9話 魔術発動
今日はミリスと魔術の訓練をすることになり、庭へと向かった。
剣術の稽古はたしかに初めての体験で、新鮮だった。
だが、魔術となればもう完全に“別世界”の話だ。
(まあ、実際に異世界なんだけど)
日本で高校生をしていた俺にとって、魔術なんて一生縁のない存在だった。
それが今は、自分で発動できるかもしれないという状況にある。
──たしかに適正値はすべて1。扱えるであろう魔術は初級。
それでも、間違いなく俺はこの瞬間を一番楽しみにしていた。
脳裏には、塔で見たヴェリオスの魔術の光景が今でも焼き付いている。
剣先から放たれた鋭い火炎に風の魔術が絡みついた、複属性術式。
いつかそんな魔術を扱えるかもしれない未来の自分を少しだけ想像して、胸が高鳴る。
「それじゃあ、まずは私の真似をしてみて」
《初級水術》「水弾槍!」
そう言ってミリスが手を前に伸ばすと、掌の先に水の塊が形成され、庭の岩に放たれた。
岩の表面に細かいヒビが入り、表面がパラパラと崩れ落ちる。
「今のが……初級?」
思わずそう口にしていた。
俺は、初級の水魔術なんてせいぜい水鉄砲レベルの威力だと想定していた。
しかし現実は、岩にヒビを入れるほどの威力。
一般の成人男性が本気で殴ってもつかないような傷を、魔術一発でつけたのだ。
「私は水の適正値が7あるから、初級でも威力が高いの」
ミリスの適性は、水7、氷2、雷9。
初級魔術を扱うには、最低でも適正値1が必要。
同じ初級魔術でも、適正値が高ければ高いほど、その威力や安定性も増す。
少しがっかりした。
でも、俺にも“撃てる”なら、それで十分だ。
──たとえ威力が落ちたとしても、それは“攻撃手段”になり得る。
《初級水術》「水弾槍!」
見よう見まねで詠唱し、手を伸ばす。
……だが、何も起きなかった。
「ただ詠唱しただけで魔術が使えるわけじゃないでしょ! 魔核から魔力を引き出して、手のひらに流して集めるの!」
当然のように言うミリス。
だが、それが難しい。
この世界の人間には体内に“魔核”がある。属性ごとに存在し、そのサイズに応じて適正値が決まる。
俺には、小さな魔核が5つ──5属性分あるらしい。
でも、魔力を“流して、集めて、放つ”なんて、これまで考えたこともなかった。
魔力の動きをしっかりと自分の中でイメージしてそれを魔術という形で具現化しなければならない。
通りで、ミリスが魔術訓練を最後に回したわけだ。
目を閉じ、意識を体内へ集中する。
──しばらくして小さな5つの球体のようなものが、体内にあるのが分かった。
そこから1つを選び、その属性の魔力だけを引き出し、掌に収縮させる。
それができなければ、魔術は発動しない。
5つの中から1つだけを選び抜くのは、2つや3つの中から選ぶよりも遥かに難しい。
何度も《水弾槍》を試すが、一向に発動する気配はなかった。
そこでミリスの提案で、他の属性も試してみることにした。
《初級氷術》「氷針弾!」
《初級雷術》「雷槍突!」
ミリスが適性を持っているそれぞれの初級魔術を見せてくれ、その動きを目と体に叩き込む。
魔核から魔力を引き出し、指先に集中──何度も、何度も繰り返した。
だが、それでも発動しない。
そもそも、“適正値”というのはあくまでその階級の魔術を使うための最低限の指標。
適正値が高ければ使える、というわけではないし、適正値通りに魔術を習得できる人間の方が少ないのだという。
初級魔術は適正値1〜3、中級は4・5、上級は6・7、超級は8、覇級は9、そして真級が10。これが習得に必要な値とされている。
俺はすべて1。
習得できたとしても、威力は最低レベル。
ミリスは少し悲しそうにそう説明してくれたあと、優しく俺を励ましてくれた。
そして、残る属性──火と風を試すことになった。
火と風は、ミリスには適性がないため、書物の詠唱を参考にしての実践。
本当はヴェリオスの兄貴に教えてほしかったが、A級冒険者の彼は今、他国の塔攻略に召集されて不在らしい。
《初級火術》「火翔矢!」
火はイメージしやすかった。
ラノベの世界でもよく登場するし、日常生活でも馴染み深い。
だが、それでも魔術は発動しなかった。
──まさかここまで難しいとは。
正直、絶望しかけていた。
最後の希望、風魔術。
もう一度、手を前に伸ばす。
体内の風の魔核に集中し、そこから魔力だけを引き出して、手のひらに収束させる。
《初級風術》「風刃斬!!」
その瞬間、掌に集まった風魔力が鋭く放たれ、庭の岩へと飛んだ。
「レイ! やったね!」
ミリスが笑顔で駆け寄ってくる。
2人で岩の前まで行くと、そこにははっきりと、斜めに切れ込んだ跡があった。
もちろん、ミリスの初級魔術に比べてしまえば威力も規模も弱々しい。
それでも、俺は達成感に包まれていた。
まるで、剣で斬られたかのような鋭い線。
──飛ばす斬撃《風刃斬》。
俺は今日、初めて1つの魔術の発動に成功した。
──────────────────
そして、そんな訓練は毎日続いていった。
勉強・剣術・魔術。
この三つをローテーションで回し、1日たりとも無駄にせず、俺は剣術学校の入学試験に向けて鍛錬に励んだ。
勉強では、C級以下の魔物の名前や特徴、弱点の把握を徹底した。
さらに各階級の塔に出現する魔物の傾向や、その対策も頭に叩き込んだ。
もちろん試験対策のため、この世界の地理や国際情勢、大まかな歴史などの座学にも力を入れた。
剣術の訓練は、俺にとって何より楽しかった。
その理由は、風属性だけではあるが剣に属性付与ができたからだ。
風の属性を剣に纏わせれば、剣の振りが少し軽くなり、その斬撃には風の魔力が宿る。
そして、中でも特に印象的だったのが“風刃斬”。
──俺が初めて発動に成功した魔術だ。
この技は、手から直接風の刃を放つこともできれば、剣に属性付与した状態で振るうことで、斬撃ごと風の魔力を飛ばすこともできる。
単なる剣術しか持たなかった俺にとって、魔術という選択肢が加わったことで戦い方が劇的に広がった。
この普段の訓練には、ミリスが常に付き添ってくれた。
ヴェリオスも遠征から戻ってくるたび、俺たちの稽古に顔を出してくれる。
俺の成長ぶりを見ると、なぜか上機嫌になって飯を奢ってくれたりもした。
時にはリズナの森に足を運び、実戦訓練も行った。
ミリスからすればまだ物足りなかったかもしれないが、彼女は一度も嫌な顔をせず付き合ってくれた。
オークとの戦いは、相変わらず厳しかった。
だが、ポーションを2本使えばなんとか倒せるようになった。
我が身を犠牲にしての戦法──情けないと自分でも思う。
だが、そうでもしなければまだ俺に倒せる相手ではなかった。
魔術の訓練だって怠らなかった。
属性付与こそ風属性のみだが、魔術そのものは一通り全属性を扱えるようになった。
特に苦手だった火と氷は、時折発動に失敗したり、威力が極端に落ちたりもした。
それでも、「魔術を発動させる」という経験とイメージは全属性で得ることができた。
剣術でも魔術でも、俺が少しでも成長すると、ミリスはまるで自分のことのように喜んでくれた。
ときには訓練の後、二人で街に出て食事をしたり、買い物をしたり。
そのついでに、ヴェリオスからもらった鎧が訓練で砕ける度に防具店で修理してもらったりもした。
ヴェリオスの兄貴は相変わらず口も態度も悪いが、それでも俺のことをちゃんと気にかけてくれていることは気づいていた。
火と氷の初級魔術が苦手な俺を見ては「こんなのもできねえのかよ!? 殺すぞ!?」と怒鳴るくせに、
後からミリスに「俺の教え方が悪かったのか?」なんて相談してたと聞いてしまえば、もう憎めるわけがなかった。
俺自身、魔石の換金で最低限の稼ぎができるようにもなってきた。
だが、オークを倒して得られるD級魔石はせいぜい20セリカ。
ポーションを2本使えば、実質の利益は10セリカ程度。
命懸けの冒険にしては安すぎる報酬かもしれない。
それでも──苦じゃなかった。
自分が強くなっていくことに、期待と喜びがあったからだ。
できるだけエルフィリア家に負担をかけまいと、ミリスや兄貴と外食をしていたが、当然この収入では毎日は無理だった。
そんな俺の様子を見てか、ミリスの母さんは変わらず毎日、食事を用意してくれた。
一方、ミリスの父──ヴォルクおじさんとは、いまだにほとんど話せていない。
彼は王国の剣士隊の副隊長にして、特A級の冒険者。
家を空けていることが多く、たまに戻っても広間で静かに紅茶を飲み、翌日にはまた家を出ていった。
初めは、この家に住まわせてもらうと決まったとき、どうなることかと思った。
だが、痛くて苦しい訓練の中にも、少しずつ楽しみが芽生えていったのも事実。
そうして──気づけば、一ヶ月が経っていた。
そして、明日。
いよいよ剣術学校の入学試験だ。
この先の俺の生活を大きく左右する、運命の一日。
仲良くなったミリス、頼れる兄貴、優しい母さん、そして住まいを許してくれたヴォルクおじさんのためにも──
必ず合格してみせる。
そう意気込んで、俺は深く眠りについた。
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