PARTⅢ ダイヤのクイーン 【2】姉妹
――ルルルルルル・ルルルルルル――
番号を見て深雪は笑みを浮かべた。
――はい――
ゆっくり受けると
――お姉ちゃん!さっき、お兄ちゃんからも幾代さんからも電話があったんだけど、そっち、どうなってるのよっ――
早苗が捲し立てた。
――どうもなっちゃいないわよ――
――だってっ。あの二人『別れる』ってっ――
――二人の勝手でしょ――
早苗は黙った。
――私達は何も困らないわ――
――だって。お兄ちゃん、会社の代表でしょっ?――
――そうよ――
――『そうよ』って。幾代さんも株主でしょ? 山カンだってっ――
――ええ。でも、もう清算したわ――
――えっ。そうなの? なんて手際が……――
――お兄ちゃんの配偶者欄から、あの人の名が抜けるだけよ――
――確かに。でも。……ねぇ――
――明日来る? 私時間作るから――
――ええ。行く行く――
早苗は上機嫌で切った。
翌日。トランクから出した大量の袋を手に提げ、早苗は玄関に入って来た。
「まあまあ。今日はまた」
苦笑いの深雪に早苗が言った。
「そうよっ。いつも言ってるでしょっ。あっちには美味しい物がないのっ。だから、私はいつだって、こっちの物が恋しいのっ。今日はね、和テイストにしてみたのよ」
得意顔で袋の口を広げて見せた。
貝飯、汁物、煮物、炙り物……。早苗は早速箸をつけ始めた。それを眺めながら深雪が言った。
「ここだけの話よ。私ね、達朗さんと付き合ってたことがあったの」
「え?」
早苗の指から一本が抜けた。
「達朗さんて……」
「そうよ。達朗さんよ」
早苗は箸を一旦置いた。
「だから……なかなか結婚しなかったの?」
「そういうわけでもないけど」
「でも、どうして秘密に? 誰も反対しないのに。堂々と交際したら良かったのに」
「お兄ちゃん見てたらね、言えなかった」
「お兄ちゃん? 達ちゃんと仲良かったから? 達ちゃんが秘密にしようって言ったの?」
「いいえ」
深雪は箸を分け、汁椀を取った。
「お兄ちゃんと達ちゃんの間に、何かあったの?」
早苗の額にうっすら皺が寄った。
「『お医者さんになりたい』って私たちには言ってたのに。止めたわよね。それと達ちゃんと――」
「ううん。違う」
深雪はやんわりと遮った。
「お兄ちゃん……百合ちゃんが好きだったの」
「うそっ」
「伯父ちゃんの家に行きたかったのよ」
早苗の唇が小刻みに震えた。
「……お父さんたち、知ってた?」
「お母さんは知らないわよ。お父さんは……分からない」
「伯父ちゃんは? 道子伯母さんは?」
深雪は首を振ると、向けられた目を承知しながら箸を進めた。
「早ちゃん。衣沙子ちゃんの御家族と泊まりで遊園地に連れて行ってもらったことがあったでしょ?」
早苗は小芋を飲み込みながら頷いた。
「あの時にお兄ちゃん、お父さんたちに進路のこと話したのよ。そしたら、『医学』って聞いた途端、蓉子さんが騒ぎ出して」
「騒ぐ?お姉ちゃん……」
「『私は跡取りを生みに嫁に来た』ってお祖母ちゃんに食ってかかって。お祖母ちゃんが、『そんなつもりで縁談を勧めてもらったわけじゃない』っていくら言っても聞かなくて。お父さんも呆れて『跡取りなんて身内にいくらだっている。いい加減にしろっ!』って。それからお兄ちゃんに『お前の進みたい道で頑張れ』って」
「お父さんがそう言ったなら、もう決まりじゃない。それが、どうして」
「思い通りにならないとわかると、あの人、鋏で喉を突こうとしたのよ。『生きてたって仕方ないっ!』って叫んで。お父さんとお兄ちゃんで押さえつけたわ。でも、そしたら見てたお祖母ちゃんが『気持ちが悪い』ってうずくまっちゃって。急いでお父さんが始さん呼んで小峰先生のところへ連れて行ってもらったの。それからお父さんは、お兄ちゃんと私に『もう部屋に行け』って言って。でも、それから後も、あの人が泣きながら何か言っているのが、ずっと聞こえてた」
「……でも。朝までには収まったんでしょ?」
「それが……。夜中に廊下で呻くような声がして。行ってみたら、あの人が血を吐いていて」
「血ぃっ?」
「大した量じゃなかったけれど、今にも死にそうに喘いで。一番近い牧先生に来ていただいたら『酷く腹を立てたからだ』って言われてた」
「今の急性胃炎?」
「潰瘍じゃない?」
早苗はうんうんと頷いた。
「それで、私が帰って来た時、お祖母ちゃんいなかったのね」
「そう。病院からそのまま始さんの家へ。実家の方がいいだろうとお父さんは思ったのよ」
「戻って来た時、二人共いつも通りだったから、私わからなかった」
「大人だから。でも、お兄ちゃんが下宿先に移ったら倒れちゃって。帰って来て、お兄ちゃん、ずっと泣いてた」
――カチッ――
お湯が沸いた。
「言われてみれば。いい大学受かったのに……嬉しそうじゃなかったわね」
早苗は涙を溜めた。
「達朗さんもそう言ってた」
「達ちゃんと近かったんでしょ? 大学も下宿も」
「だったみたいね」
「達ちゃんとは、いつから連絡取り合ってたの?」
「達朗さんが下宿してから。でも、どうしてもお兄ちゃんの話になるの。そうすると決まって『僕には何もしてやれない』ってしんみりしてた」
「……ねぇ。お兄ちゃん、ほとんど帰って来なかったでしょ? 何してたの? 勉強?」
「バイト」
「えっ? どうして? お金なら――」
「お菓子作りのバイト。達朗さんの言うには『手作りジャムの美味しさが忘れられない』って言ったそうよ」
「ジャム? 一体どこで? あの頃近くに〝ジャム〟作る人なんていた?」
「さあ。でも、それで希望が見えたみたい。その時達朗さんが『打ち込めるものが見つかったかも』って少し明るい顔してたから」
「じゃあ。じゃあよ。卒業しても一年くらい戻らなかったのは、お菓子作りしてたから?」
「みたい」
「お母さんがよく何も」
「『二度と口出しするな!』ってお父さんから言われてたから。言いたかったんでしょうけど。でも、その代わり……」
「その代わり?」
「ううん。何でもない」
深雪は空いた器を片付け始めた。
「次は何から食べる?」
「そうねぇ。お団子からね」
早苗は包みを解いた。
「それでねぇ。ちょっと突っ込んじゃうけど、お姉ちゃん何で別れたの? 達ちゃんがお兄ちゃんのことばっかり気にするから?」
「そうね。そんなとこ」
「達ちゃん結婚したの?」
「知らないわ」
早苗はうんうんと頷いた。
「ねぇ。もう一つ聞いていい?」
「なあに?」
「どうして会社に残ったの? お父さんから何か言われて?」
「いいえ。なんとなく」
「そう。まあ、いつ別れたか知らないけど、すぐ次の人と結婚なんて考えられないものね。会社にいるのが安全だわ」
「お父さんの側にいると、あの人から見合い見合いって煩く言われないし」
姉妹は笑った。
「じゃあ、修司さんと結婚したのはどうして? 丈島さんの息子さんだったから?」
「違うわよ。修司さんは、とても仕事熱心だったの。お兄ちゃんや私の何倍も会社のことを考えてた。そりゃあ、丈島さんが工場長だったこともあるでしょうけれど」
「それで気に入ったの? 十歳も若いのに」
「いろいろ知ってたし。結構頼りにできたの。気がついたら結婚してた」
「お父さんも気に入ってたしね。高校の後輩でしょ?」
「そう。でも本人は、お兄ちゃんたちと同じ高校を目指してたんですって」
「でも。あそこだってすごいじゃない。それに大学だって」
「そう。それに何て言ったらいいか、あんまり悩まないみたいだし。のんびりしてるし。一緒に居て楽なのよ」
「あー。わかる。お兄ちゃんにしても達ちゃんにしても、なんかこう厳しいって言うか繊細って言うか」
顔付きの″しみじみ〟に、深雪は思わず口を押さえた。
「でもね。本人は全く自分の良さをわかってないの。昔っから〝保盛さん〟は憧れの人。今だって神様みたいに崇めちゃってる」
「だから、その妹さんと結婚したかったわけ?」
早苗はいたずらっぽく笑い、慌てて目尻を伸ばした。
「でも。お父さんにとったら最高だったわ。頼りにしてる丈島さんの息子さんが優秀で。おまけにその人が娘と結婚して一緒に住んでくれて。お兄ちゃんも自分のお店持てたし。だから長生きしたわね。九十の上だもの。独りになってからの方が性格も穏やかになって。お父さん幸せな老後だった」
早苗は、深雪が冷蔵庫から出してきた生どら焼きを満足そうに口にした。
「ねぇ。お姉ちゃん。話は元に戻るけど。百合ちゃんて結婚したわよね。子どもさんもできたでしょ?」
「ええ」
「じゃあ、お兄ちゃんたちの別れ話とは関係ないわね」
「たぶんね」
「″たぶん〟って?」
「もう前なんだけど、偶然ね聞いたの。配達に来た人が、実家があそこの人で。『照岡クリニックさんと御親戚ですか』って聞かれて。『そうです』と答えると『ゆかこ先生御結婚されてたんですね』って」
「誰? ゆかこさんって?」
「百合ちゃんのお嬢さんでしょ。その人の話だと『先生と娘さんでやってたのが、先生が亡くなると別病院にいたお婿さんがこっちに来て、今は御夫婦でやってます』ですって」
「えっ。いつよ」
「十年でもないけど、五、六年よりは前」
「じゃあ百合ちゃん……」
「独りになってた」
二人は黙々と和菓子を食べお茶を飲み、テーブルの上は包み紙や空箱だらけになった。
「ねぇ」
早苗が言った。
「もしも……だったら、お姉ちゃんはどう思う?」
「いいと思うわ」
深雪は言い切った。
「私、百合ちゃん好きだもの」
「私も。ねぇ。幾代さん、本心でああ言ってると思う?」
「じゃないの?」
「もちろん、御本家の山カンも承知よね」
「そうでしょうね」
「駆引きかしら」
深雪は「さぁ」と答えお茶を足した。
「お姉ちゃん。どうして、お母さんの実家の親戚の娘なんかとお兄ちゃん結婚したのよ。今日聞いた話からすれば、普通ならありえない」
「早ちゃんが寮に入ってた時のことだから、知らないわよね。お兄ちゃんが戻って来て甘味処に洋菓子出し始めてすぐ、あの人の従弟の猪良さんがお話を持って来たのよ。いくら跡取りだからってまだ二十三のお兄ちゃんに。おかしいでしょう? それでお父さんが、いろいろ聞いていったの。そしたら『蓉子さんに頼まれた』って」
早苗は「うそっ」と出さずに両手で口を押えた。
「もう『実家に戻れ!』よ」
「でもまた……。それで。折れたのね」
「あの人は実家のことしか頭になかったから。照岡にもっと山カンの縁者を増やしたくて。それで結婚にまで口出しを。『これは保盛個人のことじゃない』って言って『嫁の貰い処が悪ければ〝照岡〟が周りから舐められる』って。お兄ちゃんは、それ聞いて青筋立てて殴りかかろうとしたわ。そしたらあの人一瞬まっ白な顔になって。それからキャーキャーその後オイオイよ」
「最低じゃないっ。殴ってやればよかったのよっ」
「そしたら、お兄ちゃん死んでたわ。自制できない自分を恥じて」
「でも。でも。それで結婚したんじゃ死んだも同じじゃないのっ」
「お父さんにね。いずれ洋菓子部門を独立して持たせて欲しいと言ってた。お父さんは。たぶんだけど、お兄ちゃんを出してもいいと思ってたんじゃないかしら。でもお兄ちゃんは……。『騒動こそ人の口の端に上る』ってよく言ってたから。お父さんが守って来たものを、きっと壊せなかったのよ」
早苗はたまらず鼻をかんだ。
「あの人は、母親だけあって、お兄ちゃんをよく分かってたのかも知れない。だから騒いだんでしょう。でも、それであの人全てを失った。お兄ちゃんが独立店舗を持った時、お父さんが私の前でお兄ちゃんに言ったの。『いずれ山カンは切れ』って」
「ねぇ……。それじゃあ……」
「『手切れ金の用意はあるから、いつでも別れていい』って言ったのよ」
「なら。良く今まで……」
「別れたところで……。何より騒動嫌いだもの」
「……ってことはよ、お姉ちゃん。″百合ちゃん〟で間違えないわね」
「たぶん」
「でも、よく幾代さんが……。かなり積んだのかしら」
深雪は自分にもお茶を足した。
「ねぇ早ちゃん。山カン、少し前に不渡り出したの」
「……」
深雪の笑みに早苗はうんうんと頷いた。




