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彼女がずっと欲しかったもの  作者: 黄昏と泡沫
24/25

結衣の日常

 声優の道は険しすぎた。一握りのさらに上澄みしかまともにデビューできない現実。もちろん、それを承知で挑んだ道だったが、結衣はプレッシャーと専門学校の学費250万円に押しつぶされる手前であった。心のよりどころの美沙は、今やトレンドの中心。

 「いつでも相談にのるよー!」と、美沙が言ってから予定が合わずに三カ月が経過していた。あれだけ頻繁に会っていた存在が、今やテレビのCMで顔を見る。結衣は睡眠時間を削り、アルバイトとアクセント訓練とダイエットに励んでいた。

 講師からは他に武器が無いと生き残れないと言われ、ルックスでアドバンテージを稼ぐしかない。葉奈のお店で働きたいと葉奈に頼み込んだが、芸能系に進むなら、夜職で働いたことはマイナスになると駄目だと言われて、昔と同じ居酒屋でアルバイトを続けていた。

 いつでも美沙から頼られる強い存在でありたいと思っていたのに、高校を卒業してから順風満帆な美沙の存在を妬ましく思う瞬間が嫌で、次第に連絡の頻度も減ってきていた。

 美沙が結衣を羨ましく思っているのは、ほかにも理由があった。真山の存在であった。あんな素敵な父親と再会できている。結衣も美沙と同じく幼少の頃に父親と離れた境遇であったが、自分の父親は仮に真山と同じように自分に会いに来てれないものか。

 母親に尋ねればいいだけなのだが、結衣の母親はヒステリックを起こす節があった。微かに覚えているのは、四歳頃に父親が家に会いに来た時に酷く怒り狂っている母の記憶。美沙に聞いた話では、温厚な性格の母親が、真山関連のことになると、表情から喜怒哀楽の哀以外が消えるとのことだった。

 母に親不孝はしたくないが、父親を探さないことも父親に対しての親不孝に感じていた。アルバイトを終えて家に帰宅した結衣。リビングでゴロゴロとくつろぐ妹の莉央はそっけなく「おかえりー」と、スマホから目を離さない。今日は母親は夜勤の勤務で、明日の朝までは帰らない。鞄を床に下ろし、台所で手を洗ってから妹のそばに近寄る。

 「ねぇ、莉央はパパに会いたくない?」

 「パパ? いまさら?」

 10年近く出たことのないワード。結衣の頭の中では今一番飛び交うワード。莉央は父親とほとんど会ったことが無かった。そもそも存在していない存在なのだ。

 「真面目に。会ってみたいと思わない?」

 姉のまさかの問いに、莉央はスマホの画面から目を離した。心労で弱っている姉が、なぜ父親のことを言うのか。理解不能で、まず想像すら頭に思い描くことができない。

 「お姉ちゃんは会いたいの?」

 「うん。会ってみたい。それに何で会いに来ないのか聞きたい」

 「ママが怒るからでしょ。そりゃ、、、離婚の理由とか何も知らないけど、ママのあの性格だから、ママが強引に決めたとかそんなのだと思うけど」

 「どうする。もしもだよ。もしも仮に、今もパパが私たちのことずーっと考えて、苦しい思いをしてたらどうする」

 逆に自分たちのことを何も考えずに生きていたら、どんなに嬉しいことか。真山のように苦しく、つらい、悲しい日常を過ごしていて欲しくない。再婚して新しい家庭を築いて、時折あの子たちはどうしているか、とたまに思い出してくれているだけでいい。

 「私は会いたいとかは無いよ。会いたいって言われても、会いたくない」

 「そっか、、、そうだよね」

 莉央の正直な答えを聞いて、結衣はリビングから離れて自室に入った。そしてバイト着を脱いで、ベッドに横になった。

 美沙と真山が再会してから、結衣も父親の痕跡を探した。戸籍謄本を取り寄せ、父親の現住所と名前も手に入れている。あとは自ら会いに行けばいい。住所は近辺では無かった。まさかの大阪に住んでいた。そもそも自分たちが大阪に住んでいたことは知っているし、いまだに使う言葉も関西弁が混じっていた。

 美沙と真山を見ていれば、会いに行くべきだとわかっている。でも会ったとして、優しい励ましの言葉を貰いたいだけだった。

 「会いに行くべきだよ!!行こう!!」

 そして、美沙に強引に大阪まで連れられていくことになった結衣。土曜日日曜日月曜日の予定をすぐさまに空けられ、最大瞬間風速で旅行の用意を美沙がテキパキと動く。新幹線の指定席も、今シートに座って食べている駅弁もジュースもお菓子も、すべて美沙が準備をしてくれた。せっかくの余っていた休みを3日費やして、父親との再会&大阪観光旅行に行くことになった。

 不思議なものでプチ有名人になった美沙は顔バレする気配が全くなかった。テレビに出るときは、ほとんど制服姿で髪の毛を結んでいたので、普段の美沙の状態とイメージが合わなかった。

 結衣は窓際にもたれかかり、ため息をついた。父親に会いに行くことがこんなに気苦しいとは。母親には大阪に行くとだけ伝えて、本当のことは言えないでいた。隠し事に胸が苦しいことと、母親には言いたくても言えなかった。

 「大丈夫だよ。子どもに会いたくない親は居ないよ」

 駅弁をモグモグ食べながら美沙がそう言うものの、そんなに甘くは考えられない。美沙は他人事のように気楽に構えているように見えるが、そう振る舞うことにも理由があった。それは結衣のことをよく分かっているからだ。

 可愛くてスタイルも良くて、話も面白くて優しさと強さを兼ね持つ結衣を知っている。美沙はむしろ、早く会いに行く機会を持てるように動くべきだったと、ここ数ヶ月の自分のキャパオーバーな日々が悔やんていた。

 初めての大阪。時刻は昼の11時43分。座りっぱなしだった2人は、ビジネスホテルに荷物を預けて身軽になった。結衣の父親は新大阪駅から電車で30分の場所。結衣はドキドキとモヤモヤの真ん中で、心臓の伸縮運動に苦しんだ。土曜日だが、仕事の場合もあるので、夜に向かうことにして2人は繁華街へ向かうことに。

 忙しくワイワイ過ごすが、結衣は少しうわの空。美沙が結衣の手を引っ張りあちこち連れ回す。高校の時は真逆だったのに、美沙の成長に結衣は少し安心した。

 たまたまあったミラクルバーガーの店の前を通ると、美沙と他に三人の女の子が並んでポスターが飾られている。結衣は普段なら意地悪にそこに美沙を立たせて写真を撮るが、そんな余裕はない。夜までは時間がたっぷりある。そう思っていたが、時間はあっという間に過ぎていく。

 父親の住所に向かう電車の中、2人は無言だった。ナビを片手にテクテク先を歩く美沙を追う結衣。見覚えも何も無い道。初めて歩くアスファルトの上は、自分のことを覚えているのだろうか。地名はわずかに聞き覚えがあった。通っていた保育園の名前にも、ここの地名が入っていた。

 美沙がマンションを指さして、目的地に到着した。

部屋番号は暗記している。8階建てのファミリータイプのマンション。ここの303号室。オートロック式のマンションのエントランスのインターホン。美沙は結衣の真横にスッと立つ。

 「ほら、押さないと」

 背中を押されて、指を動かす。心臓がバクバク鳴っている。顔も声も身長も何も知らない父親。303と押し終え、呼び出しボタンを後は押すだけ。こんなに前に踏み出すことを躊躇したことは、今まで一度もなかった。そんな結衣を見て、美沙は横から指を伸ばして、代わりに呼び出しのボタンを押した。

 普段なら、すぐさま美沙に「勝手に押さない」と言うのだろう。結衣は生唾を飲み込んだ。ピンポーン、と電子音が鳴る。1秒、2秒、沈黙の時間は、平等に流れる。

 カチャッ、と音が鳴る。結衣は頭の中が真っ白になった。

 「はい」

 フィルターが掛かっているような曇った声が聞こえた。留守では無かった。何か言わなければならない。固まっていた口周りの筋肉のまま、結衣は上ずりそうな声をグッと締めて喉を鳴らした。

 「山本結衣です」

 名前を言えた。自己紹介のような短い名乗り。美沙は明るい未来の兆しに、笑みがこぼれる。

 「あ、はーい」

 軽い返答と共に、エントランスの自動ドアが開かれる。ガチャッ、とインターホンが閉じられた。

 二人は自然と自動ドアが閉まる前に中へ進んだ。

 「宅配便の人が来たみたいな感じだったね」

 美沙がまず開口した。結衣も違和感に緊張が覆われて、少し平常心を取り戻していた。

 「そう、、、本当に合ってた?」

 「合ってたよ。もしかして同居人の人とかじゃない」

 「うん、、、そうかもね」

 エレベーターで3階へ進む。エレベーターの出て直ぐの正面が、303号室だった。結衣はためらわずに、部屋のインターホンを押した。中から物音と何か動物の鳴き声が聞こえる。

 カチャッと鍵が開けられ、そしてドアが開かれた。中から現れたのは、中年の男性だった。少し中肉中背で、着ている服装は若者のような風貌だった。緑のパーカーに黒のスウェットズボン。足元には猫が鳴きながら、美沙と結衣を見上げている。

 「はじめまして。結衣の友達の福本です」

 美沙はペコっと頭を下げた。それにつられて男も頭を下げ返す。

 「どうぞ、入って」

 男はそう言い、2人を部屋の中へ誘った。猫が鳴きながら、2人の足元をうろうろする。

 「こら、フク。あっち行きなさい」

 男がそう言っても猫は2人の近くから離れなかった。靴を脱いで廊下をまっすぐ進むと、広いリビングに着いた。結衣は見覚えの全く無い部屋の中を見る。この男性が父親なのかさえも、ハッキリとわからない。

 「どうぞ。適当に座って」

 美沙と結衣はダイニングテーブルに座る。すると猫がテーブルの上にジャンプし、結衣の顔を見ながら尻尾を振る。

 「可愛い。名前はフクちゃん?」

 美沙が手を伸ばして、猫の背中を軽く撫でると、猫はテーブルの上に寝転がり、もっと撫でろと言わんばかりに、鼻をフルルルルルルと、鳴らす。

 結衣は台所の方に目を向けた。男は冷蔵庫を開けて、二人に出す飲み物が何も無いと困っていた。諦めはとても早く、男は手ぶらの状態で2人が座るテーブルの向かい側に座った。 

 「大きくなったね」 

 そして、結衣の顔をチラッと見てそう言った。目線はすぐに外れて、猫を見ている。

 「お久しぶりです」

 この男が父親で間違いない。結衣は話す言葉が出てこなかった。会ったら何を話そうか、山程考えていたのに、何も出てこない。美沙は助け舟を出そうかとしたが、ここは立ち入れないと判断した。

 「わざわざ来てくれてありがとう。妹も元気かい?」

 「はい。元気です」

 ぎこちない会話。合わない目線。真山と美沙と違い、二人には超えれない幼少の記憶の壁が高すぎた。

 「今はどこに住んでるの?」

 「東京です。三人で」 

 「えっ、東京から来てくれたの!?」

 山本はここではじめて声色を変えた。結衣たちがどこに住んでいるか把握していなかったことが如実となった。

 「はい、、、」

 結衣は父親の顔を見ずに答えた。気まずい沈黙。猫の小さな鳴き声が三人の真ん中で沈黙を際立たせる。

 「山本さん、結衣と最後に会ったのは何年前ですか?」

 美沙は親友のために動いた。美沙の質問に、山本は俯いていた視線を上げて、間髪あけずに答えた。

 「15年と半年、、、3歳の誕生日が最後だった」

 山本の回答に美沙は表情を明るくさせた。

 「私、駅前のミラバで時間潰してきます。二人でゆっくり話して下さい」

 美沙は鞄を持って颯爽と出ていった。一人にしないでと、結衣は不安な顔をさせたが、引き留める言葉は吐き出せなかった。美沙が消えて、親子2人の更に気まずい時間が過ぎていく。

 「いい友達だね」

 山本は頭をポリポリと掻きながら、結衣の顔をチラッと見て呟いた。

 結衣は自分が期待していた絵空事と乖離した今の瞬間のあまりにも違いに、落胆の色が隠せなかった。自分が会いに来たことに感涙して、泣き崩れる姿を想像してもいた。

 「突然来てごめんなさい。もっと早く会いに来たかった」

 美沙が居なくなった途端に、言葉が溢れ始める自分の口。結衣は気付いた。このままだと泣いてしまう。複雑な感情が絡み合って融合した今の感情の名前は申し訳なさだった。

 「ううん。来てくれてありがとう。僕はダメダメな父親だから、ガッカリさせたんじゃないかな」

 「してないよ。ずっと養育費はらってくれてたんでしょ。会えないのに。ずっと」

 結衣は目に涙を浮かべて、山本の顔を見た。そうか。自分の顔は母親似では無く、父親似だったのか。

二人はゆっくりとしたペースで話を交わした。妹のこと、自分が今声優になるために勉強していること、それに挫折しそうなこと。山本は頷いて、全部の話を頷いて聞いていた。

 美沙が待っていることを忘れて、二人は2時間話をした。時間も遅くなり、連絡先を交換して、結衣は美沙の待つミラバに向かった。少しだけ肩の荷が降りた気がしたが、まだ曇っている部分が多く残る結果だった。

 美沙と合流してビジネスホテルに帰る。ドッと、疲労が溢れて、二人はシャワーを浴びてあっという間に眠りについた。翌日は朝一番から起きて化粧をして、行きたかったテーマパークを一日堪能した。結衣と美沙はこの日だけはすべてを忘れて、学生のように惜しみなく遊んだ。

 テーマパークから帰る帰路で、山本から結衣にメッセージが届いた。明日の帰る時間を聞かれ、結衣は淡泊に時間だけを返事した。その日の夜はホテルの部屋で、くだらない話からお互いの身の回りの愚痴を話しているうちに2人は寝落ちしていた。

 大阪の3日間は呆気なく終わり、お土産を買い漁り二人は新幹線のホームに重たい荷物に苦戦しながら、新幹線を待っていた。

 「楽しかったね」

 美沙は明日からの激務を前に、気分転換ができたので、楽しそうであった。

 「そうね。また来たいな大阪」

 心残りが1000個ある。すべて山本のことだった。結局、親子らしいことは何もないまま、せっかくの再会が終わってしまった。

 新幹線が到着する間際、ホームを走る男がいた。仕事を抜け出して結衣に会いに来た山本だ。騒がしい走る音に、二人はすぐに気付いた。結衣の心はドクッと、高鳴った。

 「間に合った、、、」

 二人のもとに駆け寄り、息を切らして、汗を流す山本。手には入場券が握られていた。

 「結衣ちゃんにコレ、、、あと莉央ちゃんにも」

 山本はポケットから2冊の銀行の通帳を取り出した。通帳を受け取った結衣は、通帳の名前が自分たちの名前であることに気付いた。

 「声優、、、頑張って。無理はしないで」

 山本はそれだけ渡すと、じゃあ、と手を軽く振って、立ち去っていった。猫背のその背中。手渡された通帳。頭の中で考えていることがバカバカしくなり、結衣は吹っ切れた。

 「また来るから! 今度は莉央も連れて! 絶対にまた来るから!」

 そうだ。これがいつもの私だ。山本結衣がなよなよしているわけがない。結衣の1000個の心残りは消えていった。

 山本は少しだけ振り返り、また小さく手を振った。

 「ふぅ、、、なんか気分いい」

 「そうだね。結衣のお父さん、すっごくいい人だよ」

 空白の時間は残ったままだが、この再会で何かが良い方向に変わることは間違いない。新幹線が到着して、指定席に座り、結衣はそこで通帳の中を確認した。そこには毎月同じ日に1万5千円が預金されていた。通帳の最後の日付は三日前、合計で279万円が預金されていた。

 結衣は通帳を閉じた。美沙は結衣の頭をポンポンと撫で、ハンカチを渡してあげた。毎月欠かさずに、会えないかもしれない自分たちへ、ずっとずっと貯金をしてくれていた。会った時には出さない山本から伝わる愛。娘への愛。

 見えないところから、ちゃんと自分たちを愛してくれていた。

 結衣の泣く姿を見て、美沙は自分にできる役目を1つ見つけることができた。

 きっと他にもたくさんの親に会えない、子供に会えない人たちがいる。法律の壁や、難しいケースの壁と、向き合わないといけない。

 「パパ、大好き」

 「ママ、大好き」

 その言葉を受け取れない。その言葉を伝えれない。   


 それを変えていこう。


 日常には必ずそれが必要な人がいるのだから。。。

 

 

 

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