PARTⅣ 内緒話
日暮れ前、芙美と前後し倫太郎は帰って来た。
「今日は早いわね」
芙美がさっきまでのことを知っていると、倫太郎は知らない。
「まあな」
陰りのない顔にひと安心。慶治は無事保護されたようだ。倫太郎はテーブルに何かを置き着替えに。廊下の方から「それ、作りたてだぞ」と言い足した。
見ると真四角の上品な名入れの包み。ここで保盛たちと会っていたのかもしれないが、持ち帰りとは気が利いていた。余程気に入った味だったのかと思いながら蓋をとり、芙美は唖然。匂いから、入っているとは分かったが、そのものとは思わなかった。
見たこともない鰻弁当に戸惑っていると
「皿でいいな?」
戻ってきていた。
「ねえ、鰻、嫌いじゃなかった?」
「そんなこと言ったか?」
「えっ、だって……。それに、これ、こんなに……。食べ切れる?」
芙美は、一尾は食べたことがない。
「まあ、食べて見ろ」
箸としゃもじで器用に取り出し始めたので、急いで吸い物に湯を差した。倫太郎とは、鰻はただの一度もない。土用はいつも牛の日だ。心境の変化の元を知りたくなった。
「二人で食べるのって初めてじゃない?」
先ずはストレートに。すると
「そうだったな」
あっさりスルーしパクリ。そこで仕方なく芙美も。とんでもなく美味だった。
「美味しいっ」
「わかるか。昔、初めて食べた時、こんなうまいのがあったのかって思ってな。 以来、俺にとっての鰻はコレだっ」
連れて行ってくれたことはなかったくせに、堂々胸まで。この言い方だと月一くらいは行っている。でも……知り合ったのは五十過ぎ。親の代からの知り合いなら……。それもアリかと恨み言を引っ込め
「じゃあ、昔からのおつき合いのお店なのね」
と同意を。ところが
「いいや。連れて行ってもらって一度。仕出しで一度。食べたのは二度だ」
手打どころか疑問符が。しかし、話が噛み合わないのはいつものこと。それより香ばしさと歯応えが優った。
いつの間にか食べ終わり、ここはやはりほうじ茶だと、張ったお腹で茶葉を急須へ。すると
「連れて行ってくれたのは安治おじさんだ。高校の入学式を終えて門を出たら車で待っていてくれて『飯食うぞっ』って。荷物が多かったからな、車は有難かった」
自分から話し出した。
「あとの一つも安治おじさんの家でだった。お袋の葬儀じゃあ、照岡に世話になったんだ。特に安治おじさんには……。九十だっていうのに来てくれて。業者一人一人に挨拶してくれた。お陰で俺たちはすんなり引き継げた。代替わりっていうのは、何かとごたごたがつきものなんだが。それでその後お礼に行ったら、用意して待っていてくれたんだ。床間の前で向かい合いに座らせられて、「しっかりやれよ」って。おじさんは『最近は食が細くなった』と言って『俺のも少し食べろ』と分けてくれて。帰る時「由美子が月足らずで産んだことにしたんだ』とな」
困惑とも照れともとれるものを顔に。聞き方に依っては、今の言葉は誤解を招きかねない。その時、電話が鳴った。
「明後日帰るの。よかったら、明日芙美の家にお邪魔していい?」
旧友道子の声に、すぐ了解を取り付けた。
翌日、九時前にチャイムが鳴った。会ったのはアイの結婚式が最後。久しぶりの対面に「変わった?」「変わらない」を言い合いながら、やがて二人はリビングに落ち着いた。
「てっきり、もう帰ったと思ってたから、電話で声聞いた時は、驚いたっ」
お茶を出しながら芙美が言った。
「久しぶりに帰ってきたから、今回は少し長く居るつもりだったのよ。会ったら言うつもりだったんだけど」
「ごめん。ドタキャンで」
「いえいえ、御病人じゃ。それで、その後義妹さんはいかが?」
「一時は心配だったけど、無事退院できて今は療養中」
「でも大へんよね。旅館の方、手使いに行ってるんでしょ?」
「ううん。今までノータッチだったから、行ってもできること何もないのよ。せいぜい義妹の身の回りのことぐらい」
「でも、芙美みたいにフリーの人の存在も、必要なのよ。いざとなったら何か頼める人がいるって、周囲は助かってると思う」
変わらず配慮ある物言いをする道子だった。
「と言いながら、忙しい芙美のところへ強引に押しかけちゃった私ですが、実はこれには理由が」
そう言いながら、バッグから何やら。
「あの晩、みんなでね、今まで誰にも話したことのない内緒話をしようってことになったの。
これはその録音。五十前の自分たちはこんな事言ってたんだって、いつかみんなで聞きたいと思ってコッソリ取っちゃった」
チョコっと舌を。懐かしい癖を見せた。
音が出始めた。ザワザワ音のあと
「じゃあ、私から話すね」
アイの声がした。
「小ーの時ね。クラスの男子が、放課後神社で隣のクラスの男子とドッチボールの試合いするとかで、友だちに誘われて見に行ったのね。だけど少し遠かったから行ったらもう終わったらしくて、みんなバラバラに遊んでたの。 それで、帰ろうってことになったのね。そしたら、後ろから知らない男の子に呼び止められて『ねえ、アイス買って来て』って、お金渡されそうになったの」
「ホントに知らない子に?」
ハナちゃんの声が入った。
「そう、多分隣のクラスの子だったんでしょうけどね。で、そんなこと言われたって、こっちは土地カンないわけなのよ。お店なんて知らないわ。だから 『イヤ』って言ったのよ。そしたらね、いきなり平手打ち」
「うそっ」
また、ハナちゃんの声。
「ホントなんだって。一瞬、何されたかわからなかったけど、片頬がジーンって痛かったからね。 その時、その子パっとまっ赤になって。いきなり興奮しちゃった感じ。それで、その顔に驚いて、泣くことも忘れちゃった。親にもされたことなかったから、もうビックリビックリ。本当の初体験だったのよ。で、顔忘れられないじゃないの。だから、あとから人に聞いたわよ。別に五寸釘ってわけでもないけど、名前とその時の顔は一生忘れないと思う」
「小ーで、女の子の顔ぶつって……聞いたことない」
ヒーコの声がした。
「その子、どこかでぶつ人見たのか、それとも、自分がぶたれてたのか」
ミーコの声。
「でも、だからって同じことされちゃ、たまらないわよ」
ハナちゃんの声。
「今ならやり返すかも」
アイの声。
「やりそう」
ミーコの声と笑い声がした。
「じゃあ、次は私ね」
ヒーコの声になった。
「中学の時、犬の散歩をしてたのよ。そしたら隣のクラス担任の女の先生が前から自転車で来たんだけど、私と犬見たら自転車止めて寄って来て、犬に『お手』って」
「大胆だねぇ」
アイの声。
「犬、吠えつかなかったの?」
ミーコの声。
「うん。うちの犬おとなしかったから」
「それで?」
アイが聞いた。
「しつけてないから、しなかった。お姉ちゃんや私が手を持ってさせると、その時はするけど、他の人には。 そしたら、その先生大きな声で『やだっ。この犬、馬鹿ねっ。馬鹿ねっ』って。犬は犬で言葉はわからないけど、ほめられてないのはわかるじゃない、だから困ったような顔しちゃって」
「それで?」
またアイの声。
「『あー、たまげたっ』って言って、また乗って行っちゃった。たまげたのはこっち。でも、それより犬が可哀そうだった」
「イジメだ。それ」
ミーコの声。
「その後、その先生に会った?」
ハナちゃんの声が聞いた。
「会った。高校に入った時、また道で。また自転車止めて『どこに入った?』って。『○○高です』って言ったら、『へ一っ』『へ一っ』って二度言って行っちゃった」
「それ、よっぽどお気にだったんじゃん。犬ちゃんはいいとばっちりだわ」
アイの声と笑い声がした。
「ミーコ、私が先でいい?」
ハナちゃんの声。
「はい、どうぞ」
ミーコの声。
「しゃあ。私は変な夢の話。二歳くらいの頃、まだ三歳じゃなかった」
「よく覚えてるねぇ」
ヒーコの声。
「そう。なぜか忘れないのね。その頃、近くに父のお知り合いの方が住んでいて、よく連れられて行ったのよ。そこへ行く時の道ってガタガタの砂利道で、雨が降ると大きな水溜まりが幾つもできてたの。夢の中にその水溜まりの道が出てきて、水溜まりから『ヒーヨ』『ヒーヨ』って泣いてるの」
「何が?」
アイが聞いた。
「ツバメの子。だけど、ツルツルで丸くて血管が見えていて」
「生まれたての羽のないヒナのこと?」
ミーコの声。
「さぁ……。ただ、子供心に“ツバメの子”って思ってて。それが、目も口もないのに鳴いてるのよ。しかも、一つの水溜まりに三つくらいいて。私怖くて道を歩いて行けなくて。水溜まりじゃないところもあるんだけど、側を通るのがとにかく怖くて。困っているところで、そこまでしか覚えてないけど」
「怖い夢だと、私も確かに覚えてること多いわ」
ヒーコの声。
「 そう。思い出す度に、とにかく怖かったの。もう二十歳くらまで。それでね、この夢思い出すとき、いつも父とのお風呂も思い出すのよ。同じ頃だったからだと思うけど」
「ハナちゃん、大事にされてたもんね」
アイの声。
「そうね。母は妹を見ていたから、私は何をするにも父とが多くて」
「楽しいお風呂だったんだね」
ヒーコの声。
「と言うか、もっと具体的な事。私の髪を洗う時に、父は私の足を自分の胴に巻きつかせたの」
「胴?」
アイの声。
「そう。向き合って膝の上に私を乗せるでしょ。私は馬乗りだから、足ブラブラ。その足を胴に巻きつかせるの。固定させると、父は自分の足を開いて私の上半身を下に。顔は上向きだから頭が洗面器に入るわけ。 それで洗ってくれたんだけど、お尻が気持ち悪いめよ。それで、少し大きくなってからは、洗う時はお尻が乗るところにタオルを敷いてもらうことにしたの。このことと夢がね、いつもセットででてくるの」
「いつ亡くなられたんでしたっけ?」
ミーコの声。
「去年十七会忌」
「お若かったわね」
ミーコの声。
「進行が早くて。うそみたいだった」
「立派な方は早いのよ。うちのなんか憎まれっ子何とやらで。家が隣でしょ。だから事ある毎に『いつ見ても横綱みてえじゃねえかよっ』て」
ヒーコの声。
「えっ?それって……」
ハナちゃんの声。
「そうよっ。前後左右に肥えたって笑いものにすんのっ。自分だってよ、相当な太鼓腹なくせにっ」
ケラケラ声が続いた。
「じゃあ、最後、ミーコ」
アイの声。
「では、私は組み立て机の話。小一の時、親戚の人が亡くなって、四十九日か何かで人が集まったときのことでした。叔父のお嫁さんだから義理の叔母に当たる人が『道子ちゃん、ちょっとこれやって』と私を呼びました。 そこで、みんなと離れて隣の部屋に行くと、『その机、組み立てて』と言われたのです。しかし、私は組み立てる机という物をその時初めて見たもので、どうしていいかわからず手出しをしませんでした。すると、叔母さんは私をチラチラ見ながら、側にいた自分の知り合いの人に、『この子の家は、お祖母さんがいて何でもやってくれるから、この子はこんなこともできないんだよ』と言いい、『いいかい。これは、こうやるんだよ』と、黒い金属の足を立てて、座わり机を作ってみせてくれました。知り合いの人は、叔父のお嫁さんと私の顔を見比べて黙っていました。(本人前にして言っちゃっていいの)みたいな感じでした。私は、その時『おばちゃん、うちにはこういう机ないの』と言いたかったのですが、そんな事を言えば、もっと酷いことを言われそうなので、黙っていました。おわり」
「お母さんにも話さなかったの? 」
ハナちゃんの声。
「言っても腹立てるだけ。仲良くなかったし」
「だから、見えないところで。陰湿っ」
ヒーコの声。
「でも、ずいぶん思い切ったことする人ね」
ハナちゃんの声。
「まあね。こっちは別に何もしていないのに、何かと目の仇だった」
「叔父さんが、道子のこと可愛がってくれてたんじゃない?」
アイの声。
「そうね、他の姪より。私どちらかと言うと母より父似だったから、『お袋に良く似てる』って言ってたかな」
「やっぱりねっ。それで、その人、今も元気なの?」
また アイの声。
「叔父は短命で。今、おつき合いはないから何とも」
「そんなものなのね」
ハナちゃんの声。
「なんかさぁ、言わない話って言えない話が多いじゃない?だから、話したからってスッキリするわけじゃないんだよね。けどさぁ」
アイの声。
「うん。分かる。『忘れましょう』で忘れられるわけでもないんもんね。こういうのって。けど、私が話した先生も病気で亡くなったって聞いたし、ミーコの義理の叔母さんだって、もう御他界かもしれないし。なんかね、そんなものなんだよね」
ヒーコの声。
「そんなものよね」
ハナちゃんの声。
「芙美がいたら、どんな話したかね」
アイの声。
「芙美は悟ってるからねぇ。言わない話、いっぱいありそうっ」
ヒーコの声。
「今度会った時は、芙美に三つくらい話させようよ」
ハナちゃんの声。
「それいいっ」
ミーコの声。
雑音の後、音は消えた。
「わぁぁ、なんかっ……。昔に戻ったみたい」
道子も頷いた。が、
「ねえ、芙美」
と。
「高一の夏休み。日帰りで遊びに行ったの覚えてる?」
「有名な山奥の神社でしょ。覚えてる」
「あの時、私とハナちゃん蚊に刺されちゃってスゴかったの。その時軟骨塗りながらハナちゃんが話したんだけど、ハナちゃん、子どもの頃お父さんと寝ていて、湿疹がかゆくてもじもじ動いていたら、それで眠れないお父さんに腹を立てられ、いきなり裸にされて体中に軟膏を塗られたことがあったんだって」
「……」
「うつらうつらしながら手足をボリボリしていたら、いきなり布団をバっと剥がされて、手を引っぱって立たされて、ババって脱がされて粘膜まで塗られたって。びっくりしたのとヒリヒリするのでしばらく眠れなくなったって言ってたのよ」
「……」
「芙美、私の言いたいこと分かる?」
「わかる。さっきの話のこともでしょ?」
「ハナちゃん、わかってないのかしら?」
芙美は瞼の奥に遥花を。穏やかで美人なハナちゃんはいつも嬉しそうに笑い、その優しい目が芙美は好きだった。
「ハナちゃん、変わってないんでしょ?」
「ええ。幸せそうよ、家族で海外旅行に行って来たって言ってたわ」
「御父様、ずいぶん前に亡くなられているもんね」
「そうね。拘っても仕方ないかな」
「鈍い女性じゃないもの。でも話に出したったってことは、きっともう消化してるんだと思う」
「ああ、そうか。そうなのね、私、何か気づいてあげないといけないのかと思って、持って来たんだけど」
「大丈夫だと思う」
向き合う道子の顔が唐突に遥花に。
――ハナちゃん、いつ、どこで、吹っ切れたの?――
無言の笑みは芙美の手から握力を奪い、あの日……母の部屋をノックした時から握り続けた三十年来の拘りを、いともたやすく抜き去った。
「私も、自分の話、しちゃおうかなっ。いい?」
芙美は、自分でも信じられない言葉を。
「もちろんよ。録音どうする?」
「ん……。ちょっと遠慮したいかな」
「OK。ねぇ。これ、いただいていい?」
道子はお饅頭を手に取った。
「あのね。実は結婚する前にね、カードに聞いたの」
「あら、初耳」
「でしょ」
「それで?」
「『真実を語って』って、たった一枚に……。ところが、二枚出ちゃったのっ」
「んん?」
「一枚一枚並べて、しっかり見つめて、それからゆっくりまとめて。手が止まるまで切り続けて、一番上のカードを静かに開けたの。そしたら、なんと表と同じ模様が現てね。根詰めてたから一瞬の幻かって、一旦離れてそれから見た。けど、やっぱり同じで。仕方ないから、また一枚一枚よ」
「ないカードをあぶり出したってこと?」
「そう」
「それで、何がなかったの?」
「ジョーカー。ジョーカーが二枚」
「嘘みたいっ」
「でしょう?」
「それで?」
「もしかして、って振ったら外れて」
「向き合って、くっついてたってことなの?」
「そう。でも、信じられなかった。ちゃんと重ねて乱さず切ったもの。ひっくり返るなんて有り得ない。でも、向き合って重なって、それもジョーカー。もう、先生に電話した。そしたら『それは合わせジョーカーね』って」
「なぁに、それ?利華ママ、それで何て言ったの?」
「『疑心暗鬼よ』って。『聞いたことはあったけど、お目にかかったことはないわ』って」
「……でも、でも、末吉のカードだったのよね。だから結婚したのよね?」
「ううん」
「うっそぉ」
「私が『やめた方がいいんでしょ?』って聞いたら『違うわよ。そこに“停止”はないわよ』って。『カードがそれを出したってことは、もう芙美ちゃんは結論出してるってことなのよ』って」
「じゃあ……疑心暗鬼の中に飛び込んじゃったわけなの⁉」
「まあ、そう」
「そんなに素敵な方なんだ、御主人」
「幸せになれる気はしてた」
「ちょっとへこんだ?」
「正直、もっといいカードが……ってね。その時初めて、今までカードを挟んで向き合って来た人達の気持ちが、よーく分かった」
道子は包み紙を結んだ。
「何が……あったの?」
そしてお茶を。
「隠し子」
「えっ」
茶碗が揺れて少しこぼした。
「ごめんっ」
慌ててテッシュを。
「それで、どうしてわかったのよ?」
「噂話を偶然耳にしちゃったの」
「どこで」
「旅館の近く」
「……」
「利華ママと話して何日かして、バスに乗っている夢を見てね。バスで行くような所?って考えて、妹さんがやってるって聞いた旅館へ行ったの。着いて、お茶でもしようかって甘味処に入って、そしたら」
「聞こえてきたわけ?」
「そう。年配のご婦人方の声がね」
「……」
「『娘が幼稚園の運動会で見かけたって言ってたのよ』、『うちの娘は、小学校の参観で見たって』、『もう、二十年以上も前でしょう?結婚してないって噂なだけで、本当はずっと前から籍入ってるんじゃないの?」、『それなら、どうして妹さんが女将なわけ?やっぱり白く付きの人との間に、表に出せない子がいるのよ』って。まさかと思ってそのままじっと……。そしたら、旅館名も出てきちゃったの」
「…… 御主人に聞いたんでしょう?」
「ううん。これかっ!って思っただけ」
「まったくぅ……。結婚なんてねぇ、そんなに悟ってするもんじゃないわよっ」
「同感。後からそう思った」
「揉めたの?」
「ううん。ただ、カードの凄さを思い知らされた。……倫太郎さん、『子どもを欲しい』と言わなくて」
「待ってっ。だって、それが芙美の希望だったんでしょう?」
「そうよ。そうなの。そうなの、だけど……。『いらないって言ってても、やっぱり自分の子を欲しがるのが男だ』って聞いてたから。だから、『欲しがらないのは、やっぱりいるからだ』って」
「郵便ポストが赤いのも……って心境?」
「そんなものじゃないわっ。打ち明けてくれないことに憤って、自分で掘った溝が底なしに見えて来て……」
「ひとりでボロボロじゃない……」
「そう。ドロドロ。でも、平気な顔できちゃってる自分が、モンスターに見えた」
「過去形……ってことで……、いい?」
「そう。もう、過去形。ほんの少し前から」
「よかったっ。話してくれたのね」
「そう、やっと……。大事な“息子”がいたって」
「芙美……」
「寿美子さんの子だった」
「知ってる人……なの?」
「女将やってる妹」
「えっ、えっ、妹っ? 妹さんなの?ねえ、聞いたことなかったの?」
「なかったのっ。酷いでしょっ。せめて、ひと言、最初に話しておいてくれたら……」
「……義妹さん、御主人亡くされてたの?」
「交通事故で、四か月の坊やと遺されたって」
「じゃあ、それからずっとパパ代わりで、周りからはそう見えてたってことなの?……でも、それだけなら、結婚前に話してくれてもいいじゃないの」
「後継問題で義母といろいろあったようだから、話したくなかったんだと思う。今も本当にその人は大事なのよ」
「……焼けない?」
「ないない。それより、結婚も子どもも考えないほど、その子のことを思ってやれる人なんだって思ったら……」
「やっぱり会いに来てよかったっ」
道子は一緒に泣いてくれた。
道子が帰ると倫太郎から送信が。
――なんなら外で飯食って帰るぞ――
ジョーカーが肩を組み冷やかした。
戻った倫太郎がテーブルに着くのに合わせ、芙美は温めたものをオーブンから出した。
「何だ?これ」
「チーズケーキっ。ミーコが持って来てくれたの」
「ずいぶんと高さがあるんだなぁ」
面白そうに眺めた。
「ミーコがね、みんなの話を録音してきて、聞かせてくれたの」
「井戸端会議か?」
「違うわよ。今まで誰にも話さなかった話を一話ずつ」
「内緒話か」
「そんなとこ」
「楽しかったか」
「うん。すんごくっ」
「また、当分女子会は無しか?」
「ううん。お正月、また集まろうって」
言いながら芙美は、二本出したフォークを一本倫太郎に。
「今、食うの?」
「そうよ。私はこっちからで、倫太郎さんはそっちからね」
「ああ?二人で一つを突っつくのか?行儀わるいだろうが」
「いいのよ。これで」
「良くねえだろう。分けろよ」
「いいのっ。これはこうして食べたいのっ」
やがて倫太郎も渋々。笑うと赤くなった。
♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢
慶治を連れ帰った保盛は、百合に相手をさせている間に深雪に電話した。
「中途でひとり入れたいんだけど」
「いいわよ。年齢は?」
「確か今年三十五」
「御家族は?」
「母親がひとり」
「倫ちゃん数えなくていいの?」
もう耳に入っていた。「倫ちゃんにも会わせたの?」と聞いたので詳細を。
「深歩から聞いた時、本社に来てくれないかなって思ったのよ」
「じゃあ、丁度良かった」
「それで、ラブコール先はどうする?」
「山辺君にでも聞いてみてくれないか」
「わかった、これから電話入れてみる。ところで、ねえ、慶ちゃん変わった?」
「いいや、相変わらずの優男。寿美ちゃんより倫ちゃんに似てきたな」
「そうなのっ。まあ、楽しみ」。
「それで、その慶ちゃんのことで頼みがあって」
寿美子を見舞う時慶治を伴ってくれと言うと、「引き抜いたことにすればいいのね」と。いつもながら、多くを語る必要はなかった。




