第64話 現実逃避
聖女が泣き出した後は、実にあっさりしたものだった。聖女が涙を見せるという今までにない事態に、騎士たちは困惑していた。騎士たちの表情を見て、厳しい顔以外もできるのかと思った。
騎士たちはあたふたしながらも聖女の様子を見守り、彼女がこぼす言葉に耳を傾けていた。当事者であるはずのボクですらその内容を断片的にしか理解できないのだから、外側にいた彼らは全くわからなかっただろう。
しばらくして落ち着いた聖女の第一声は、ボクたちを開放するように、ということだった。ボクの尋問の締まりが悪いものの、聖女の言葉に従って尋問は終わりを迎えた。
リルちゃんがどうなっているか心配だったが、その心配は杞憂で、リルちゃんは元気な様子で戻ってきた。元気そうなリルちゃんを見て、ボクの心も少しだけ緩んだ。
しかしそんなリルちゃんも疲労の色が見える。創園祭で一通り遊んだ後、サーノティアに襲われたのだから仕方がないことだろう。
教会の裏口から出た頃には既に日が沈みかけていた。教会の表側では、まだ人々の喧騒が聞こえる。彼らはきっと酒でも飲んで夜まで騒いでいるのだろう。年に一度のお祭りで羽目を外したって、誰にも指摘される筋合いはないのだから。
ボクたちはと言えば、遊ぶというよりも休みたいというのが正直なところだ。リルちゃんはボクの背中で静かに寝息を立てながら寝ている。最初は自分で歩くと言っていたが、足取りが不安だったのでボクがおんぶすることにしたのだ。
リルちゃんには幼いにも関わらず、だいぶ無理をさせてしまった。普通なら駄々をこねて泣き出したりしてもおかしくないはずなのに、リルちゃんは終始落ち着いた態度でいてくれた。
思えば、ボクはリルちゃんにとても救われているような気がする。ヴァンくんが自殺した後も、ボクの心を癒やしてくれた。今日も教会の前で震えていたボクに、気遣いの言葉をかけてくれた。サーノティアに襲撃された後だって、その存在に救われた。
さて、色々考えながら帰途についていたわけだが、マリーさんのことを忘れていた。マリーさんの視点から考えれば、教会の前で祈っていたところ、連れていた二人が突然消えてしまったという状況だ。
仕方がないので教会へ引き返して、マリーさんが訪ねてこなかったか確認した。さっきまで詰め所にいたというのに、なかなかの胆力だと自分でも呆れてしまう。どうやら訪れていないようなので、どうしようか途方に暮れる。
ボクが中央都市であるカプティルに着いたのはつい先日であり、マリーさんがどこにいるかなど、土地勘のないボクにはさっぱりわからない。リルちゃんを探すことができたのはアークの共鳴があったからこそであり、それがなければ見つけることなどできなかっただろう。
仕方がないので、ボクたちはリルちゃんの家へ向かうことにした。しばらく歩いていると教会の鐘が鳴っているのが聞こえた。中央の教会から少し離れているのにも関わらず、鐘の音は美しく響いていた。
ボクは背後を振り返って、教会の鐘を見上げた。教会の鐘は夕日の光にくり抜かれ、その外形が黒く、際立って見える。
群れを成した鳥たちが朱色の光の中を飛んでいた。逆光になっているとは言え、その鳥たちは恐ろしいほどに暗い色をしていた。
※×※×※
ボクが背負っていたリルちゃんだが、帰り道の途中で目を覚まして今ではボクの隣を歩いている。ボクの手を強く握るリルちゃんを見て、どこか無理をしているように思えた。
「リルちゃん、大丈夫? 無理してない?」
「だいじょうぶ。ヴェリドのかお、つかれてるよ」
「そんなことないんだけどなー」
互いにそんなことを言い合った後、どちらからということもなく二人で笑った。
日が暮れて夜が訪れた街は静かなものだ。今日は祭りの日だが住宅地の方は人気がなく、例に漏れず静寂が広がっている。ボクとリルちゃんで他愛もない話をしている声だけがそこにあった。
「ただいま!」
「ちょっと待ってよ」
ボクは玄関を開けてすぐさま走り出しそうなリルちゃんの手を握る。マリーさんと出会えなかったのでとりあえず帰ってきたが、家の中からは返事がない。
マリーさんはきっとはぐれてしまったボクたちをずっと探し続けているのだろう。少し休憩したらリルちゃんをヨープスさんに預けて、もう一度マリーさんを探しに行こう。
ヨープスさんは祭りの出し物でスープとちょっとしたパンを出しているらしい。リルちゃんを預けに行くのと合わせて、ヨープスさんからスープをもらうのも良いかもしれない。
でも夜の営業が忙しいかもしれないからリルちゃんには家で待っててもらおうか。
それからマリーさんに心配かけたことを謝らないと。
でも魔人に襲われたことは伝えないほうがいいだろうな。
あとは、あとは……。
心のどこかで、そうならないことはわかっていた。魔人として生きてきて培った直感がそうではないと告げている。だからこれはボクの妄想であり、現実逃避だ。
ボクは目を逸らしたかった現実に恐る恐る焦点を合わせる。
最初に目に飛び込んできたのは鮮烈な紅。その元をたどるように視線を動かせば、床に横たわる二人の亡骸があった。竦む気持ちを押さえつけてその顔を見れば、それはヨープスさんとマリーさんのものだった。ボクは立ち尽くすリルちゃんの目を覆って、うなだれた頭を持ち上げて正面を睨んだ。
「どうして、どうして殺した……!? クロウ!」
食卓の椅子に足を組んで座っているクロウはいつもと変わらない調子でうそぶく。
「はは、遅かったじゃないか、待ちくたびれたよ」




