第2話 旅立ち
キラキラでピカピカで大人っぽい自立した生活を目指すと決めてから二日後、準備を終えた一人と一匹は遂に旅立つことに。
「忘れ物はない?」
そう告げたのは自称お兄ちゃんのテオ。
彼は外出用の赤いスカーフを首に巻き、おしゃれな犬精霊へとドレスアップ。
「だいじょーぶ!」
もちろん、リリベルも外出用の服を身に纏っている。
街に行く時はこれを着なさい、とヴァレンシアに勧められた紺色のワンピースと同じく紺色のケープ。
下は黒のソックスと茶のブーツ。
生前のヴァレンシアも紺色を愛用していたことから、彼女は弟子にも好きな色を勧めていたのだろう。
「よっこいしょ」
続いて、今回の旅に使う物を詰めたのは十三歳の誕生日にヴァレンシアから買ってもらったリュックだ。
実に機能的なデザインになっており、女子力の欠片もない茶色で無骨なリュックであるが、何度かポケットを修理するほど愛用している一品である。
無骨なリュックを背負うと、テーブルに立て掛けておいた木の杖を手にした。
杖も彼女が十歳の頃から愛用する道具の一つ。魔女にとっての必需品と言っても良い『魔女の杖』だ。
うねった木の枝を加工して作られた杖のトップには赤色の宝石が埋め込まれている。
「戸締りはしっかりね」
「うん」
木造のドアを閉めたあと、リリベルは手に持っていた木札をドアノブに掛ける。
木札の表側には『留守です』という一言が。裏側には魔女が使う特別な魔法文字で構成された魔法式が描かれている。
「とん、とん、と」
魔法式の書かれた裏側を愛用の杖でトントンと叩く。
すると、魔女の家が虹色の膜で覆われた。
膜はすぐに透明になってしまったが、これは家を保護するための結界である。
結界によってドアは固く閉じられ、物理的・魔法的な手段では開けないようになる。もちろん、窓ガラスを割って入ろうなんて行為も不可能だ。
「よーし、出発!」
「わふん!」
戸締りを終えたリリベルとテオは遂に旅の一歩を歩み出した。
「まずは森の外にある村へ寄らないとね」
「うん。村長さんに留守を伝えないと」
ご機嫌な様子で言うリリベルと、その隣をぽてぽてと並んで歩く一匹。
一人と一匹は緑溢れる森の中を迷い無く進んでいく。
道らしい道もない森であるが、物心付く頃から暮らす森の中は既に二人のテリトリーと化しているのだ。
途中で大きな木の根を跨ぎ、口の周りをはちみつで汚す巨大熊には手を振って。
「よっほっほっ」
やや幅の大きな川は、水面に顔を出した岩を足場にしてぴょんぴょんと超えていく。
ヤンチャな幼女だった頃の運動神経は未だ健在らしく、森を歩くリリベルの姿は軽快の一言に尽きる。
むしろ、手足の短いテオの方が心配になってしまうだろうか?
いや、こちらも食パンのようなお尻をふりふりしながら軽快な足取りだ。
終始軽快な足取りを続けた二人は一時間ほどで森の入口へと到達。
森の入口に自然と形成された枝のアーチを潜ると、数百メートル先に小さな村が見える。
「相変わらず立派な小麦畑ね~」
「そうだねぇ」
森の入口前に作られた村の名は『ヒャクレン村』といい、村は広大な小麦畑に囲まれている。
村の人口は百人にも満たない小さな村であるが、森に住む魔女にとっては『良き隣人』といった関係性だ。
魔女達はこの村で作られたパンや食料を買っていて、村は対価に魔女の作る薬や魔獣対策などの道具を得ていた。
魔女達は文化的な美味しい食事を口にすることができ、村は命と畑を守ってもらえる。
お互いに対価があることで程良い関係。同時に人してのコミュニケーションを図ることができる。
――生前のヴァレンシアがこの村とのコミュニケーションを頻繁に図っていたのは、魔女という存在を誤解させないためだろう。
今思えば、残されるリリベルのためでもあったのかもしれない。
そう思わせる理由の一つに、リリベルが生前のヴァレンシアから教わった『魔女の教訓』の中にはこんなものもある。
『魔女たる者、隣人とは良好な関係を築くべし』
この広い世界の中でも、魔女は『普通』とは言い難い。
普通の人間と違う存在というのは、時に誤解を生んで悲惨な末路を歩む可能性も秘めている。
可愛い愛弟子がそんな悲しい結末を歩まないよう、魔女ヴァレンシアは教えを授けたのだろう。
――そして、森を抜けたところで見えるモノがもう一つある。
リリベルが西の方角に顔を向けると、遠くに見えるのはキラキラと光る超巨大樹『ユグドラシル』だ。
「見てテオ、今日も光ってる」
「今日は雲が少ないからよく見えるね」
森の中では葉の屋根があるおかげでユグドラシル見る場所は限られているが、森の外であればどこでも見ることができる。
何故ならユグドラシルは雲の上まで背を伸ばしているから。
更には伸びた枝には空に浮かぶ星のように無数の光が纏わりついているから。
どうしてそれほどの巨大樹が大陸中央にあるのか、なんで光っているのか、それらは謎に包まれていて解明できていない。
ただ、それがあるからといって人間達の生活に害は無く、謎の超巨大樹を今更気にする人もほぼいない。
大陸中央にあるおかげで方角の目印になる、と昔から旅人からは有難がられてきた存在でもあるが。
ピカピカと光る超巨大樹の観察を五分ほど行ったリリベル達はようやく村へと顔を戻す。
「村長さん、いるかな? 畑かな?」
「どうだろうね~」
森を抜けても足取りは変わらず。
そのまま村へと到着すると、洗濯物を干していたおばさんがリリベル達に気付いた。
「おや、リリベルちゃんとテオちゃんじゃないか。今日はどうしたんだい?」
「あ、おばちゃん。村長さんはいる?」
「うん、家にいると思うよ」
村長の所在を聞いたリリベル達はおばちゃんに手を振って村の奥へ。
途中、ヤンチャ盛りの子供達がリリベルとテオに近付いて来て「遊ぼう遊ぼう」とねだる姿も見られた。
「今日は遊びに来たんじゃないの。私、これから旅に出ます!」
子供達に向かってどーんと胸を張るリリベル。
見ろ! どうだ! 旅をしちゃう私って大人でしょ!? と言わんばかりの態度である。
「えー! 旅!?」
「リリベルって旅できんの!?」
「魔女様がいないし無理じゃね!?」
しかし、子供達からの評価は散々だった。
この評価だけでリリベルが子供達からどう見られているのか十分に察することができるだろう。
「はぁ~? できますぅ~」
リリベルは子供達に反論した後、すぐにニヤリと笑った。
「私はこれから自立した生活を送るのよ?」
全て一人でやらねばならない。全て一人で成り立つ生活をしなきゃいけない。
そして、夜な夜なお菓子パーティーを開催する権限も同時に持つ『大人』の仲間入りをしたのだと。
「みんなみたいにパパとママからご飯を貰っているひな鳥とは違うの。私って大人っ!」
おーっほっほっほ! と精一杯の大人っぽい笑い声を上げ、子供相手に勝ち誇るリリベルであったが――
「でも、テオもいるじゃん」
時に子供は火の玉ストレートを投げることがあるし、その火の玉ストレートはリリベルの腹にめり込むほど突き刺さったのも事実である。
「も、もうっ! みんなと話してる暇は今日はないのよっ! 村長さんのところへ行かなきゃっ」
リリベルは逃げるように村の奥へと歩き出す。
彼女の背中越しに子供達のブーブー言う声が聞こえてくるが、彼女はズンズンと構わず進んで行く。
村長宅に辿り着いた彼女がドアをノックすると、中から出て来たのは白髪白髭のお爺さん。
腰が曲がって杖をつく彼こそが、この村の村長である。
「おや、リリベルちゃんじゃないか。どうしたんだい?」
「村長さん、私はこれから旅に出るの。今日はしばらく留守にすることを伝えに来たわ」
「旅に? 街へ薬を売りに行くのではなく?」
ヴァレンシアが生きていた頃も魔女達が旅に出る、なんてことはなかった。
一番遠くへの外出でも村から西にある街へ行く程度。家を空けても四日くらいが最大だっただろうか。
「ええ。師匠が死んじゃったから、南の魔女に伝えに行かなきゃいけないの」
「ああ……」
師匠が死んじゃったから。
そのワードを聞いた村長の顔が一気に曇る。
悲し気な表情を見せた村長の手は自然とリリベルの頭に伸びており、彼は優しくリリベルの頭を撫でた。
「リリベルちゃん。君は魔女様にとって自慢の弟子だ。君なら間違いなく南の魔女様の元へ辿り着けるよ」
「そうよ! 私は師匠にとって自慢の弟子なんだからっ! ただの見習い魔女じゃないのっ!」
リリベルはとっても良い笑顔で言った……のだが、これが余計に老人の涙腺を刺激したらしい。
「そ、そう! リリベルちゃんわぁ……! とっても、どっでも凄いでぢっ!」
村長の顔面はありとあらゆる液体でびちゃびちゃである。
「デオ君も、この子を、支えてあげでっ!」
「う、うん……」
犬精霊もドン引きするほどのガン泣き爺である。
「ぐす……。そ、そうだ! ちょっと待ってなさい!」
服の袖で涙を拭った村長はガツガツと杖を鳴らしながら全力で家の中へ。
戻って来たと思いきや、彼の手にはこんもりと中身の詰まった袋が握られていた。
「中には村で作った干し肉が入っているよ。道中で食べなさい」
「わぁ! 村長さん、ありがとう!」
「うっ……。なんて……。なんて強い子だ」
干し肉の入った袋を抱きながら満面の笑みを浮かべるリリベル。
そんな姿が健気に映ったのか、村長の顔面は再びビチャビチャになった。
「というわけで、行ってくるね~」
リリベル達は手を振ってその場を後に。
美味い干し肉を貰ったこともあり、リリベルとテオの足取りは軽いを通り越してルンルンである。
「気をつけて行ぐんだよぉぉぉっ!! 外には危険な魔獣もいるから気を付けでぇぇぇ!」
一方、顔面ビチャビチャな村長は白いハンカチをブンブンと振りながら見習い魔女と犬精霊を見送った。