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 朝日が昇ると同じく蝉の声が鳴り響く。騒がしい蝉の声は目覚まし時計よりも鋭く、耳から脳まで不快が襲った。

 昨日の出来事が嘘だったかのように、部室は騒がしい。机の上には、昨日彼女がそこにいたのだという証拠の水滴が今も乾く事なく残っていた。

 準備を終え、俺は教室へと足を運ぶ。けれどもそこには誰もいなかった。補習が始まる前だと言うのに人がいないのはおかしい。他のクラスを覗くと普段通りに補修を始めていた。


「零二くん!」


 背後から声をかけられ振り向くとそこには普段通りの茉莉花が、少し汗を流しながらかけ寄ってくる。


「みんないないんだけど、うちのクラスどうなってんの?」

「時間割、見てないでしょ。今日は一柳先生が出張でいないから、二クラス合同で授業なんだよ」


 そういえば、そんな事を言われていた気がする。けれども、最近忙しすぎて完全に失念していた。もしかしたら、不良の生活を二日続けていたせいで本当に不良になりつつあるのかもしれない。


「それにしても、なんでカーディガン着てるんだ? さすがにこんな夏じゃ暑いだろ」


 普段の茉莉花と違っていたのは二つ。こんな暑い時期に長袖のカーディガンを着ている事。そして、紅い眼鏡をかけていた事だ。


「今日の補修はずっと視聴覚室だから、クーラーの中で授業だよ。さすがに寒くなると思って用意してたの。それに眼鏡は……学校ではいつも掛けているけど?」

「そうだったのか、知らなかった。眼鏡を掛けている茉莉花も似合ってて可愛いな」

「はいはい、そんな馬鹿なこと言ってないで補修始まってるから行くよ」


 彼女は俺の袖を掴み引っ張りながら歩く。意外と知的に思っていた茉莉花だったが、実は意外と凶暴だったのかもしれない。力が強く、彼女の引っ張る力にはなす術もなく連れて行かれる。


「……ありがと」

「何が?」

「似合ってるって言ってくれて! もう先入って!一緒に来たって思われたくないから」


 このお年頃の女子というのは実に厄介で、本当に平気で男子高校生の純情をナイフで抉る言葉を容赦なく吐き付ける。


「こちらこそ、呼びに来てくれてありがとう。じゃお先に」


 そうして入った視聴覚室はガンガンにクーラーが掛けられており、少し汗ばんだ身体が一瞬にして冷え上がる。


「遅い! あんたさては教室間違えたわね?」


 その顔は初めて見る女性の教師だった。名札には『松枝』と書かれ、細い身体ながらに凶暴そうな顔をして俺を睨む。


「すみません、忘れてて気がつきませんでした」

「もういい、座席はそこに貼ってあるから早く座れ!」


 座席表のまま、席に座るとそこに先ほど別れた茉莉花が教室に入ってくる。しかし、松枝はそんな彼女には笑顔で、「おかえり」と言うだけだった。

 どうやら、彼女は何かしらの理由をつけて席を立ち、俺を迎えに来てくれたと言うわけだ。どうやら俺はなかなかに好感度が高い同級生という訳だろうか。モテる男は辛いねぇ。

 座席は普段の並びではなく、男女で分かれて名前順になっていた。そのため俺の横には茉莉花だ。


 授業は至って普通で、一柳とはそう変わらない。まるでどちらかが真似しているようにすら思える。一柳のほうが古株なのでもしかすると松枝がそれを真似をしているのかもしれない。けれどそれは決して悪いものではなく、差が生まれない最適な方法なのだ。

 別の科目も同じ場所で引き続き行われる。三好が入れ替わりで入って来、早速昨日の流星群について話を始めた。彼もその光景に感動し、話したくて仕方なかったようだ。彼は俺の方を見つめ薄らと笑みを浮かべ話しかける。


「なぁ芦屋は見たのか?」

「ええ、もちろん見ましたよ。丁寧に情報まで貰ったので、それにしても凄かったですね。星降る夜とは正に、と思うほど」


 そうして、俺は三好に不敵な……いや、勝ち誇ったような笑みになっていただろう。彼にもそれが伝わったようで、目尻に皺を寄せるほどの笑みを返した。男同士であれば、たったこれだけのやり取りで十分だ。揶揄うように、三好は指示棒の竹刀を使い軽く俺を小突く。それは、これまでで一番優しい指示棒だった。


 チャイムが鳴り、日直の号令が広い教室に響く。これで――夏季補習は終わりとなった。男同士のやり取りに気がついた和泉は、腕を俺の肩手を回し話しかける。


「ちょっとどういう事だよ、お前もロンリー仲間だと思ったのによ」

「成り行きだよ。偶々そこに居合わせた――いや、違うな。約束して待ち合わせた」

「あ、コイツ、はぐらかすの諦めたな。それで相手は誰なんだよ。名前は?」

「それは――」


 その時、俺は違和感に気がつく。

 脳の中身を全て引き出しから漁るが一向に出てこないその記憶。時間で言えばまだ十三時間前の事なのに、それはまるで最初から脳に収納されていないように見つからない。

 固まった俺を和泉は揺さぶり正気へと引き戻す。意識は戻ったものの、依然として記憶はまるで霧に包まれたように姿を現わさない。気がつけば、俺は無意識にただ一言呟く。


「――部長だ」

「部長って平川部長? あの人綺麗な人だよなぁ。羨ましいぜ」

「いや、違う。今の部長だよ」


 その言葉を聞いた和泉と、そして隣にいた茉莉花すら顔を歪める。まるでおかしくなったような人を見るような表情をしていた。


「――部長って……今の部長は、お前だろ?」


 ――――


 気が付けば、俺は教室を出て走り出していた。ただただ、自分がおかしいのか、あいつらが騙しているのか、それを確かめるように部室へと駆ける。

 部室に着くと、机の上にあったはずの水滴は跡形もない。


「違う。これは、この暑さで蒸発したんだ!」


 自分に言い聞かせるように喚く。俺の疑問を解決するように、机には先月行われた部活連の会議のときの資料が置かれていた。ここを開けば彼女の、彼女の名前があるはずだ。――あるはずなんだ。

 そんな、俺の希望をいとも簡単に打ち砕く名前が記載されている。


 ――『オカルト研究部 部長 芦屋零二』


 違う。違う。そんな筈はない。あの人は――。

 確かにあったはずの記憶が何一つない。俺は、何かを喪失した。その何かをわからず、苦しみ嗚咽を漏らす。

 彼女の顔は――どんな顔をしていただろうか。

 彼女の髪は――どんな長さをしていただろうか。

 彼女の声は――どんな声だっただろうか。

 けれど、俺は完全に彼女を忘れてしまったわけではない。本棚からここの本を取る際に椅子を使って取った。背は百五十センチほどの小柄だったはずだ。少しずつ、俺の中に彼女が戻ってくる。


「あ、芦屋くん……?」


 部室の前にいたのは茉莉花だった。カーディガンの袖を捲り上げ、息を荒げながら立つ茉莉花はどこか――彼女に重なって見えた。


「――泣いてるの?」


 その言葉に俺はゆっくりと頬を触る。そこには汗と混ざり合い滝のような涙が濡らしていた。


「行かなくちゃ――いけないんだ。彼女と約束したんだ、夜に資料室に忍び込むって」

「はぁ? 不法侵入したら通報するって言ったでしょ。何言ってるのよ」

「駄目だ。彼女が待っている。だから、見逃してくれ」

「夜の学校は絶対にダメ。そんな事したら絶対許さないから。頭を冷やしてよ……」


 茉莉花はそう言い残すと部室から離れていった。

 静かになった部室。その中で俺はただただこれまでの事を思い出していた。

 彼女の事は、消しゴムで消されたように綺麗さっぱりに思い出せない。けれど、彼女と約束した事だけは何一つ忘れていないんだ。それだけが、彼女に繋がる、残された最後の記憶。


 俺は力強く立ち上がり、すぐに職員室へと向かった。

 もう、やる事は――それ以外になかった。

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