真山の日常
男は平々凡々に人生を進めていた。名前は真山 祐介。埼玉で産まれた真山は、小中高とスポーツと勉強に励んだ。バスケットボール部に入り、高校のときは県大会ベスト4まで残った。そして国立大学に入学し、大手製薬会社の営業部へと就職した。
真山はノリも良く、誰からも好感を持たれていた。身だしなみも気にかけ、いつも鏡で確認を怠らなかった。そして、社会人3年目の24歳の時、友人に誘われた合コンで、ある女の子に一目惚れをした。福本沙絵という一歳年下の小柄な女の子。笑うとエクボができ、ハキハキと喋る姿がとても可愛らしい。
アプローチはすぐには出来ずに、友人をつてに連絡先を入手した。当時はSNSは無く、メールでのやりとりが主な時代であった。沙絵は真山に悪い印象は無かったので、積み重ねるメールのやり取りはたまに途切れることがあったが、なんとかデートをするところまで、こじ付ける事ができた。
沙絵にはその時、同時進行で連絡を取る相手も居た。元彼とはセフレのような関係でズルズルと、ご飯に出かけてホテルに行く週末を過ごしていた。変化を求めた沙絵には、実直で仕事も安定している真山は面白みが無かったが、気付けばメールの返事を待ち望むほど、意識するようになっていった。
初めてのデートは居酒屋で、その後はカラオケに行った。話が盛り上がりすぎて、程よくお酒が入った二人は、終電ギリギリまで一緒に過ごした。そして2回目のデートで水族館に出かけた。その夜の帰りの別れ際に初めてキスをした。このまま流れで、身体を重ねても良いと沙絵は考えていたが、真山がそれを嫌った。
二回のデートで、お互いに好意を確信し、三回目で二人は恋人になった。その夜に真山の一人暮らしの家に泊まり、夜に2回、翌朝に1回と、お盛んな二人の性は止まらなかった。1日中ベッドで過ごして、お腹が空いたら近くの牛丼屋に行き、またベッドで二人顔を見合わせながらキスをする。
こんなに魅力的で好きになれる人は他にいないと二人は思っていた。付き合って1年、二人は結婚を意識していた。沙絵はほぼほぼ真山の家で過ごしており、互いの実家への挨拶も終わっていた。恋人の紹介であったが、互いの両親も結婚するにふさわしい相手だと褒め称えていた。
あとはプロポーズをするだけ。真山はレストランのディナーを予約して、そこで婚約指輪を渡した。沙絵は喜んで快諾して、二人の結婚式の計画が始まった。国内で挙式と披露宴をしたい真山と、海外で挙式したいと言い出した沙絵。女の子のためのイベントという概念があった真山は、渋々ではあったが沙絵のやりたいようにした。ハワイの教会で挙式を挙げ、ビーチで写真を撮り、その流れで新婚旅行を楽しむ。金銭的な問題で互いの両親だけしか呼ぶことはできなかった。
そして挙式の夜に初めて避妊をせずに2人は愛し合った。セックスが終わりホテルの天井を見ながら二人で話し合う。
真山は腕枕をしながら、沙絵の話にすべて頷いた。子供は2人は欲しい。一戸建てを買って、子供が大きくなったら犬を飼う。そして子供たちが独り立ちしたら、またここに泊まりに来ようと。2人は幸せだった。新婚生活も心機一転、広めの賃貸マンションに引っ越しをして、真山はとにかく働いた。お金をとにかく稼いで、幸せな家庭を築くため、身体にムチを打ち無理をし続けた。そして帰宅しても、可愛い妻を毎晩抱き続けた。
ある日仕事から帰ってくると、沙絵はご馳走を準備して待っていた。誕生日でも記念日でもなかったが、沙絵が妊娠したと告げると、大はしゃぎして喜んだ。父親になる。真山はまだ見ぬ愛すべき子どもを想像した。男の子でも女の子でも絶対に可愛いに違いない。
半年後の検診で性別は女の子だと分かり、二人はベビーグッズを選びに選んで買い揃えた。顔を掻かないようにする赤ちゃんミトンを選ぶのに、店を何軒も回った。
小柄な沙絵に合わせて、ベビーカーや抱っこひもなどを揃えていく。マタニティ写真も撮影して、あっという間に出産予定日になった。
立ち会い出産で、真山と沙絵の母親が見守る中、陣痛から六時間後、元気な女の子が生まれた。髪の毛も既にある定量生えており、小さめではあるが、分娩室に元気な鳴き声が響き渡る。白い布にくるまれ、助産師が疲労困憊の沙絵の腕の横にそっと置いた。瞼も開いておらず、赤みがかった顔はスースー眠ったままであった。
沙絵と我が子を見て、真山は嬉しさのあまり涙していた。そして少ししてから病室に戻り、初めて我が子を腕に持つ。まだまだ首もすわっておらず、絶対に落としてはいけない小さな命。可愛いという言葉では表しきれない存在提示。
名前はあらかじめ決めていた。ほぼほぼ沙絵の意見であったが、真山も赤子の顔を見て、世界で一番ふさわしいと思った。
「美沙ちゃん、パパだよ。ちっちゃくて可愛いよ。あー、可愛い」
美沙の顔はずっと見ていられた。顔は時折左右に揺れ、小さな手がひょいと出ると指先が微かに動く。面会時間のギリギリまで、真山は離れることはなかった。次の日も次の日も、仕事が終わると病院に駆け付けては、沙絵と美沙に会いに行く。里帰りのために、美沙の実家に一カ月間は退院してから帰省することとなり、週末の休みは実家に泊まりにお邪魔をした。
初めての沐浴、初めてのおむつ交換、初めてのミルク、初めてのゲップ、初めてだらけの美沙との日々。真山の携帯のデータフォルダは美沙で溢れていく。
そして帰省が終わり、3人の新しい生活がスタートした。沙絵の睡眠時間が心配で、家事全般の可能な限りを真山は担った。日に日に成長していく我が娘。時間ができれば、夫婦の時間も作れるようになっていった。脚力が強く、一歳の頃には危なっかしいながらも一人で歩いた。真山の眼鏡を触って遊ぶのが好きで、レンズは常にヨダレでビショビショであった。
そして1歳と2ヶ月が経過した頃には、真山と美沙の夜の営みも復活していった。二人目が早く欲しい美沙は、毎晩真山を求めた。タイミング良く美沙が夜泣きで起きる時もあったが、二人で裸のまま、あやしてすぐに寝かしつけると、すぐに再び愛し合う。
程なくして妊娠の兆候が現れた。真山と美沙は二人で過ごす時間が増えていく。二人だけの言語化が難しい遊びがいくつもできていた。真山が変な顔と声を出して美沙を追いかける遊び。アンパンマンの音楽に合わせて、無茶苦茶に踊る遊び。お昼寝で美沙が寝ている顔を見ては、これが幸せだと感じていた。
そして、その幸せをより形に表すべく、真山は一戸建てを購入した。ローンは35年。定年まで続く果なき支払い。二人目が産まれる一カ月前を目処に、三人は新居に引っ越した。沙絵は家に細かな文句はあったが、念願でもあったマイホームは嬉しいので、多少は目を瞑っていた。家具の配置は全て沙絵のこだわりで、真山は全てにオーケーをした。
二人目の出産に合わせて、美沙と沙絵は早めに里帰りをした。真山は一人で過ごす家時間が苦痛で、電話を暇があれば沙絵に掛けていた。休日は実家にお邪魔しては、美沙とずっと一緒に過ごす。
「パパ、大好き」と、いつも言ってくれる娘。そして、育児が上手なパパさんと周りから褒められる。真山のその姿を、沙絵は微妙な気持ちで見ていた。母親が育児をすることは当たり前のことなので、誰からも褒めてはくれない。真山はなんでもできるが故に、歯痒い気持ちを沙絵は隠していた。
二人目の出産は陣痛から3時間後、美沙の時と同様で小柄で小さな女の子。真山は仕事を数日休み、美沙と実家で過ごし、面会に二人で行く。
「めーちゃん! めーちゃん!」美沙は妹をそう呼ぶ。芽衣の名前も沙絵のアイデアであった。美沙はお姉ちゃんになったんだよと、よくわからないことであったが、家族が増えたことはなんとなくわかっていた。
そして、家族に亀裂が入ったことは誰もわかっていなかった。