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 八月十二日、午後九時。深夜にはまだ程遠い。夜の帳が下り、蒸し暑い湿気を含んだ不快な風が肌を撫ぜる。学校の門は高く聳え立ち、不法侵入者を阻んでいた。

 こうなるのは事前に何度も確認済みだ。部活で帰りが遅くなる際に、門を閉める現場にも幾度となく遭遇もしている。そうなれば、もう校内に戻れないと思われがちなのだが、実際は隣の予備校を経由すると普通に入れてしまう。

 学校の電気は、もう事務室以外点いていない。この時間になっても学校事務はまだ働いているのかと、少しだけ不憫に思えた。


「あまり、働いてる印象ないけど……実は忙しいのか」


 校舎内に潜入する方法は既に用意してある。校舎の別館にある部室だ。あそこの窓は二階なのもあり窓の鍵を掛けていない。それに警備の人も一階であれば手短に確認出来るが、二階の確認となるとわざわざ一つずつ鍵を使い中に入らなければ鍵を掛けていない事を確認出来ないだろう。予備校の敷地から学校の敷地内へと潜入する。

 駐車場には二台の車が停まっていた。恐らく事務員のものだろう。彼らが仕事を終えて駐車場へ向かうルートを避けるように別館の校舎の裏側へと到着した。校舎の裏手は小さな川があり、その奥に建物がある。窓の明かりを見るに人はいるのだが、カーテンを掛けており、これから俺がする事を目撃することはないだろう。

 縦に伸びる雨樋(あまとい)に手を掛ける。かなり頑丈で、ここから登って大丈夫そうだった。右肩に掛けていたカバンの紐を、片方左肩に回し背負うような形にしてずれ落ちないように整える。大きく深呼吸をし、いざ潜入作戦の開始だ。

 いつぶりだろうか、木登りのような行動を取ったのは。――最後は小学生の高学年だっただろうか。確かあのときは……。そんな事を考えていた時、手に掛けた縦樋が鈍い音を立てる。築年数からしてかなり古いものだということを失念していた。何度も色々な箇所に手を掛けるが、どこもミシミシと音を立ててしまっている。

 夜は、昼間と違い蝉の声もなく静かで音が通りやすい。もしこれで大きな音を立ててしまえば、恐らく向かいの建物が不審に思いこちらを確認するだろう。そうなれば、きっとすぐに通報され十五分以内に警察が学校に入って来る。それに捕まれば、親に連絡が行き――頭の中で最悪のケースが再生される。身体は萎縮し強張り上手く登れない。しかし、それでも自分を奮い立たせゆっくりと登っていく。

 部室と同じ高さにまで到達した。後は一メートル先にある窓に手を掛け窓を開ければ、中に入り込める。しかし、あと少しというところで、手が届かない。必死に抱きしめている縦樋から離れてもう少し――。


 ――バキッ。


 プラスチックに亀裂が入る音が、反響した。そして間髪入れずすぐにカーテンが開かれる音がする。


「なんか変な音しなかった? 懐中電灯取ってきて」


 窓を開けて開かれた部屋から声がした。そしてすぐに目的の懐中電灯電灯が手元に来たのか、学校の方を照らし始めた。光に照射された壁がすぐ目の前にある。次第にそれが俺の方へと流れて来た――。

 心臓が高鳴る。ドクンッ、ドクンッ。

 それは外に聞こえてしまいそうなほど大きく、相手に聞こえてしまうのではないかと。心臓を手で覆い、少しでも音が漏れないように息を潜める。


 ――そして懐中電灯が雨樋を照射した。


「――――気のせいか」


 窓を閉め、その後カーテンの閉まる音がする。

 俺はすんでのところで窓を開ける事ができ中に飛び込めていた。

 心臓の音は次第に落ち着きを取り戻し、静かになる。俺はゆっくりと立ち上がり空いたままの窓を静かに閉めた。この暗闇では、窓が開いている事に気が付かなかったのだろう。あの人の見落としに九死に一生を得た。

 窓を閉めると完全な蒸し部屋となり、息苦しい。このまま活動していたら朝には汗まみれで匂いはかなりキツくなってしまうだろう。服を脱ぎ、制汗スプレーを身体に吹き付ける。僅かに涼しくなり生き返る気分だった。


「確か……ロッカーに汗拭きシート入れたままだったわ。取りに行くか」


 部室から出ようとしたとき、ふと机の上に置いてある本が目に入る。それは華奈さんから取れと指示されたあの重厚な本だ。

 彼女はそのまま本棚にしまう事なく放置したままにしていた。しかし俺はあの本が普通の本ではないと直感が訴えている。あまり触れない方がいいものなのかもしれない。けれども、華奈さんはあれを平気で持っていた。彼女には、あの悍ましさを感じなかったのだろうか。もしかすると、最初の一回だけなのかもしれない。次に触ればそんな気が起きないのかもと、楽観的で、無事に潜入を終えて興奮している俺には、深く考える知能はもう残っていなかった。

 恐る恐る本に触れる。――その瞬間、あの感覚が、あの記憶が再び甦る。深く深く深海に沈んだ時のような、水底にいる感覚が。遥か遠くで潮騒の音が響き、全ての音が遠く、鈍くなっていく。次第に視界は暗くなっていき、その暗闇に一つの生命体が見える。

 とても奇妙な形をしていた。巨大な円錐体は虹色の鱗で覆われ、底部を巧みに操り、ナメクジのように動く。頂部からは太い円柱状の器官が四本生えており、うち二本は先端がハサミのようになっている。残りのうち一本は先端がラッパの形状をとっており、最後の一本には頭がついていた。

 それを頭部と認識したのは、そこに三つの大きな眼があったからだ。

 その異形な存在は、ゆっくりと這い寄ってくる。逃げようとするが身体が動かない。周りを見回すも俺の身体はどこにもなく、ただただその光景を眺めていることしか出来なかった。次第に近づいてくるその生命体は頭部の下側から生える八本の触手をこちらに伸ばして来る。そしてその触手は俺の目を貫いた――。

 血を吐くような絶叫を上げる。しかし、その口はすぐに塞がれた。


「キミ、落ち着いて! お願いだから!」


 彼女のカーディガンの袖が、口を必死に塞いでいる。いつの間にか、先ほどの生き物はどこにもおらず、俺の目に映るのは覆い被さるように押し倒して口を塞ぐ華奈さんだけだった。


「ねぇ、落ち着いた?」


 彼女の優しく甘い声に、俺は正気を取り戻す。頭に流れて来た複雑で過多な情報に、疲弊してしまっていた。大きく何度も息を吸う。彼女の冷たくも花のような香りが肺に大量に入ると、緊張の糸が切れたようで抗いがたい睡魔が、重くなった瞼を強制的に閉じる。


「あらあら、疲れちゃった? じゃあ少しの間――おやすみ」


 彼女のか細い声が耳に届くと同時に、俺の意識はそこで途絶えた。




 静かな校舎に、繊細なピアノの音色が響く。心地の良い朝の目覚めのようで、優雅に目を覚ました俺はポケットに入ったスマートフォンを取り出し時刻を確認する。午前一時四十六分。


「こんな時間にピアノの練習なんて、熱心だな」


 周りを見渡すも華奈さんはどこにもいない。もしかすると、彼女はこのピアノの音が聴こえて向かったのかもしれない。そもそも、彼女がこの時間にここに居る理由、少し考えたらわかるはずだ。

 目的は――俺と同ぐ、夜の七不思議を調べるためだろう。


「流石は部長だ。けど、俺を起こしてから行ってくれてもよかったのに」


 俺は静かに夜の校舎を移動する。音楽室は、ここからでは少し遠い。それに警備員がもしかすると巡回しているかもしれない。警戒しながら学校を移動するのだが、三階の渡り廊下から本館に、移動しようとするも鍵が掛かっていた。思わぬ迂回に悪態をつきながらも二階の渡り廊下へと移動する。華奈さんが移動しているのだから、絶対にどこかからは向かえるようになっているはず、という考えは正しかった。二階の渡り廊下を使い再び最短のルートで音楽室へと向かうが、シャッターが閉じている。

 何故こうも運がないのだろうか。遠回りにはなるが、自分の教室の前を通り逆側から向かうルートに再調整する。自分の教室の前を通るついでに廊下のロッカーから汗拭きシートを取り出しポケットに入れ、音楽室を目指した。

 ついでに再びこのような時のためにシャッターや鍵の開いてるルートを把握する。オカルト研究部から音楽室までのルートは、まさかの一番遠いルートでないと辿り着くことが出来ず、それが余計に腹立たしかった。

 音楽室の前の廊下に到着すると、より正確に何の曲を弾いているのかハッキリとわかる。音楽に詳しくない俺でもわかる有名な曲。ベートーヴェンの『月光』だった。なかなかセンスがいいなと内心褒めていたのだが、廊下を見渡しても先行しているはずの華奈さんが見当たらない。

 となると――この犯人はもしかして……。

 少し呆れながらもゆっくりと足音を立てずにドアの前へと忍び寄る。しかし、音楽室は黒い遮音カーテンがドアの前にあるせいで、中を覗き込めない作りになっていた。『月光』の低音に紛れて音を立てずに静かにドアを開ける。音楽室のドア付近は床が軋むため、静かに出来るのはここまでだと観念して勢いよく遮音カーテンを引いた。


 ――しかし、そこには誰もいなかった。


 弾いていた曲は目の前で音を消し、そして鍵盤の蓋がひとりでに閉じる。慌ててピアノの周辺を懐中電灯を使い見回すも人のいた形跡はない。

 ――どういうことだ。

 間違いなく、さっきまでピアノの音が鳴り響いていたはずだ。録音……?

 すぐに音楽室のカセットデッキを隈無く調べる。しかし、どれも電源は入っていない。他に考えつくものは――何も浮かばなかった。

 仕方なく俺はスマートフォンで、後から浮かんでもいいように証拠を撮ろうとカメラを起動する。そして、撮影しようとしたとき、白い影がはっきりと映った。目には見えず、カメラにしか映らない謎の白い影は徐々にこちらへと近寄って来る。その超常的な現象に俺は慌てふためいてスマートフォンを落とす。慌てて拾い再び構え直すとカメラは真っ白な画面のまま何も写さなくなっていた。そして、俺は脳を射抜かれるような、鋭い痛みが走る。目を閉じ痛みを堪えていたが、次第にその痛みは脳を棒で掻き混ぜるような感覚へと変わっていく。


 再び目を見開いた時、俺は――部室で寝ていた。

 昨晩、寝た時のままのあの場所で同様に。


「ゆ、夢か……そりゃそうだよな。仕掛けもないってなったら本物の怪談になっちまうもんな」


 自然と俺は笑っていた。昨日の事が夢なのだと安心したのか、それとも無事でいる事が嬉しかったのか、わからない。けれども、間違いなく俺は生きている。そして昨日の事は夢だったのだと。

 上体を起こし、朝食を食べようと鞄の中からパンを取り出す。あまり味は感じる事は出来なかった。

 人間は極度な緊張状態が続くと、少しの間味覚や痛覚などが鈍るらしい。メロンパンを一つ食べきると手がベタベタになってしまった。

 菓子パン系は味は好きなのだが、食べる際に手に砂糖が付いてしまう。これが嫌いだった。幸いにもポケットから汗拭きシートを取り出し手を拭く。

 スマートフォンを取り出し時刻を確認すると、補習が始まる五分前だった。慌てて荷物を持ち、教室へと向かう。

 教室には三好とほぼ同時に到着した。あと五分遅く目覚めていたら、あの竹刀の餌食だっただろう。


「おい、芦屋。急ぐのはわかるが……服を整えろ」

「あ、やべ。忘れてた」


 制服を整え席に着いた。後ろの方からヒソヒソ話が聞こえる。それが和泉に伝わると、


「お、おい、零二。お前後ろ側やばいよ、ちょっと立って。綺麗にしてやるから」

「なに? どうなってんの」

「なんか埃がすっごいついてる。廊下かどこかでスライディングでもした?」

「そんなになってる? ちょっと頼むわ」


 その様子を見て三好も一緒に混ざり背中からスラックスまでの埃を落としてくれる。


「ありがとうございます。和泉もありがとな」

「おう、いいって」

「じゃ授業始めます。日直、号令」


 そうして夏季補習最後の週が始まった。


 ――――


 授業の内容が終わり、授業終わりに出す例題を解く時間。チャイムまでまだ少し残っている。ふと何かを思い出した三好は話し出す。


「えー、みんなは知ってると思うけど。二日後、何があるんだっけ芦屋」

「え、俺ですか? ……送り火は――十六日でしたね」

「えー、芦屋以外は知ってると思うんだけど――馬屋原」

「――花火大会?」

「それ以外。まさかみんな知らない?」


 教室は少し騒ついたが、誰も答えを持っていないようだった。三好は予想外のようで、


「お前たち、勉強以外もちゃんとしろよ?」


 と心配そうに言った後、話を続けた。


「まぁ順に説明すると、まず今日。八月十二日はペルセウス座流星群が見れます。だいたい二十三時頃ね。ちょっと今日の夜、空を見上げてみ。お前たちまだ見た事ないやろ」


 意外とブルドッグのような顔をしてロマンチストのようだ。数学の教師なのもあって周期とかがあるから好きなのだろうか。とにかく普段の態度からは想像もつかず、少し笑ってしまった。


「それから、その翌々日、八月十四日がこの高校の地区の花火大会ね。ハメを外して補導されないようにしろよ。

で、その深夜に二つの惑星が大接近なんよね。だからもしよかったらでいいんだけど、ちょっと見ておいて」


 そんな説明をしたのと同時にチャイムが鳴る。日直の号令で授業が終わり、すぐに和泉が声を掛けてきた。


「それにしても、零二なんであんな埃まみれだったん?」

「んー、いや俺もわかんないんだよな。だから埃まみれのまま授業受けるところだったし」


 そんな話をしていると今日もまた茉莉花が話に入って来る。


「それにしても、三好先生以外とロマンチックな事言うのね。案外可愛いかも」

「ブルドッグが好みなのか。まぁ飼ってる人よく見るしな。俺は苦手だけど」

「顔じゃないし! 普通に、星を見るって私は好きだけど」

「じゃあさ、今日一緒に見ない?」


 和泉が少し照れながら彼女を誘う。意外にも満更ではないような様子だったが、


「けど、そこまで仲良くないから無しで」


 ときっぱり理由付きで断った。少し考えていた辺り彼女は意外といいやつなのかもしれない。


「まぁ今日、外で流星群見たら、実質俺と和泉は一緒に見たってことになるだろ?」

「男同士で……お前ソッチだったのか?」

「いや、違うわ! 上手く想像を膨らませろよ。茉莉花も見てるんなら、そう言うことだ」

「それ、ロマンチックじゃなくて気持ち悪いわよ」


 身体を身震いさせながら不快な顔で俺を睨みつけた。


「まぁ口にしたら気持ち悪いけどさ、女も男もだいたい同じこと思ってるだろ。そんな顔すんなって」

「まぁ……そうかも」


 チャイムが鳴り響き、この話を切り上げる。

 世間はお盆休みだと言うのに、学校の補習は平常通りに行われる。他の高校では、そもそも夏季補習がないところもあるくらいだ。

 休みの彼らが羨ましい。けれど、こうやって友だちと会えるのは悪くないものだ。今ではそう思えた。


 部室には相変わらず、不気味な本が置かれたままだ。華奈さんはおらず、閑散としていた。そういえば、俺は触るだけ触ってこれまでこれが何の本なのか知らない。ところどころ掠れてはいるが、読めるところだけタイトルを読み上げる。


「マ――マニュスクリプト? どういう意味だ?」


 学校で習う単語ではない。英語の成績は学年でトップではあるものの、結局俺の頭に入っている英単語など、学校の入試で使うものばかりだ。それ以外のものは知らないものだらけ。リンゴは英語でAppleだが、では梨は? そんなもの調べなければわからない。学年一位を取ったところで、本当に英語を理解しているのかと言えば怪しいものだ。

 スマートフォンを使い調べる。梨はPear、そしてManuscriptは――写本。つまり何かの写しと言うわけだ。それなのにも関わらず、俺はこれを触ると不気味な感覚に陥る。何かの魔導書とかであれば、まだわかるのだが――。魔導書が実在する? いつの間にか、俺はすっかり中二病を発症させてしまったらしい。馬鹿馬鹿しい妄想と現実の区別がつかなくなってしまっている。

 けれども、この本は――もう触る気になれない。

 しばらく華奈さんを待っていたが、一向に来る気配がなかった。もしかすると昨日夜更かしし過ぎて今も教室で寝ているかもしれない。


「三年の教室を見て回るのも、なんか嫌だな。――受験でピリついてそうだし」


 そうそうに諦め俺は図書館へと避難することにした。もし華奈さんが部室に来た時にこの前みたいに来てないと思われて寂しがらせるのも目覚めが悪い。そのため、鞄を部室へ置いていくことにした。


 相変わらず図書館はクーラーが効いていて過ごしやすい。しかし、今日も変わらず一柳はいた。彼は俺に気がつくと、またもや再び話しかけて来る。態度は怖いのだが、こうして毎回顔を合わせるたびに寄ってくるのは、気に入られている証拠なのだろうか。


「……蘆屋(あしや)、今日はどうした?」


 俺の名前を呼ぶ際、一瞬彼は口を、口角を上げた気がした。一柳が笑う? そんなこと有り得ない。聞いたこともないぞ。けれど、俺は確かに彼が心から笑っていた気がした。


「今日は、学校の教室の変遷と……音楽室についてですね。昔はもしかしたら構造が違っていたとか……」

「お前は、将来何になるつもりだ? 父親と同じ警察官か?」

「――どうしたそれを?」

「進路希望調査に書いていたのを見ただけだ。私は、探偵の方が似合っていると思うがね」


 俺の肩に手を置き、耳元で囁く。


「君が欲しいであろうものは、部活動地図を遡ればいい」


 彼はそのまま何も借りる事なく、図書館を後にした。その一部始終を見ていた図書司書の女性は、以前同様に驚いた顔を見せる。


「一柳先生と仲がいいんですか? この前も話していましたけど」

「いえ、知りませんね。授業以外は関わった事もないです、最近までですけど」


 そして俺は一柳の言われるがままに地図を出してもらった。貸し出しは厳禁なようでコピーを印刷してくれる。


「変更があった年だけでいいのかしら?」

「はい、三十年分くらいあれば十分です」

「――それだと五枚ね。すぐに終わるわ」


 彼女から渡されたものは、現在、四年前、五年前、そして二十九年前、そして三十年前が手渡された。

 少しずつ近い年数で見比べていく。現在と四年前は、何も変わったところは見つけられない。しかし、五年前を見た時、明らかな変化があった。

 オカルト研究部が存在していない。そしてそこは旧書庫と書かれていた。


「この旧書庫ってなんですか? あとオカルト部がないんですが」

「オカルト部って四年前に出来たものよ。平川部長から聞いた事なかったの?」

「初めて知りましたよ。部室はすごく古いし、昔からあるものだとてっきり」

「そうね、旧書庫として使っていたものね。ここに奥の倉庫、生徒の手に届かないように保管している場所なんだけど、前はそっちに置いていたの。全部回収したはずだけど、本棚はそのまま残ってるはずよ」

「生徒の手に届かないってどういうことですか? 学校の図書館なのに生徒の手に届かないのはおかしくないですか?」


 少し語気が強くなっていた。俺は怖い顔をしていたのか、優しく宥めるように彼女はおっとりとした声で話す。


「蘆屋くんは、この学校の歴史が長いのは知っているわよね。それこそ、昔アインシュタインが来日したときに書いていた板書とかも保管してあったのよ。学校のものだけど、そんなもの生徒の手に届くところにあれば、大変でしょう?」

「……それは、確かにそうですね。イタズラに触って壊したりしたら大変ですし」

「後は禁書になったものや――――魔術書とかかしら」


 彼女の言葉に心臓がトクンッと跳ねる。


「ま、魔術書なんてそんな空想の話じゃないですか」

「あら? 蘆屋くんは――ないって思うの?」

「当たり前でしょう。そんなものがあれば、世界が崩壊してしまうでしょ」

「ふふふ、高校生だからってあんまり夢は見ないのね。さすが進学校ってところかしらね。

それじゃ日本に昔からある陰陽師とかもないって思うのかしら。

魔術書がないのは賛成だけどね。だって機密の記録書では――間違いなくこの学校に持ち込まれているのに、ここにそんなタイトルの本はなかったの。だから、この機密そのものが嘘だって否定出来るのなら、少なくともここには魔術書がないって証明出来てしまっているんですもの」

「――ちなみに、なんてタイトルなんですか?」

「私は馬鹿だから英語はあんまりなんだけど、なんたらマニュスクリプトって写本よ」


 彼女の言葉遥か遠くに遠退く。そして俺の心臓の音だけが世界を支配した。彼女は何か言っているが、俺の耳に届くことはない。ただただ、ドクンドクンと早くなる心臓の鼓動。酸素が肺に届くことなく、脳から酸素が薄れていく。視界が薄れ、暗い闇が広がっているだけだった。

 そこから、司書とどう会話したのか覚えていない。気がつけば俺は地図を手に、部室の前に佇んでいた。様々な情報が頭の中に入って来たが、その情報一つで俺の脳はパンクしてしまい思考がままならない。

 しかし、そんな俺の意識をハッキリとさせたのは――。

 勢いよく開かれる部室のドアから、出て行こうとしていた華奈さんと鉢合った。彼女は強烈な絶叫を上げ、腰を抜かし尻もちをつく。彼女の悲鳴はけたたましく、耳の鼓膜を破りそうなほどに鋭かった。しかし、それは俺の耳を正常な世界の音に引き戻してくれる。

 次第に意識がハッキリしてくると尻もちをついた彼女のスカート中が目に入り、俺は完全に意識を取り戻した。

 そんな俺とは真逆で、彼女はあまりの恐怖に泣き喚きまともに会話も出来なくなってしまっている。彼女に近づくも中々に強力なパンチを喰らわせてきて厄介なことになった。とにかく周りの部活に迷惑が掛からないよう、入り口を閉め喚く声を外へ漏れないようにする。そして、彼女がまともに会話できるようになるまで、ただひたすらに謝り続けた。


「もう、本当にすみません。どんな罰でも受けますから。許してください。なんなら俺はフリーなんで、胸をいくらでも貸しますよ!」


 その言葉に、少し反応してようやく少しずつ収まっていく。


「胸、貸すって言ったよね?」


 彼女の意外な反応に、嬉しくなり抱擁の構えをすると、俺の胸目掛けて容赦のない強烈な殴打を繰り出す。身体に力を入れて堪える準備をしていなかった俺は、あえなくノックアウトとなった。

 彼女は手加減をまるで知らない。身長が低くて甘く見ていたが筋肉量は断面積にしか依存しない為、小さいからと言って力は弱くならないことを忘れてしまっていた。


「はー……すっきりした。それで、キミは今まで荷物を置いてどこに行ってたの?」

「俺、そんな悪い事しましたかね? さっきまで図書館で調べ物してたんですよ。色々と気になる事がありましてね」


 手に持った五枚の地図を机に並べる。時代から順に並べていたが、そこで一番重要な三十年前と二十九年前を指差す。


「華奈さんは知っていましたか? この事に」


 その二枚は誰がどう見ても、明らかに今と構造が違う。彼女は驚いたように口を開いた。


「校舎……なかったんだ」

「はい。そもそも、この僕たちの部室も、今の音楽室のある校舎も、存在してないんです。出来たのが二十九年前。そこで圧縮されていた部活動が学校の校舎を広々と使えるようになったんです」


 俺は、正しいかどうかは知らないが、筋の通った想像の話をする。


「僕の勝手な推測ですが、新校舎が出来て色々と部活動の対応教室が移動しました。実際に、例えば二階の卓球部は新校舎の一階のスペースに移動し、三階だった百人一首部はその卓球部が使っていた教室になりました。恐らくですが、少しでも下の階のほうが、部活で向かうのも、そこから帰るのも楽になるからでしょう。

実際、僕はこの部室が二階で本当に良かったって思ってますしね」


 華奈は少し唸りながらも、静かに話を聞く。しかし、彼女も結論には辿り着いたようだった。


「まぁ結論ですけど、三階建ての校舎なのに夜にだけ四階があるというのは――ただの勘違いかと。これまで三階だったのが移動して二階になったのと夜だったことも相まって、そう錯覚させたと思いますね。うちの高校下校時間になると明かり一つなく、月明かりだけが頼りですしね」

「まぁそれっぽいストーリーではあるかな……」


 彼女は歯切れの悪い反応を示す。どうやら、反論があるようだが、どう言おうか悩んでいるようだ。


「整理せずに、思った事言ってくださいよ。華奈さんの想像のストーリーでもいいですから、聞きますよ」


 彼女はそう言うと、四年前と五年前の地図を取り出す。そしてその二つの、部活を指し示した。

 ――彼女が指し示したのは一柳が顧問をする『古典部』だった。


「勝手な妄想だと、切り捨てて貰っていいよ。でも……信じて欲しいの、私の説を!」


 彼女は、縋るようで、泣きそうな声をして言う。しかし、その瞳はどこか自信に満ちた真っ直ぐな眼をしていた。

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