プロローグ
「この世界は、つまらない」
──それが、いつからか俺の口癖になっていた。
今年の春、俺は東京都内にあるごく普通の公立高校に進学した。
新生活の不安と期待に包まれながら過ごしてきた日々も、気がつけば三ヶ月が経ち、もう季節は夏。
教室の窓からは、けたたましく鳴く蝉の声が聞こえていた。
つまらないと言っても、いじめられているわけじゃない。
家庭で虐待されているとか、誰かに裏切られたとか、そういう明確な不幸があるわけでもない。
むしろ俺の生活は、傍から見れば“恵まれている”と言われる部類に入ると思う。
母は毎朝、早起きして弁当を作ってくれる。
父は休日のたびに、家族をいろいろな場所に連れて行ってくれた。
温かい家庭で、日々の生活に不足はなかった。
学校でも、俺は“それなり”にうまくやっていた。
場の空気を読んで、当たり障りのない会話をし、波風を立てないように立ち回る。
自分の感情を抑え、素の自分を隠すことで、友人グループにもすんなりと馴染めた。
──けれど、心はずっと空っぽだった。
何をしても、心が動かない。
何を見ても、面白いと思えない。
そんな“空白”のような感情が、胸の奥にずっと残っていた。
俺がこの世界を毛嫌いしている理由は、ただひとつ──
**「才能」**だ。
生まれつき何かに秀でている者。
努力しなくても頭ひとつ抜けた結果を出す者。
そういう“選ばれた人間”が、この世界には確かに存在する。
俺は違った。
容姿は平凡、運動もそこそこ、勉強も平均的。
努力すれば多少の成果は出るけど、結局はその程度だ。
どれだけ背伸びしても、才能ある奴らには敵わない。
その現実が、何よりも俺を苦しめた。
気づけば、俺はこの世界を“つまらない”と感じるようになっていた。
──でも、本当はわかっていた。
もし自分に、ずば抜けた才能があったなら。
もしこの手に、誰にも負けない何かを持っていたなら。
きっと、世界は今よりもずっと輝いて見えていたはずだ。
俺が「つまらない」と呟くたびに湧き上がるのは、他人への羨望と、自分自身への失望。
突出した才能を持たなくても、家族と過ごせる温かい日々や、笑い合える友人の存在がどれほど貴重なものか、頭では理解していた。
だけど、心がそれを受け入れられなかった。
俺は、目を逸らしていた。
恵まれたものに囲まれているはずの自分が、“何者にもなれない”という事実に耐えられず、全てをこの世界のせいにして、自分を守っていたのかもしれない。
そんなある日──
その日も、いつも通りの下校時間だった。
6限目の授業が終わり、友人3人と校門を抜け、蝉の鳴き声をBGMにだらだらと帰路を歩いていた。
汗が肌にまとわりつき、うだるような暑さが体力を奪っていく。
スマホの天気アプリを見れば、外気温は31℃。
誰もがうんざりするような、典型的な日本の夏だった。
「なぁ、あそこの自販機でジュース買ってくるわ。何飲みたい?」
俺がそう言うと、3人は顔を明るくして答えてきた。
「え、マジ? 俺、カ◯ピス!」
「じゃあ、俺は◯ーラ!」
「ありがとな、零。炭酸ならなんでもいいよ」
なんてことない、日常のワンシーン。
だが──その時間は、もう戻ってこない。
俺は手にしたリュックから財布を取り出し、自販機に向かって小走りで駆け寄る。
そして、機械の前に立ち、お金を入れようと手を伸ばしかけた、その瞬間──
背後で、“何か”が裂けるような音がした。
ピキッ──
ビリビリビリッ──
背中に、寒気が走る。
慌てて振り返ると、そこには信じられない光景が広がっていた。
空間に、亀裂が走っていたのだ。
まるで空気そのものが裂け、異質な何かが滲み出しているかのような──現実離れした、異常な現象だった。
「……え?」
声も出せないまま、ただその場に立ち尽くす。
次の瞬間、俺の体はその“亀裂”に向かって引き寄せられていた。
体が、勝手に動く。
重力すら逆らえないほどの力が、俺を飲み込もうとしていた。
俺は理解するより先に、叫ぶ間もなく──その裂け目へと吸い込まれていった。
そして、目の前の景色は暗転する。
それが、すべての始まりだった。
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