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PARTⅠ  鍵

「パン。パン。パン。りんちゃんっ、ばばちゃんっ」

サッシが鳴り子供の声がした。

「来た来た」

倫太郎はニヤリとしてテーブルを離れた。芙美がカーテンを引き倫太郎がサッシを開ける。

「おはようさんっ」

子供はキラキラ目を向け、「えへへ」が出そうな顔で小さく「おはようございます」と言った。チェックの半ズボンに紺色のボレロ、左胸にはひまわりの名札。倫太郎がそのひまわりをちょっと持ち上げた。

「これ、読めるか?」

「すがや あきひろ」

「すごいなぁ、すごいっ」

キャッキャと笑う明寛(あきひろ)を倫太郎は軽々抱き上げた。

「朝から、すみません」

後ろにいた佳和美が笑いながら頭を下げた。誠也は芙美に

「六時から騒いでるんだよ。『早くしないとババちゃんたち、お(うち)に帰っちゃう』って」と。

今は九時を少し回わったところ。三時間が子守りの限界だったようだった。

「まあ、上がって」

二人は玄関へ回った。

部屋では倫太郎がいつものようにカーペットにくまさんのカードを。

「さあ、やるかっ」

交互にめくり始めた。属に言う〝神経衰弱″。ここのところ倫太郎は全敗していた。めくりながら倫太郎が話しかけた。

「幼稚園で何やるんだ?」

明寛は「う~ん」と。

「縄とびとかフラフープか?」

「なあに?プラブープって」

倫太郎は可愛さに吹き出した。何を笑われたかわからない明寛はキョトン。それからハっと。

「ママがね、いってた。おうたをうたったり、だんすをしたりするんだってっ」

「ダンスぅ?女の子とペアでかぁ?」

「おんなのこ?」

 明寛はまたキョトン。一人っ子だから、女の子は家で話題にならない。

「ほら、あの、髪にリボン付けた、ピンク色のドレス着た―」

ますますわからない。

「お雛様だよっ、お雛様っ」

お人形さんを連想させようと。しかし更にダメ。窮した倫太郎は、もううやむやにするしかないと芙美を引き合いに。

「女の子っていうのは、平たく言うと、明寛くらい小さくなった “ババちゃん” だっ」 

すると

「ああ、ふーん」

拍子抜けするほどすんなりだった。

明寛たちが帰ると倫太郎が芙美を見た。

「もう、ひらがなが読めるんだぞっ」

「やだ、保盛さんと同じ事言ってるっ。おじいちゃんたちはこれだから……。百合さんと教えたのっ」

特訓の成果だと芙美は胸を。佳和美が仕事に復帰してからは、百合と芙美が育事係だった。

「図鑑……まだ早いかなぁ」

「大判の、絵本図鑑のようなのがあるなら、いいのにね」

「そういえば……そんなの昔見たな……」

「でも、今ある?」

「今か……」

とにかく本屋へ行ってみようと二人は予定を早め、保盛たちの住む町を後にした。


明寛が入園し二週間が過ぎた木曜日、芙美は午前中から寿美子の旅館の別館にいた。三年前に改装されたこの館は[リフレッシュ館]と呼ばれ、様々なブースの中に占いルームもあった。 この館ができると、芙美は〔茉莉花亭ーる〕の出勤を水曜だけにしてもらい、倫太郎とともに二軒の家を往復する生活を始めた。日、月、火、水の四泊が、明寛が[お家]と呼ぶ今までの家。木、金、土の三泊が保盛たちの近くの別荘。行く行くはみんなの近くへ越そうと、二人は決めていた。

チャイムが鳴った、

「これからお連れいたします」

やがて、自動ドアが開きフロントの水沢が入って来た。

「橘304のお客様でございます」

「いらっしゃいませ」と言って芙美は受け入れ表にサイン。若い女性だった。 団体客かと思っていたが[橘]は家族館。「母と妹の三人で」と女性は言った。

「母たちは今おみやげ屋さんへ行きました」

旅館の周辺には小物店が沢山あった。

里夢は、桜色のクロスを掛けたテーブルに黒で縁取られた金茶色のカードを置くと

「今、頭に浮かが数字はありますか」

と聞いた。

「あります。ハートの9です」

ハキハキと声が返った。里夢はハートの9を抜き左脇へ。

「では、ここから二枚選んでください。絵札を見ても構いません」

束を渡すとハートの3とダイヤの13を出した。里夢はその二枚を離して中央に。依頼主から見て右にハートの3を、左にダイヤの13を置いた。

「この両方の下に二枚ずつ選んで置いてください」

依頼主は迷いながら左下にハートの6とダイヤの7を置き、右下には迷うことなくクラブの9とダイヤのジャックを置いた。

「あなたの希望を叶えてくれるのは、年配の(かた)の方です」

「私の希望……?それは何ですか?」

「家族です」

女性は納得できない顔をした。

「あの……四十過ぎの、それもバツイチの男性が、これから子供を持ちたいなんて。しかも、自営とかではなくて、サラリーマンが、ですよ?」

「世の中にはいろいろな方が。あなたのお知り合いの方は、少なくともあなたが考える一般人ではないと、カードは示しています」

「五、六年前に別れたと。子供がいるかも知れないんです。いたら養育費だって……」

「確かめましたか?」

首を振った。

「それ程親しくはないんです。ただ、いい人だなぁと私が思っているだけで」

「あちらの方も、あなたを気に入っていますよ」

「えっ」

顔を赤らめた。

「休暇は有休ですか?」

「はい。でも、優先があるので母の具合いが悪いことに。あの、でも、嘘ではないんです。以前足を痛めているもので」

ここは、治療湯としても知名度があった。

「でも……。このまま退社しようかとも思っています」

うつ向いた。

「それもいいかもしれません。―〚距離を置いた方が伸展有り〛― と()ていますから」

女性はすがるような目で芙美を。それから諦め気味に聞いてきた。

「もうひとりの(ほう)は、どうしてダメなんですか」

「あなたの望みに関心がないからです」

「子供を持ちたがらないということですか?」

「そうです。お若い(かた)はあなたがいればいいのです」

「でも、私を好きだと。私が望めば聞いてくれませんか?」

「自信がおありなのですね」

「大学の後輩です。少し前に、卒業以来初めて会って。『前から好きだった』と言われプロポーズされました」

「自分の子どもの母親としてあなたを見ているのは、年配の(かた)です。お若い(かた)は、これからの時間を自分と楽しんでくれる相手として、あなたを見ています」

「私が希望を変えれば、適した相手も逆になるわけですか?」

回転が早かった。

「そうですね、もとの意識が変化すれは、当然変わります」

「もとの意識………」

ちょっと考え込んだ。

「同僚のどなたたかに、プロポーズされたことを話されましたか」

「はい、同期の二人に。もし結婚すると通いきれないので『多分退社する』と」

「その後休暇を取っていらっしゃるわけですから、きっと話題になっていますね。耳に入ってもいるでしょう」

涙ぐんだ。

「それでいいと。そう思っていたんですが……」

「“距離”が鍵でしたので。それが表に()てきたわけですから、きっと上手くいきますよ。結果は意外に早く訪れます」

正午のオルゴールが通路に響いた。

「もう、こんな時間……。母たちが戻って来るので。ありがとうございました。少し冷静になってみます」

芙美はフロントまで送った。

戻ると、帰りがけに買っていく物を書き出そうとテーブルの上にメモ紙を。明日出掛けるため午後は予約を入れていない。久々に一泊の女子会。N高同窓生の仲良し五人が揃うのは実に十七年ぶりだった。ひとりひとりを思い浮かべた。地元で暮らす“ヒーコ”こと浩子。お嬢さん育ちで事業家の妻となった“ハナちゃん”こと(はる)()、県職でバリバリやっている“アイ”こと(あい)()。そして、明日の主役と言ってもいい海外生活の長い“ミーコ”こと道子。芙美はあの頃道子と一番気が合っていた。 持ち物で買い足す物は……。おみやげには何を……。倫太郎用に帰ってから作り置きする材料を書いていた時、フロントからコールが来た。

「まだいらしたんですね。水沢です。実は先程のお客様がお見えになられて、そちらにお忘れ物がおありだそうで。これから伺いたいそうですがよろしいですか?」

「わかりました。お待ちします」

忘れ物と聞き、芙美はテーブルや座板の上を確かめた。

しばらくしてドアが開いた。旅行鞄の女性に、芙美はとっさに「鍵ですか?」と。女性は驚きながらも「はい」と答え、「でも」と言って口元をほころばせた。

「大丈夫でした」

「あったんですか。ああよかったっ」

女性はニッコリ。別人のように生気があった。

「さっき電話が来て。これから、母たちよりひと足先に帰ります。今夜会うことになったんで」

チークが更に鮮やかに。

「あっ。まあ、それは、おめでとうございますっ」

あまりの早さにさすがに仰天。しかし、そこは年の功だった。

「駅まではバスですか?それともー―」

「タクシーで」

「フロントでのチェックは?」

「もう済ませました」

「でしたら、乗り場へはこの館を抜けるのが近道ですので。こちらへ」

芙美は荷物を預り先にたった。

外に出ると、乗り場は目の前に。

「ありがとうございました。どうぞ、またお越しくださいませ」

「必ず来ますっ」

眩しさに(うら)(やみ)が悲鳴を上げた。

戻るとメモを書き上げ帰り仕度をしながら時計を。あちこち寄ると、帰って作るより買い食いの方が早い。よく行くバーガー屋の今月のキャンペーンは何だったかと思いながらメモをポケットに。その時

―バタバタバタバター

水沢が来た。

「芙美さんっ、女将さんがっ」

寿美子は倫太郎の妹。年は上だが義妹(いもうと)だった。バッグを持つと芙美は寿美子の元へ急いだ。


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