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flanner flower ~魔女の求めた幸せの形~(2)

その出会いは突然だった。

乾いた風が体に触れる。その寒さに身震いし、コートを羽織るべきか思案する。

ため息を吐きながら、下を向いて歩いていた。

前もよく見ないままに、女が歩いていると急に強い衝撃を受けて、尻もちをついた。

「いたたた…………」

「すみません、大丈夫ですか?」

 そう言ってぶつかった彼は手を差し伸べた。

その手を取りながら、女は文句を言う。

「……ったく、どこ見て歩いてんのよ。気を付けなさい!」

「おっとっと、申し訳ありません」

 傍から見ても悪いのは女の方なのに、男は最後まで紳士な対応をしていた。

 きっちりした正装で、とても余裕のある、いわゆる「大人」な男性だった。

 

 再会は早く、その日の夜だった。

「失礼、もしやと思い話しかけましたが、やはり貴女でしたね」

「……なによ。お礼参りにでも来たわけ?」

 相も変わらない態度の女に悪態を付くこともせず、ニコニコと紳士な笑みを張り付けたまま男は女の隣に座った。

「そんなまさか、そんな度胸は私にはありませんよ」

「……なら何用で?」

「ご一緒しても?」

「…………どうぞお好きに」

 とんだもの好きが居たもんだ、女はそう思った。

 次々に引っ掛ける男が死んでいる、そんな噂がすでに酒場内には広まっているというのに。

 でも三人目のせいでハードルが下がっていたせいか、その男のことはすんなりと受け入れてしまっていた。

 今までの男と違って、静かに自分の話を聞いてくれたから。

 いつしか二人は友人と呼べる関係にはなっていた。



 そんな男との逢瀬は長く続いた。

 男との時間のおかげで酒に溺れなくて済むようになっていた。

 意外と趣味も合うらしく、料理の話で盛り上がったりもした。

 男との時間を重ねるほど、少しづつ気持ちが芽生えて、堆積してく。

 一人目と同じように、真に「好き」と言える感情が。次第に膨れ上がった。

 

◇ 


 それを知ってしまったのは、酒の回ってくだらないことが口から出てしまったから。

「……どうせアナタも、最初は私の体目当てだったりするんでしょ?」

「そんなことないさ。まぁ、魅力的だとは思うけどね」

「そう……」

「それに、私には婚約者がいるからね。不貞なんて働けないよ」

 時が止まった。

 聞き返そうとも思ったが、その一音すら、喉からでなかった。

 それくらい、衝撃だった。

 そこから何を言ったかも、何を飲んだかも覚えてない。

 ただ、久々に吐いたことだけは、不快感のせいで覚えていた。



 素直に話すか、それとも秘めるか。

 選択肢は二つ一つ。

 ———いや、その女の手にはもう一つの選択肢がある。

 他人の気持ちを弄ぶ、最悪の一手が。



 一晩泣いて、

 一晩吐いて、

 苦しくなって、何も食べず、

 どうしたいかもわからなくなり、

 もう、頭で考えることをしなくなった。

 他人のことなど知ったことか。

 見たこともない女との幸せを祈るより、

 自らの欲求に従おう。

 私の手には、そのために願ったものがあるのだから。



「私のこと、好き?」

「はい」

「婚約者よりも?」

「当然」

「愛してる?」

「愛してます」

 もう何度目かわからない問答を繰り返す。

 よくわからない空虚な感じが胸をなぞる。

 欲しかった言葉、欲しかった愛を確かめつ続ける。

 気づかぬうちに涙が流れていたことを、女は知らない。

 自室のベッドの上で体を重ねる。

 心がもう満たされないことを、見て見ぬふりをしながら。

 相手の顔など、もう見ていなかった。

 空っぽな目に映る自分を、見たくなかった。





「お昼できたわよー」

ひとけの少ない自然に囲まれた家。その中の畑の土をいじっている男に声がかかる。

男は後ろを向き、その相手に手を振って応えた。

静かに慎ましく暮らす二人の姿がそこにはあった。

二人は町を抜け出し、たどり着いた場所で家を建てた。二人住むのが精一杯の小さな家。

そこでほぼ自給自足の生活をしながら暮らしている。

二人の逃避行から約三年もの時間が過ぎようとしていた。

村はほぼ老人だらけで、あとは引きこもりと、病気がちな療養中の人間くらい。

外から情報が入ってくるのは旅商人が月に一度来るときくらい。

この場所のことが外に漏れるということはほぼないと言っても過言ではないだろう。

追手なんかを気にすることなのない、まったりしたスローライフ。

ゆったりした時間が、思い描いていたのとは別の「幸せ」がそこにはあった。

魔法も奇跡もいらない、普通の「幸せ」の形が。



今度こそやっと「幸せ」を掴んだ。

そう思ってた。

すると突然、当たり前の日常と化していた風景は嘘のようにはじけた。

男は急激に弱り始め、どんどん細くなっていった。

いつしか食事も出来なくなり、眼窩は窪み、正常な人間とかけ離れていく。

日の光も浴びれなくなり、殆ど寝たきりのような状態になる。

暗く埃かぶった狭い一室で、女は甲斐甲斐しく男を介護した。

村医者はヤブで、こんな症状は見たことが無いと言った。

それから数日も持たずして、男は簡単にこの世を去った。

もう忘れていた腐敗臭が、その狭い一室を満たした。



そこに留まる選択肢は無く、女は元の町へ戻った。

三年という時間は、生まれ育った町でも懐かしさを覚えるのには十分な年数で、何気ない町の変化や変わらない人々を、散歩して見て回った。

でも、変わらない風景のはずなのに、女にはどこか色褪せて見えた。

酒場は以前と変わらぬ場所にあった。

店主も健在で、いつものカウンター席に座ると何も言って無いのに前と同じ酒が目の前に置かれた。

久々に飲んだ酒は、

少し温かくて、

すごく不味かった。


それから女は以前と同じように酒浸りの生活に戻り、

何人もの男たちと空っぽな愛を交わした。

以前と違うところは、

もう女はその行為を「ただの遊び」としか捉えていないことだろう。

誰も彼もが、同じ台詞を吐いては、最後に女を独りにする。

そういった日々が積み重なり、かくして「酒場の魔女」が出来上がった。

魔女はもう誰も愛さない。


————もう、愛せないから。

 



 かくして、女は「魔女」となる。

 欲しがった愛を追うのは止め、ひと時の快楽だけで自分をどうにか満たそうとする。

 淡々と交わす即席の愛では、満足することなど無いというのに。

 

 


 その日は雪が降っていた。

 いつも通る道なのか、見分けがつかなくなるくらいには町が白一面で覆われた。

 慣れない感触を靴越しに足で感じながら、いつもなら気にしないような小さな段差に気を付けながら歩く。

 真っ暗な夜空と真っ白な地面が対照的だ。

 普段ならこんな時間でも誰かしらの怒号や笑い声が響くはずの広い通りも見る影がない。

 町が廃墟にでもなったのかと勘違いしそうなほど静まり返っている。

 風も強く、吹雪いた雪に飲み込まれてしまいそうだ。

 早くどこか室内へ、その一心で前に歩く。

 そんな折、雪でうまく見えない視界の端に妖しい人影を見つける。

 幽霊なのかと見間違えそうなほど、みすぼらしいぼろ布だけを羽織っている。

 呼吸をする度に白い息が見えるので、生きている人ではあるらしい。

 関わらないようにしよう、そう思い、横を通り過ぎた。

 それから少し歩いて広場のようなところに出る。

 そこの真ん中の雪の積もっていないベンチに、黒を纏った青年を見つける。

 夜空よりももっと深い黒のマント。何年も前と全く変わらない魔法使いがそこに座っていた。

「え……?」

 どうして、今更、何を、何のために。いろんな想像が頭を巡る。

 状況整理の追い付いていない女を無視して、魔法使いは口を開いた。

「状況は整えた、人払いも済ませた。後は君の自由だよ」

 その言葉の後、すぐに人間のものとは思えない獣のような唸り声が女を襲った。

 突然後ろから押し倒され、ふかふかの雪に顔面からダイブさせられる。

 押さえつけられる頭を必死に動かして、どうにか横目でその相手を視界に入れる。

 女を押さえつけていたのはさっきすれ違った、ぼろ布だった。

 隙間からのぞかせるその目は切れ長で、頭を押さえるその指は細い。

 隠れていた体躯も細身で、どう見ても相手は女性だった。

 そのくせやけに力は強く、身体を捻ってみてもびくともしない。

「リジーはどこ?」

 か細い声が魔女に質問する。

 ぼろ布の女が口にした「リジー」という名前。久しく聞いたその音に、魔女は思わず視線を下げた。

 それは四人目の男の名前だった。

「……もう居ない」

「なに?」

「もう居ないって言ってんのよ! 早くどきなさ———」

 女が声を荒げようとしたその言葉は背中を襲った鋭い痛みによって中断された。

 ぼろ布の女の手にはナイフがあった。

 果物ナイフ程度しかない小さめの刃物が。

 その色は禍々しく、どす黒く錆びたような色をしていた。

 魔女は、その今まで感じたことのない痛みに絶叫した。

 剝き出しの神経を焼くようなその感覚。女はその場で失禁する。

「汚いなぁ……。ああ、もう汚れまくってるから変わんないか、その体は」

 そう言いながらぼろ布の女は刺したナイフの傷口を広げるように、グリグリと無造作にナイフを動かす。

 それは半ば拷問のようで、聞くに堪えない汚い叫び声が辺りに広がる。

「あんたなんかのためにさぁ、私奮発したの」

 そう言ってぼろ布は半分以上を隠していた自らの顔を晒す。

 布の下には、一部が酷い火傷の様に変色した皮膚に、ほぼ髪が抜け落ちた醜い面があった。

 その顔に見覚えは、全くない。

 誰かも分からない者に急に刺され、恐怖で押しつぶされそうなのを食いしばり、女は聞く。

「……あ、あんた、誰よ…………」

 その声は涙で濡れ、とても弱々しく響いた。

「あの人の婚約者」

 淡々と答える声は恐ろしいほど冷たい。

 状況が少しづつ吞み込めてきた女は、早くこの状況を抜け出そうと思い体を横に転がして、ぼろ布女を自分の上から退かす。

「チッ……」

 逃すつもりのなかったぼろ布女は憎々しげに舌打ちをし、間髪入れずに仇へ襲い掛かる。

 一時的に状況は回復、まずは距離を離そうと立ち上がろうとした。

「……ぁえ?」

 しかし、その足が再び地を踏むことはなかった。

 上体は持ち上がったが、足はピクリともしない。

 当然といえば当然、そうするには余りにも、血が多く流れすぎていた。

 呆然と自分の身体を女は眺めた。切り離されたように動かない足を。

 渇いた笑みが、思わず零れた。

 動けない女に、ぼろ布が覆いかぶさる。

 今度はマウントポジションを取られ、完全に抑え込まれることになる。

「手間取らせんな」

「……ぅ、な、によ……もう」

「うるせぇ」

 言葉と一緒に凶刃は振り降ろされる。

 いとも簡単にそのナイフは女の手を貫き、地面と縫い付けた。

「いぎぃぃいぁああ、ぁぁぁあ……!」

 意識を失いそうになるほどの痛みだが、後から追いかけるように走る、焼けるような感覚が不幸にも女の意識を繋ぎ留めていた。

 気付けば辺りは深紅で満ちた。

 白い風景は地獄に染まる。



 風は止んでいた。

 時が止まったように静かだった。

 雪の冷たさは、いつしか暖かな血に塗りつぶされる。

 そんな中で唯一響いていた音は、ぼろ布女の恨み言と、女を殴る鈍い音。

 一定のリズムを刻むそれは、いつまで経っても止むことはない。

 もう痛みすら感じられなくなった女は声も出さない。

 涙を浮かべ、内出血して赤くなった目は、魔法使いの方を向いた。

 感情の見えないその顔は、笑うことも悲しむこともしない。

 ただ、淡々とそれを見ていた。

 女の音のない訴えを、分かっていながら無視をする。

「……ごめんね。契約の、履行中だから」

 それは女には届かない。

 激しいぼろ布の暴行は、女の鼓膜をも破ってしまっていたから。



 お気に入りの黄褐色の果物が熟れることだけが取り柄の時期。

 木枯らしが吹き、箒で集めた枯れ葉は無情にも夜空を舞っていた。

 その日帰ってきた婚約者は、明らかに様子がおかしかった。

 目は虚ろで、受け答えもハッキリしない。

「じゃあ…………行ってきます」

「へ……? ねぇ、ちょっと!」

 行先も告げずに彼は消えた。

 引き留める言葉は意味をなさなかった。

 一緒に将来を想像し、愛し合っていたのに。

 安泰な未来が、待っていると思っていたのに。

 たった一夜で瓦解した。

 後から聞けば、最近はある女とよく飲んでいたらしい。

 いい噂の無い、クソみたいな女。

 彼を探す間もなく私は、義両親から家を追い出された。

 戻った実家ではまともな待遇で受け入れてもらえず、自分は奴隷なのかと錯覚してしまいそうになった。

 そもそもこの婚約自体、家の取り潰しをどうにかするためのもので、家計は火の車。

 ほどなくして、実家も更地になった。

 愛した人も、帰るべき家も無くなった。

 残ったのは、行き場のない怒りだけだった。


 忙しさばかりに心をすり減らし、今日を生きるためだけに奔走していた。

 そんな日々の繰り返しは、気付けば数年も積み重なっていた。


 魔女の噂がじんわりと町に広がり始めたころ。

 すぐにそいつが婚約者を奪った女である事は気が付いた。

 知らないところで婚約者と幸せにしているなら良いと思っていたのに。

 戻ってきた女は彼を捨てて、前と変わらず——いや、もっと酷く男漁りをしているらしい。

 その事実はじんわりと、蓋をしていた感情を蘇らせた。

 憎悪から復讐に走る導火線は、あまり長くなかった。



「随分と恐ろしい顔をしたお客さんだ」

 森を抜けた先で、黒を纏った青年はそう言ってその女を迎えた。

 互いに世間話をする気はなく、話はとんとん拍子に進んだ。

「復讐」

「復讐?」

「そう、絶対に殺してやるの」

「自分の手で?」

「ええ」

「なるほどね」

 端的な会話。

 その女に向かって、魔法使いは問う。

「改めて聞こう。君は、何を望む」

「……復讐を。そのための準備と場を、整えて欲しい」

 それを聞いて魔法使いは、了承の言葉を述べることは無く、別の言葉を紡いだ。

「ネラリア」





「あんた! の、せい! でっ!」

 もう抵抗の意思のない相手に、ぼろ布女は執拗に刃を突き立てる。

「……っ、………ひゅー……ウッ」

 喉も切り裂かれ、おかしな呼吸音が漏れていた。

 息も絶え絶え。

 虫の息と言っても差し支えないだろう。

 顔も体も、傷のついてないところを探すのが難しいほど。

 命の鼓動もだいぶ弱い。

 意識を保ってるのも奇跡と言えよう。

 ぼろ布女も肩で息をしていて、疲労が見て取れる。

「ハア……ハア…………ふぅ」

 ニヤっと不気味な笑みを張り付け、女は両手でナイフを握り振り上げる。

「じゃあ………死ねッ……」

 確実なとどめを刺すため、振り上げられたその凶器は女の心臓へ。

 刺さる、と思われたそれはその途中で勢いを弱め、女の頬を掠めるに止まった。

「……いっ、……なん、で」

 ぼろ布女は心臓を押さえた。

「持たなかったみたいだね」

 いつの間にか近くに来ていた魔法使いが言う。

「……あ、がぁぁぁぁあぁぁあ!」

「まあ、『呪い』を使えば、そうなるよ」

 ぼろ布女は苦しそうに顔を歪めると、数秒と経たずして女に覆いかぶさるように倒れこんだ。

 錆びた色のナイフにひびが入ると、途端にバラバラと崩壊する。

 ぼろ布からはもう、息遣いは聞こえない。



 ぼろ布の下からは「ひゅー……ひゅー……」と微かな呼吸音がする。

 魔法使いは乗っている死体を退かしてあげる。

 瞳孔はほぼ開きかけ、もう魔法使いの顔すら見えていないだろう。

「……すこしだけ、楽にしてあげよう」

 そう言って彼は杖の水晶部分を死にかけの女に向ける。

 散った花弁のような光がひらひらと落ち、胸のあたりからじんわりと光が広がる。

 その光が消えると、腫れた痣が少し引き、傷口から血は流れなくなっていた。

 女の身体からは痛みだけが取り払われた。

「……まあ、自己満でしかないけどね」

 自嘲気味に呟く。

 女はゆっくり腕を空へ伸ばす。

 その掌が何かを掴む前に、その腕から力は抜け落ちた。

 パタンと弱い音が町に響く。

 虚ろな眼をしている女の目を閉じてあげ、魔法使いは体を離す。

 そこにある物体を、ただ見下ろした。

「君はただ、幸せになりたかっただけなのにね。フラン」

 涙の代わりにその言葉を零し、彼は背を向け夜の影に消えた。



 自らの幸せを願った女は、何も得ず、何も残せず、ただ全てを失った。

 男も女も復讐者も、誰も何もかも、全て雪と共に、

 人知れず、じんわりと、消えていく。



だいぶ時間掛かった。

まぁ、その分いい出来になったと思う。うん。

頑張った。



フランネルフラワー : 高潔 誠実 いつも愛して

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