PARTⅢ ダイヤのクイーン 【4】ハート
保盛が感じた通り、誠也と佳和美は気が合ったようだった。百合から返事を貰った保盛は、四月一日を避け倫太郎に。小躍りした倫太郎は、段取りを全て整えてから誠也に伝えた。
寿美子の旅館の別館で披露が行われた晩、芙美は祝杯を飲み干してしまった倫太郎を中庭に連れ出し、風に当てていた。居眠りしそうな倫太郎の膝を芙美が揺すった。
「いつ建てたのよっ。その家っ」
「だから七、八年前……」
「違うわよっ。誠也のっ。二世帯のっ」
「ああ……。あれの元は、三十年くらい前に俺が設計してお袋が建てた……」
倫太郎は資格を持っていて、会社には一応看板を上げていた。
「だからぁ。今のはっ?」
「暮れに話を聞いてから……」
芙美はまた揺すった。
「半年かけずに建てたってこと?」
「前の引いたの俺だよ。配管も排水口もわかってる。あん時無理してガス管引いといて。大正解っ」
眠り目が開いてきた。
「俺言ったぞっ。誠也に家やるって」
「聞きました。でも、それはお義母さんからの中古住宅の話っ」
「まあ。ちょっと変更しただけだ。黙ってたのがそんなに悪かったか?」
倫太郎は相続した家を、芙美の知らぬ間に二世帯に建て替え、誠也に与えていた。
「もうっ。本当に困ったのよっ。百合さんにも佳和美さんにも、お姉さんの結華子さんと御主人にまでよっ。何度もお礼を言われてっ。何のことかわからない私の身にもなってよっ」
倫太郎は指で鼻をこすった。
「そうかぁ。俺の株そんなに上ってんのかぁ」
いきなり芙美の指が倫太郎の鼻目がけ洗濯バサミと化した。
「いててっ、いてっ」
軽症の鼻をなでながら倫太郎が言った。
「なあ。百合さんてああいう女性なんだな」
「『ああいう』って?
「どっちかって言うと寿美子タイプだ」
倫太郎は下を向き、右手で左の人差し指の毛をちょこちょこ。愚痴る時の癖だった。
「小さい時から保兄ちゃん見てたから、似合いの女性はてっきり三歩下がって着いてくるタイプだと思ってたんだが……。見た目は寿美子と変わらない。けど年は保さんより一つ上……」
「えっ?」
「なぁ驚いただろう? だけど七十の保さんの上なのは間違いじゃない。それで寿美子タイプ……。うーん。保さん猫だなっ」
急に張り声になった。
「お袋が言ってたんだが、猫は一日生まれが遅くても勝てないそうだ。だから、保さんは猫だっ」
芙美の指が今度は口に。眠気が抜け舌滑りが良くなって来たに違いなかった。倫太郎は一瞬「むぐぐっ」。が、また始めた。。
「百合さんて……誰かに似てると思ったら……深雪ちゃんだっ」
「みゆきさん?」
「籍入れた後、一度だけ挨拶に連れてっただろうが」
照岡の本家で会った、若かりし頃はさぞやと思われる美貌の女性を、芙美は思い出した。
――倫ちゃん、おめでとう――
そう言われ、倫太郎は年甲斐もなく赤くなり……その夜、お祝いに貰ったペアカップをじいっと……。その姿には違和感があった。
「保盛さんの妹さんよね」
「そう。三つ下の。あそこの会社の……双頭の片方。そう言えば、保さんとこも、もう終えてるなぁ」
今日は吉日で、保盛の会社の設立記念会も地元で催されていた。
「深雪ちゃんは、学校を終えるとすぐ、安治おじさんの側に添いたんだ。それからずっとおじさんの側にいて。四十過ぎて結婚し五十前に娘さんを生んだ。子供の頃から人目を引く娘で。親戚中でも器量良しで評判で。おまけに頭も良かった。百合さんより四つ下だな。深雪ちゃんが会社に入ったって聞いた時、俺は、結婚して家庭に入るより仕事の方が良いんだと思った。でも、実は違ってた。深雪ちゃんは達朗さんに頼まれて会社に入ったんだ。達朗さんは保さんが心配で、それで深雪ちゃんに側にいてやってくれと頼んだんだ。達朗さんは遠くから保さん見てて、大丈夫になったら深雪ちゃんを貰いに来る気でいたんだが……。自分のいた病院で……亡くなっちまった。保兄ちゃんが……あの時ばかりは飲めない酒飲んで……『ずっと前に俺が死んでいればよかった』って……」
倫太郎が鼻をこすった時
――ドーン――
夜空に菊花が開いた。
――ドーン――
――ドーン――
ガヤガヤと建物から人も。
「『今夜、湖で花火会がある』って、寿美子さん言ってたわね」
――ドーン。パラパラパラパラ――
流れて消えるダイヤを、芙美は見た。
♢ ♢ ♢
七月の第一週を誠也関係で休んだ芙美は、二週目の水曜から出勤した。店では妊娠して辞めた女屋に代わり、土・日だけだった萌が、先月から平日も来るようになっていた。予約がいつもより早いので、その分早く芙美は昼休憩に。用意されたプレートを手に階段を上りかけると
「芙美さんっ」
トイレから出て来た萌に呼び止められた。
「私もこれからお昼なんですが、ちょっとお話ししたいことがあって。お昼持ってお訪ねしてもいいですか?」
芙美は即オーケーし、五分足らずで萌は来た。
「すみません」
「いいえ。こっちへどうぞ」
萌はクロスのないテーブルにプレートを置いた。
「あれっ? ドリンクはホットなんですか」
芙美の紙コップには氷がなかった。
「ええ。でも水割りです」
芙美は一口飲んだ。今日のお昼は厚切りパンを6ピースにカットしたオープンサンドで、カスタードクリームにブルーベリーの乗ったものと、ホワイトソースに刻んださつま芋の乗ったものが3ピースずつだった。2ピース食べたところで萌が言った。
「実は知り合いから予約を頼まれたのですが。相談内容が少し込み入っていて。御迷惑にならないかと思っているんです」
「三角関係か何かですか」
「それもあるのかも知れませんが、中心は家族関係だと思います」
萌は残りの4ピースを食べながら、その知人の情況を話した。
「こんな感じなのです。本人もどうしたら良いのかわからなくなっている状態で。それで藁にも縋る思いで……。私としても予約してあげたいのですが、その時本人が何を言い出すのかちょっと見当がつかなくて。正直、どうなのでしょうか」
芙美は、ブルーベリーを飲み込み言った。
「カードに何が現るかは……。解み取れることしかアドバイスできないので。『それでもよろしければ』と伺っていただけますか?」
萌はドリンクを飲み終えると「わかりました」と携帯を手に出て行った。
食べ終えた芙美がトレーを重ねていると、萌が戻って来た。
「やはり観ていただきたいと言っていますので。よろしくお願いします」
そして、トレーを持ち降りていった。
萌が予約を入れたのは順番通りの八月初旬だった。見た芙美は保盛の了解を取り、萌を通じて予約を翌水曜の午前に変更してもらった。
じわりじわりと陽が上がって来た午前十時。鳩が引っ込むとノック音が。里夢は「どうぞ」と言いながら、出迎えようと衝立横に出た。
「失礼します」
少し大柄な女性。マネキン服がどれでも似合いそうだった。
「快く御変更下さいましてありがとうございます」
里夢は頭を下げた。
「いえ。観ていただけるなら。よろしくお願いいたします」
ショートボブが揃って動いた。
「そちらからどうぞ」
互いに衝立の左右を。依頼主が座ると里夢は言った。
「今、頭に浮かぶ数字は何ですか?」
「ええと。3です」
「マークをつけるとすれば?」
「ハートです」
「では今は?」
「今。8です。マークは……三ツ葉」
里夢は、ハートの3とクラブの8を抜き、絵柄を伏せて右端に置くと残りを五回切った。
「マークは気になさらないでください。1から54の中で思いつく数字を五つ教えてください」
「はぁ。ええと。6……17……22……46。……50です」
里夢は上から順に、六番目、十七番目、二十二番目、四十六番目、五十番目と重なりに気をつけ伏せたまま抜き、依頼主の前に横一列に並べた。
「ここから一枚選んでください」
依頼主はしばらく眺め、左から二番目を指した。
「ではそのカードをこちらへ」
受け取ると里夢は表を返し、中央に置いた。
「そこの四枚を裏返さず縦一列に並べてください」
依頼主は左端を最上位に置くと、その下に右端、次に右三番目と並べ最下に右二番目を。里夢は腕を伸ばしカードを返した。里夢から見て、スペードのキング、クラブの5、ダイヤの2、クラブの2が縦一列に。
「娘さんには幼少期、仲の良いお友達がいましたね」
「……ええ。そうですね」
――カチャッ――
甘い香りと弥生が入って来た。
里夢は中央のカードはそのままに縦の一列を伏せてある二枚の内側に移し、トレーを持ちに立った。
「ああ、いい香りですね。きっとお花が大きくて良い品種なんですね」
女性はそう言い、ゆっくり瞬きをした。
「ハーブにお詳しいんですか?」
訊くと
「若い頃興味があって。資格も一応取ったんですよ」
笑顔を見せた。
「御主人は娘さんのことについては何か?」
「『俺、避けられてる気がするけど、気のせいかな?』と」
「理由については?」
「わかっていません」
「お話しは?」
「していません」
「では、娘さんの状態も話されてはいないのですね」
「はい」
「学校からは?」
「『よくなったら来てください』と」
「では今日は?」
「家に置いて来ました」
笑みは消えていた。
「今日は御主人は?」
「出張中で。帰りは週末です」
互いにカップに手を。女性はゆっくり二口、芙美はすすりながら一口飲んだ。
「娘さんのお友達のお母さんとあなたは、親しい関係ですね」
「……はい」
「その方になら御事情を話せますか?」
「……はい」
「その方の御家族に、男性はいませんね」
「ええ。事故で亡くされて。お母さんの所へ戻ったので」
「その方は今は?」
「実家が美容室で。お母さんの手伝いをしていましたが、今は自分が中心になってやっています」
「お子さんは?」
「お母さんが見てくれています」
「あなたも資格を?」
「はい。同じ所で働いていました。他の資格を取ることを勧めてくれたのも、その人です」
「呼ばれていますね」
「……ええ。交通費は出すから週一でも来てくれないかと。行く行くは総合美容をやりたいらしくて」
「御主人にはそのことは?」
「いいえ。美容師の資格のことも話していないので」
「あなたのご親族で、御主人のことを知っている人がいますね」
「……はい」
「今回のことは?」
「話していません」
女性は、クッキーに楊枝を刺した。
「娘さんを、そのお友達の家にひと夏預かっていただくと良いでしょう」
「……」
「何か問題がありますか?」
「いいえ。ただ……。ひと夏も……ですか?」
「はい。担当医の方も環境についてアドバイスされていますね」
女性は「ええ」とだけ言って、楊枝を刺し続けた。
「あの。聞いていいですか?」
カップを置いて言った。
「なんでしょうか?」
「この、ハートのAは何ですか?」
指が中央の一枚を。
「あなたの本当の心です」
チークが肌と同化した。
「ありがとうございました」
ドアが開閉された。
芙美は、一つ目のクッキーを口に。いつもの味はいつものように程よく解れ……しかし、飲み込むにはカモミールの手を借りた。
翌晩。芙美はソファーにいた倫太郎の隣りにいき、それとなく昨日のことを。
「はぁ。女は男を見て、男は娘と男見て、娘は父親の性癖見たわけか」
伸びをしながら言った。
「それで娘が学校で、男の担任に近寄られて吐いたんだったな。それで今は学校行ってない」
芙美は頷いた。
「男性恐怖症。でも母親はそれを担任に説明していないのよ」
「具合が悪そうで心配して『大丈夫か?』でか……」
「本人のせいじゃないのに」
「いつ見たんだ?」
「知り合いの人の話だと、母親が外出してた夜みたい。寝てると思って見てたんじゃない?」
「女の方は知ってるわけだな」
「そう。結婚する前からね」
「今もか?」
「知り合いの人には、『電話がかかって来て、よく出掛ける』って言ってるそうよ」
「それで。女は何困ってるんだ?」
「娘が父親と仲良くしなくなったこと」
「当り前。じゃねぇのか」
「そうよ。当たり前っ。『気持ち悪い、怖い』って言ってるそうなのに。でも、母親は違う。気にならないのよ。それに、娘がいるから家に帰って来るのがわかってる。たぶん……結婚したくて妊娠したのよ」
「へーえ。そんなにいい男」
「知らないけど。そうなんじゃないの」
「ほんとに相手の子なのか?」
「認めたから結婚したんでしょっ」
倫太郎はパチクリ。
「なあ……。六、七歳の記憶なんてあるか?」
そっと風向きを変えた。
「ほとんどないけど。でも、二、三歳ならあるわよ。倫太郎さんだって、マスターの入学祝い云々て言ってたでしょ?印象に残れば覚えてる」
「忘れられればなぁ」
芙美は首を振った。
「でもその娘。父親と離れれば何とかなるんだろう?」
「そうできれば。でも。五分五分」
芙美から溜息が出た。
「何か後悔があるのか?」
「……泣きたくなったのっ。小さな子が必死でSОS出してるのに、自分の気持ちを優先して何とか現状維持なんて……。『男なんかじゃなくて、もっと子どもを見てっ』って言いたかったのっ。でも、いえなかったのっ」
腕にしがみついた。すると
「なあ、芙美」
腕を預けたまま言った。
「お前はちゃんと育ったろうが。捨てる神あれば、だ。心配するな。それより、保さん元気か?」
「え?」
芙美は顔を上げた。
「少し遠くなったからな。それに独り暮らしだし」
「百合さん……行ってるんじゃないの?」
腕を放し鼻をかんだ。
「誠也に聞いたらそうでもないらしいぞ。保さん痩せこけてねえか?」
「特に変わってないけど」
「いつまで通う気なんだか」
「九月には萌さんの御主人が来るって聞いたから、あと二ヶ月くらいじゃない?」
「それですぐ交替するかな」
「さあ」
「その人ケーキ屋やるんだろう?」
「調理場は少し直すようだけど、しばらくは現状にケーキのテイクアウト加えるだけだって」
「てことは……。まだ行く気か?」
「いいじゃないの。マスターのお店なんだし」
「いいやっ、良くない。目と鼻の先に百合さんがいるのに。なにもたもたしてんだっ」
「男女の距離って――」
「折角二世帯にしたんだっ。行ってもらわないと。……よしっ。明日、時計買いに行くぞっ」
芙美は呆気にとられながら、瞬間頭の中に紫屋根の時計を。♡のAは自然に押し出された。
倫太郎に気を揉ませる当の″保さん〟は――家は息子に渡して別荘に移り、平日は店に、休日は百合との散歩と、頗る充実していた。




