10話 入学試験
カーテンの隙間から差し込む陽光が、レイのまぶたを優しく叩いた。
微かにまどろみの残る頭で、彼はゆっくりと目を覚ます。
(……今日が、試験日か)
胸の奥に、静かに灯る緊張。
何度も夢に見た日が、逃げ場のない現実として目の前にある。
木製のベッドから体を起こすと、隣の部屋から控えめなノック音が響いた。
「レイ、起きてる?」
ミリスの声だった。心配げな調子に、レイは小さく頷いたあとで「今行く」と返す。
顔を洗い、動きやすい訓練服に着替える。
帯を締め直す手が、わずかに震えていた。
部屋を出ると、朝の食卓には温かいスープと焼きたてのパンが並べられていた。
キッチンに立つミリスの母が、レイを振り返る。
「おはよう、レイ。朝ごはん、しっかり食べていきなさいね」
「……ありがとうございます」
言葉は短く、それ以上がうまく出てこなかった。
だがその分、心の中には深い感謝があった。
ミリスは先に席に着き、パンをちぎりながらレイを見上げる。
「ねえ、緊張してる?」
「……してないって言ったら嘘になるかな」
「そっか、私も。ふふっ……なんか、変な感じだよね。ずっと準備してたのに、やっぱり怖くなる」
「……ああ」
それでも、こうして一緒にいるだけで救われる気がした。
ミリスと過ごした日々が、不安をほんの少し和らげてくれていた。
「でもね、受かろうね、ふたりとも。絶対に!」
ミリスは笑った。無理にでも前を向こうとするその笑顔に、レイも小さく頷いた。
「……ああ、必ず」
食事を終え、ふたりは準備を整えると、フェリゼア王国南部に位置する巨大な”闘技場”に併設された剣術学校へと歩き出した。
木々の間から差し込む朝日が、街道を金色に染めていた。
「ねぇレイ。筆記試験って、やっぱり難しいかな?」
「得意なんじゃなかったのか?」
「得意だけど……ああいう本番って、緊張するとダメになりそうでさ」
「大丈夫だ。ミリスならきっと平気だろ」
そんな他愛ない会話が、試験前の緊張を少しずつ溶かしていく。
そしてついに、王立剣術学校の校舎が視界に入ってきた。
隣には今日の午後、実技の試験会場となる闘技場がそびえている。
(ここで、俺は……剣士としての一歩を踏み出す)
喉が詰まりそうなほどの緊張。だが、隣には同じ夢を追う仲間がいた。
「行こう、ミリス」
「うん!」
───
校門をくぐると、すでに多くの受験生たちが集まっていた。
皆、整った訓練服に身を包み、互いを牽制するような視線を交わしながら、静かに開始を待っている。
闘技場の隣にある本校舎の教室が、今朝の筆記試験と適性検査の会場だ。
「……人、多いな」
レイのつぶやきに、ミリスが小さく頷いた。
「うん。でも、今さら緊張しても始まらないよね」
「それはそうだけど……強いやつ、いっぱいいそうだ」
「その中に私たちも入ればいいだけでしょ?」
ミリスの笑顔は少し強がっていたが、瞳には確かな意志が宿っていた。
その横顔を見つめながら、レイは心を落ち着けた。
受付を済ませ、指定された教室へ案内される。
木製の机と椅子が整然と並び、壁には王国の紋章が彫られた額縁。
正面の黒板の前には、試験官と思しき中年男性が厳しい眼差しを向けている。
「席は受験番号順に座れ。筆記試験は一時間、時間内にすべて解答せよ」
ミリスとは席が離れた。
互いにちらりと目を交わし、無言のままエールを送り合う。
配布された用紙を開いた瞬間、レイの心臓がひときわ高鳴った。
(……これは、見たことある問題だ)
過去問、塔の知識、魔物の分類、歴史、地理──すべて、繰り返し学んできた内容だ。
それでも、本番の空気は違った。筆が思うように進まず、一問目から手が止まりそうになる。
(落ち着け……深呼吸だ)
ミリスの声が頭の中で響く。
「大丈夫。やるべきことは、全部やってきたじゃん」
静かに息を吸って、吐く。
そして、レイはペンを走らせた。
時間は容赦なく流れていく。
魔物の弱点を問う問題で一瞬詰まったが、記憶の片隅から答えが蘇り、なんとか切り抜けた。
やがて、試験官の声が響いた。
「終了。全員、手を止めろ」
静寂。肩の力が抜け、どっと疲労が押し寄せる。
──筆記試験は終わった。
手応えは、ある。
そもそもレイは日本で9年間も義務教育を受けてきた。成績は中の上程度だったが、覚え、考える訓練は十分に積んできた。
この世界の知識は未知ばかりだったが、基礎的な内容を取りこぼさない力はついていたのだ。
試験後、ミリスと手応えを確かめ合い、ふたりとも好調なスタートが切れたことに安堵する。
次は──精神適性検査。
「これより、精神適性検査を行う。ひとりずつ別室へ案内する。順番が来るまで静かに待機せよ」
試験官の言葉に、教室の空気がさらに張りつめる。
(……“心の迷宮”、か)
その名を、レイは噂でしか知らない。
自分の内面と向き合う幻覚を見る、内容は人によって違う──と様々に囁かれていた。
ミリスの番号が早々に呼ばれ、彼女は「頑張ってくる!」と微笑んで教室を後にした。
不安が膨らんでいく中、とうとうレイの番号が呼ばれる。
冷や汗を流しながら、案内された部屋に入った。
石造りの床と壁、窓のない広間。
真紅の布がかけられた一脚の椅子があり、前には1人の女性が立っていた。
その奥には、すでに50人ほどの受験生が並ぶように倒れている。
一部は目覚めて試験官に何かを報告していた。
そして──ミリスもいた。
ミリスは目を覚ましており、涙を流して呆然としている。
レイは駆け寄ろうとしたが、女性に制止され椅子に座るよう促された。
戸惑うレイに、女性は簡潔に告げた。
「それでは、自分の弱さと向き合ってください」
「試練が終わったら近くの試験官に報告するように」
レイがぽかんとしていると──
女性は静かに言葉を紡ぐ。
「魂霊飛行」
一瞬、女性が首を傾げたように見えたが気のせいだろうか──
その声を最後に、レイの意識は深い闇へと沈んだ。