反転
翌週の月曜日、美沙の膝にはまだカットバンが貼られていた。白い膝には似合わないうえに、傷はもうかさぶたになっておりカットバンを貼らなくても良い状態であるが、美沙はわざと貼っていた。
一限目が始まったが、あの男子生徒は来ていなかった。クラスメイトは告白の失敗で、恥ずかしくて来れないのだと思っていた。美沙は何も変わらない様子で、皆と接していたが、違和感を察知していたのは結衣だけであった。
四限目が終わってすぐに、美沙は職員室に呼び出された。結衣の違和感は確信に変わったが「行ってくるねぇー」と、呑気に職員室へ向かう美沙には何も聞くことはなかった。
職員室に入った美沙は担任の中谷に連れられて奥の相談室へ入る。そこには知らない男性と女性が座っていた。瞬時にあの男子の両親だと分かった。
ご両親は美沙に何度も何度も深々と謝り、息子の犯した行為は罰せられるべきだと訴えた。中谷は事の経緯を美沙に説明した。あの日の夜に息子の不審な様子を見た母親は疑問符を浮かべていた。そして家に来訪者が来た。美沙のアルバイト先の店長の前橋であった。事の経緯を前橋が伝え、逆鱗した母が本人に問い詰め、父親もそこに加わり、男子は自白したのだ。
美沙は驚いた。前橋がなぜこのことを知っているのか。確かに店の前で起こったが、そのまま真山に送ってもらっていたために、知るタイミングは美沙が知る中では無かったはずだ。
中谷は今朝に連絡を貰い、美沙の母親もいま学校に向かっていることを告げる。不味い状況になると、思考が今後の事態を予測する。沙絵はまずこの一件を黙っていたことに怒る。そして相手の生徒を訴える。美沙はこの3日間浮かれていた。喜楽の真逆の戦慄。そして男子生徒の父親は椅子から降りて土下座をし始めた。
美沙は開口できなかった。こんなことになるなら、金曜の告白をきっぱり断るのではなく、のらりくらりと返事をせずにいれば良かった。きっぱり断ったのも、心のなかでは見せしめの気持ちもあったからだ。
気安く告白してくる男たちへの腹いせと、自分のことを何も知らないくせに、付き合いたいランキング2位と持て囃す黄色い声へのアンチだった。
沙絵が来る前に事態を収拾させる方法は美沙には思いつかなかった。
中谷も事態の収拾は正義と欺瞞に心揺れていた。通常なら停学もしくは退学処分が妥当であるが、受験前にそうなった場合、男子生徒の人生が大きく変わってしまう。秀才のこれまでの努力が、己のせいとはいえど、一瞬で無に返すのだ。
相談室のドアが開き、教師に案内された沙絵がやってきた。美沙は沙絵の顔を直視できなかった。怖い顔をする母親をみたくない。自己防衛が自然の働いていた。
中谷は冷や汗をかきながら、沙絵に今の状況を説明する。時折、甘噛みをするが、沙絵は淡々と話を聞くだけだ。そして生徒の両親は、沙絵に土下座をする。大人の土下座を見て、美沙は事の重大さを把握できていなかったことをまた痛感する。
「美沙、どこまでされたかハッキリ言いなさい」
沙絵は相手の土下座を見下しながら、美沙の言葉を求めた。
「押し倒されて、、、その前に身体を掴まれて、、、」
美沙は真山のことを想いながら、身に起きた状況を口にしようとするが言葉に詰まる。胸を掴まれたことも、相手の股間が硬くなっていたこと、吐息が首にかかり不快を超えた反吐を感じたこと。美沙は涙が出そうになるのを堪えた。
それを聞いて涙を流しながら土下座する両親。美沙はこのご両親はとてもいい人達だと分かった。そして反面、育て方を間違えたと強く反省していることもわかった。
男子生徒は本当に悪かったのか。悪いのはあの状況の引き金を引いた自分の対応ではなかったのか。
相談室で予鈴が鳴り、話はここで一旦中断となった。授業がある中谷に代ってやってきた校長と教頭が、沙絵と話している。美沙はその横で自分は教室に戻っていいのか、ここにいるべきなのか、誰も声をかけてくれないまま時間が過ぎる。
教頭が授業に戻るように伝える、美沙はトボトボと廊下を歩いた。昼食も食べれていないが、空腹感は全く起きない。美沙は女子トイレに寄って鏡で顔を確認する。笑わないといけない。いつもの日常の自分に戻さなければ。美沙は鏡の自分に笑いかけた。これなら大丈夫だ。胸の動悸は残っているが、美沙は教室へと戻った。
「遅れました。先生すいません」と、何事もない素振りで教室に入り、自分の席に戻る。クラスメイトもその素振りに騙されて、何も不審には思わなかったが、結衣は心配の表情で席に座る美沙を見つめる。「大丈夫だよ」と小声で笑うが、結衣の顔は変わらなかった。
授業の話も全く耳に入ってこない。ノートを取る指は力加減がおかしくなっていて、シャープペンシルの芯が折れるばかり。字もいつもより乱れている。
授業が終わって、美沙の周りに友達が集まるが、結衣はその輪には加わらなかった。
「お昼ご飯食べ損ねちゃったー」と、笑いながらパンを食べるが、味などしないただの小麦粉と水と卵と砂糖の塊だ。
六限目が終わり、沙絵から一緒に帰るようにとラインが入っていた。美沙は結衣に今日は母親と帰ることを話しかけた。
「うん、また明日聞かせて」と、結衣は言い残して、他の友人たちと帰っていった。美沙は下駄箱で母親と合流して無言の帰路についた。校門をくぐっても会話はない。確実に怒っている。先日のタレント事業の話と言い、最近なぜか母とは噛み合わせが悪い。
「ママ、ごめんね。黙ってて」
先に口火を切るのは、沈黙のほうが嫌だったからだ。少し前を歩いている沙絵は歩幅を少し緩めて、美沙の横に並ぶ。
「美沙は昔から何も言わなすぎよ。でも無事でよかったわ」
沙絵の怒りの矛先は美沙ではなかった。相手に対しては腸が煮えくり返る思いたまが、相手の家に直接赴いたミラクルバーガーの店長の行動が意味不明過ぎて、それに納得できていない。
「その助けてくれた人、菓子折り買っておくから今度渡しなさい」
「うん。その人がいなかったらどうなってたかわからないし」
美沙はハッと気付いて口を止めた。呑気な自分に戻りそうになっていた。真山の話をすると、気が緩んでしまう。
「私も直接お礼を言いたいから、連絡先よかったら聞いておいて」
「はい、今度聞いておくね」
二人の会話は少ないまま、家までの道中は静かに気まずさを残していた。家に帰ると仕事に戻らないといけない沙絵は、急いでとんぼ返りして出ていった。
美沙は誰もいないリビングに一人佇む。
早く金曜にならないか。考えることはそれだけだった。そしてバイトに行く準備をしてミラクルバーガーに向かった。前橋は今日は居ない。聞きたいことが聞けない状態のまま、アルバイトは終わった。帰り道、駐車場に赤い車を探すが、遠目からでも無いことはわかった。道行く車に赤い車がないかを目で追う。
今日は月曜日。嫌な月曜日だった。早く金曜日にならないか。やはり考えることはそれだけであった。




