芽衣の日常
福本芽衣、高校一年生。大雑把でわがままな性格の芽衣がここまで静かになることは珍しい。冬休みの初日、姉に連れられてやってきた家。ここが自分の産まれた家。記憶に微塵も無い。姉は何となく覚えているようだが、芽衣は何も覚えていなかった。自分たちの幼少の頃のアルバムを初めて見ても、実感は沸かなかった。
そして目の前でその写真一つ一つについて、鮮明な記憶のもと語り続ける男性が父親だと言うことも、理解が追いついていない。
なぜ姉はすんなりと受け入れているのか。そして母に内緒でこうしていることの罪悪感。芽衣はこの場所に長くとどまりたくなかった。そして、まったくの初めましての葉奈という女性。昼ご飯にお寿司の出前を手配してくれたり、自分の大好きなリンゴジュースも準備してくれたりと、美人で達者で話しかけられると緊張してしまう。
「芽衣ちゃん、大丈夫?」葉奈の声かけに、芽衣はうわずった声で返事した。
「えっ、あっ、はい。なんか、すいません」
芽衣が強張っているのは皆わかっていた。真山も芽衣との接し方がまだわからない。ここから関係地を築いていくしかない。
「ねえ、今度みんなでお出かけしたいな。もうすぐクリスマスだし」
姉の提案はいつも通る。芽衣は反旗を翻そうにも、今は何もできない。真山と葉奈も提案に好感な顔で、いいねぇと、返事をしている。そこに自分も突き回されるのか。
「25日は私たち予定があるから、その日以外なら合わせられるよ」
葉奈に対して「あ、フフフってことですね」と、美沙は口を隠して不敵に笑った。ペア同士クリスマスに予定があるのは当たり前のことだ。
「別に大した予定じゃないんだけど、松波勝也のクリスマスコンサートに行くの。抽選当たっちゃって」
一番に反応したのは芽衣だった。そしてコンマ一秒遅れて美沙も反応した。松波勝也といえば今一番コンサートのチケットが取れないことで有名な王道アイドルである。そして何よりもそれの大ファンなのが芽衣だった。
「カッチのクリコン当たったんですか!?」
今日一番の芽衣の大きな声。まさか自分の推しの名前がここで登場するとは驚きであった。部屋にポスターを飾り、音楽再生ランキングは松波勝也の曲ばかり。
「パパ、芽衣ね、めちゃくちゃカッチの大ファンなの!」
芽衣と同様に美沙もテンションが上がっている。なにせ、家のテレビで芽衣が松波勝也のコンサート映像を週に一度は流すので、美沙は嫌でも目にしている。
「あら、いいじゃない。芽衣ちゃんとマヤマヤで行ってきたら? 私は美沙ちゃんと大人のクリスマスお祝いしてるから」
葉奈の言葉に芽衣は慌てて蓋をするように挟んだ。
「いいですいいです! お二人で行ってきてください!」
ただでさえ、二回目に会う人物を父親だと思えないところで躓いているのに、二人でコンサートなんて地獄だ。
「ごめんなさい。ちょっと二階行っていいですか?、、、芽衣。ちょっとこっちきて」
美沙は少し怒り気味に芽衣を連れ出して、リビングから離れた。階段を上がって、子供部屋に入ると、美沙は芽衣のおでこに指を近づけて軽くデコピンをした。
「痛っ、、、なによ」
「なによじょないでしょ。あんた、パパの顔まったく見ずに、ずっと余所余所しくして。パパとは行きたくないって言ってるのと同じよ」
芽衣は言い返す言葉を五万と持っていたが、言い返さなかった。自分にどうしろと言うのか。急に現れた父親と急に仲良くするなんて、無理すぎる課題だ。
「無理だよ。連れられてきて、父親だって言われても」
芽衣には美沙と違って記憶がなかった。この家の記憶すらも残っていない。
美沙はハッと我に帰り、芽衣の頭を撫でた。
「わかんないよ。お姉ちゃんと違って、私には時間が必要なの。嫌いじゃないけど、あの人のことパパって呼ぶなんてすぐには無理なの!」
芽衣の心に母親の沙絵の顔が浮かぶ。罪悪感が1秒単位で増えていく気持ち悪さ。そして比例して増えていくこの場所の居心地の悪さ。
「芽衣、、、ごめんね」
美沙はどうしても真山に喜んで貰いたかった。その一心で芽衣を連れてきたのだ。時間は掛かることは承知の上だったが、芽衣と真山の親子の溝はほぼ赤の他人の域だったのか。
「あの人のことは本当に良い人だと思うよ。でもね、お姉ちゃんみたいに、思い出が無いの、、、何も覚えてないの、、、」
妹が泣く姿を久しぶりに見た。この部屋で芽衣が泣くのはあの日以来だった。家を急に出ていくと母に告げられて、大好きなおもちゃをたくさん置いて行くことに悲しむ芽衣。美沙は思い返して涙がこみ上げてきた。そして芽衣の身体をギュッと抱きしめた。
あの日もこうして芽衣を泣き止ませて、自分は泣く暇が無かった。そして家を出て、母親の実家に行き、父親と会えないことに泣いた日々。新しく借りたアパートで、二人で泣いた日々。そしてパパに会いたいと泣く芽衣の面倒を見続ける日々。
「私よりもパパに会いたがってたのは芽衣だったんだよ。最後にパパと遊んだのも芽衣。公園で遊んだのも芽衣。パパとの時間、私は芽衣に譲ってばっかりだったな」
再現されるように13年前の日常が描かれる。そして、絶対に芽衣と真山なら親子として再び歩み出せると信じれる。美沙は涙を拭いて、芽衣の涙もハンカチで拭き取っていく。濃い化粧が涙でくすんでいく。
「ほら、シャキッとして戻るよ」
「うん。お姉ちゃんが泣くところ初めて見たかも」
2人は普段の顔で部屋を出ると、廊下には真山と葉奈が心配そうに立っていた。
「大丈夫? あら、芽衣ちゃんお化粧品崩れてるわね。おばさんが治してあげるから、こっちいらっしゃい」
葉奈は芽衣と手を繋いで階段を降りていった。言葉を掛ける用意はしていた真山だったが、装填した言葉を飲み込んで、見届けるだけに徹した。
「時間は掛かるけど、なんとかなると思うよ」
美沙は少し鼻をすすりながら、真山にそう言う。
なんてよくできた子なんだと、真山は素直に感心するとともに、愛おしく思う。
「美沙は本当に大人になったんだな」
「まぁね。色々大変なこともあったからね。でも、これから大変なことは続くけど、パパにも頼っていくからね」
「うん。何でもするよ。芽衣とあわせてくれて今日はありがとう」
真山の何でもするという言葉を聞いて、美沙はニコッと笑い、良いことを思いついた。
その日の夜、4人は真山の奢りで高級焼肉屋に行くこととなった。美沙は早速、真山にお願いを使用したのだった。芽衣と言ったら焼肉。初めての高級な焼肉に、芽衣は昼間のお寿司があまり進まなかったせいで、よだれを我慢しながら肉が焼けるのを待っていた。
「これ、めっちゃくちゃ、うんまいんだけど!」
焼肉のテンションになっていた芽衣は食欲旺盛に肉を次々食べていく。葉奈が化粧をなおして、いつもと違う清楚系のメイクになっていた。
芽衣の口数も増えていき、それとお酒が入った真山も口数が増えていく。焼肉の肉の焼き方に口うるさい真山と、早く食べたいから焼き方はどうでもいい芽衣の間で、網の上で肉が移動していく。
美沙はその光景を見て、あと数回焼肉に来れば、仲良くなれるのではないかと、そんなことを思うのであった。
芽衣はライスもおかわりして、食欲が満たされると、スマホで真山のことを撮影しだした。写真が苦手な真山は、品書きのメニューで顔を隠したが手遅れであった。
「よし、良いのが撮れた」
芽衣はご満悦でスマホをしまう。
「あの見てたアルバム、、、パパが全然写ってなかったからさ。これからは私が撮ってあげないとね」
昼間見ていたアルバムに写っていたのは、美沙と芽衣と沙絵ばかりであった。それもそのはずで、撮影していたのが真山であったからだ。
真山はメニューで顔を隠したまましばらく動かなかった。葉奈と美沙は真山が泣いているとわかっていた。
芽衣が「パパ」と呼んだこと。芽衣はデザートのジャエラートをパクパク食べて、自分が自然とその呼び方をしたことに気付いていなかった。




