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彼女がずっと欲しかったもの  作者: 黄昏と泡沫
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約束


 3日間に渡る期末試験が終わった。翌々日の金曜日の朝、二階の三年生の教室の踊り場に成績上位20名が教員たちによって張り出される。張り出しに群がる生徒たち。結衣が男女をかき分けて順位表を確認する。自分が載っていないことはわかっていたが、親友の順位が気になっていた。上から名前を探すと、一番下の20位に福本美沙の名前が載っていた。

 そして笑顔で急ぎ走って教室に向かう。美沙に報告して、美沙を喜ばせよう。教室のドアで一旦急停止してた。自身の席で窓辺を見つめる美沙。その笑みを含んだ表情は艶に満ちていて、試験の結果など頭にはない。

 そして教室の片隅に、あの男子生徒が俯いて座っている。存在自体を自ら殺し、呼吸すらも罪を感じている。何よりも不気味なのが、二人の対照的な佇まいでであった。

 結衣は美沙のもとに歩いた。

 「20位だったよー。10位下がったけど良かったじゃん」

 「張り出しもう出たの?」

 以前なら張り出しの結果をある程度は楽しみにしていたはず。美沙は結果に喜ぶよりも、今日のアルバイトが楽しみであった。真山に会えることが、テスト結果よりも超えていた。

 「はぁ、、、やっぱ恋じゃん」  

 「違うよー」と、否定する美沙は満更でもない反応に変わっている。つついても耳元に息を吹きかけても、面白みのないリアクションだ。

 美沙は今日、真山とどうしたら一緒に帰れるかを想像していた。また再び襲われる。接客中に声をかけてみる。そんなことを考え続け、学校が終わりアルバイトが始まり、真山がやってくる時間になった。

 緊張は皆無で、感覚も研ぎ澄まされている。客への対応も120%の精度で提供できていた。期末テストの解放感が永続し、幸せが天井のないエレベーターのように上がっていく。

 そして20時半が過ぎ、真山がやってきた。マフラーを外したコートの胸元の隙間から、紫のセーターの一部が見える。先週渡したセーターを着てくれていた。1万三千円以上の価値の見返りが、心に染みる。

 「いらっしゃいませ。いつもありがとうございます」美沙は頭を下げて、エクボを両頬に作る。コーヒーフレッシュをトレーに置いて、いつものオーダーを選ぶ。

 「店内で。いつもの。あと、、、」真山が目力を込めていた。そして言葉が続く。

 「今日、お仕事が終わってから少し話せませんか?

 自分が言いたかった言葉を相手が言ってくれた。美沙は産まれて初めて、ときめきと奇跡を知る。

 「はい、お待たせしますが、よろしくお願いします」

 「車で待ってます」と、真山は支払いの準備をする。

 背後に佇む前橋は心配そうに二人を見つめていた。真山は二階席に上がり、カウンターでそれを見届ける美沙はエクボがまだ消せていなかった。

 早く21時になれ。敢えて時計を見ずに業務に集中する。真山が階段を下りてくると、いつもの所作で頭を下げてドアから出ていった。アルバイトが終わり、一目散で着替える。鏡で髪の毛を直すことも端折って、真山の車に向かう。駐車場に赤い車が見てると、歩幅を緩めてゆっくり歩いた。

 真山は車から降りて、美沙が来るのを立って待つ。

 「おまたせしました」

 両手で下げた鞄の柄をモジモジと指が遊ぶ。真山は頷いて、助手席のドアを開けた。「少し移動しましょうか」と、美沙を車の中に誘う。いらやしい感じも、恐怖感も無い。美沙は助手席に乗り、スカートを直してシートベルトを締める。真山も運転席に乗り込み、車は駐車場を左折で出ていく。車内に会話は無かった。気まずさはない。話すことを考えないと、という焦りも生まれない。この空間が心地よくて、車にずっと乗っていたい。

 車は住宅街に向かっている。家からも学校からも全く違う方向。方向感覚が分からなくても、不思議と車が進む方面がわかる。車はとある住宅街の公園の近くに停まった。 

 「ここ、どこか分かりますか?」 

 「まったく分からないです。初めて来ます」

 夜の公園には人気は無く、街灯と自動販売機の灯りが冬空の寒さを助長させている。車から降りた2人の足元には落ち葉が散っていた。

 真山は公園の中に入り、美沙も無言で中に続く。公園に来るのは久しぶりだ。どこにでもありそうな鉄棒とブランコと砂場、ボール遊び禁止の看板。無邪気さが身体を勝手にブランコへと向かわせる。走ってブランコまで行き、冷たい板に尻を乗せて小さく揺られる。

 「ブランコなんて久しぶりです。楽しいですね。久しぶりの公園も」

 ゆらりゆらり、地面から足を伸ばす。真山はその光景を無言で見つめる。キーキーと金属音が公園の乾燥した空気に響く。足と顔に冷たい空気が触れる。

 美沙はヒョイッとブランコから飛び降りる。無邪気な笑みで真山を見上げる。

 「あ、今日、期末試験の発表があって、学年20位だったんです! 前より順位落ちちゃったんですけど、すごいですよね」

 自画自賛も本音だが、美沙は上目遣いで真山の近くに立つ。求めるのは「すごいね」の一言であった。

 真山はそっと右手を上げる。美沙は瞬時に分かった。この時をずっと待っていた。自然とあごが下がり視線は真山の靴に移る。茶色い革靴で先が鋭利に尖っているように見えた。

 真山の手は美沙の頭に近づく。途中手が何度となく止まる。手を伸ばすか縮めるか、葛藤のシャトルラン。美沙のまだかまだかの待つ仕草は、あどけない無邪気な幼年の子供そのものだった。

 右手の指先が小さく揺れている。小さな背丈の頭に近づくにつれて、磁石のように引き寄せられた。美沙の頭頂の左寄りにふわりと柔らかく真山の手のひらが触れる。そして静かに優しく撫でられた。

 待ち望んだ瞬間、それは美沙の思考を止めた。嬉しい、幸せ、楽しい、気持ちいい。そんな感情は微塵も産まれなかった。

 美沙は今から己の口から出てくる言葉を知らなかった。知らなかったのではなく、封印していたワードであった。瞬きが止まり、真山の顔を目にうつす。

 蘇っていく物が多すぎて、感情が追いつかない。

 真山は頭から手を離す。そしてぎゅっと手を握り、拳にして苦しさに強く握りしめる。 

 そして振り返って、美沙から立ち去るように振り返って歩き出した。美沙は顔を上げた。頬につたうものに夜風が当たり、それは冷たく首筋まで落ちた。忘れていた身体の生理現象。悲しくて涙が流れたのは何年ぶりのことか。

 「パパ、、、」

 美沙はその場に崩れ落ちた。

 この手のひらを自分の身体は良く知っていた。

 明るい色だけで描いていた日常はこんな形で壊れていく。冷たい砂にポタポタと涙の雫が落ちる。息を吸うと、涙腺に悲しさが届き、涙は止まってくれない。泣き声をこらえようにも、涙を止める術すらわからない美沙には、我慢の方法などさらにわかるはずがなかった。

 真山は数歩進んだが、泣いている美沙から離れることができなかった。下唇を噛み締めて、感情の吐露を必死に止めていた。ここで自分が泣いてはいけない。うっすらと瞳に溜まる物質。グッと堪えようにも、美沙の泣き声が耳に届き続ける。

 そして公園にもう一台車が停まった。そこから現れたのは前橋であった。公園の中に駆け込んで、真山と美沙の姿を見る。こうなるしかなかった二人。そして自分の責務。前橋はもらい泣きをこらえ、真山のもとに駆け寄った。

 「言えたのか?」と、前橋は真山に問う。真山は首を横に振り、鼻をすする。

 「思い出したんだと思う、、、俺のこと」

 二人の大人に見守られながら、美沙は泣き続けた。十年以上ためていた涙が止まる頃には、美沙は疲れ果てて子供のように眠り落ちていた。これが夢なら早く覚めてほしいと、うつろな意識の中でそう何度も念じていた。

 


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