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2枚の便箋

作者: 梳芽

こちらのお話は現在連載中の「鳩羽郵便局」の外伝となっております。主人公の山吹悠の過去を扱ったもので、この話のみでもお楽しみいただけますが、本編を4〜5話読んでからこちらの作品を読むと、受け取り方が全く異なってくるので、その読み順をお勧めします!

私には、兄がいる。

今ではもう、仏壇の脇に飾ってある写真の中でしかその存在を認めることはできないけれど、それでも私の心の中にはいつだって、あの優しい眼差しで微笑む兄の姿がはっきりと刻まれている。

 さらに、兄を覚え続けるための手がかりはもう一つある。それは鏡の中の自分自身だ。

少し暗めのベージュの短髪に、母親譲りの二重のくりっとした目。

顔はそっくりとまでは言えないが、似ているかと問えば容易く首を縦に振れる程度には兄の面影はある。


その当時、女の子にしては珍しかった短髪は、勿論最初からこうだった訳ではない。

その由を説明するためには、およそ五年前に遡らなければならない─────



























兄、山吹蓮(やまぶきれん)は鳩羽郵便局に勤め、その中でも上級職の座に就いているという、親にとってはいわゆる「自慢の息子」であった。

それに加えて性格も良く、出張から帰ってきた際などには必ず、私や妹の分までお土産を買ってきてくれるような人だった。

私はそんな兄が大好きで、「毎日8時には帰ってきて、一緒に夜ご飯を食べること!」という無理難題を吹っかけていたが、真面目な兄はその約束を守り、例え残業があっても一旦家に帰ってきて、夜ご飯だけは共に席に着いてくれていた。


 タスクの話、一緒に働く仲間の話。

仕事場での出来事を語っている時の兄の表情はいつでも楽しそうだ。

きっととても面白い職場なのだろう。

私もいつか、お兄ちゃんとおんなじところで働いてみたいな、などと考えていると、自然に顔がほころぶ。

そんな私のだらしなくにやけた顔を見て、家族が笑い出す。

そして、それに釣られて自分も笑い始める。

部屋中が幸せに包まれる。

















そんな日々が永遠に続くのだと思っていた。


兄が初めて夜ご飯を食べなかった、あの日までは。















その日、兄は日付が変わるまで帰って来なかった。

妹の(すい)はすやすやと寝息を立てて眠っていたが、私は不安で目が冴えていたため、音を立てないように自室の扉にもたれかかって兄の帰りを待っていた。

その時が来たのは、時計の短針が2を指し示した頃だった。

玄関のドアが開く音で、夢の中に片足を突っ込みかけていた私は目を覚ました。

良かった、と安心したのも束の間、

異変は起きた。

いつもは聞こえてくる、あの優しい声での「ただいま」がない。

初めは、私たちのことを気遣って声を出さないようにしてくれているのかと思っていたが、

「こんな遅くまで連絡もせずにどこに行ってたの」

という母親の声掛けに、

「あぁ、ちょっとね…」

と答える声は聞いたこともないくらい低く、恐い。

どうしたんだろう、と扉を少し開けて覗き込むと、制服の上着を脱ぎかけていた兄と目があった。

「!ご、ごめんなさい。眠れなくて…あの…」

「寝れないの?大丈夫?」

膝を折って視線を私に合わせてくれる。

しかし、その顔にはくっきりと隈がついているのが目に入った。

「お兄ちゃんこそ大丈夫?すごい()()だよ」

「ん、まじか。でも平気だよ。ありがとう」

そう言って兄はいつもの人懐っこい笑顔を見せた。

良かった、いつものお兄ちゃんだ、と幼い私はそれ以上のことを理解することはできず、ただ安心して部屋に戻ることしかできなかった。









それからというもの、兄の様子は一向に良くなる様子はなく、一緒に食卓を囲むことはめっきりなくなった。

「どうしたの?」と尋ねても、「ちょっとね」や「何でもないよ」としか答えない。

深夜に家を抜け出して何処かへ出かけることもあるようになった。

隈もどんどん濃くなり、私に向ける笑顔でさえも疲れているように見えた。

何もしてあげられない私は、ただ思うだけ。

お兄ちゃんが、壊れていく─────







そんなある日、兄は珍しく昼間に家に帰ってきた。

一緒に食事をとっていた頃でさえも、そんなことは無かったのに。

その日、たまたま創立記念日で学校がお休みだった私は、両親も妹もいない家で1人静かに留守番をしていた。

そのため、兄がひょっこりと扉から顔を覗かせた時には心臓が止まるかと思った。

「びっくりしたぁ!泥棒かと思ったよ。…何でお兄ちゃん帰ってきたの」

「へへ、ごめんごめん。ちょっとさ、(ゆう)に渡したいものがあって」

そう言ってコートのポケットから出したのは何やら便箋のようなものだ。

「え、それを私に渡すためだけに帰ってきたの?夜に渡してくれれば良かったのに」

「みんながいる時だと少し渡しづらいものだったからさ。……それに時間がないんだ」

最後の方は何を言っているのか分からなかったが、とりあえず私だけに用があることは理解した。

勉強机の前の椅子から腰を上げて兄の方へかけよる。

「分かった。…で、渡したいものってそれ?」

兄の手に持たれている便箋らしきものを指さして問う。

「うん。2枚あるんだけど、こっちは悠の分。そしてこっちはある人に渡して欲しいんだ」

「ある人?」

浅葱律翔(あさぎりつと)っていう人。この先、いつか悠が鳩羽郵便局に行ったときに渡して欲しい。見た目は怖いけど、すっごく優しい人だから」

「その人はお兄ちゃんの友達?」

「あぁ。俺の親友だよ」

そう言って笑う兄の表情は久しぶりに見るあの人懐っこい笑顔だった。

釣られて笑顔になって悠はさらに尋ねる。

「私宛の便箋、今見ても良い?」

しかし、それには兄は慌てた様子で止めに入る。

「いや、だめだよ!まだ説明があるんだ。…この2つの便箋は、6年後に開けて欲しい。だからできれば、律翔に渡しに行くのも6年後だとありがたいな。」

「いいよ。でも、お兄ちゃんが自分で渡さないの?」

「うーん…あ、あれだよ。なんかさ改まって手紙渡すのって照れるじゃん?そんな感じ」

なんだか取ってつけたような理由だな、とは思ったが、その時は「そっか」とだけ言って深くは聞かなかった。なぜなら、兄が正面からじっと悠を見つめてきて、その様子が何とも今までにない感じだったからだ。

不思議と不気味ささえ感じる。

「悠」

「ん?」

「ずっと、大好きだからね」

どうしたの改まって、というまもなく、気づけば兄に力一杯抱きしめられていた。

「…お兄ちゃん?」

「ごめんなぁ」

私の声など聞こえていないかのように呟く声は、少し震えている。

「泣いてるの?」

「俺、ずっと見てるからな。悠がこれから先、大学生になって彼氏とかできてさ、結婚して子供産んで。ばーちゃんになっていつかこっちにくるまで、ずーっとそばで見守ってるからな」

「ねぇ、何言ってるの?それじゃあまるで…」

「じゃあな、悠。ばいばい」

最後まで言わせてくれることはなく、兄は一方的に私を放し、玄関へ向かった。

「ねぇ、待ってよ!お兄ちゃん!なんでっ…」

それが最後の兄への呼びかけとなった。

バタン、と扉が閉まる音がし、急いで後を追うが、外に出た時には既に兄の姿は見当たらなかった。

それから私は、夜になるまでずっと玄関の前で兄の帰りを待ち続けたが、

帰ってくることはなかった。














それから3日後、家に来た郵便局員から渡されたのは、兄の名が記入された死亡証明書だった。















それからというもの、両親は今まで以上に私に優しくなった。

元々、「真ん中の子」というのに加えて、大人しく目立たない性格であったので、両親に構われることは少なかったが、兄の死を受けてからは特段気にかけてもらえるようになった。

 これ以上家族から死者を出さないためだと思っていたが、妹への接し方が変わっていないことから、親は、妹より私の方が兄の面影があることを認め、失った兄の代わりとして私に優しくしているのだろうと察しがついた。

別にそれに対して怒りは感じなかった。

もう、そう思うまでの気力さえなかったのだ。

望まれていることは承知した。ならば、と当時の私は親の望みに従って髪を切り、兄と同じ髪色に染めた。昔兄が習っていた柔道も始め、私は兄そのものとなった。

そうすることによって親の私への態度は更に軟化し、存分に甘やかされた。

そうやって、これからは騙し騙し、元の幸せを掴み取っていくかのように思われた。













だけどその1年後、両親は交通事故に遭って死んだ。
















お葬式に来ていた叔母さんからは「養育費は出すから、後は自分たちで何とかして」と言われた。叔母さんは母と仲が悪く、その子供である私達ともできる限り触れ合いたくなかったのだろう。その日から、私と妹の二人暮らしが始まった。妹は毎日のように泣きじゃくり、学校へも行かなくなった。

私は学校に通いながら、夜遅くまでバイトをし、それが終わるとアパートに帰って夜ご飯をつくるという生活を繰り返していた。

でもある日、妹の充血した目を見て、決心した。

私が変わらなければ、と。

それからというもの、私は毎日笑顔を絶やさず妹に明るく接し、自分自身はバイトを辞め、元々の夢であった医者になるべく、国公立の医大を目指して勉強に励んだ。

すると、しばらくしてみるみるうちに状況は好転し、まずは、妹が学校に行くようになった。そしてその数年後、私は第一志望であった医大に主席で合格した。


あぁ、もうこれで大丈夫だ。

やっと私は安心した。





だけど、今度は私自身に限界がやってきた。


兄を失い、

見た目を捨て、

両親を失い、

心を捨て、

「大人しい」というレッテルを無理やり剥がし、そこへ、間に合わせで貼った「明るい」というキャラは、いくら何でも無理をしすぎた。

悲しいのに笑い、目立ちたくないのに目立って。

 兄ちゃんがそうだったから。

 明るくいると、みんなが幸せそうだから。

そんな理由で私はずっと笑顔を貼り付け続けた。

これで良いんだ、と元気づけていたものはいつしか疑問へ変わり、最後にはその言葉は自分を苦しめた。

そんな時、兄から渡された便箋のことを思い出した。

机の引き出しを漁って、少しよれた紙切れを手に取る。

一枚は自分宛。もう一枚は─────

その名を忘れてしまわないように、殴り書きで書いていた付箋に目をやる。

浅葱律翔。

付箋にはそう記されていた。

この人は、どんな人なんだろう。

兄ちゃんが選んだ「親友」とやらは。

…もしかしたら、兄ちゃんのこと、何か知ってるのかな





遺体も骨さえも帰ってこなかった兄。

死亡理由は、「業務中の事故」とだけ言われた。

両親も周りもそれを疑うことなく信じた。

でも、あの日の兄の表情を見てしまった私は、それを受け入れることはどうしてもできなかった。

あれは事件だ。

いつか、絶対に真相を暴いてやる─────









そう想い続けて、4年。

手紙を渡すまで、2年。

私は二度目の決心をした。

ずっと目指してきた医者を諦めて、大学を中退した。

妹は必死に止めてくれていたが、それも振り切った。

4年続けていた柔道も、黒帯を取得したところで退いた。

少しだけ寂しかったけど、悔いはなかった。

もう全てがどうでも良い。


大学を辞めた後は、兄と同じ鳩羽郵便局員になるため、必死で勉強した。

最初は、自分だけが仕事に就くつもりでいたが、翠の

「悠が働くなら私も同じところでバイトする!大学も本当は辞めたくなかったくせに、就職するなんて。これ以上、悠1人で苦しませたくない」

という宣言により、姉妹揃って同じ就職先を目指すこととなった。


でもそんなある日、女性の郵便局員が男女差別を受けているのを見てからは、身なりにも人一倍気をつけて、外見を更に兄へと近づけた。

一人称も、「私」ではなく、「自分」にした。

兄と同じの「俺」を使わなかったのは自分の中のボーダーラインだ。




勉強勉強勉強勉強。

毎日毎日、机に齧り付いた。






そして遂に、自分は念願の鳩羽郵便局員となった。

意外にも射撃の才があった上、柔道をやっていたこともあり、実技は難なく通った。そして試験に関してはほぼ満点という偉業を成した。

そしてそれと同時期に翠の採用も決まった。

翠は未成年ということもあり、戦闘員にはなれないので実技も必要なかったが、それでも試験と面接はあったため、こちらも努力したのだろう。









その五日後、理事長の指示で、配属班に挨拶に行くことになった。そしてそのままアパートを出て、今日から宿舎で寝泊まりしろとのことだった。


自分の分と、翠の分の荷物を少し持ってアパートの扉を開けると、そこには抜けるような青空があった。まるで自分たちを祝福してくれているかのようだと、久しぶりに少しだけ心から笑顔になった。

 鍵を閉めて階段を降りていると、ふと心配になってポケットを弄る。

紙の感触が手に触れて安心する。

この時、自分にとって便箋はお守りのような存在になっていた。
















宿舎は悠の想像していたものとは違い、意外にもしっかりした建物だった。

甘く見ていた罪悪感が、扉に手を掛けるのを躊躇わせる。

しかし、翠はそんなことをものともせず、すたすたと先に進んでいく。

「ちょ、ちょっと待ってよ翠!」

「ん、何?そんなところで止まってたら日暮れちゃうよ」

「わかってるけど…」

翠の腕を掴み、深く深呼吸をする。

今日から自分は、明るくていつも笑顔な男の子だ。

多分不器用で天然な部分があるのは自負しているが、それは兄ちゃんもそうだったから気にしなくて良い。


 そう自分に言い聞かせて。


第一声はなんて言おう?

兄ちゃんならなんて言うかな。

少し緊張して、不器用で、でも何事にも精一杯な人だったから、きっと、







扉を開ける。










「初めまして!今日からお世話になります。山吹悠といいます!」



大きくて、少し怖い顔をした人が奥から出てきてこちらを睨む。




「うるっせェ!!公共の場でそんな大声出すな!迷惑だろが」






あぁ、多分この人が兄ちゃんの「親友」なんだろうな。

瞬間的に、そう思う。

すごい奇跡だ。





うるさいの、知ってるよ。迷惑だよね。

私だってこんな大声出すの、顔からほんとに火が出ちゃうんじゃないかって思うほど恥ずかしい。


でも、これが自分の兄だから。

きっと、蓮もこんな感じだったんでしょ?















その後、自分の見立てが合っていることがわかり、やはり最初に悠に怒鳴った人は浅葱律翔という名だった。

「浅葱さん」と呼ぼうかなと思ったが、そうすると毎回兄のことを思い出してしまいそうだったので、呼び方は浅葱さんの役職である、特別指導主任の最後の2字をとって「主任」とした。


そんな呼ばれ方初めてだ、と主任は首を傾げる。

「えー、主任の初めて奪っちゃったぁ」

「うるさい。変な言い方すんな馬鹿」

ふざけて言うと鋭く叱られたが、しばらくすると何事もなかったかのようにその呼び方は定着した。

明らかに何かを避けているような雰囲気はきっと浅葱も気づいていたのに、それでも決して何も言わなかった。

優しさって、きっとこういうことを指していたのだろうと思う。














主任はまだ、自分と兄の関係に気づいていないだろう。

でも、きっといつか分かる。







 ─────その時、貴方は一体どんな表情(カオ)をするのだろう。













2枚の便箋は、未だポケットに入ったままだ。

もし、このお話を気に入ってくださったら本編「鳩羽郵便局」の方もぜひお読みください!

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