろだ」
後部の足元には新聞紙が敷かれていた。
「時計して来たか」
乗り込むと聞かれた。
「うん。ほら」
上着の袖を上に。
「兄貴奮発したなぁ。俺が着けてたっておかしくない。お前が後輩になったのが、よっぽど嬉しかったんだな」
そしてエンジンをかけた。
十分程で駅に。
「電車来てるな。昼間じゃ座れるだろう。財布持ってるな」
「うん」
「気を付けて行けよ。バスわかるな」
「大丈夫」
「伯父ちゃんたちに、ちゃんと挨拶しろよ」
「はい」
保盛はドアを開けた。
「保盛」
安治がゆっくりと名を。
「受かって良かったな。百合ちゃんにも胸張れて」
「うん」と頷きドアを閉めた。
植え込みを巡り離れて行く紺色の車を目が追った。
――『受かって良かったな』――
発表当日聞いたのは「休みの日に自転車を整備に出しておけ」だけだった。
(父さん。俺さ……)
バスが入って来て遮った。
窓口で切符を買い、改札を通った。電車に乗るのは今日で五度目。ひとりで乗るのは初めてだった。達朗たちと一緒だった時の様に階段へ向かいホームへ。見慣れ始めた橙緑の電車が着いていた。
『前と後ろは嫌だから三両目に乗ろうよ』
達朗の言葉を思い出し、三両目の中央から。一人で乗ると車内は感じていたより広く、満員時ここでは落ち合えない気がした。
(達ちゃん。改札前で会った方がいいよ)
保盛は左手奥に座った。
――ピィー――
――バタン――
――ガタン ゴトン ガタン ゴトン――
音は次第に早くなる。
――ガゴガッタン――
連結部分が大きく揺れ、慌てて横に置いた荷物を押さえた。
しばらくすると振動は静かに。保盛は荷から離れ、気になっていた切符をズボンから上着の内ポケットへ入れ替えた。これが来月からは定期券になる。
(ごめん)
言えない言葉を心が言った。
反対されるのを覚悟で志望校の名を出したのは、中一の二学期だった。地元にも旧制中からの高校があり、安治もそこを出ていた。家業を継ぐならそこがうってつけだった。ところが――。
「達ちゃんがそこだから?」
聞いてきたのは深雪だった。
「受けるからには入れよ」
安治はそう言い、恵は笑顔で頷き、蓉子は関せずの態度を取った。
深雪が名を出した〝達ちゃん〟こと達朗とは、幼稚園で出会った。整形外科の長男と餡子屋の跡取りは、気弱でよく泣き気が合った。そしてこの度受験期を迎え、達朗は家業を視野に、保盛は別の目的で医学部進学率の高い高校を目指し、仲良く合格していた。
電車は三駅通過し、四駅目に停まった。
――ガー――
ドアが開く。
――パタ――
中央から誰かが乗った。
「照照じゃん!」
赤と黄緑の派手なジャンバーに立てた髪。同じクラスだった井野口が歩いて来た。
「降りねぇの?」
発車の笛が響きドアが閉まった。
「今日は違う」
「ああ、そうか。そうだよな。学校なら達もいるわ」
保盛は笑った。
「じゃあ、今日はどこ?」
「伯父さん家。口ちんは?」
「俺は婆ちゃん家。今はちっとカツ丼食っての寄り道。あそこ、量あってうめえよ。娘さんの恵美ちゃんも可愛いし。これから帰りに腹空いたら達と寄れよ」
駅前の○○食堂を勧められた。
「明日から部活に参加するんだ」
井野口は運動推薦で実業校へ決まっていた。
「照照は? また達と剣道?」
「さあ。まだ決めてない」
「もっとも、あそこは勉強専門だもんな」
「そんなことないよ」
「まあ、中には俺みてえな者もいるだろうが、他の多くは運動でその上には行かねえよな」
保盛は「まあね」と同意した。
「赤岩から手紙届いた?」
「ううん」
「卒業式のスナップ写真、焼き増して送るって言ってたぜ」
「ふうん」
「なあ照照。達は骨接ぎだろ? お前は代議士?」
「代議士?」
「じゃあ、お前も医者か?」
「どうしてだよ」
「おかんが『お客が言ってた』って言うから」
井野口の家は床屋だった。
「牛乳屋の息子もあそこ行って代議士になったって」
「あの人は次男だろ?」
「違う。長男だってよ。それに、照照の親父さんの兄さんだってあそこ行って医者だろ?」
――ガー――
電車は鉄橋に乗った。
「最初は違ったんだよ」
「あ? なに?」
伯父の泰太郎は一旦は商科へ進んだが、思うところあって親兄弟に頭を下げ、医学部へ入り直していた。
(でも。そこまで話すこともないか)
保盛は、次の言葉を待つ井野口に笑いかけると、〝何でもない〟という手振りをした。




