PARTV 内諾
慶治が戻って来て三ヶ月が立ったある日、保盛は深雪から連絡を受け久しぶりに本社に出向いた。
「今日は木曜だから、午後は会議かい?」
「ええ、いつも通りよ」
「何だい、話って。慶ちゃんのこと?」
座わり慣れたソァーから聞いた。
「違うわ。これのこと」
安治が渡して逝った鍵を見せた。
「そろそろ次の人、決めようかって」
「渡した時、親父幾つだっけ?」
「深歩を産む前だから八十二、三」
「じゃあ、十年早いだろう。それに修ちゃんだっているし」
「でもお兄ちゃん、修司さんも、もう還暦越えよ。それに中継ぎでしかないし。栄ちゃんは逃げちゃうし」
「栄広はああいうヤツだ。向いてない。だけどさ、十年立てば深歩だって。お前の娘だ。しっかりやるさ」
言いながら、妹の三十代を思い返し……“待った”を。
「深歩ちゃんに?」
“当たり”だった。
「そりゃあ、良かった。お前が気に入る相手で」
「そう思う?」
「思うよ。俺の知る限り……」
“ひとり“と言えず濁すと、笑みが消えた。
「慶治ちゃんに渡したいのよ」
テーブルに鍵が置かれた。
戻ると保盛は、昼食の仕度を中断させ百合に聞かせた。
「ご当人同士は、どこでお会いになったの?」
「家でだそうだ」
「深雪ちゃんが呼んだの?」
「いいや、修ちゃん。音楽の話で好みが合ったんだってさ」
「そしたら仲良しに?」
「それからは、深雪もちょくちょく声掛けて呼ぶようになったらしい。まあ、元から知った仲だし」
「そうなの」
「もともと慶ちゃんは、深雪のお腹にいる時から深歩を知ってたし、深雪も慶ちゃんを、ハイハイの時から知ってたし。もちろん、修ちゃんとも面識は。……今思えば、達ちゃんのことがあった時、家族を亡くした寿美ちゃんや慶ちゃんは、支えだったのかもしれないな」
「ねえ、でも、交際してはいないのよね」
「うん。修ちゃんが先に気づいて『いい感じだ』と深雪に言ったのが始まり」
「聞く限り、良い御縁だと思うけれど」
「うん、まあ。……だけど、慶ちゃん自身そんなことは……。たとえ深歩を気に入っていても、絶対に口にはしないだろうし、第一こればっかりは、倫太郎たちが首を縦には……」
保盛は頭の天辺を拳でコンコン叩いた。
「そんなことはないんだが、慶ちゃんは、拾ってもらったと思ってるし、倫ちゃんたちは
『御恩は一生』なんて、馬鹿なこと言ってるし」
しかし、なんとしても妹の希望は叶えなければ。達朗に合わせる顔がない。参った顔をしていると、百合がじっと見てきた。
「慶治さんて、保ちゃんに似てる」
「俺に?」
顔のことかと満更でもない気分に。
「ええ。初めてお話しした時そう感じたの。だからきっと、何が何でも己を通す方ではないわ。むしろ伝え方によっては、退いてしまうかも知れない」
ああ、そう言うこと……。しかし、この一言で打つ手が決まった。
「だとすれば、倫ちゃん落とすしかないな」
「ええ。でも……あっ!」
今度は瞳を輝かせた。
「えっ、なに?」
「ほらっ」
「なに?」
「ほぉらっ」
「芙美ちゃんかっ」
受話器を渡して来た。
フロントに電話が来た小一時間後、占いルームへ水沢が飛び入り客を連れてきた。
「いらっしゃいませ」
受け入れ表を見て初めて。出かかった「何かあったんですか?」を喉前でグググっ。スーツ姿は徒事ではない。
「こちらへ」
保盛は室内に目を。
「黒が基調なんだ」
里夢の服装も同じだった。
「美しく、優しく、己に厳しい色だ」
保盛が正面を向いたので、芙美は四つに分けたカードを前に出した。
「一束から一枚を、伏せたまま選んでください」
保盛が出すと、里夢はその四校を中央に横一列に。そして左から。
クラブのジャック、スペードの8、ダイヤのクィーン、ダイヤの6が返った。
次に里夢は残りを束ねジョーカーを除くと、自分の前に八枚ずつ六段並べた。
「この列で、気になるカードはありますか?」
保盛から見て最上段を指した。
「いいや」
答えを聞くと、八枚全てを左へ。
「では、この列は?」
「一番左」
残りをまた左へ。
「では、この列は?」
「まん中の右」
右へ四枚、左へ三枚。残りは三段に。
「この三段の中で、一番気になるカードは?」
保盛は暫く見てから最下列右から二番目を指した。 上二段と最下の右六枚を右へ、最下の左端を左へ。
「この三枚で。それとも除きますか?」
「いや、これで」
クラブのクィーン、ハートの2、ダイヤの8が顔を見せた。
「御父様は、望んでいらっしゃいます」
「親父?……親父……」
保盛は、呟きながら上着から覗く時計に目を。
「なるほど。いけそうだ」
確信を浮かべ芙美に向いた。
「今夜、倫ちゃん借りるよ。夕飯は百合のところへ行ってやって」
送ろうとすると、タクシー乗り場を訊いてきた。
夕方、芙美は百合の所へ。今夜はパエリアで迎えてくれた。
「飛び入りで、ごめんなさいね」
「いえ。ちょうど空き時間がありましたから。あの……。大事なお取引きでも急に入ったんですか?」
「あら、さすがねっ。そうなの。照岡にとって、特に私たちにとって、乗るか反るかの取り引きがね」
食べ終わると「いただきものなの」と、オレンジの香りの立つハーブティーを入れて
くれた。
「でも、きっと上手くいくわ。“御父様がお望み“と出たのでしょう?保盛さんも『大船に乗った』って連絡くれたし」
フフッと笑んだ。
「実はね、深歩ちゃんのお婿さんに、深雪ちゃんが慶治さんを望まれて一」
「えっ」
「ねっ、驚くでしょ?私も聞いた時は。でも、他ならぬ深雪ちゃんの頼みじゃ、私たち何としてもまとめないと」
保盛の表情から遊びが抜けていた訳が、やっと分かった。
「倫太郎さんが『うん』と言ってくれないと、この御縁談は難しいと、正直困ってたの。でも……」
百合は、フルーツ寒天にクリームを添え勧めてくれた。
「倫太郎さんから、聞いた?」
「?」
「安治叔父様のこと」
「あっ、はい。御生前、鰻を二度御馳走になったと」
「それだけ?」
「二度目の時、帰り際にお母さんの名を出され何か言われたそうなんですが、私、正直何のことか」
言っているうちに、あの時の倫太郎の顔がはっきり。
「あらっ、じゃあ、ちゃんと話してないのねっ。実は、倫太郎さんは、安治叔父様のご次男なの。保盛さん、深雪さんの弟。早苗さんの兄なのよ」
詳しく聞かずにはいられなかった。
「菅屋の倫次さんと京子さんの間にはなかなかお子ができなくて、安治叔父様は六歳で倫次さんの御養子になられたの。その後、中学に入るにあたり一旦照岡へ戻り、卒業したら帰るはずだったの。それが、在学中に京子さんがお目出度になって。同じ頃、私の父だった泰太郎が『家業を継がなくていいか』とも言い出して、それでそのまま照岡に。やがて無事由美子さんが生まれ、倫次さんの方は照岡の事情は分からなかったから、『改めて娘婿に』と一旦養子縁組を解消されたのですって。でも……。私の父に頭を下げられ安治叔父様は照岡を継ぐことに。倫次さん側としても、生まれたての娘婿のことではね。……それに、照岡は本家だし。当時は本家の跡取の方が重要だもの。でも、大人の世界の事は別として、安治叔父様にとっては、なさぬ仲でも情の通じ合った親子だったのでしょうね。その後も足繁く菅屋に。そうしているうち、『いつの間にか由美子に会うのが楽しみになった』と、保盛さんに話されたそうよ」
「義母が生まれた時、御歳は?」
「叔父様?十六。お二人は十六違い」
「……」
「由美子さんが中学に入られた時、無理を承知で『もらいたい』と倫次さんに言ってみたそうよ。 ひとり娘さんだもの、いいお返事はもらえないと思うでしょ?でも『高校を出るまで待てるか』がお返事だったって」
「旅館の方は大丈夫だったんでしょうか」
「『身内ならいくらでもいる』と言われたそうよ。『菅屋がそれでいいなら』と、照岡の御両親からも内諾をもらっていたそうなの」
「なのに、どうして――」
「実の御父様が亡くなられたのよ。三十のとき」
「義母は……まだ十四だったんですね」
「そう。今なら……。でも、当時は……。『代替わりすると、裾野を広げなきゃならないから嫁取りは当然だった』と 言われたそうよ」
百合はカップに口をつけた。
「ここだけの話、保盛さんたちの御母様の蓉子さんは、二度縁の方だったの」
「二度縁?」
「一度どなたかに嫁して離縁になった方なのよ。ひとり置いて戻られたそう」
百合と目が。
「もしかしたらね……だったのかも知れない。でも、私は蓉子さんを知っているけれど、とにかく口八丁手八丁の方で。とても離縁になど応じる方ではなかった。『親父の大誤算だっ』って話が出る度言ってる……」
昼間、保盛と向き合い開けたカード――【スペードの8とダイヤの6に挟まれたダイヤのクィーン】――が、寂しく光った。
「倫太郎さんのことを初めて話してくれたのは、御祖母様ですって。『事情があって外に。 でも、弟なんだよ』と、保盛さんが高校に入った時にね。御祖母様は、穏やかで優しい方だった。『お婆ちゃんに、百合ちゃんのこと話せばよかった』と、ここへ来た頃保盛さんよく言ってたわ。保盛さんて、人に応援頼める人じゃないのよ。私、その保盛さんに慶治さんは似ている気がして。先日の事は『死人に口なしの前に、家族ではなく第三者に知らせて置く必要を考えたんだろう』って言ってたから例外として、だとすると、深歩ちゃんとの仲も進展しないように思えて。 だからね、私たちには芙美ちゃんの言葉は『天の声』に聞こえた」
百合はお茶を入れ替えた。
「安治叔父様は、御両親の内諾はあったのに、由美子さんを迎えることは出来なかった。深雪ちゃんは、反対者はいなかったけれど、私たちが障害になってしまった。私たちは、どちらの親にも言い出せず別々の時間を過ごし、芙美ちゃんや深雪ちゃんのお陰で、こうやって晩年を一緒にすごせてる。そうして今、叔父様に代わり深雪ちゃんが、由美子さんの代わりに慶治さんを照岡に迎えたいと望んでいる。もし叶ったら、何かがスーっと伸びないかしら。保盛さんが、……芙美ちゃんと深雪ちゃんには無条件で素直になるわ。そうして照岡の何かが少しづつ変わってきているの。私には、貴女方二人は、照岡の何かを整えに現てこられた守護仏様のように、思えちゃう」
無邪気に笑う百合の方が人離れして見えた。
♢♢♢♢
その夜、赤い目で戻った倫太郎は隠れるように布団にもぐり、芙美とは言葉を交わさなかった。




