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彼女がずっと欲しかったもの  作者: 黄昏と泡沫
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まだ足りない宇宙の喜びとその憂鬱

 月曜日は重めなスタートであった。あざとく見える大きな欠伸と共に、昨日の焼肉の胸焼けに苦しむ美沙は机にヘタリと伏せた。

 「おいおーい、福本さーん、珍しくお肌ボロボロですやーん」

 うざ絡みをする結衣が美沙の上に覆いかぶさる。結衣のあごがこめかみに刺さっているが、顔を動かすとさらにねじ込むので微動だにできない。

 2限目の授業が終わり、すでに一日の体力の8割が消えていた。次の移動教室に移動する気力も無かった。結衣に無理矢理起こされて手を引っ張られ、次の授業に向かう。

 途中、友達とすれ違うと笑顔で手を降るが、今日の自分は無理して笑っているのが頬の筋肉の戻り方でわかる。昨日の真山のことを結衣に話そうか悩むべきだったが、睡眠不足の頭ではうまく言葉がまとめれなかった。

 「美沙のお母さんが怒るって意外だったわー。即オッケーしそうなのに」

 結衣は今回のタレント事業の結末が気に入らなかった。寝不足の親友に今そのことを言うのは適切ではなかったが、我慢できない性格が先に口を開かせる。

 「仕方ないよ。私一人じゃ何もできないし。ママの言ってることは正しいよ」

 「美沙がそれでいいなら、、、なんかなー。今日さっそく断るの? お母さんの気持ちが変わるまで待ってみたら?」

 「無理だよ。お母さん、めっちゃ頑固だから」

 その頑固さのお陰で、自分がここまで育てられたのだ。今日のバイトの際に、前橋に断ることを伝えないといけない。心はしっかりと決まっている。

 そして結衣に女子トイレに連れて行かれて、髪の毛を綺麗に直してもらう。結衣によって再構築され、授業も真面目に聞く可愛い福本さんが鏡に映る。移動教室に入ると、男子生徒達から声を掛けられ笑顔で返事をする。地元の友人が紹介してほしいという男子のお願いも笑って誤魔化す。デートに誘われても首を縦に振ったことは一度もなかった。

 男子生徒の中では『福本さんは結婚する人としか付き合わない』や、『実は同性が好き』など、本人の居ない所で想像が膨らまされていた。

 「ほら、運動部達。うちの美沙はガキには興味ないの。どいたどいた」

 しつこい男子たちを結衣が追い払う。いつもの学校生活。あと4カ月で卒業するのは寂しいが、悔いのない楽しい日常であった。

 学校が終わり、結衣と他二人の友人と共に下駄箱で靴を履き替える。美沙の靴箱には手紙が入っていた。恋文はこれで何枚目であろうか。美沙は誰にも見られないように鞄にしまう。

 仲の良い女子みんなで受験が終わったら旅行に行こう等、話は尽きない。そして、各々駅で別れて美沙はバイト先へ向かう。旅行のお金も貯めていく必要があるが、スーツを購入したりと、ほかにも入り用の物がある。車の免許も計画的に貯めれたが、冬の後半は散財が増えると予想される。来年には扶養から外れるので、何とか貯金もできるはずだ。

 美沙の就職後の次の目標は一人暮らしをすること。社会人2年目から今のところは一人暮らしができる想定である。都内では厳しいので、埼玉方面でなら立地を問わなければ一人暮らしも可能であった。

 そしてバイトが始まる前に、社員にタレント事業の断りを伝えた。前橋が居なかったため、その社員から本部の方に連絡することとなった。

 これで良かったのだ。美沙は後悔はしたくなかった。無理やり気持ちのギアを入れ替え、今日の仕事への熱を高める。厨房の業務も覚え、手が空くと進んでトイレ掃除や、ごみ捨てなど、テキパキと動く。21時になり、充実感いっぱいの中、バイトを終えて帰路につく。 

 月曜日が上手く終わる。明日を迎える喜びを持ったまま家に帰宅すると、男性用の靴が玄関に置かれていた。

 「おっかえりー、美沙ちゃん。寒かったろ」

 田渕がヨレヨレのスーツ姿で廊下の奥からやってきた。沙絵の恋人。晩ご飯を食べて今から帰る様子だ。ほんのり匂う酒のにおい。その奥から沙絵がついてきた。

 「田渕さんもう帰るの?」

 「明日も早いからねー。今日沙絵から聞いたよ。来月から教習所通うって。免許とれたら、俺の車使っていいからね」

 美沙は靴を脱いでマフラーを外した。頬が紅潮した田渕は沙絵が持ってきたコートを羽織る。

 「無理だよ。あんな大きい車。事故ったら大変だし」

 「いいのいいの。最初はぶつけてナンボだからね」

 気前よく話す田渕は、美沙と入れ替わって玄関で靴を履き出ていった。酒の匂いが玄関に残っている。

 「冷えてるでしょ、お風呂入っちゃいなさい」

 沙絵は鍵をカチャッと閉め、リビングへと戻っていった。美沙は自室からパジャマと替えの下着をベッドの上に置いて、制服のブレザーとスカートを脱いで、ハンガーに掛ける。着替えを持って風呂場へと向かった。

 風呂は好きでも嫌いでも無かったが、冬場は浮腫み対策のためにも長めに浴槽に浸かっていた。湯船に浸かりながら顔に美顔ローラーを当てて、アゴのラインを整える。

 今日の学校の授業を頭の中で倍速再生で思い返す。これをすると復習する際の効率が違っていた。美沙は記憶力が良かった。昔から人の好きなものや嫌いなもの、小さな出来事まで覚えるのが得意であった。

 風呂から上がりドライヤーで髪の毛を乾かす。そして部屋に戻り鞄の中から、靴箱に入っていた手紙を出して封を切る。 

 全文をしっかりと読む。長ったらしく、美沙のどこが好きか、付き合ってほしいという旨とLINEのIDと電話番号が書いてある。

 美沙は封筒に手紙を仕舞うと、それをクシャクシャに丸めてゴミ箱へそれを捨てた。他人からの好意は心地よい。手紙の主の顔も知っている。隣のクラスの元バスケ部の顔も良い人気者の男子だ。

 美沙はスマホを触りながらベッドに寝そべった。そして、自分は色んな人から愛されていることを焚き火に薪を少しづつ入れるように、豊かな気持ちを温めながら眠りについた。

 そして夢を見る。小学3年の時の出来事。断片的であるが、鮮明に覚えている。家にゴキブリが出て、芽衣が泣き叫ぶなか、必死にゴキブリを退治をした。芽衣がなかなか泣きやまず、母が帰ってくるまで芽衣の面倒を看たこと。21時頃に帰ってきた沙絵は、家の散らかり用を見て怒ることはなく、美沙を抱きしめて「いいお姉ちゃんに育ってくれてありがとう」とそう言った母は泣いていた。

 最悪だけど、温かい気持ちになる。美沙はフッと目を開けた。カーテンの隙間がほんのりと薄く明るい朝の6時。まだあと一時間は寝れる。そっとまた目を閉じるが、なかなか眠ることができない。美沙はモコモコの靴下を履いてリビングへと降りる。台所では紗絵が珍しく朝から料理をしていた。そして美沙が起きてきたことに気付く。 

 「おはようさん。久しぶりにお弁当作りたくなってね。もう朝ご飯食べる?」

 美沙はペタペタと足を進めて台所の中に入る。塩コショウの香りと、フライパンで踊る一口サイズに切られた鶏もも肉。

 「ほんと珍しい。しかも私たちの分まで。ママもっと寝なよ」

 「今日は他の会社と打ち合わせで出るの遅いから、たまにはね」

 色違いの同じ大きさの弁道箱が三つ並んでいる。卵焼きにオクラの天ぷら、プチトマトにソーセージ。そして、白米にはのりたまのふりかけがのっている。 

 「なんかね、最近すぐ目が開くから。ほら、顔洗ってらっしゃい」

 普段はパンを通学途中に買うか、学食で昼を済ませる事がほとんどで、たまに沙絵がお弁当を作ってくれることがある。

 中学生の頃は沙絵の代わりに美沙が作る事もあった。化粧を簡単に済ませて、アラームでも起きない芽衣を起こして三人で朝食を囲む。沙絵はサッと済ませて洗い物を始める。美沙は家でも上品に食事をゆっくりと食べる。その横で芽衣はまだ眠気が取れずに意識朦朧でパンの耳を噛みちぎる。

 優雅で時間に余裕のある朝だ。美沙は学校支度を済ませて一番最初に家を出た。母より早く出ることはめったに無かった。芽衣と違って始業のギリギリに教室に入るような忙しい朝は嫌いで、始業の30分前には学校に着いていたかった。

 寒さが増していく11月。あと高校に通うのも残り僅か。エモーショナルに気持ちが変わっていく。美沙はふと思い出す。真山のセーターはまだほつれたままなのであろうかと。

 そして昼と夜を繰り返し、今週も金曜日となった。学校も終わりいつものアルバイトへ向かう道中。今日は結衣との約束もない。アルバイト帰りに久しぶりにミラバのポテトでも買って帰ろうか、しかし冷めてしまうので、家の近くのミラバまで行こうか。そんなことを考えながら、仕事をこなしていく。そして20時半が近づく。美沙は真山が来るのを心待ちにしていた。ルーティンの一環であるし、真山の存在は勤務時間残り30分のラストスパートをより楽しくしてくれる有り難い存在だ。

 しかし、真山の姿は時計の長針が35分に差し掛かっても来ない。40分になっても来ない。ここまで時間が遅いことは無かった。

 「あの常連さん来ないねぇ」

 美沙の隣で新商品のポップを入れ替えていた前橋まで心配している。

 「風邪とかですかね? 初めてですね。来られないのは」

 確かに毎週必ず欠かさずに来る必要は無い。病気や用事など、当たり前に生きていればあること。楽しみにしていた分、美沙は刻々と過ぎる時間が長く感じる。今日は来ないのか。それか仕事が遅くなっているだけ。カウンターでただ待つだけの美沙の挙動はいつもと違っていた。前橋はそれに気付いたが、いつもの戯言も言えないでいた。 

 大雨の日も真山は定刻通りに来る。顔色一つ変えずに、暑い夏の夜も涼しい顔をしてやって来る。真山はそして58分になっても来なかった。美沙はキッチンのスタッフと前橋に退勤の挨拶をしてタイムカードを手にした時、ドアが開いて真山が入ってきた。慌てた様子で急いで着たのか息が少し乱れている。

 美沙はタイムカードを急いで直してカウンターにサササッと戻る。 

 「いらっしゃいませ!」と元気よく丁寧に挨拶をして、真山は肩を上下に動かしながら小さく頭を下げる。そしてカウンターまで進むとカバンを床に置いて、少し乱れた髪形を直す。咳払いを小さく鳴らして、美沙の顔を見ずに「店内で。いつもの」と小声で言う。 

 美沙は笑顔で返事をして、注文の準備をする。急いで来てくれたことと、ギリギリ自分が退勤するまでに間に合ったことに喜んでいた。

 真山に商品を渡して、美沙のアルバイトは終了した。そして帰る手前、二階席に寄って真山の様子を確認する。無理して来たのかまだ商品には手を付けずに、息を整えている。その姿が可愛らしく見えて、美沙は姿をみられないうちに帰路についた。この前は美沙が息を切らして、今日は真山が息を切らす。この連続性が面白かった。

 そして、ふと思った。この感情は何なのかと。恋愛感情では無いと断言していたが、恋愛感情とは何なのかも分かってはいないではないか。真山は倍以上歳の離れた既婚者。美沙は恋愛とは認めないものの確実に真山に惹かれていた。ただ、それは恋愛対象ではなく、常連客としてだ。それだけは揺るぎないものであったが、気持ちに矛盾が出始めた。そしてその気持ち自体は嫌な気がしない。美沙は真山のことを考える時間が増えていった。寝る前も翌朝も、真山が急いでやってきたシーンを思い返す。そして週が開け、意を決して、親友に相談してみることにする。

 誰も来ない屋上までの階段下で2人で話す。 

 「で、マヤマヤが来てくれたとき嬉しくて、、、好きかもって?」

 「好きじゃない。もちろん、人としては好きなんだけど、付き合いたいとかデートしたいとかじゃなくて、、、」

 美沙は本心を語る。そして結衣はフムフムと頷いた。そしてピンと閃いた。 

 「わかったわ。それは推しよ」

 「推しって、アイドルとかの?」

 「アイドルの推しじゃなくて、なんていうの、マスコット的なやつの。スヌーピーとか、ピカチュウとかの。ほら、マヤマヤのキーホルダーとかありそうじゃん」

 真山のキーホルダーを想像して、美沙は仰け反って大笑いした。結衣もつられ笑い、美沙とともに身体を仰け反って二人して笑いが収まるまで、しばらく時間を要した。推し云々は保留となったが、美沙は一旦気持ちの整理ができた気がした。 

 そして、真山は自分のことをどうおもっているのだろうか。ただの行きつけのお店の店員。しかし、あの社長と会う直前に肩に触れた手。あの手には特別なものが感じられた。

 翌週の金曜日、美沙は時が進むのを嫌った。真山に会いたいが、会いたくない。そんな日に限って時間は刻々と過ぎていき、20時28分に真山は店にやってきた。青いマフラーを首に巻き、澄ました顔でカウンターにやってくる。 

 これまで何千回と言ってきた「いらっしゃいませ」のトーンを忘れる。美沙は先に頭を下げてから、少し声が裏返らせて、いらっしゃいませという。瞬時に顔が火照るのが分かった。裏返った声を聞かれてしまった。そのまま接客を進めるが、言葉が止まる。

 それを背後で見ていた前橋と真山の視線がぶつかる。前橋がフォローに入ろうとした時だった。店の入口から騒がしさの波が押し寄せた。

 「お姉ちゃんヤッホーーーー!」

 芽衣がズカズカと店内に入ってきた。

 「芽衣!?」

 美沙は驚いて咄嗟に大きな声を出した。そして真山との接客中だったことを思い出した。芽衣に静止を求める顔を見せて、真山と向き合った。

 「すいません。いつものでよろしいですか?」

 美沙の尋ねに反応を示さない真山。10秒ほど間を開けて頷く。美沙はコーヒーフレッシュをトレーに置いた。すると真山の横に芽衣がひょこっと顔を出す。

 「お姉ちゃん、今日家の鍵忘れてちゃってさ」

 「もぉ、今仕事中だから上で待ってなさい」

 芽衣はスタスタと二階へと上がっていった。一気に静まる美沙と真山の間。先に何か話せばと動いたのは美沙だった。 

 「すいません。妹が急に押しかけて。今準備しますので、少々お待ち下さい」

 美沙は頭を下げてホットコーヒーを準備する。真山の顔は直視しにくいので、目を伏せて商品のトレーを渡した。真山が二階に上がり、美沙はホッとため息をついた。

 「妹ちゃん、ギャルだねぇ」

 初めて美沙の妹を見た前橋は、顎を触りながら神妙な顔で話す。前橋の真面目な顔は意外であった。美沙は妹ながら恥ずかしい限りである。そして、二階に真山と芽衣がいることに嫌な気持ちになる。 

 20分ほどして真山がスタスタと二階から降りてきた。美沙は頭を下げたが、真山はいつもなら頭を下げ返すはずが、そのままドアから出ていった。違和感が強く残る。そして退勤の時間になり、美沙は急いで着替えて二階の芽衣のもとに向かう。 

 芽衣は机に片腕を伸ばすようにだらけて伏せていた。なぜか何も注文していないはずの芽衣の机に、トレーが置かれている。

 「あんたなんでトレーがあるのよ」

 「あぁ、お腹空いてウガーッてしてたら、あのおじさんがくれたの。めっちゃ断ったし、お礼も言ったよ。マジでおなか空いてたから貰っちゃったけど」

 美沙は頭を抱えた。その光景が目に浮かぶ。真山がバーガーを食べようとするシーン。それを羨ましそうにお腹を鳴らしながら、もしかしたらヨダレも垂らしていたかもしれない芽衣。食べ辛い真山が、きっと差し出したのだと。 

 「さ、帰ろうー。帰りアイス買って帰ろー」

 美沙の憤りを他所に芽衣は何もなかったように歩い出した。大きくため息をついて、真山に来週謝ることにした。その出来事を結衣に報告したら、マヤマヤにはアンパンマン要素もあるんじゃないかと、他人事だと思って楽しんでいた。

 美沙の日常は変わらず動き付けている。 

 大きな歪はすでに目の前に迫っていた。

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