表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/9

1

 耳の奥底で、潮騒のように押し寄せ鳴り響く蝉の声。心地の良い浮遊感から突然投げ出された様な衝撃で目を覚ました。飛び上がるように跳ねる身体が、机を大きく揺らし音を立てる。これは所謂、入眠時ミオクローヌスというやつだ。


「――い、おい! 芦屋(あしや)


 蝉の声を引き裂くように発せられる怒号が、俺の名前を不快にも呼ぶ。聞かないふりをして机に突っ伏し続けた。しかし、そんな様子に痺れを切らした隣の席の女子が俺の肘をちょんちょんと指でつつく。そんな彼女を無視しても俺は寝たふりを続けた。ミオクローヌスで起きるという、教室全員の視線が痛いほど突き刺さる恥ずかしい経験は誰にでもあるだろう。今ここで顔を上げてしまえば、全員の視線と目が合ってしまうのだから、余計に恥ずかしい。


零二(れいじ)くん、先生こっち見てるから起きて」


 小さな声で俺の肘をつついていたのをやめ、揺すられていた。ここで目覚めないとなれば、逆に寝起きが悪い人だとレッテルが貼られてしまう為、諦めてゆっくりと顔を上げる。

 顔を上げると目の前には、無表情で佇む三好が黙ったまま俺を睨みつけていた。


「……おはようございます」

「夏季補習はニ限だけなんだから、気合い入れて起きとけよ」


 彼の手に握られていた、指示棒代わりの竹で俺の頭頂部を三度叩く。この教師の授業中の説教はこの竹で頭を叩かれる。この教室に居る大半の生徒はその餌食になった事があるだろう、「痛そう」という言葉がちらほらとその辺で聞こえた。

 このご時世で体罰など時代錯誤も甚だしい。しかし、時代の流れを取り入れている部分もある。三好はその後、俺の横を通り過ぎ二つ後ろで、今も夢の中にいる女子生徒の前で立ち止まり、一打ち。


馬屋原(うまやはら) 茉莉花(まつりか)、お前もだ」


 男女平等は、しっかりと彼の教育の中に取り入れているようだ。


「お前ら成績優秀だからって気が緩んでないか? 学年一位と二位がこの体たらくで恥ずかしいだろ」


 今日の三好は露骨に機嫌が悪く、これ以降寝てしまったものは職員室へ連れて行かれるだろう。机に溜まった水溜りをタオルで拭き、汗で皺くちゃになったふやふやなノートを整えた。

 普段はこんな事は滅多にないのだが、昨日の出来事が尾を引き、夜な夜な策を巡らせていた結果寝不足となったわけだが。


 昨日、俺は学校の部活連に呼ばれ死刑宣告を受け掛けた。部活動として認める規定の人数を四年連続下回り、いよいよ『廃部』を告げられたのだ。

 内申点の事も考えて所属していた『オカルト研究部』は現在も部員数五名を下回り続け、部費を渋られていた。正直、部費は雀の涙程度のものだ。けれども、それを他の部活動に回せばバスケットボールのひとつは確かに買えてしまう。

 学校の言い分は(もっと)もで言い返す事も出来ないのだが、この学校は生徒の主体性を最も重要としている。そう易々とは一方的に出来ない仕組みとなっていた。そこで俺は一つの条件を提示し、その場の難は逃れたのだが問題を先送りにしたに過ぎない。その条件は――今年中に部活動規定人数の五人を確保する事だ。


 この危機は、二年生になった時には既にわかってはいた。その為、部活動勧誘のために『月刊オカルト新聞』の発行だ。その効果は絶大で、特に4月号の『学校の七不思議』である、『桜の木の下には死体が埋まっている?!』という記事は、全校生徒に認知されるほどだった。


「ねぇねぇ、今月のオカルト新聞って出るの?」


 授業が終わり隣の席の女子が声を掛ける。


「今月は――無理かもな。八月って補修しかないから配布しようにもホームルームもないからさ。次号は九月号かな」

「私は五月号の階段の段数が増えるやつ。ふと数えた事があってさ……その時十三段あって、怖くてその階段ちょっと避けてたもん」

「あんなの子供騙しだよ。どこの階段だなんて一言も言われてないんだから。踊り場を挟んだ階段の上が十三段で、下の階段が十二段になってただけだ。だから二階から踊り場に降りる時に数えてしまっただけだろ?」

「ふと思い浮かんだ時ってそんなの考えれないよ。それにしても、オカルト研究部なのに芦屋くんは否定するんだね」


 そうだ。俺はオカルト研究部でありながら、その逆の根拠をとことん調べる。『桜の木の下には死体が埋まっている』だなんて噂、土壌を調べれば多少はわかるだろう。何もないのに非連続性は起こり得ない。つまり桜の木の生えている土壌を調べて回り、地学部の協力のもと地層を調べ非連続性がない事を証明した。

 先月の記事である『誰もいない体育館でボールが跳ねる音がする』というのは調べたところ、インターハイに行った二十年前の、更にその二年前に噂されていたのだ。記事は少々脚色はしたが、その代のエースが真夜中まで自主練をしていた。――それをひた隠しにしたいが為に怖い話にさせて近づけないようにしていたという風に結論づけたのだ。

 案外、この手の否定する話というのは割とウケがいい。同級生だけでなく上級生からも、俺に『月刊オカルト新聞』の話をする人がいるくらいだ。


「私は続いて欲しいから応援してるね! それじゃまたね」

「ああ、またな」


 軽く彼女に手を振り、俺も荷物をまとめ部室へと向かった。

 本来部室の鍵は土日でもない限りは、職員室で管理される。しかし、俺は八〇〇円を自費で出し合鍵を作っていた。それを使い職員室を経由する事なく、部室のドアを開ける。

 誰もいない教室に向かって、いつものように俺は「うっす」と小さく言い中へ入った。

 知名度は間違いなくあるだろう、けれどそれと部員数というのは相関関係がありそうで、そうでもない。


「今日も新入部員来ないと結構来るもんあるんだけどな。――さて、次は何の七不思議調べるかな」


 誰もいない部室に、独り言を続ける。少しでも賑わいがある部室のように振る舞う虚勢。もしかしたら、これが原因かと疑った事もあった。けれど、ネガティブな思考中は何でも否定から入ってしまう。結局これも相関関係などないのだ。

 『オカルト研究部』なんて根暗な雰囲気を払拭するためにも、あんな新聞を復刊しているのだから、そのうち面白そうだと思い入部してくれる人も出てくるはずだと"非合理的"にも信じることにした。

 俺の前に発刊されていたオカルト新聞は、二〇二〇年十一月号を最後に刊行されていない。その日付は約四年も前だ。

 その時の部長も、もしかしたら俺と同じ気持ちで作ったのだろうか。

 過去のスクラップ、十一月号を読む。少し丸みのある女子のような字。そこには『絵画の目玉が動く謎に迫る!』とでかでかと書かれた文字があった。


「こんなのガチな汚職だしな。もしかしたらこんなの書いたせいで圧力でも掛けられたんかな」


 そこには、一時期絵画ブームがあったようで、学校の至る所に絵画を飾ってあったらしい。それこそ、更衣室にすら。

 そして、目玉をくり抜かれた絵画があったのは当然の如く女子更衣室だ。本当に原始的で、単純過ぎるが故に見落とされていたあり得ない手法は、ある種男の浪漫すら感じれた。


「もしかしたら、この時の部長――それに気がついてムカついてやり始めただけなのかもな」


 その新聞の最下部には、『次号、異世界に繋がる夜の学校に迫る。乞うご期待ください!』と締め括られていた。

 しかし、その次号はとうとう発刊される事はないまま、俺の代へとバトンタッチしてしまったわけだ。


「うーん。このネタで調べてみるか……。この部長もしかしたら途中まで調査してるかも」


 そうしてこれまで一年間、一度も掃除すらしたことのない部室を隅々まで調べ始めた。机に重なるプリントを動かすだけで埃が宙を舞う。慌てて窓を開けると、涼しい風が身体を吹き抜ける。

 今日は八月九日。長崎市へ原子爆弾投下された日。今ではその出来事も文字の上で残る記録になり、その当時を生きていた人はもう少なくなった。長崎県から遥か遠くにあるこの県では、その出来事が最早、空想上の出来事なのではないかと錯覚させてしまう。そして、そんな出来事とは無関係に、ピサの斜塔の着工日でもあり、ガンジーが逮捕された日でもある。

 そうだ、今ではそんな"文字たち"は簡単にこの片手で握るスマートフォン一つで調べる事が出来てしまうのだ。なんでも知ろうと思えば知れる。そんな退屈な時代に俺は生きているのだ。


「こんなのいくら知ったところで、前の部長が調べてたであろう調査記録は何一つ調べれないなんて――皮肉なもんだ。遠くのことは見えども、近くのことは盲目なりってか?」


 そんな自嘲をしながらも、いつしか調査記録を探す事を目的としていたはずが、掃除に熱中していた。

 開け放たれた窓から西陽が差し込み、汚かった床を綺麗な紅色に染め上げる。最早これでは、存続を諦め『立つ鳥、跡を濁さず』哉。縁起でもない事が頭を過り、慌てて痕跡探しに戻った。


「それにしても、なんでこんなに学校のプリントで溢れてるんだよ。保護者に渡すべきものってもんもあるだろ! まさか机の奥には年代もんのプリントがあるんじゃないだろうな?」


 部室に眠るそのような骨董品を探す。それはまるでゲームの探索をしているようで、冒険心が掻き立てられる。ワクワクする童心を呼び覚ましながら机の引き出しを覗いたが、そこは綺麗に片付けられ二つのものしか入っていなかった。


「なんだこれ? ノート……? と、うわっ懐かしいな。お土産屋とかにある砂瓶のキーホルダーかよ」


 ノートをパラパラと捲ると文字がぎっしりと書かれていて今から読んでいては日はしっかりくれてしまうだろう。砂瓶の方は特に変わったところはなく、元に戻した。

 ノート内容までは読めなかったが、書いてある文字の量を考えると、調べたものを書いているのかもしれない。まぁ目的のものでなくても、いい読み物になるだろう。

 ――そんな軽い気持ちで俺はそのノートを鞄に突っ込んだ。


 夏季補習期間であっても、チャイムの時間帯は変わらない。学校中に響くチャイムは下校時刻を知らせていた。蝉の声が止み静かになったかと思えば、部活動生たちも帰宅を始め人の声が再び俺の耳を不快に刺激する。


「戸締りして帰るかな」と一人呟き、戸締りした後、パンパンに膨らんだゴミ袋を二つ抱え部室を出た。ついなんて事のない癖は不気味な出来事を呼び寄せる。


「失礼しましたーッ」

「――またね」


 それはか細く小さな声だった。一瞬脳が硬直したが、どこか遠くの部活動生のやり取りが聞こえただけに過ぎないのだと結論付ける。

 帰りにゴミ捨て場にゴミを投げ入れるとき、背筋が凍り付いた。それは勘違いかもしれない、そもそも俺はそんな敏感な感覚を有しているわけでもない。しかし、それは気のせいだと思うには不可能なほどに、俺の感覚神経を逆撫でる。――誰かに見られている。

 その感覚に突き動かされ怒りを込め、勢いよく振り向く。が、特にそこには誰かの視線はなかった。


「――気のせいか」


 口から出た言葉と裏腹に、本能は気のせいではないと警鐘を鳴らし続ける。不気味になった俺は足早にその場を立ち去った。逃げるように走っていたそんな時、人混みの中から聞き馴染みのある声が俺を呼び止める。


「おい、零二! お前も今帰りかよ」

和泉(いずみ)か……」

「どうした? お前なんか顔が真っ青だぞ?」

「ああ、えっと――」


 いつの間にか、俺を見ていた何者かの視線は感じる事なく消え、普段通りの日常に戻って来れた。


「三好のやつ、手加減知らないからちょっとアレでな」

「今日のお前のやつマジで痛そうだったもんな。それに馬屋原さんもだよ。俺の前後が叩かれてたから、ついでに俺も叩かれるんじゃないかって冷や冷やしたよ」

「悪かったな、怖い思いさせて」

「それにしてもお前が寝て叩かれるなんて珍しいけど、どうしたん?」

「『月刊オカルト新聞』の題材を考えてたんだ。まぁ次の題材も決まったから、しっかり睡眠取れるだろうよ」


 学校から駅までの道のりを俺は和泉と歩く。彼とは一年生の時に出席番号が近く、それをきっかけに仲良くなった。二年生になっても俺たちは同じクラスになり、親しい付き合いを続けている。


「それにしても、零二がオカルト研究部にこんなにどっぷりとは。あの卒業して行った部長も大喜びだろうな」

「平川部長か。懐かしいな、あの人の時は部費でお菓子なんか食べながらゲームしてたっけ」

「オカルト研究部って言うような活動してなかったのによ、今じゃ『月刊オカルト新聞』なんて出して、知名度はうなぎ上りだ。七月号楽しみにしてたのに、ないなんてあんまりだ」

「期末考査があったんだ、そんな時間取れなかったよ。次は九月号でまたお会いしましょうってな」

「いやぁ、俺はもうお前の書く『トイレの花子さん』の正体がどうなるか楽しみでならないんだよな」


 ――『トイレの花子さん』。そんな子供騙しなもの小学校から知っている。なんなら俺の通っていた小学校でも七不思議として挙げられていた。けれども、そもそも七つの不思議と言いながら小学校では他の六つがあるなんて噂すら聞かなかったのだ。学校唯一の不思議にも関わらず七不思議。この謎ももしかすると七不思議の一つかもしれない。

 そんな花子さんを調べたところで、出所のわからない輸入品みたいなものだ。


「それを調べたら、俺は白昼堂々と『女子トイレをくまなく調べた変態男』を自称する事になるだろ?」

「わかんねぇよー? いるかもしれないだろ。虐めを苦にトイレで自殺しちまった可哀想な怨霊が――」

「はっ、馬鹿馬鹿しい。――けどいい着眼点かもしれないな」


 俺はポケットからスマホを取り出し、『トイレの花子さん』を検索する。そこに表示された文字には、一九五〇年代から流布されるようになった『三番目の花子さん』を原型とする都市伝説、と記されていた。


「七十年前だってよ? 俺たちの学校は百年以上の歴史がある。三年後には百二十年だ。うちの高校なら案外出所わかるんじゃね?」

「和泉お前、学校のこと全然知らないだろ。あれは戦前の中学校設立からの年数だ。確か――ほら、一九二九年に今のこの石造りの校舎は完成したから百年の歴史もない。それに戦争で一度壊れたはずだ」

「けど、目標の七十年は越えてるんだ。けど、いい加減クーラーくらいつけて欲しいよ」

「お前は本当に知らなさ過ぎだ。俺らの生徒会長、橋本先輩は生徒の主体性を盾にして、もう既に教師陣に掛け合ったらしいぞ。もしかしたら――もうすぐつくかもしれないな」

「あー、あの眼鏡の? そいつは楽しみだ」


 俺たちはいつの間にか学校の怪談話から離れ、他愛のない話題へと変える。その間、俺は頭の片隅で、トイレの花子さんへの足掛かりである学校の自殺者、行方不明者を調べる算段を立てていた。


 学校から帰宅しお風呂までの時間を利用して俺は、部室から持ち帰ったノートを読んでいた。


「まじか……痛過ぎて直視出来ねぇや。高校にあったって事はこれ書いたの高校生って事だよな……。随分と拗らせてやがる」


 そんな独り言を漏らさずにはいられない。ごく普通のありきたりのA5版のノートの1ページ目には、そのノートの概要が短く綴られている。


 ――魔術書の写し。

 これが中学校の引き出しにあったのなら、俺は笑っていただろう。誰しもが陥るであろう難病――中二病患者の戯れだと一蹴出来る。

 しかし、次のページにはこのノートの持ち主であるものがしっかりと高等教育を受けたものによるものだとすぐに理解した。

 内容がより具体的で、綿密に記載されている。しかし、そこに記載されている内容はやはり荒唐無稽と言わざるを得ないものだ。

 1ページ目に大きく書かれた文字は、――『イス人との接触』。

 呪文の使い手から160km以内にいるイス人とやらに接触出来るらしい。その内容はコックリさんに似たようなもので、偉大な知識を持つものの叡智を授けられるのだとか。そして、次のページにはそのイス人と思われるイラストの模写が描かれていた。


「ぶっ、な、なんだよこれ。マジで面白すぎるだろ!」


 思わず噴き出してしまったそのイラスト。そこには見事なまでにしっかり六本の脚が描かれ、立派な角がより造形を崇高に魅せる。禍々しく描かれたその甲殻はこの世のものならざるものだと、確信させた。――カブトムシだ。しかも二匹。

 これを描いたものは、どんな恨みがあってカブトムシを選んだのだろうか。いや、或いはカブトムシを崇高なものと捉えている人物なのかもしれない。

 それから、俺はあまり深く考える事なく、単なる"設定"として読み耽っていた。こんな設定を書いている人なのだ、割と読み物としては及第点、いやそれ以上と言ってもいい。その具体的に描かれた手法は、かつての厨二病を彷彿とさせ童心へと返った気にもなれた。魂の抽出、魂の罠、そして復活と、どれも俺の左目に封印されたなんとやらが疼いてしまいそうだ。

 しばらくこのノートは持ち歩いておこう。もし持ち主を見つけた際に、直接手渡して、最高だったと包帯巻きの左腕で親指を突き立ててあげるのだ。そんな妄想が俺の頭の片隅で芽生えたのだった。


――――


 翌日、夏季補習を叩かれる事なく無事に終え、部活の時間を迎える。


「零二は何について調べんの? 結局、昨日トイレの花子さんで盛り上がって聞きそびれちまった」

「なんだ、和泉はネタバレして欲しいのか? 発刊されるまでの楽しみを味わう事も知らんとは」


 そんな話をしているところに珍しい人が話に入って来た。


「ねぇ、待ちなさい。残る学校の七不思議って『トイレの花子さん』を除いたら夜ばかりじゃない」


 和泉の後ろの席に座る彼女は、立ち上がり俺たちの間の横に立ち入る。


「馬屋原さん。俺の書いてるオカルト新聞に興味持ってたんだな。優等生が――意外だな」

「ウマって呼ばれるの好きじゃないから、茉莉花って呼んで、私も零二って呼ぶから。それにそのオカルト新聞を書いているのが学年一位の零二でしょ」

「名前は二なのに一位ってのはなんだか変な感じだな」

「じゃあ俺も茉莉花さんって呼んでいい?」

「えっと……あなたは、誰?」


 目の前で玉砕し頭を机につける和泉を放っておき、俺たちは話を続けた。


「それで、夜中に学校に忍び込むなんて言わないでしょうね。不法侵入は犯罪よ?」

「それは是非ともやってみたいんだけどな。うちは親が厳しいからそれは無理だな」

「そう、ならいいんだけど。もしそんな事をするなら通報するから」

「なんだ茉莉花心配してくれてるのか? それとも一緒にやる?」

「バカ言わないで。もう私帰る」

「じゃあな」

「――うん、また明日」


 彼女は素っ気なかったものの、しっかりと返答し長いサラサラな髪を靡かせ教室から出て行った。

 和泉はその彼女の姿を最後まで惜しむように見つめて眺め続ける。


「なんだ、和泉。お前、茉莉花の事好きなのか?」

「好きって訳じゃないけどよ。美人で見惚れちゃうだろ? それに親しくなるに越した事はないじゃん。お近づきになれたらあの顔を存分に眺めながら話出来るんだぜ?」

「そいつは残念だったな。彼女、俺には興味があるみたいだぞ。ついでにお前は微塵も興味持たれてなかったみたいだけどな」

「お前はズルいよな、オカルト新聞で知名度あるから、一躍時の人だ。兼部して俺もオカルト部に……」

「兼部か……入ってくれるのか?」

「いや、言ってみたけど俺の部活は兼部禁止だ。バスケ部の顧問はあの三好だ。そんなこと言っちゃ、あの竹刀の餌食だ」

「竹刀? 竹刀なんて持ってたか?」

「あのいつも使ってる指示棒のやつ。あれ竹刀の一部って言ってた。あれマジで痛いんだよなぁ」

「その痛みはみんな知ってる。まぁ俺と茉莉花は学業って部分で繋がってるから、まぁ指を咥えて見てろって」


 そんな馬鹿げた男子高校生の会話である。そんなありふれた会話をしていたが、俺は彼に昨日の花子さんについて話を切り出した。


「それで、今日は単純に昨日話した花子さんの事を調べようと思うんだ。この学校の歴史を調べたら多少は自殺者や行方不明者はわかるだろ」

「なるほどな、じゃあ図書館って訳だ。帰る時、時間合わせて一緒に帰ろうぜ」

「おう、じゃあ調べてくるからまた後でな」


 荷物をまとめ、足早に図書館へと向かう。暑い渡り廊下を通り、そこから更に別館にある図書館へ再び外の熱気に晒されながら図書館へ。

 外はとても暑く、今日の最高気温は36度になるそうだ。じきにもうすぐその最高気温に到達する時間帯になる。部活はまだ始まっていない。しかし、これから訪れる猛暑に備えるように人々は静まり返り、蝉の声だけがこの世界の音を支配していた。

 クーラーがガンガンと効いた図書館は驚くことに誰もいない。誰か部活動前に涼んでいたりしていそうなものだが、クーラーを浴びた後の熱風は耐え難いものでもある。それを控えての事だろうか。

 先客が一人だけおり、その姿を見て俺は背筋が凍りついた。背は百八十センチを超え、立派な肩幅を持つ巨大の教師一柳。その瞳が眼鏡の奥からギロリと俺を睨み付けた。

 彼は国語の教諭で、主に古文を担当している。しかし、そんな彼は世界史の資料がある本棚の奥からこちらへと歩み寄ってきた。


「お前は――芦屋か。こんな所で何をしている」


 俺は彼が苦手だ。厳格でいて、とても厳しい。他のクラスでは机を投げ捨てた事もあったそうだ。それに一度も笑ったところを見たことがなく、睨み付ける瞳の奥は、俺を矮小なものだと言わしめる何かが潜んでいる。


「え、えっと……学校の歴史を調べようと思いまして」

「学校の――歴史……?」


 俺の言葉を聞いた彼は、俺を睨む眼が穏やかなものへと変わった。それはこれまで一度も感じたことのない一柳の優しさがそこにはあったようだ。


「司書。コイツの言ったものは全て用意してあげなさい。歴史に興味を示すとは、なかなかに見どころがある」


 図書司書は彼の一言にビクリと反応し返事をする。彼女もどうやら一柳が怖いらしい。その気持ちは俺にもよくわかる。

 一柳はその一言を残して図書館から出ていく。それを合図に、図書司書の彼女は俺へと声を掛けた。


「それで、何をお探しですか?」


 先ほどの姿からは想像も出来ないほどにおっとりとしている。そしておまけに胸も、服が明確に盛り上がりを見せ大きい事を強調していた。


「あ、えっと……学校の――学校内で自殺した人とか、行方不明になった人とかいますか?」

「自殺した人? なぁに、探偵みたいな事でもしているの?」

「まぁそんなところです」


 しかし、そんな話をしたところ、彼女は耳寄りな情報のように話をしてくれる。


「じゃあ――行方不明の方ならすごくよく知ってる。私もここに異動になって一年経ったときの話」

「最近……ですか?」

「ええ、四年前かしら。十二月に、突如として一人の女の子が行方不明になったの。その時の情報から、彼女は学校と駅までの間に行方不明になっていてね。事件かと思われたんだけど、冬は夜早く暗くなる事もあってその日は、通学路には様々な教師が見回りをしていてね。事件性はないとして処理されたんだけど――」


 彼女は大きく深呼吸をし、ゆっくりと話を続けた。


「その日、門を見回りしている先生が、そもそも学校を出たところを目撃していなかったの。そして、その二日後に――彼女の遺留品が見つかったの。そう、この学校の中でね。事件として、学校内を隈無く捜査がされた――けど、なんの痕跡も見つからなかった。そしてその後、家族からは失踪届を出されておしまいよ」

「それは――聞いたことがありませんね。それ以外はないんですか?」

「それ以外は、しっかりしてるみたいでなかったみたいよ。もしかしたら揉み消されてて記録とかに残ってないとかはあるかもしれないけど。

それでその時の生徒を担当していたのがあの一柳先生なの。彼女を一年から二年生まで担当してたみたい。そこからあの一柳先生が怖い先生になったって言われてるわね」

「一柳……先生は、昔と違っていたんですか?」

「ええ、ずっごくユーモアな先生でとても面白かったわ。明るく、よく笑う先生で――その事件が彼を変えてしまった……」


 すぐ近くで鳴き騒ぐ蝉の声が遥か遠くに遠ざかって、俺の耳には届くことがなくなっていく。それは、凪いだ海のように、あるいは深淵の水底のように酷く静かで、心臓の鼓動の音だけが鳴り響いていた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ