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彼女がずっと欲しかったもの  作者: 黄昏と泡沫
2/25

青いセーターの背中のほつれ


 翌週の金曜日、いつものようにアルバイト先に向う美沙。妙に緊張した顔もちであった。口角がいつものようにうまく動かせないでいた。唐突に二日前の水曜日にバイトに出勤した際に、前橋からとんでもないことを言われたからだった。 

 「登用試験の面接、明後日だから、相手は社長だよ。ちなみに日本ミラクルバーガーの方の社長ね。アメリカのジェイソン・ホランドじゃないから良かったね」

 登用試験があることは聞いていたが、まさかの大企業のトップが来るとは、微塵にも想像していなかった。前橋曰く、異例のことだと。エリアマネージャーや、エリア統括が登用試験の面接をするのが通常であり、美沙は頭が真っ白になり、その日は仕事もいつものパフォーマンスは発揮できず、アルバイト先に向かう今も、胸の嫌な高鳴りが止まらなかった。

 大好きな金曜日、なぜ自分がこんな緊張する事態になったのか、これなら違う所に就職すればよかったとさえ思ってしまう。

 店舗に着いてからもソワソワが止まらず、ユニフォームの着こなしが決まらない。いつもと同じ状態だが、違和感が拭えなかった。業務が始まり、接客も精彩を欠いてしまい、普段は言葉がスラスラ出てしまうのに、どもってしまう。

 それを見ていた前橋は一度厨房の奥に消え、少ししてから戻ってきた。美沙の隣に立って、緊張を解そうとした。 

 「緊張しちゃうよねぇ、実は俺も緊張してるんだ」

 前橋も社長とは一度も会ったことが無い。店長会議に社長がオンライン登壇したのをみる程度だった。 

 「21時に来られるから、美沙ちゃんはゆっくり好きに過ごしたらいいよ。リラックスできるようにさ」

 美沙は頷いたものの、カウンターのレジから離れることはなかった。もうすぐ20時。真山が来るからだ。しかし、今日の自分を見て欲しくないという気持ちもある。捌けようかと考え始めた時に、ドアが開いて真山が入店した。

 「いらっしゃいませ」

 美沙は頭を下げて、いつも通りの対応をする。緊張が伝わらないように、いつもの笑顔が見せれるように。真山は注文をして、スマホを触りながら待つ。商品のトレーを受け取り、二階へと上がっていった。 

 美沙はホッとため息をついた。うまく平静を装えた。だが、少しして自分のミスに気付いた。コーヒーフレッシュをトレーに置くことを忘れてしまっていた。他のスタッフに持っていくように頼もうとしたが、自分のミスであるから自分で対応すべきである。いつもの自分ならそう対応している。

 美沙はコーヒーフレッシュを紙ナプキンで包み、真山の元へ向かった。嫌な緊張はずっと続いたままだ。

二階に上がると、窓際の定位置に真山は座っていた。美沙は目を一度強く瞬きをして、平静を再構築する。

 「お客様、大変申し訳ありません。お渡し忘れておりました」

 美沙は真山のテーブルに紙ナプキンとコーヒーフレッシュをゆっくり置いた。真山は頭を少し下げて、それを受け取る。普段ならここで再度一礼して、戻るところだが、美沙は動くことを忘れていた。真山がホットコーヒーにフレッシュを混ぜる様子を見ていた。 

 流石に凝視されていることに気付いた真山は、美沙の顔色を見た。普段の自分ではないことを悟られたと思った美沙は、何か話さねばならないと思い、空虚な思考を働かせる。 

 「すいません、このあと面接があって、めちゃくちゃ緊張してまして、普段ならこんなミスしないし、こんなにテンパったりしないのに」

 自分が嫌いになる。これまでこんなこと一度もなかった。緊張とは無縁の人生。出てくる言葉が無様で、さらに自己嫌悪に陥る。

 「すいません。戻りますね」

 早く二階から、真山の前から立ち去ろう。美沙は頭を下げて、真山に背を向けた。背中が猫背になっていくのが分かる。常連客相手に何をやってるんだ。嫌な出来事を一つ増やしてしまったと、唇を強くかみしめた時だった。

 ポンッと肩に手を置かれた。真山の手だ。美沙は振り返る。椅子から立ち上がった真山が駆け寄って肩に手を置いたのだった。少し驚いた美沙。真山自身も咄嗟の自分の行動に困った顔をしている。そして美沙の目を見て口を開けた。

 「応援してます」

 それだけを告げると肩に置いた手を申し訳なさそうに引っ込めた。勝手に触れてしまい申し訳ないというのが、美沙にも伝わったが、美沙に伝わったのはそれだけではなかった。

 応援していますの一言で、肩の荷が下りた。緊張はどこへ行ったのやら、心の中のモヤモヤが消えていたのだ。重力が軽くなっていくことを身体の内側で感じる。いつもの自分、いつもの楽しい日常へ戻っていく感覚。

 「ありがとうございます!」

 己の単純さが嬉しい。美沙は元気といつもの笑顔を取り戻せた。真山は席に戻り、美沙は二階のフロアを笑顔で見渡した。この店舗が大好きだ。店長も、バイト仲間も、お客様全員が大好きだ。

 フロアから一階のカウンターに戻ってきた美沙がいつもの様子に変わったことを前橋は安心して、フッと喜んだ顔をした。

 退勤してユニフォームのまま事務室で社長が来るのを待つ。いつもの事務室、蛍光管の音と美沙の動作音だけが聞こえる。緊張はしていない。むしろ社長が面接をしてくれるほど、自分は特別なのだと思うようになっていた。

 ドアが二回ノックされる。美沙はサッと立ち上がり、自然と手をへその前で合わせた。業務中の綺麗な立ち姿だった。

 「失礼します」

 グレーのスーツを着た貫禄のある男が部屋に入ってきた。年齢は60歳ぐらい、優しくドアを閉めて美沙の姿を見る。

 「はじめまして、福本美沙と申します。本日はよろしくお願いいたします」

 先に名乗ったのは美沙であった。頭を45度下げる。昨日一昨日と動画サイトで見た面接のマナーの動画を再現する。

 「はじめまして。どうぞ頭を上げてください。私は日本ミラクルバーガー株式会社代表取締役の野田博史と申します。本日はよろしくお願いします」

 美沙の大人びた対応に、男は優しい口調で語りかけた。そしてスーツの内ポケットから名刺入れを取り出して、名刺を一枚美沙に渡した。両手で受け取った美沙は違和感を覚えた。イメージと全く違う社長の姿。雑誌やテレビでは眉間にシワが寄って強面な印象があったからだ。 

 野田の勧めで座って話すことになった二人。事務室で二人のやりとりが始まり、ここ最近で急に寒くなった話から始まり、今朝新商品アイデア会議で、来年春に発売予定のミラクルボールという8個入りで、一つに辛いソースが入っている商品の試食で、辛いソースの量がもっと欲しいと野田自身が言って、それを食べて今お腹が痛い話。それを美沙は笑って聞く。

 10分ほど野田が話し尽くしたところで、面接の質問が始まった。

 「福本さんはミラクルバーガーでなぜ働いてくださっているんですか?」

 「私は、、、」

 野田が作り出した安心感からか、深層心理の奥から正直に言葉が浮かび出てきた。 

 「昔からミラバが好きだったんです。家族で毎週末、ミラクルセットのおもちゃが欲しくて、我が家の恒例行事だったんです。細かくは覚えていないんですけどね。昔のメニューにキャラメルココアがあったんですけど、それを息でフーフー冷ましながら飲んでる時の場面が忘れられないんです」

 子供の頃から、記憶に残らないほど幼い頃から、美沙の日常にミラクルバーガーはあった。

 「キャラメルココア、懐かしいですね。あれは確か10年以上前のメニューでしたし、正直あまり売れなかったので普通のココアだけ今も残ってますけど」

 「私、再現しようと思ってココアにキャラメルソース入れたりしたんですけど難しくて」

 キャラメルココアの味は今でもハッキリと覚えている。後味に残るキャラメルの風味、そして身体がポカポカ温まってくる優しい甘さ。

 野田は美沙の話を聞いて、のほほんとした家庭環境を思い描いた。優しい両親、そして愛情いっぱい受けて、大切に育てられた女の子。しかし、この笑顔の奥の闇も同時に感じていた。

 「福本さん、実はこの度、こうしてお会いしたのは、新事業の話がありまして」

 野田はわかりやすく話そうと新しい事業について話した。ミラクルバーガーは世界一の店舗数を誇るハンバーガーファーストフード。しかし、ライバル店や他の飲食業界も成長しており、新しいことに挑戦しなければならなかった。 

 そして来年の4月から、新しい部署を設けることになった。それはタレント事業部であった。全メディアにミラクルバーガーを代表して表に出るスタッフを集める。そしてまず第一に候補に挙がったのは美沙であった。

 「この店舗で働きながら、どういう勤務スケジュールになるかはまだ考えているところです。福山さんがよければ、前向きに検討して頂きたいです。もちろん通常の社員での登用でも問題はありません。じっくり考えて、親御さんとまずは相談してください」

 美沙はスケールの大きすぎる話に、現実味がわかなかった。自分がタレントになる。テレビや雑誌に出て、ミラクルバーガーの宣伝をする。承認欲求が無いわけでもないが、特別に目立つことには抵抗がある。今の日常が大きく変わってしまうこと、でも挑戦したいと思う気持ち、それが頭の中の天秤をグラグラ動く。 

 「美沙! おーい!」

 ハッと我に返る。パジャマ姿の結衣が手を振っていた。バイトが終わり、今日は結衣の家に泊まりに来ていたのだった。呆然と考え事をして、気が付いたら時刻は23時。

 「考えすぎて疲れちゃった。私にタレント事業なんて無茶だよね」

 美沙は手を上に伸ばして身体をストレッチさせる。結衣にはタレントの話を帰る道中すべて伝えていた。結衣は、なるほどぉ、と少し驚いただけで、前向きに話を受け止めていた。親友が芸能向きなことは結衣には分かっていた。

 「私はやっぱりアリだと思うなー。可愛いってことも大事だけど、美沙の愛嬌はどこでも通用するし、あとみんな納得すると思う」

 「でも怖いよ。知らない世界だもん。私は普通の生活がやっぱりいいよ」

 「ま、じっくり考えたらいいじゃん。お母さんにも相談しないとね」

 美沙はLINEで母親に社員登用は無事に終わったことだけ伝えていた。タレントの話は明日会った時に話すことにしていた。母は何と言うだろうか。今まで母は美沙のやりたいことをすべて叶えてくれていた。アルバイトをするときも、こうして夜に友人の家に泊まりに行くことも。そして、大学に行かずに就職することも。

 歯を磨き美沙のベッドに二人で横になる。真っ暗な部屋は結衣は寝れないので、豆電球だけ付けたまま2人は仰向けで話を続ける。

 「でも私が声優になってテレビに出て、美沙も同じテレビに出るとか最高じゃない」

 「確かに、、、それはいいかも」

 結衣の言う通り、その光景は夢があってワクワクするが、まだ地に足がつかない状態なので上手く想像が働かない。 

 二人はCMに出るならどんな形がいいか、対談番組で二人が呼ばれたらどんな話をして、絶対にしてはいけない話まで、寝落ちするまで話し合った。

 ワクワクが六割、不安は四割。心の中の天秤のグラつきは止まり、結衣の中で一つ覚悟ができた。挑戦してみたいという気持ち。

 しかし、翌日の夜、その覚悟は消えることになった。

 美沙は夕食のタイミングで母親の沙絵にすべて話した。話をすべて聞いた沙絵は箸を置いて強い口調で

「ダメよ」と、怒り気味に言った。

 今まで沙絵が辛辣な顔をすることはなかった。そして、開口すぐに出た言葉は、タレント事業の反対だった。何でも今まで受け入れてきてくれた優しい母。美沙は快く受け入れてくれると思っていた。

 「おねぇちゃん、めっちゃいいじゃん! イケメン俳優と結婚できるじゃん!」

 芽衣は大はしゃぎで、二人の話に割って入る。浮かれてキャッキャと喋る芽衣に対して、沙絵がバンッと、机を強く叩いた。その拳は震えている。突然の母の行動に、芽衣は萎縮して何も話さなくなった。そして緊張感がその場を包む。

 「タレントなんてお金がすべての世界よ。誹謗中傷を受けて、傷付くのがオチよ」

 沙絵の言うことはもっともであった。愛する娘を守るという母親としての役目。美沙は今までイジメられたこともなければ、悪口を言われたことも無い。世間知らずで打たれ弱いガラスのような心。娘の望みはなんでも叶えてあげたい。しかし、今回違う。美沙はすぐに母親の気持ちが揺るがないことを察知した。こんなに怒りの感情があらわになった母をみたことがなかった。

 この時間をなんとかしたい。美沙は目を瞑って下を向いた。そして笑顔で母に頷いて答えた。 

 「うん、私も少し不安だったからこの話は断ることにする。ごめんね、、、さ、ご飯ご飯! 芽衣の唐揚げもーらいっ」

 「うわ、最後に残してた1個がーー!」

 2人のやり取りに沙絵の表情は普段に戻る。そして怒りすぎてしまったことを反省した。この子がテレビや雑誌に出ることは、絶対に防がなくてはいけない。それはこの笑顔を守るため。

 「ママー、唐揚げ取られたー!」

 「はいはい。1個あげるから。美沙は罰としてお風呂掃除ね」

 いつもの団楽が戻った。私達三人はこうでなければならない。美沙は笑顔の妹と母を見て、タレントは諦めることは正しいことだと思えた。 

 「明日、久しぶりに三人で出かけましょ。美沙の就職祝いに、ランチでも食べに」

 沙絵の提案に真っ先に手を挙げたのは芽衣だった。

 「行く行く! 私焼肉がいい」

 本当は焼肉よりもおしゃれなイタリアンが良かったが、芽衣は一度言い出すと居直らない性格なので、美沙も賛同するしか無かった。

 「いいねー、私も焼肉食べたい」

 家族三人で出掛けるのは、久しぶりであった。半年前に進級祝いで出掛けた時も芽衣が言い出した焼き肉に行ったのが最後。沙絵の仕事が不定休のため、日曜日に三人揃うこと自体が珍しいことだった。 

 朝の十時から出かけることだけ決まり、各々お風呂に順番に入り寝支度をする。美沙がベッドの上で身体のストレッチをしていると、ドアが開き芽衣が部屋に入ってきた。

 「おねぇちゃん、ママとなんかあったの?」

 芽衣は夕食時の母親の言動が心配になっていた。その心配が同じく心に残っていた美沙は、思い当たる節が少しだけあった。それは昨日の時点ですぐに母に言わなかったことだった。

 「何もないよ。久しぶりだね。ママが怒ったところ」

 「前怒ったのは、、、お姉ちゃんがなんか悪いこのしたときだったっけ?」

 「ばか。芽衣が夏休み入ったときに髪の毛勝手に染めたときでしょ。ブリーチして縮毛矯正までして」

 その時も母は怒ったが、今日ほどではなかった。むしろギャルに近づく娘に呆れていた。

 「あー、あれ怒ってたっけ? なんか明日ご飯行くの良いけど、なんかねー」

 出来事自体忘れかけていた芽衣。そして明日のことも姉妹共通で小さな違和感があった。二人とも寝て起きた時には忘れている程度の違和感だったが、母親のこととなるとやはり気まずい状況は避けたい。

 「でもおねえちゃんすごいじゃん、芸能人なれるビジュってことでしょ? 私もそっち系いこっかなー。顔もまぁ、お姉ちゃんと一緒くらいだし、乳も私のほうが多分デカくなるし」

 「胸は、、、」

確かに年の差二歳で同じサイズの下着を共有することもある。美沙は今後、芽衣が成長したら貧乳いじりをされることは断固阻止したかった。変な歌まで作っていじられることも想像がついている。 

 「じゃ、おやすー。あ、これ借りてくねー」 

 芽衣は美沙の衣装ケースの上に置いていた美顔ローラーとともに部屋から去っていった。

 昔はずっと泣いてくっついて来ていた可愛かった妹だが、思春期を過ぎてから可愛さとは無縁のわがままモンスターへと成長していた。女の子らしさは無くガサツで、ズバズバ物を言う結衣と波長が合う。

 美沙は部屋の電気を消してベッドに横になった。加湿器から白い水蒸気が飛んでいる。スマホのアラームをセットして眠りについた。

 美沙にはずっと子供の頃から現在まで、たまに見る夢がある。夢が始まると、いつもの夢か、とわかってしまうほど何度も見ている同じ光景。細部は違うが、子どもの時の車に乗って出かけている夢。4歳くらいの美沙、ベビーチェアに座って落ち着きない二歳くらいの芽衣。そして運転手は母親。三人でミラクルバーガーにご飯を食べに行く。車の窓から太陽の光が差し込む。道路沿いの木々が流れるように左から右に進み、その木漏れ日から漏れる太陽がキラキラと目に入る。 

 そしてミラクルバーガーに着いてホットケーキセットを食べて、おもちゃを芽衣と取り合って、お姉ちゃんだから我慢しなさいと母に言われる前に、芽衣におもちゃを渡す。お姉ちゃんだから。妹に全部あげないといけない。その当時から分かっていたことだった。そしてとても悲しくなる。我慢することがとてつもなく悲しくなり、涙がこぼれてくる。そして泣くことも我慢しなければならなくなり、涙が止まる。 

 そして朝となり、目が覚めると涙が頬からこぼれ落ちる。人前で最後に泣いたのはいつのことか。結衣と話していて笑いすぎて泣くことはあるが、悲しくて涙が出ることは物心ついたときからなかった。

 美沙はアラームを消してベッドから起き上がり、勉強机の椅子に座り、引き出しを開けた。そこには化粧品と筆記用具がケースに分かれてしまわれている。その引き出しの奥に一冊の小さなアルバムがあった。懐かしい写真が10枚ほど入ったCDサイズのアルバム。夢で見た光景と同じ三人でミラクルバーガーに行った写真だ。写真の服と同じ服を夢でも着ていた。不思議な感覚になる夢。そして悲しさと切なさ。夢を見るとこの写真がどうしても見たくなる。

 美沙はしばらくその写真を眺めて、アルバムを引き出しに戻してスマホに触る。結衣に昨日の母とのやりとりの内容をメッセージで伝えた。 

 今日は家族で外出。美沙は歯を磨きながら服を適当に選ぶ。今朝の朝食は三人とも水を飲んだだけ。昼に焼き肉をたらふく食べて、夜ご飯も食べなくていい状態を目指していた。

 化粧も学校やアルバイトとは違うので、いつもより濃い目にしっかりと作り上げる。そして家を出る前に焼肉の匂いがついたらイヤなので、お洒落を捨ててお気に入りではない服に着替え直す。それを見た芽衣も真似をして服を着替え直す。予定よりも20分遅く家を出た三人は電車に乗って繁華街へと向かった。

 焼き肉はすでに沙絵がネットで予約しており、時間が余っていたのでショッピングに時間を費やす。お金を使いたくない結衣と違い、沙絵と芽衣は安めのファストショップで数点服を購入した。かと言って洋服が好きな美沙も、試着まではしないが、商品を持って鏡の前で簡単に合わせたりと間の時間を楽しんでいた。

 日曜の午前の買い物は楽しい。今から焼き肉も楽しみだが、この家族水入らずのひと時は、私たちは仲の良い素敵な家族だと再確認できる貴重な時間だ。

 そうこうしているうちに、焼肉の予約の時間になり、空腹が辛く無口になる三人は、早歩きで店に向かった。 

 二時間制限の食べ放題。美沙はカロリーを気にしながらも、たまには良いか、と満腹以上に食べてしまった。芽衣も沙絵も今日はチードデイだからと、何度も言いながらハラミ肉を食べ続ける。 

 デザートも食べ終わり、三人は満足の域だった。芽衣が学校の話を永遠として、語り疲れたのか後半はスマホをずっと触っていた。沙絵は仕事の話や、彼氏と今度旅行に行く話をし、美沙はずっと二人の聞き手だった。

 「ママ、再婚したらいいのに、ケンちょんデブだけど私はいいと思うよー」

 スマホをいじりながら、芽衣は適当に喋る。母の恋人は母より5つ歳上の50歳の公務員だった。名前は田渕賢三。役所勤めで、たまに家に泊まりに来ることもある。かれこれ付き合って5年は経過していた。美沙も悪い人ではないので、母が望むなら再婚も良いと思っていた。 

 「いいのよ。まぁ、二人が親元離れるタイミングなら、それもいいと思うけど、今は私の再婚よりも2人の将来よ」

 沙絵は自分たちのせいで再婚できない。美沙には母の回答がそう聞こえた。今に始まった話ではなかった。母は年齢の割にモテる。おそらくそれまでにもいい出会いもあったのだろう。でも、第一に優先したのは子供達のことであった。

 「えー、もったいなーい。 ダメだ、、、食べすぎて胃もたれヤバーい」

 芽衣がお腹が痛くなった頃合いで食べ放題は終了した。沙絵が会計を済ませ、美沙は頭を下げてごちそうさまでしたと、礼を言う。それを見た芽衣も真似て同じく礼を言う。先に焼肉屋を出た美沙と芽衣。二人共食べすぎたせいで、歩くのがしんどいかった。無言でガードレールに腰を預けた二人。そして間を開け、店員と話していた母がうれしそうに店から出てきた。

 「店員さんがね、美沙のことがめっちゃ好みだって」

 「はい、出たよー。猫かぶりー」

 芽衣がつまらなさそうに文句を言う。

 「社交辞令だよ。ほら、帰ろう」

 美沙が先頭を歩き三人は駅へと向かった。まだ昼の14時過ぎ。充実した日曜日がまだ半日も残っている。お腹の重さと比例して心が軽くなる。歩道橋の上を歩いていると、美沙の視界に見覚えのある人物が映る。下の道を歩いている真山だった。美沙は立ち止まり、歩道橋から顔を出して再確認した。青いセーターを着た真山の横顔だ。美沙の両目の視力1.5は間違いがなかった。

 「ごめん、先に帰ってて! 友達見つけちゃった!」 

 「ちょ、おねーちゃん!」

 美沙は駆け出した。母と妹を置いて急いで歩道橋の階段を下りる。美沙が駆け出したのを見て、二人はよっぽど仲の良い子を見つけたのかと、特に気にすることなく帰路へ進んだ。 

 人をかき分けて小走りで真山との距離を縮める美沙。横腹が痛いのは焼き肉の食べ過ぎだ。少し速度を落として、痛みに横腹を手で抑える。

 なんで私、追いかけてるんだ。ふと我に返った美沙の足は止まっていた。たまたま見かけた常連さん。恋愛感情も無いし、会ったところで何も言うこともなかった。

 真山の姿がビルの陰に隠れると、美沙の足は再び動き出していた。同じ角で曲がると、10メートル先に真山の背中を発見した。青いセーターに黒のスラックス。スーツ以外の姿を初めて目撃した。ミサは早歩きで真山の背後に近付いた。横断歩道の赤信号で真山が止まると、一気に距離を詰めて手の届く場所までようやく追いつけた。真山の背は平均値ほどだが、真後ろから見た後ろ姿はとても身長が高く感じた。青いセーターも似合っている。というより目立つ。青いセーターを着ていなかったら、真山と気づかなかったであろう。美沙はセーターの背中のほつれた部分がすぐに気になった。小綺麗な真山には似合わないほつれだ。

 声を掛けようとしたが、信号が青へと変わる。後ろから歩いて離れない様に距離を保つが、どう声をかければいいのかが分からない。そうしてる間に真山はビルの自動ドアの中に入っていった。

 声を掛けれなかった。美沙は横腹の痛みに俯く。顔を少し横に逸らすと、ビルの社名が見えた。株式会社ONCE AGAIN。

 「何この名前、、、ダサい」

 咄嗟に思ったことが口に出てしまっていた。直訳の意味でもう一度。美沙は身体を起こしてビルの中に入るか躊躇した。超巨大ビルではないが、ちゃんとした会社であることは間違いなかった。 

 自動ドアは反応して開く。入るかためらっていると、美沙の背後から一人の男が近付く。

 「何か御用ですか?」

 自分の会社のビルに入りたいのであろうスーツ姿の男が美沙に声かける。

 「あ、いえ、何でもないです。ごめんなさい!」 

 美沙は慌ててその場から歩き去った。男は美沙の後ろ姿を首を傾げながら見る。そしてビルの中へと入っていった。 

 美沙は少し自己嫌悪に陥っていた。駅まで戻る道中の距離が長い。こんな長い距離を走っていたのかと、先刻の自分が理解できないでいた。だが、真山の会社と思しき場所が分かった。私服だったのは休日出勤だったのか、真山の謎めいた僅かな1ページを垣間見えた気がした。 

 結衣に反射的にメッセージを送ろうとしたが、さすがにストーカーまがいの行動は恥ずかしくて、親友に言うことはできなかった。

 一人遅れて家に帰ると母も芽衣もソファで昼寝をしていた。美沙も手を洗いソファの下にペタっと座ると睡魔に襲われ、そのままソファにもたれ掛かり眠りについた。 

 3時間近く寝てしまい、その日の夜は全く寝れずに、翌朝の三人の顔は酷いものであった。


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