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PARTⅢ ダイヤのクイーン 【5】ワルツ

 十五夜も近づいたある日。倫太郎は頼まれた日用品を届けに保盛の家へ。しかし、あいにく留守だった。立ち話くらいはしたかったが自分も出先の最中。仕方なく合鍵で入り置いて出た。が、走り出すとすぐ、芙美からも何かあったことが浮上。

(ええーっと。何だったったかなぁ……)ちょっと思い出せず聞き直そうと脇に止まった。(二度も忘れると……)芙美の顔が浮かび、メモメモと助手席の鞄の底をガサガサ。適当な紙とボールペンを掴んで体勢を戻すと、木々の向こうに男女が見えた。

(保さんたちか?)しかし遠くて何とも……。よく見ようとサングラスを上げた。その時

――ヒュッ――

何かが車の前を行った。錯覚かと目をパチパチ。すると茂みから男三人が出て来た。

一人が倫太郎の方へ。

「すいません、今ここ大きな鳥が行きませんでしたか」

「何かは通りましたよ。鳥でしたか」

「はい、逃げまして。ありがとうございました」

 三人は網で下草を分けながら追って行った。

(鳥ぃ?……人の背丈くらいあったぞっ)お化け鳥を連想しながら急いで視線をまた前に。少しの間に二人に距離ができ、男が先を、女は止まっていた。更に目を凝らすと、男は急いで引き返し女を抱えて戻り始めた。

(保さんだ!)倫太郎は急いで車をバック。器用にUターンしアクセルを踏んだ。


 別荘に戻ると慌ただしくロックを外し、今度は部屋まで入った。

(保兄ちゃん、往生してくれいっ!)

まだ解かれていない荷も、クロークに掛けられた服類も、兎に角一切合財をその辺りの空き箱にぎゅう詰めし、ドタンバタンとトランクへ。お次は隣の自宅へ駆け込み、紋入り風呂敷に包まれた嵩張り物を静かに静かに。そして倒した助手席に慎重に乗せると、ウェディングカードにひと言添えた。


~~百合様 保さんをお願いいたします~~



 その頃保盛は、鳥に足がすくみ動けなくなった百合を助け出し、別の道を歩いていた。

「もう捕まった頃だろう」

 百合は微妙な顔でニッコリ。昔から大きな鳥が苦手だった。それから互いに無口に。期せずの触れ合いは、保盛をあの朝に、百合をあの陽の中に戻していた。あの日――。


                 *


 保盛にとっては、彼岸明けの振り替え休日二日目だった。早く目が覚め庭に立つと、そよ風が。忘れていた清々しさがそこにあった。もっと感じたくなってトーストだけかじり車庫へ。ツードアの窓を開け、行く先も決めぬまま通りまで出た。少し行くと、花屋がシャッターを半開きにし荷物を運び入れていた。ほんの思い付きだった。対の花束を買いナビに伯父の眠る寺の名を。昔を想いながら、道の記憶も辿りながら着き、正門近くの個駐に停めた。ふと見ると、隣の花はいつの間にか蕾が開き大包みに。通りもないので道側一杯にドアを開けた。

人気(ひとけ)のない墓地に一歩。目指す方向に歩いて行くと微かに墓香が。そして――〝百合〟がいた。

「まあ、きれい」

こちらが気の利いた言葉を組み立てるより早かった。

「あっ。そう?」

 反応だけナイスだった。

「私、これ片付けて来ますね」

 百合は枯れ花を包んだ束を手に墓石の(なか)へ。残され石塔を眺めた。


〚照岡家〛


 伯父の命日を確かめようと、刻まれた文字を追った。

 戻って来た百合は手に水桶を。保盛は花しか持たず、百合は片付けに来ただけだった。

 百合は黙って水を入れ、保盛は花を。

「遠くからありがとうございます」

 頭を下げられた。

 戻りながら聞いた。

「よく来るの?」

「そうね」

と百合は答え

「お盆にお彼岸も入れると年に七回は。……見たんでしょ? 顔見ればわかる」

″百合ちゃん〟だった。


「もう一処(ひとでら)行こうと思ってるんだ。これから予定がないならどうかな」

ここで会えたことを達朗に報告したくなり、従弟の顔で誘った。百合は「いいわ」と車に。置いていた白ゆりの香りが百合を包んだ。

 少し走ったが、どうしても先に謝っておきたくて陰を見つけ停車。「行く前に話を」と言うと、快く応じてくれた。夢と現実の境界が失せていた、あの時間。″今がその時〟のみで、長年の思い袋の封を切った。

百合の婿候補になりたくて伯父と同じ道に進もうとし、しかし心のどこかで″動機不純〟の怯えがあったこと。そして、結局母に屈したこと。それでも百合を諦め切れず、今度は本家へ来てもらおうと考えたこと。しかし、そこにも母が立ちはだかり、自分では百合を守り切れないと、黙って見合いを選んだこと。抱え込んできた何も何もを語り切り、〝自分を見て!〟と願いながら背を向けたことを詫びた。

 百合は――終始何も言わなかった。呆れられたに違いなかったが、後悔だらけの人生の中悔いない独白だった。

「ごめん。こんな今さら話を。だけど俺、どうしても言いたくてさ。嫌な思いさせちゃってまた謝るしかないけど。でも……聞いてもらえて心底ほっとしてる。ありがとう。俺ってこんな奴。ごめん、百合ちゃん」

言ってハンドルに手を掛けた。その時

「保ちゃん、違うわ。私が父と母に『保ちゃんの(ところ)()きたい』と言えばよかっただけのことだったのよ」

 静かな声を出した。

「小学校の時よ。中学受験を決めた私に保ちゃんが言ったの。『お医者さんの学校に行くの?』って。私は否定し『お医者さんはお婿さんよ』と言ったわ。耳年増だった私は、それから家のことをいろいろ話したの。母方には病院が多いこと。実の父も祖父の病院にいたこと。母の叔父が照岡の父に母を紹介したこと。子どものいなかったその人が、今の病院を譲ってくれたこと。そのことを母が『叔父さんの形見』と言っていること。保ちゃんは黙って聞いていた。私、後から何度もあの時のことを悔やんだのよ。お利口な保ちゃんは、みんな覚えてた。できる努力はみんなしてくれた。私が困らないように精一杯。本当に、保ちゃんは誠実だった。誠実すぎて疲れちゃっただけよ。母から『本家の保盛さんの御縁談がまとまった』って聞いた時は、正直『止めて!』と言いに行きたかった。だけど、御膳立てが済むまで見物していた私には、言えることではなかった。私は母の連れ子だったこともあって、本家や蓉子叔母さんが苦手だったの。できれば保ちゃんをそこから抜き出したかったの。でも、それは違っていた。父母(ちちはは)たちも巻き込んで、保ちゃんと二人で、蓉子叔母さんに会わなければいけなかったのよ。蓉子叔母さんは良妻賢母を自負されているような方だったわ。だから、他者の目があれば、違った対応を取られたはずなの。私も母も父も、みんなが少しずつ嫌な思いをしたなら、保ちゃんはきっと疲れずに済んだの。だから謝るのは私の方。ごめんなさい、本当に。でも、御立派になられて嬉しいわ」

 変わらぬ瞳で微笑む百合と、話すつもりはなかった達朗たちのことを共有したくなったのは、この時だった。

見晴らしの良い高台まで行くと、百合は訊いてきた。

「こちら、どなたの……」

「達ちゃん。四十一だった」

酷は承知で達朗と妹のことを。百合はしゃがみ込み肩を震わせた。

「結婚式で……。投げ遣りな俺と、母親と対照的な親父見て、深雪との事を言い出せなくなったんだと思う。何より深雪のことを思って。心から祝福して貰いたいだろうと。でもあの時、俺は自分のことで、親父は会社と子供たちの母親とのことで一杯で。親父は本気で婚姻解消を考えていたし……。何か感じたんだろう。深雪を親父の側に。情況が好転するまで自分との関係を無しにして。俺が……どうしても苺の思い出だけは捨てたくなくて、洋菓子だけは作り続けたくて、半端な選択したばっかりに、大事な二人の……」

声が詰まり背を向けた保盛を百合が後ろから。陽だまりの中、細い指を握り泣いた。


「今日の花を下げに行くのは、いつかな?」

帰り道で聞いてみた。″たぶん〟を付けてくるだろうの淋しい確信を持って。

それが――百合ちゃんは「四日後に行くわ」を。

二度目のカウンターをくらった。


                 *


「あの日がなければ、今はないな」

我にかえり呟くと

「有り得ないことだったのに。当たり前のように一緒(ここ)にいるわね」

百合に聞こえていた。

「あの時応えてくれるとは。はぐらかされると思ってた」

正直に。

「あら、自信があったんじゃないの?」

 目が笑った。

「ないない、ダメ元。だって言わなきゃ。達ちゃんへの言い訳にするつもりだったんだ。″やっぱり諦めといて正解だった〟って」

もっと本音を。

「あらやだっ。それじゃ私が悪者じゃない」

「違うよっ」

百合は「うふふ」と。またやられた。

「半分は当たってる。アバウトに答えて逃げたかったのは本当。だって、もう昔の私じゃないもの。でも……言い訳の切っ掛けは欲しかった。たとえ幾代さんに罵倒されても」

百合はきっぱりと。百合の言う達朗への言い訳の切っ掛け――それは、遅れ馳せながら重荷を共に負うことだった。

「″芙美ちゃん〟て知ってる?」

「ええ。倫太郎さんの奥様でしょう?」

「そう。その芙美ちゃんが。(うち)に来てもらってるんだけど、カード占いの名人でね。俺の頭に偶然浮かんだハートの2で、百合ちゃんの存在当てて」

「……困らなかった?」

「困らないよ。倫ちゃんのお嫁さんだし。むしろ腹が決まって、アドバイス貰うことにした」

「お世話になったのね」

 保盛は大きく頷いた。

「三年前のイヴの日。(こわ)いくらいだった。本人は後から『催眠術ですよ』って笑ったけどね。たった一枚で俺の意中当てて。『協力者をお探しですね』って俺の選んだカードを返して。『ダイヤのクイーンは豊かさと涙の象徴です』と。もちろん、深雪に話すつもりではいたが、具体的な話合いの相談は誰にしたらいいか決めかねていたんだ。でも、それで俺は深雪に。深雪は驚きながら『みんな任せて』と。それからしばらくして、幾代さんは実家に呼ばれ、『こちらの都合で申しわけないが、戻して貰いたい』と山カン本家が言ってきた」

「深雪ちゃん何を……」

「さあ……。ただ、親父の金庫を開けながら『お父さんが用意していた精算金より先に、達朗さんの寄付(いさ)()を使いたいの』と言って。『それはお前の、会社の為に使え』って言ったんだが『達朗さんが何より悲しんでいるのは″良かれ〟と思ってしたことで、更にお兄ちゃんを嘆かせたことなのよ。だから、これでやっと。達朗さん、笑顔になってくれるっ』ってさ……」

「どこまで行っても私たち……達朗さんと深雪ちゃんには……」

「ああ、まったく。……深雪を泣かせて、俺たちをけちょんけちょんにして……。会ったら『この、バカ野郎(たつろう)』さ」

「こんなことを言ってしまったら……。でも、だけれど、深雪ちゃんは……。この上なく不幸でありながら、でも……。″ダイヤのクイーン〟……深雪ちゃんの涙を気高くしたのは達朗さん。歳月を経ても尚故人を思い遣れるには、生前余程思われていないと……。時に隔てられても、指輪はなくても、お互い見事な伴侶だわ」

百合は(つば)(ひろ)帽子をそっと直した。

「……指輪……貰ってた」

「え?」

「達ちゃんのお母さんから。開けた時、金庫に。深雪が『何、あれ?』って奥から出したら親父の字で茶封筒に〔響子さんからだ〕と」

「いつ頃の……。安治叔父さん、深雪ちゃんに渡さなかったってこと?」

「らしい。深雪が鍵を預けられたのは修司君との結婚後しばらくしてだから、譲られたのはその前だ。たぶん、達ちゃんの三年忌を済ませ、おじさんたちが菩提寺のある実家の方へ移られた時じゃないかな」

「叔父さん、どうして……」

「自分が渡すより″独りで見つけて欲しかった〟……だな。渡した時の深雪の顔……見られなかったんだよ、たぶん」

「達朗さんのご両親は、葬儀(その)後、深雪ちゃんには……」

「深雪は葬儀も遠慮したから、以来一度も。遺書となった手紙に――照岡深雪さんに、僕は十五年前結婚を申し込み承諾をいただきましたが、その後、僕の我儘で距離を置きました。……深雪さんは、待ってくれていると思います。……検査が済み次第照岡の家を――とあって。だから″恐らく〟ではあっても、まだ深雪の意思は未確認だとおじさんたちも遠慮されて」

「……どんなにか、慰め合いたかったでしょうに。でも、深雪ちゃんの将来を思えば。それでも、指輪を……」

百合もまた、未婚の長男を亡くした母だった。百合はそっと帽子の下に指を。保盛は気づかぬ振りを選んだ。

「それで、深雪がそれを。『百合ちゃんから貰ったことにして、これから使いたい』って。いい?」

「ええ、ええ。もちろんよ」

顔を上げた。

「……ねえ。それ、見せてもらった?」

 もう、いつもの百合に。保盛は頷いてから「エメラルドの周りにダイヤ」と言った。

「それなら。釣り合う何かを私の持っている中から早苗ちゃんに」

「早苗?」

「そうよ。深雪ちゃんにだけじゃ、おかしいでしょう?」

「ああ。まあ」

「数はないけど。戻ったら、お見せするから選んで」

「だったら俺が買って来るよ」

「だめよ。デザインがちがうわ」

「でも、じゃあ……」

指輪(かわり)を買おうと決めた。

「……いつか……会えるかしらね。深雪ちゃんに」

 ポツリに″ここぞ〟と返した。

「近いうちに……。栄広たちにも。どう?」

鍔が上下にはっきり動いた。


 いつもひと休みする店の屋根が見えて来た。

「今日は何にするの?」

この気分は「いちごオレ」だが、ちょっと間を。

「実は腹減っちゃってさ」

今度は百合がちょっと間を。

「私が重かったのね」

「そんなことない」

 互いに頬が赤らんだ。

「じゃあ、サンドイッチごちそうするわ。何がいい?」

「BLT。……ダメ? カロリーオーバー?」

「いいわよ。でも、私にもちょっとちょうだいね」

「了解」

 ワルツの中に深雪がいた。


その頃。依頼主を待つ芙美は、部屋に風を入れ外を見ていた。

――ブブ、ブブ――

「?」

 さっきOffにしたはず……だった。開くと

――任務完了したぞ!――

 白木扉の前に山積みの荷物。横に得意満面の倫太郎が(そら)に。不在をいいことに、実力行使に出たようだった。

――じゃあ、今夜はお祝いね!――

画面を閉じ、カードを握った。

 ――シャカシャカシャカシャカシャカシャカシャカシャカサっ――

 一枚が飛び出しクロスで翻った。

「御苦労様でした」

 微笑むエースの上に輝くダイヤのクィーンを。カードが熱くなった。


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