11話 精神適性検査
※残酷な描写を含みます。
苦手な方は控えるようお勧めいたします。
──声が聞こえた。
冷たく、無慈悲で、無愛想な……
けれど、どこかで聞き覚えのあるような男の声だった。
『ようやく、か──これで、終わるかもしれないな……』
まるで独り言のように、ぽつりと呟いている。
『見せてやろう。お前がリズナの森でミリスに出会わなかった世界線を──』
……何を言ってるんだ?
説明不足にも程がある。意味が分からない。
そんな苛立ちが胸に湧き上がる中で、視界が暗転した。
目を覚ました時、俺は塔の入り口に立っていた。
──何が起きている? 俺は、ついさっきまで試験会場にいたはずじゃ……。
次々と疑問が浮かんでくるが、そのとき視界に、一人の少女の姿が映った。
ミリスだ。
しかし──目の前の少女は、俺の知っているミリスとはまるで違っていた。
長く伸ばした金髪を後ろでひとつに束ね、無言のまま手にした鉄剣をじっと見つめている。
その横顔には、あの笑顔も、優しさも、照れたような仕草すらも、一切なかった。
冷たく、鋼のように硬い表情。まるで、別人のようだった。
周囲の冒険者たちが声をかけても、ミリスは何も言わずにその場を立ち去っていく。
誰にも笑顔を見せず、誰にも心を開こうとしない──そんな気配を纏っていた。
「ミリス! ミリス!!」
思わず声を張り上げ、何度も呼びかける。
だが、返事はない。まるで、そこに俺が存在すらしていないかのように。
俺は駆け寄って肩に触れ、もう一度彼女の名を呼んだ。
「D級ごときが……気安く触らないで」
冷え切った声音で、そう言い放たれた。
あまりに想定外な反応に流石にグサっと心に来てしまった。
(……本当に、ミリスなのか……?)
理解が追いつかないまま、ミリスたちのパーティーは塔の中へと足を踏み入れた。
どうやら俺もそのパーティーの一員らしく、他の冒険者に名前を呼ばれて後に続いた。
塔の第一階層に入ると、E級の魔物が何十体と姿を現した。
その数は、俺にとって易々と対処できるものではない。
(くそ……どうする!?)
そう焦った瞬間──違和感が生じた。
(……あれ? 俺……こんなに戦えたっけ?)
魔術は相変わらず初級止まりだが、苦手だった火や氷の属性魔術も、今は不自然なく扱えている。
剣を振る速度もわずかに速く、動きにも迷いがなかった。
自分でも驚くほど、戦いの中で冷静に対処できていた。
それに、他の仲間たちも異様なほどに強い。
ミリスだけでなく、全員が個の力で敵をなぎ倒していく。
ふと周囲に目をやると、全員の防具の肩に見覚えのある紋章が刻まれているのに気づいた。
──王国の紋章。剣術学校の門や校舎にあった、あの紋章だ。
(……もしかして俺たちは、剣術学校に合格してる……?)
ひとつの仮説が脳裏に浮かぶ。
同年代で、同じ紋章を持つ実力者たちが集うこの空間……これは、おそらく、剣術学校に入学した後の時間なのだろう。
パーティーはテンポ良く塔の階層を登っていく。
E級、D級と、魔物の強さが段階的に増していくが、それでもなお個々の力で押し切れるほどに皆が強い。
やがて、8階層に到達した頃──C級の魔物が姿を現し始めた。
その瞬間、俺は確信する。
──ここは、C塔だ。
C級ともなると、さすがのミリスたちも多少は苦戦を見せ始めた。
当然、俺では太刀打ちできるはずもない。
かろうじて魔物の攻撃をかわしながら、仲間の援護が来るまで時間を稼ぐしかなかった。
そしてついに、俺たちは最上階へと到達する。
そこにいたのは──C級の魔物。ブラッドウルフ。
こいつに噛まれれば傷口から多量の出血をし、いずれ意識が朦朧として死に至るほどの危険な魔物。
だが、その中に一際異様な気配を放つ個体が紛れていた。頭が3つあり、巨大で筋肉質な体をした魔物だ。
そして、その魔物は俺の知識にはない存在だった。
つまり、B級以上──群王種だ。
「ミリス! 逃げろ! あれは……群王種だ! 勝てる相手じゃない! お願いだから、撤退しよう!」
必死に叫ぶ。喉が裂けるほどに声を張り上げる。
けれど、ミリスの表情は変わらない。冷ややかな瞳のまま、戦闘態勢に入っていく。
だが、他の仲間たちは違った。
「おい、やべぇぞこれ! イレギュラーだ!」
「しかもブラッドウルフを指揮してやがる……! 俺たちじゃ無理だ!」
「ミリス、撤退の指示を! 早く!」
「もう嫌……なんで私が……怖い……」
仲間たちが声を上げる中でも、ミリスだけは無言だった。
誰の言葉にも応えず、ただ前を見据えたまま、動かない。
そして──ボスと思われる魔物が咆哮を上げた瞬間、
完璧な連携でブラッドウルフたちが俺たちのパーティーを包囲した。
そこから先は、地獄だった。
僅かに引っ掻かれてしまった傷口でさえも鮮血を散らしてあたりを真っ赤に染めていく。
仲間が一人、また一人と血を噴きながら倒れていった。
俺は剣を振り、叫び、ただ無我夢中で抗い続けた。
ミリスも魔力のすべてを込めて中級水術をブラッドウルフの群れに放った。
だがその直後、背後から忍び寄った群王種の鋭い爪が彼女の胸を貫いた。
彼女は俺の目の前で崩れ落ちた。
その目は最期まで冷たく、──涙ひとつ、浮かばせていなかった。
「……こんな……の、ミリスじゃない……!」
レイは叫ぶ。だがその声もまた、彼女には届かない。
その直後、俺の首に激しい衝撃が走り、視界が──暗転した。
再び視界が晴れる。
そこには──またしても、ミリスがいた。
周囲を見渡すと、パーティーメンバーの顔ぶれも、立っている場所も、すべて先ほどと同じ。塔の前、出発直前のあの光景だった。
胸の奥に、ほっと安堵の吐息が広がる。
……今のはきっと、悪い夢だったんだ。何かの幻覚だったに違いない。
「ミリス! よかった……! 本当に、生きててくれてよかった!」
込み上げる感情を抑えきれず、自然と声が漏れる。
だが、ミリスはまるで俺の声が聞こえていないかのように、冷淡な表情のまま視線を逸らし、無言で仲間たちとともに塔の内部へと歩き出した。
俺の言葉は、またしても届かない。
そして、あの繰り返しが──また、始まった。
E級、D級……階層が進むごとに現れる魔物たちは、確かに先ほどと同じだ。
戦場の気配も、空気の重さも、あの時とまったく同じ。
既視感に背筋が凍る。
……だが、今度は違っていた。
最上階。そこに、あの異形の群王種はいなかった。
その代わりに、ブラッドウルフが何十体も──明らかにこのパーティーの戦力では捌ききれない数が蠢いていた。
数の暴力。連携のない個別戦力では対処しきれない地獄が、そこにはあった。
「お願いだ、ミリス……今度こそ、撤退しよう……!」
必死に声を絞り出すが、やはり返事はない。
ミリスは前だけを見据えたまま、戦場へと踏み出していく。
仲間たちが次々と倒れ、血を撒き散らしながら崩れていく。
誰かの断末魔が響き、剣戟の音が、やがて絶望の悲鳴にかき消された。
そして──ミリスが、ついに捕まった。
目を背けたくなるような光景だった。
四肢が引きちぎられ、手足が噛み砕かれ、首が無残に噛み落とされた。
「ミリス……あ……あぁ……っ」
声にならない悲鳴が喉から漏れる。
叫ぶこともできず、ただ呆然とその最期を見届けるしかなかった。
一緒に笑って、一緒に飯を食って、剣を振るって、励まし合って……
あの優しかったミリスが……目の前で、あんなにもあっけなく、無残に殺された。
絶望に膝を折った俺に、ブラッドウルフが襲いかかる。
爪が肉を裂き、牙が喉を貫き──
視界が、再び、闇に沈んだ。
……また、だ。
その次も。
また次も。
展開にわずかな違いはあるものの、結末は変わらなかった。
塔を登り、仲間が死に、ミリスが殺され、そして俺も──
胸を貫かれ、骨を砕かれ、身体を喰いちぎられて、意識を断たれる。
同じ光景が、何度も何度も繰り返された。
視界が暗転するたび、再びあの場所へ戻り、同じ死を迎える。
まるで、無限地獄の中を彷徨っているようだった。
大切な仲間が、何度も何度も──目の前で、命を落としていく。
どれだけ叫んでも、どれだけ抗っても、結果は変わらない。
ただ、死の記録だけが延々と積み重なっていく。
「……何が“リズナの森でミリスと出会わなかった世界線”だよ……」
喉の奥でかすれた声が漏れる。
「……俺とミリスは、ちゃんとリズナの森で出会ったじゃないか……」
なぜ、そんな世界線を見せる必要がある?
何のために? 誰のために?
それに──
なんで、ミリスが……あんな冷たい目をしていたんだ?
あのミリスは、本当にミリスなのか?
俺と出会わなかっただけで、あんなにも変わってしまうのか……?
思考は混乱し、感情は飽和し、理解が追いつかない。
レイの精神は、すでに限界の臨界点に達しつつあった。
そのとき──再び、あの声が響いた。
『ならば、次はリズナの森でミリスと出会った世界線を見せてやろう』
そして、視界がまた変わる。
今度のレイも、剣を握り防具を身につけていた。同じパーティーの冒険者たちに目の前には見覚えのある塔。そしてすぐ隣には──ミリスがいた。
「あ……ミリス……よかった……」
レイは、込み上げる感情に耐えきれず、周りに同じパーティーの冒険者が居る中で彼女に抱きついた。
バシィィン!
次の瞬間、頬に鋭い衝撃が走った。強烈な平手打ちだった。
「ちょっとレイ! 急に何するの!!」
けれど、痛みなんてどうでもよかった。
今さっき、ブラッドウルフに噛み殺されていたはずのミリスが、生きている──
その事実だけで、胸がいっぱいだった。
そして、目の前のミリスは、間違いなく“いつものミリス”だった。
優しくて、強くて、少しお節介で。俺が知っているミリスだ。
「ミリス……この塔、行くの?」
「当たり前でしょ。C塔だよ? まさか、急に怖くなったの?」
「剣術学校に合格して、レイもやっとD級冒険者に昇格したんだし! 私も一緒にいるんだから、大丈夫だよ」
そっか……やっぱり俺は、剣術学校に受かってたんだ。
身にまとっている防具には、確かに王国の紋章が刻まれていた。
そして、ミリスが命を落とすことになるこの瞬間、俺はすでにD級冒険者になっているらしい。
(戦闘時の違和感の原因これだったのか…)
心の中で納得がいった。
けれど──
さっきまで何十回も繰り返された悪夢が、頭の中を渦巻いていた。
「ミリス……もう、冒険者なんてやめよう?」
「……え?」
突然の申し出に、ミリスは一瞬きょとんとした顔を見せたが、すぐに真剣な眼差しでこちらを見返してきた。
「ほら……ミリスが死んじゃったりしたら……俺、嫌だから……」
“夢で見た”なんて言えば、きっと笑われるか、怒られるに決まっている。
だから、その理由は口にしなかった。
「なに言ってるの、レイ? 冗談で言ってるなら──怒るよ?」
それでも俺は引けなかった。
何十回も、彼女の死を目の前で見てきたからだ。
ここは幻ではない。
心のどこかで、そう直感していた。
あの死に様、あの絶望。とても夢や幻で済ませられるようなものではなかった。
「ミリス……ダメなんだ。冒険者をやめて、静かに暮らそう。ほら、俺たちならさ。おいしいごはんを食べて、街で買い物して……そういう生活でも、きっと楽しいよ」
必死だった。
この未来を変えたい。彼女を、死なせたくない。
ただ、それだけだった。
だが、ミリスの反応は──冷たかった。
「……レイ、今日、なんかおかしいよ。怖いなら、レイ一人で冒険者やめなよ。私は行くから」
ミリスは怒っていた。でも──本当は泣きそうだった。
その瞳を見れば、すぐに分かった。
ミリスは俺に背を向け、他の冒険者たちとともに塔へと足を踏み入れた。
「ミリス……ごめん。さっきのは、冗談。忘れてくれ」
そう言いながらも、俺は引き返せなかった。
この先に何が起こるかを知っているから。
それを止めたくて、俺も最後尾について塔へと入っていった。
最初に現れたのは、E級の魔物。
次に、D級。そして上層階では、C級の魔物たち。
すべて、見たことのある光景だった。
記憶が、既視感となって襲いかかってくる。
(まずい……このままだと、また……)
その嫌な予感は、見事に的中した。
ブラッドウルフの群れの中に──頭が三つある、異形の個体が紛れていた。
それは、この地獄のループの第1周目で見た、あのイレギュラーの塔そのものだった。
俺は叫んだ。
「ミリス! 逃げよう! あれはきっと、B級以上の魔物だ!」
「っ……そうだね! みんな、撤収! 急いで!」
“俺と出会わなかった世界”のミリスとは違い、彼女はすぐに的確な指示を出してくれた。
けれど──それでも。
咆哮とともに、ブラッドウルフたちが動き出す。
その連携によって、退路は完全に断たれた。
階段を塞がれ、俺たちは包囲される形となった。
「レイ……どうしよう……」
ミリスの顔は青ざめ、目には涙が浮かんでいた。
「やべえ! このままじゃ全滅だ!」
「どうすんのよミリス!」
「うそだろ……終わりだ……」
冒険者たちは、恐怖に呑まれている。
俺は風属性を剣に纏わせ、叫ぶ。
「背を合わせろ! 周囲を囲まれてる! 背中を守り合って迎え撃つんだ!」
背中を合わせ、陣形を組む俺たち。
だが──現実は、あまりに過酷だった。
C級のブラッドウルフたちは、容赦なく襲いかかってきた。
D級冒険者の俺の斬撃では到底倒しきれるはずもない。
陣形は時間が経つにつれ徐々に崩れていった。
それでも俺は無我夢中で剣を振るった。
けれど──視界に映った光景に、全身が凍りついた。
隣の男の首が、目の前で噛みちぎられていた。
後ろにいた女は、すでに片腕を失い、全身血まみれで倒れている。
そして──ミリス。
彼女が視界に入ったときには、すでに背中を喰われ、両足を噛みちぎられていた。
血まみれの顔で、こちらに手を伸ばしている。
「レ……イ……ご……めん……」
その手までもが、目の前で噛みちぎられた。
「あ……あぁ……」
兄貴と行ったE塔とは違う。
ここでは“人が殺されている”──そんな現実を、目の前で見せつけられた。
あまりにも痛ましく、あまりにも無惨な死。
それが、ミリスの最期だった。
絶望した俺の手からは、剣がこぼれ落ちた。
その直後──
俺の首も、きっと噛まれたのだろう。
激しい痛みとともに、視界は再び暗転した。
──そして目を覚ますと、また同じ塔。
隣には、ミリスと、冒険者たち。
まただ。
また、同じ光景──
直感が告げていた。
何度も、何度も、繰り返すループ。
“俺がいないと”
“俺が助けなきゃ”
そんな思いから行動しても、結果は変わらなかった。
ミリスは、何度も目の前で無残に死に。
俺もまた、そのたびに命を落とした。
──何十回も。
二つの世界線を合わせて、すでに百回──この地獄を、ループしていた。
「もう……やめてください……お願いです……」
真っ暗な視界の中で、俺は泣き叫んだ。
何も見えない空間に響くその声は、虚しく、頼りなく、ただ虚空に消えていく。
いつものように視界が暗転し、次の世界が訪れるまでの、ほんの短いその狭間で──
そのときだった。
あの声が、またしても俺の内側に響いてきた。
『今までお前に見せたのは、これから起こる未来だ』
やはり……そうだったのか。
どこかで、そうじゃないかという疑念はあった。
けれど──それを即座に認められるほど、俺の心は強くなかった。
『大切な人が命を落とさない、平和な世界。それを、お前は望むか?』
「……ああ、もちろんだ。もうこれ以上……誰かが傷ついて、殺されるのは見たくない」
『たとえ、それが夢でもか?』
「……そんな夢が見られるなら、一生、夢の中でいい」
『そうか。その願い──叶えてやろう』
次の瞬間、視界がふわりと切り替わった。
──俺は、ミリスの家にいた。
今では懐かしい木の香り。見慣れた部屋の天井。柔らかい日差し。
そして、扉の向こうからミリスの声が聞こえた。
「レイ、街に行かない? 新しいお店ができたんだって!」
時刻はもう11時。随分とのんびり寝てしまっているようだった。着替えを済ませ、準備を済ませようと広間に行くと、そこではヴェリオスがソファで昼寝をしていた。信じられない光景に、思わず言葉が漏れる。
「あれ……今日は塔の召集とか訓練には行かないんですか?」
思わず問いかける。ヴェリオスが昼寝をするなど滅多にないことだった。
「塔? なんだそれ。寝ぼけてんのかよ」
(……塔を、知らない?)
違和感に眉をひそめながら、ミリスにも同じ質問をしてみた。
けれど──
「もう、レイったら変なことばっかり言って……。塔なんて、どこにもないでしょ?」
返ってくるのは当然のような反応だった。
この世界には塔が存在しない。巨塔も、存在しない。
確かに魔物はいるが、それはごく一部の濃い魔力地帯に自然発生するだけの存在らしい。
そのとき、ふと思い出す。
あの声が言っていた、ひとつの言葉を──
『命を落とすことのない、平和な世界』
……これが、俺の望んだ結果。
そう、確かに──楽しかった。
リズナの森でミリスとゴブリンを狩って。
稼いだ金はすぐに外食に使って。
たまには貯金して面白そうな魔道具も買った。
透明になる魔道具でイタズラしたり、魔力増強の腕輪を手に入れて自慢したり──
そんな、普通で平和な日々が、何日も、何十日も続いた。
まるで、幸せな夢を見ているかのようだった。
……けれど。
その幸せに慣れ始めた頃だった。
再び、あの声が響いた。
『最後のチャンスだ。お前はこの夢をずっと見ていたいと言ったな。今でも、そう言えるのか?』
「……当たり前だ。平和で、楽しい毎日……。これ以上の生活が、どこにあるっていうんだ。あの未来を変えられないなら……もう、これでいいんだ……」
いつの間にか、頬を涙が伝っていた。
その事実に、気づいた瞬間──声が続いた。
『違う。お前はまだ、諦めきれていない。お前は確かに、助けようとした。未来を変えようとした』
『この夢の先に、お前の望む未来はないと、もう気づいているはずだ』
「……仕方ないじゃないか……俺は、魔術の適性は1しかない。剣の才能もない。」
「何度も、何度も、ミリスたちが殺される場面を見て、自分から望んでその戦場に行った。
でも、心の底から湧き上がる恐怖、命を奪われる瞬間の激痛、無力さ……」
「もう嫌なんだ……もう、たくさんなんだよ……。俺には……なにもできない……」
『言っただろう。見せたのはあくまで“リズナの森でミリスと出会わなかった世界”と、"これから起こる未来”だ』
『実際に、お前と出会ったことで、ミリスの行動や選択には変化があっただろう?』
……っ!
その言葉に、はっとした。
たしかに、彼女の言動には違いがあった。
でも──それでも、俺には力がなかった。
未来を変えるには、足りなかった。
何度も、何度も抗った。それでも、変えられなかったじゃないか。
『ミリスだけではない。ヴェリオスはA塔。ヴォルクはS塔で命を落とす。
このままだと、それもまた、確実に訪れる未来だ』
「ミリスだけじゃなく……兄貴や……おじさんまで……。それも……本当、なんだよな……?」
『そうだ。この未来を変えたいなら、お前が強くなるしかない。
大切なものを守り抜くだけの、圧倒的な力を手に入れるんだ』
『絶望を知り──そして覚悟を決めろ』
脳裏に浮かぶ、ミリスの笑顔。
その笑顔が──血に染まった、最期の表情へと変わる。
分かっていた。
この夢がいくら続こうとも、現実では彼女たちは死ぬ。
この夢の先に、俺の望む未来は存在しないと。
「……俺は……俺は……!」
「逃げない! 必ず助ける。誰も死なせない。誰も失わせない!」
俺の魂の叫びが空間を貫いた瞬間──
視界が、真っ白に染まった。
──そして、目を覚ました。
そこは、ひんやりと冷たい石造りの広間。精神適性試験の会場だった。
左右には、まだ意識を取り戻していない受験者らしき若者たちが、硬い床の上に横たわっている。
レイの全身は、まるで水をかぶったかのように汗でびっしょりと濡れ、顔は泣きすぎて原型を留めないほどぐしゃぐしゃになっていた。
──絶望を知り、覚悟を決めろ。
脳裏に、あの声が何度も何度も反響する。
「……E級だのD級だのに手こずってる場合じゃない。俺が強くなって……みんなを守らないと……」
かすれた声で、呟くように言葉を吐いた。
守りたい人がいる。誰も、死なせたくない。
100回繰り返された悪夢の中で、何度も見た──仲間たちの死。あの絶望の中で、レイは“覚悟”を決めた。
あんな未来が訪れる前に、それをねじ伏せるだけの力を、絶対に手に入れてみせると。
レイはふらつく足取りのまま、近くの試験官に声をかけ、試験の終了を報告した。
案内された別室では、この精神適性試験についての説明が簡潔に語られた。
──試練の制限時間は一時間。
もし精神が時間内に戻らなければ、即不合格。
そして、万が一そのまま帰ってこなければ──永遠に目を覚ますこともないという。
レイが精神世界で体感したのは何十日という長さだった。けれど、現実の時間で眠っていたのは約40分ほどだったという。
もし、あのまま“夢”を見続けることを選んでいたら。
もし、“幸せな幻想”の中で、逃げ続けていたら──
レイはもう、二度と目を覚まさなかったかもしれない。
部屋には、すでに試験を終えた冒険者たちが何人か並んでいた。だが、その様子にレイは目を見開いた。
彼らの多くは、何事もなかったかのように平然と待機していたのだ。
全身から汗を流し、肩を震わせ、青ざめた顔で座り込むレイに向かって──
「なにあいつw どんだけビビってんのw」
「てか、チビってね?ww」
「どんだけメンタル弱ぇんだよww」
小馬鹿にするような笑い声と罵声が、遠慮もなく耳に届く。
(……なんで、こんなにも平然としていられるんだ……?)
あんな地獄のような試練を受けたはずなのに。
この世界では、それが“当たり前”なのか?
それとも──この世界の若者たちの精神が、異常なまでに強靭なのか?
次々と疑問や仮説が脳内を駆け巡る。
だが、部屋の隅で見つけたひとつの姿に、レイの思考は止まった。
──ミリスだ。
彼女もまた、壁際に座り込んでいた。
一時間の制限を超えていない以上、彼女も試練を乗り越えたということだ。時間切れで即不合格。そんな最悪の事態だけを避けられたことに安堵する。
けれど、彼女の肩は微かに震えていた。伏せられた顔の頬には、まだ涙の跡が残っている。
(……ミリスも、同じように……地獄を見たんだろうか……)
かけたい言葉は山ほどあった。
でも、今のレイには──その一言を口にする気力すら残っていなかった。
未だに止まらない身体中の震えを、なんとか押さえ込もうとするだけで、精一杯だった。
そしてレイは、黙って次の試験──魔術試験の開始を、ただひたすら待ち続けた
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