4話 エルフィリア家
夕暮れが街を朱に染める頃、俺は再びミリスの家を訪れた。
まず初めに、彼女の父親に森で助けてもらった礼を述べなければならない。
「ないとは思うけど……お父様の前では、無礼な口調はやめてね」
「う、うん。気をつけるよ……」
廊下を並んで歩く中、ミリスが少し釘を刺すように言ってくる。
やっぱり厳格な人なのか……「娘はやらん!」とか叫ばれたらどうしよう……と、変な想像まで浮かんでくる。
俺の中では、ミリスの父親はヒゲが似合う厳格で渋い“イケおじ”というイメージだった。森で見かけたときも、確かにそんな雰囲気を醸し出していた。
やがて、ミリス家の広間の重厚な扉が開かれる。
中では、男性がソファに腰を下ろし、ゆったりと紅茶を口にしていた。
その隣には、ティーカップにそっと紅茶を注いでいる女性。ミリスと似た柔らかな雰囲気を持ち、穏やかな微笑みを浮かべている——おそらく彼女の母親だろう。
「本日は、森で助けていただき本当にありがとうございました!」
俺は勢いよく頭を下げた。深々と、九十度の角度で。
「……そこのバカ娘が勝手にやったことだ。で、お前はなぜまだ家にいる?」
「お父様、それは──」
「お前は黙っていろ。このガキに聞いている」
……あれ?
仲の良い親子かと思っていたけど、想像以上にガチガチの縦社会じゃないか……。
「僕は目覚めた時、記憶もなく、何も分からない状態でした。
そんな中、森でミリスに助けてもらい、街まで案内してもらって……それで、一ヶ月後の剣術学校の試験を彼女と一緒に受けたいと思っています。
無礼を承知の上でお願いがあります。この屋敷に、一ヶ月だけ泊まらせていただけないでしょうか?」
俺は必死に事情を説明した。だが、男の表情は徐々に険しくなっていく。
「……お前が剣術学校を受けるだと? なめてるのか? ゴブリンごときにやられかけた者が、合格できるはずがない。ミリスの足を引っ張るな」
「それでも、俺は強くならなきゃいけないんです。
街では冒険者登録も済ませました。まだこの世界のことは分かりません。けど、生きるためには強くなるしかないってことだけは……もう、痛感しました。
どうか……お願いします!」
男の放つ重圧に押しつぶされそうになりながらも、俺は食いしばった歯を緩めることなく、頭を下げ続けた。
「……測定値は、いくつだ?」
「全属性、1です」
「……全属性、だと?」
呆れられると思っていたが、意外にも彼が反応したのは“全属性適性”の部分だった。
「ふむ……全属性か。ならば、一ヶ月泊めてやる。ミリスの隣の部屋が空いている。そこを使え。
ただし、試験に落ちたら即刻出て行け」
しばらくの沈黙のあと、父親は重々しく言った。
「本当ですか!? ありがとうございます! 必ず、合格してみせます!」
その瞬間、胸がじんと熱くなるのを感じた。安堵と決意が混ざり合い、俺は深く頭を下げた。
ようやくこれで一安心。そう思った瞬間だった。
──バンッ!
突然、広間の扉が派手に開いた。
現れたのは金髪の青年。俺と同じくらいの年頃に見えるが、その鋭い目つきとピンと張った空気が只者ではないことを物語っている。
「父様、なんですかこのガキは?」
“ガキ”って……こっちも同い年くらいなんだけどな。
心の中でツッコみながらも、全身に警戒が走る。この男、絶対に怒らせちゃいけないタイプだ。
「こいつは一ヶ月うちに泊まる。剣術学校を受けるそうだ。お前が相手をしてやれ」
お父様、お願いですから余計なことを言わないでいただけますか……!?
「はぁ? エルフィリア家にこんな雑魚を泊める必要ねぇだろ!」
ガシャンッ!
その言葉と同時に、父親が机を拳で粉砕した。
「……てめぇ、誰に口きいてんだ?」
「す、すみません、父様……!」
金髪の青年は一瞬で青ざめ、深々と頭を下げた。
な、なんなんだよこの家族……。
ミリスの穏やかな笑顔を見てしまえば、この家庭で育ったなんて信じられない。
彼女は優しさと気品があって、しっかり者で……
でもこの家はまるで、闘技場というか動物園というか…
母親まで微笑みながらこの光景を見ている……これが日常、ってことか……?
俺はあらためて丁寧に礼を述べ、逃げるようにその場を後にした。
案内されたのは、ミリスの隣の部屋。
中は高級ホテルのスイートルームのようで、フカフカのベッドと優雅な内装が並んでいる。
「……すげぇ」
思わず小さく呟き、深呼吸を一つ。緊張をほぐそうとした、その時。
コンコン、とノックの音。ドアを開けると、ミリスが立っていた。
「レイ、私の部屋に来て」
彼女はどこか気まずそうに視線を逸らし、俯きながら言った。
促されるまま隣室へ向かい、椅子に座ると、ミリスはぽつりと漏らした。
「本当にごめん……お父様とお兄様が、あんなふうで」
やはり、さっきの金髪は兄だったか。
「大丈夫だよ、ミリス。いきなり見知らぬ男が家に泊めてほしいって来たんだ。無茶なお願いだったし、俺が望んでしたことだから」
「でも……嫌にならないの?あんな光景見て」
「そりゃ、正直めちゃくちゃ怖かったよ。けど、文句なんて言える立場じゃないし、ミリスと一緒に剣術学校を受けるために必要なことだったから」
ミリスは安堵したように笑い、小さく瞳を潤ませた。
「……よかった」
その声は、小さく、でもどこか心から安心したように響いた。
その後、彼女は剣術学校についての話をしてくれた。
受験資格は13〜18歳の若者。毎年およそ300人が挑み、合格者はわずか60名。
倍率は5倍、かなりの難関だ。
けれど、その分だけ価値もある。
国営のため学費は無償。希望すれば衣食住まで支給される。そして卒業すれば、五つの“剣士隊”の入隊試験を受ける資格を得られるという。
王剣隊:序列1位
紅牙隊:2位
蒼炎隊:3位
影刃隊:4位
剣泉隊:5位
どの隊も名誉ある王国の剣士隊だが、ミリスの“夢”は序列1位の王剣隊に入ることだった。
そして、衝撃の事実を知る。
ミリスの父──ヴォルク・エルフィリアは紅牙隊の副隊長。
兄のヴェリオスも13歳で剣術学校へ入学し、卒業後に紅牙隊に入隊したというエリート冒険者だった。
つまり、エルフィリア家は“剣の名家”だったのだ。
「でもね、私は紅牙隊が大嫌いなの」
「え……なんで?」
「気性が荒くて、血の気が多い。戦闘狂の集まりって呼ばれてる。私は、ああいうのにはなりたくない」
……言いにくいけど、さっきの家族を見れば納得してしまう。
「エルフィリアってだけで“紅牙の血族”って怖がられて、今まで友達なんてできたことなかったの。
でも、レイが今日、友達として街を一緒に歩いてくれて……すごく嬉しかった」
ミリスは、静かに、でも少しだけ寂しそうに言った。
「だから、私は王剣隊に入って、自分の意志を示したいの。お父様の意志じゃなくて、私自身の人生を生きたい」
15歳にして、ここまで強い想いを持って努力し続ける彼女を、俺は心から尊敬した。
「ごめんね、レイ。遅い時間に……明日から一緒に、訓練と勉強、頑張ろうね」
「うん。おやすみ、ミリス」
部屋に戻って、ベッドに体を沈める。
ふかふかの布団に包まれながら、明日から始まるであろう地獄の訓練と勉強を想像して、ため息をついた。
ヴェリオスとかいうミリスの兄貴に剣を振われれば無事ではすまないことは明白だ。
……今は考えるのはやめよう。
現実から目を背けるように俺はゆっくりと目を閉じた。
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