8話 初めての塔
塔の中に足を踏み入れた瞬間、そこはまるで巨大な洞窟のようだった。
外から見たリズナのE塔は、高さおよそ200メートル。内部は10の階層に分かれているという。単純に考えれば、各階層の高さは20メートルということになる。
天井は遥か上に広がっており、そこからはほとんど自然光が差し込まず、空気はひんやりと湿っていた。壁や床はごつごつとした岩石でできており、苔のようなものが所々に繁茂している。奥の方には石造りの階段がうっすらと見え、次の階層へと続いているのがわかった。
足を踏み入れてしばらく──
見覚えのある魔物が現れた。ゴブリンだ。
けれど、森で見かけたときとは違う。
数が10体。明らかに多い。
森では1〜2体を相手に何とか戦えていたが、この数はさすがに不安が残る。けれど、初めからヴェリオスの兄貴に頼るわけにはいかない。冒険者として、まずは自力でこのE塔を進む必要がある。
まず重要なのは、背後を取られないこと。
敵全体を視界に収め、ひとりずつ着実に減らしていくのが基本だ。
俺は剣を握りしめ、教わった技術を思い出しながら、斬る。縦に、横に、斜めに──とにかく手を止めずに斬り続ける。
だが、現実は厳しかった。
俺の剣速では10体を同時に捌ききれない。前衛の3体はなんとか倒したが、それでもじりじりと壁際に追い詰められていく。
4体目、5体目、6体目…着実に数を減らしていくものの、ついに背後の壁に到達し、残る4体が一斉に襲いかかってきた。
「キィヤヤヤァァァ!!」
ゴブリンの叫びと共に棍棒が振り下ろされる。俺は1本だけを剣で弾いたが、他の全ては直撃した。
「ぐっっっ!!」
痛みはあるが、まだ動ける。
オーク戦の経験と、防具の性能が功を奏しているのだろう。
致命傷を避けつつ、わずかな隙を見逃さずに反撃を繰り返し、なんとか10体すべてを倒した。
ゼェ…ゼェ…
体力は限界に近かったが、休む間もなく2階へと登った。
そして、2階、3階、4階──
新たな魔物が姿を見せ始める。ゴブリンだけでなく、スライム、スケルトンなど、魔物図鑑で見たことのある連中が次々と現れた。
俺ひとりでは苦戦していたが、途中から兄貴のサポートも借りながら、なんとか進んでいく。
そして8階に差しかかった頃、ヴェリオスが不意に立ち止まった。
「……やっぱり、おかしいぞ」
「え?」
「気づかねえか? 階層が上がるごとに、魔物の数が減ってる」
確かに──思い返せばその通りだ。
最初の階では10体もいたゴブリンが、今や3体程度しか現れない階層もあった。
「もしかしたら、“異喰種”かもしれねぇ。この先、何かあるぞ。気を引き締めろ」
ヴェリオスの声に緊張が走る。俺は無言で頷き、9階へと足を踏み入れた。
そこで見た光景は──
血まみれで倒れ伏す9人の冒険者たち。
かろうじて意識があるのは、わずか3人。
「お…まえら……に、げろ……」
そのうちのひとりが、声を絞り出した。
「はぁ? 殺すぞテメェ。何があったか早く説明しろ、雑魚が」
……兄貴、死にかけの人にその言い方はさすがに……
ツッコミたかったが、そんな余裕はなかった。
「この上に……バケモノが……D級の仲間が……まだ……!」
そう告げた男は、そのまま意識を失った。
「ガキ、すぐ上に行くぞ!」
俺たちは最後の階段を駆け上がる。
10階層。そこにいたのは──
倒れた3人の男と、剣を構えてなお足を震わせているひとりの冒険者。
その先に、異様な威圧感を放つ魔物がいた。
筋骨隆々の、巨大なゴブリンのような姿。
「ゴブロードか……」
ヴェリオスの呟きで思い出す。
ゴブリンの第一進化、D級魔物・ゴブロアのさらに進化形。
高い知性を合わせ持つ、C級魔物。
──それがゴブロードだ。
「邪魔だ、早く下がれ!」
ヴェリオスの怒号に、冒険者は安堵の表情を浮かべて後退した。
仲間の元へ駆け寄り、必死にポーションを与える。
「ガキ、お前も下がってろ。俺がやる」
そう言い残し、ヴェリオスは剣を抜き、魔物と向き合った。
するとゴブロードが咆哮を上げ、巨大な棍棒に水がまとわりつく。
属性付与を行ったのだ。
本来、ゴブリンのような下級魔物は属性魔術を扱えない。
けれど、このフロアには冒険者たちが水属性の魔術を放った跡であろう水たまりがあった。
その魔力を吸収し、順応したのだ。
“順応種”──危険度はさらに1段階跳ね上がる。
B級魔物。名をつけるなら、アクア・ゴブロード。
「……チッ、属性持ちか」
ヴェリオスが顔をしかめる。
彼は火7・氷5・風8、の三属性の適性を持っているが、水に有利な雷属性はない。
しかも火は、水に不利。
だが──ヴェリオスは迷いなく剣を掲げた。
《上級火属性付与》
剣に、灼熱の炎が纏う。
そして──
《上級風術》「嵐咆哮!!」
轟音とともに生まれた暴風が、炎と混ざり合い、竜巻のような烈火を生み出す。
それがアクア・ゴブロードを一気に呑み込んだ。
轟音と熱風が吹き荒れ、塔の天井が震える。
視界を覆っていた砂塵が晴れた時、そこには魔物の姿はもうなかった。
ただ、ひとつの大きな魔石が残っているだけだった。
「兄貴、今のは……?」
「……。複属性術式
相性の良い属性を重ねることで、威力を何倍にも引き上げる技だ。
塔が崩れる前に急ぐぞ!」
ヴェリオスは魔石を回収し、俺たちは塔の下層へと駆け降りた。
俺たちは9階で倒れていたE級の冒険者たちの救助にあたった。
5人はすでに息を引き取っていた。
初めて見る“人の死”。
その現実に思わず気が遠くなりそうになったが、すぐに気を取り直し、残った4人にポーションを使って応急処置を施す。
全員で最下層へと退避すると、塔は砂のように崩れていった。
「本当に……ありがとうございました……」
「あなたがいなければ、俺たちは……」
D級・E級の冒険者たちは深々と頭を下げる。
そこに、ヴェリオスへの軽蔑や畏れは一切なく、ただ純粋な感謝と尊敬があった。
冒険者ギルドに戻り、塔の状況を報告。
「死者、E級の5名……最上階にB級魔物……。」
「本当に、ヴェリオスさんがいなければ、この塔は街そのものを脅かしていたでしょう。改めて礼を言います。」
受付嬢の感謝の言葉とともに、報奨金と魔石の換金が行われた。
俺の報酬は、小石サイズのE級魔石が21個。
換金して21セリカ──たった2100円。
命がけの冒険をしても、それだけだ。
でも、それが今の俺の実力なのは十分理解していた。
ヴェリオスは、E級魔石が9個、D級が13個、B級が1個。
合計769セリカ──76900円。
ギルドからは突如攻略難度が跳ね上がったため、B級塔の攻略報酬である5000セリカが出された。
俺はヴェリオスに9割を譲り、その1割だけ貰った。
これでも貰いすぎなくらいのおこぼれだ。
それに見合った活躍など俺は一切できず、塔の最上階で起きた戦いをただ傍観することしかできなかった。
塔攻略の報奨金の分配も済ませ、今日の俺の報酬は全額で521セリカ──52100円だった。
冒険者は命懸けの危険な任務を強いられる。
しかし、実力をつけて高い階級の塔の攻略や魔物の討伐ができれば十分すぎるほどの報酬をもらえる。
まさにハイリスク・ハイリターンな職業だと、そう感じた。
帰宅した頃には、日付が変わっていた。
ミリスはまだ起きており、心配していたのか俺に駆け寄ってきた。塔のことを簡単に話し、30分ほどで部屋に戻った。
その夜、俺は広間にいるヴェリオスのもとへ向かう。
「今日は本当にありがとうございました。命を救ってくれて、そして……あんな背中を見せてくれて」
「……」
「俺、いつか兄貴のように人を守れる冒険者になります」
深く一礼し、俺は部屋へと戻った。
この日、俺の心には一つの目標が刻まれた。
“俺も、あんなふうに強くなりたい”──と。
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