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flanner flower ~魔女の求めた幸せの形~(1)

 

 その酒場には「紺色の魔女」がいる。

 その身に纏う色と対照的で蠱惑な色香を漂わせる赤の唇は、多くの男を狂わせてきた。

 そう、もっぱらの噂である。


 曰く、彼女はいつも同じ酒場に居る。

 曰く、その目を見ればたちまち心を奪われる。

 曰く、口づけを交わせば、彼女のことしか考えられなくなる。

 曰く、身体を重ねると、寿命を取られる。


 そんな信憑性の疑わしい噂が、町中に広まっていた。

 ただ、確かにその「魔女」はそこに存在していた。



 

 パラパラと軽い雨が降り、カエルたちが輪唱を繰り返す。

 そんな足元の悪い中でもその酒場は賑わいを見せる。

 雨の匂いよりもアルコールの匂いが強く、雨の音よりも談笑の声が反響する。

 落ち着いた雰囲気の白い壁紙にシンプルな作りの机と椅子。

 特段美味しくも不味くもないつまみ程度の料理を、複数人が囲んでいる。

 仕事終わりの付き合いか、主婦の夫の愚痴大会か。

 どこにでもあるような日常が繰り広げられている店内に、似つかわしくない男が一人。

 路地裏が似合いそうな厳つい風貌。周りのことなど少しも考えていない粗野な声が店先から響く。

「ここか? 『魔女の酒場』ってんのは」

 店の扉を豪快に蹴飛ばし、ドカドカと大股で大男は入ってくる。

 男の存在を受けて、ワイワイと賑やかだったテーブルが、一斉に静まった。

 そんな周りの様子は気にせず、店の奥、そのテーブル席を見る。

 そこには女が一人で飲んでいた。

 暗い紺色のワンピースドレスに、つばの広いとんがり帽子。

 まさしくと言った格好であった。

「ここには『ダチュラ』っていう名前があるのに、いったいいつから『魔女の酒場』なんて呼ばれるようになったんだろうな?」

 グラスを拭きながら店主は愚痴をこぼす。

「あら? そんな名前あったかしら?」

 妖しげに笑って魔女は言う。

「おまえ……」

「私、ただここでお酒飲んでるだけだもーん」

 グラスを空にしながら、自分のせいじゃないと言い張る。

 そこにさっきの大男が来る。

「本当に魔女が居るなんてな」

「ねぇ、同じの頂戴」

「はいよ」

 全く相手にせず、魔女は次の酒を頼む。

 それを気にせず男は隣に座る。

「何か用?」

 少しの沈黙の後、魔女が聞く。

「火遊びしないか?」

 男は酒を注文しながら答える。

 この酒場で、一番度数の高いお酒を。

「あらそう」

「付き合ってもらっても?」

「火傷したいの?」

「ベッドの上なら大歓迎だ」

 男のその言葉を聞いて、魔女はすこしだけ口角を上げる。

「……いいわ、その安い誘いに乗ってあげる」

 今日の獲物を見て魔女は微笑んだ。

 その後の男の行方を見たものはいない。誰一人として。

 

これは、『魔女』になんてなるつもりの無かった女の話。

幸せになりたがった、哀れな人生の始まりと終わり。

 

 

 


 小さい花弁の黄色い花や、丸っぽい白い花弁を持つ花などが彩る、出会いと別れの季節。

 そんな時期なのを忘れてしまいそうなくらい変わらない緑の景色が続く森の中の道。

静かな森の中を、ザッザッと草木を踏む音が響く。

 ゆっくりした足取りで、怯えながら気の小さそうに縮こまって歩く影が一つ。

 そんな調子で長い時間を掛けて、その女は魔法使いの家に着いた。

 ぼさぼさの髪、化粧も手入れもしてない肌、その雰囲気はまさしく『芋っぽい』と表現されるものだろう。

 女が扉の前まで近づく。

 その歩幅は小さく、亀と評したいほどの移動の遅さ。

 もしまわりに誰かいたなら、焦れった過ぎて声を荒げてしまいそうだ。

 そのくらいオロオロしている女が扉をノックしようと手を近くまで持っていくと、その扉は勢いよく開いた。

 扉が「バン!」という音を立てると同時に、女は驚いて「ひぃっ!」という声とともに身体を縮こませながら後ずさった。

 開いた先に明かりは無く、暗闇が広がっている。

「……そんなに驚くとは思わなかった。今日のお客さんは、随分と怖がりなんだね」

 暗がりの奥から、黒を纏った青年が現れる。

 柔和で優しそうな印象を持つ青年。

 しかし、身にまとう黒と何も映していないような目に女は恐怖を覚えた。

 その眼は闇を飼っているようで、明かりのないこの風景の中で最も昏いものに思えた。

「して、こんなところまで何をしに?」

 分かっていながら魔法使いは来訪者へ問う。

 あまり間を置かない魔法使いの問いに、女は焦り、口を開こうとする。

 この場の異常な緊張感にやけに喉が渇く。

 催促は無いが、どことなく感じる無言の圧。

 踏んではならない地に、足がついている感覚だった。

 どうにか呼吸を落ち着かせ、逃げ出したい気持ちを飲み込み、女はやっとの思いで口を開いた。

「うわさ……願いを叶えてくれるって、話を聞いて、その……」

 うまく回らない口をどうにか動かし言葉を絞り出す。相手の問いに、ただ簡潔に。

「そう」

 魔法使いも端的に返す。

 今までの客人よりも怯えの色が強い目の前の彼女に目を細めた。

「あ、あの、何か……?」

 表情を変えた魔法使いに女は自分が何か粗相でもしたのかと不安を募らせる。

 その問いには「いや」と何でもないことを示し、魔法使いは彼女に近づいた。

「なら、君の願いを聞こうか」

「え、あ……」

 最低限の会話で粛々と物事が進もうとしていることに女は戸惑う。

 もっと仰々しい何かがあってもおかしくないと思っていた手前、話が早すぎて置いてけぼりをくらっている感じがした。

 固まっている女を見て魔法使いは、少し性急過ぎたことを反省する。

「すまない、緊張させてしまったかな。このところは特に君と同じ人が多かったからさ。焦らせるつもりはなかったんだ」

「…………あ、いえ」

 少しだけ魔法使いの雰囲気が和らいだことで女はまともに口を開くことができた。

「せっかくだし、お茶でも出そう」

「えっと………はい」

 魔法使いが促して女を家に入れる。

 緊張は解けないままに、女は暗い中へ導かれた。




 真っ直ぐ進んだ奥の部屋。

 客間というにはいささか狭く、尋問部屋の方がしっくりくる場所。

 一対一では余計に空気の詰まりそうな空間の中、魔法使いと女は向かい合って座っている。

「心配しなくても、ただの紅茶だよ」

「……は、はい」

 優雅な所作で紅茶を口にする魔法使いに対し、女はより縮こまって座っていた。

 もう少し丸まったらダンゴムシにでもなりそうだ。

 警戒しているのか緊張しているのか、はたまたその両方か。

 それが薄まるまで待とうかと思っていた魔法使いだが、考えを改めるとティーカップを下した。

「長く沈黙を保っていても仕方がない、話を進めよう」

 そう言って向き直る。

 女も気を引き締めるようにゆっくりと姿勢をもどし、恐る恐る魔法使いと目を合わせた。

 その眼は変わらずで、目の前にいるものへの興味を微塵も感じられない。

 目の前にいる自分すら映ってないんじゃないか、そう思えるくらいだった。

 しかし、なんと口にすればいいのかは直ぐに分かった。

「わ、私は……好きな人が、居ます」

 それは一目惚れだった。

 一人でいることが多かった私に、彼は優しく声を掛けてくれた。

 いつしか異性で唯一気心の知れた友人になっていた

 もともと惚れっぽい所があった私が、彼を好きにならないわけがなかった。

 誰にでも優しくて、正義感の強い人。

ちょっと抜けたところが無いわけでは無いが、それすら愛おしく思える。

そんな人。

「でも、勇気がなくて、告白すらままならず……」

 自分以外にもきっと彼のことを想っている人は居るし、私なんかよりもお似合いの人がいるだろう。

 それに、彼は私のことなんて、きっと想ってない。

 叶うわけない、一方通行の思い。

 だから————

「ほ、惚れ薬が、欲しい……です」

 そう願いを口にした。

 それを聞き届けて、魔法使いは言う。

「ネラリア」

 そう魔法使いが口にすると同時だった。

 女の後ろから突然に少女は姿を現した。

 音を体からもその小さな口からも発することなく。

 その目を惹くブロンドの髪を靡かせて。

 自分の体よりも大きい杖を、魔法使いに手渡す。

鈍色をした杖だった。上部に付いた水晶の中には四枚の花弁からなる黄色い花が浮かんでいた。

魔法使いは屈んで少女と目を合わせる。

「ありがとう。惚れ薬の材料を上から持ってきてくれるかい?」

 そう投げかけると少女は軽く頷く。

それを見て、魔法使いが少女の頭を撫でた後、少女は姿をくらました。

 気配どころか息遣いさえ感じることのできなかった少女が目の前に現れたことで、女の心臓はその動きを早くしていた。

「突然現れて驚いただろう。びっくりさせてすまないね」

 そんな言葉も耳に入らないほどに腰を抜かした女は心臓の位置を手で押さえて下を向いていた。

 女の状態など気にすることなくその準備は進んでいく。



「お、あったあった」

 さっきまで居た部屋を出て右の場所。魔法使いの後についていくと、そこは台所だった。

 乱雑に押し込まれている中に手を突っ込み、その中の大きめ鍋を引っ張り出すと魔法使いは壁際のスペースにそれを置く。

 どこの家庭にも置いてありそうな内耳鍋で、特にこれと言って変なところは無い。

 奥の方にしまっていたからか少しだけ埃のついている鍋の底を見て、魔法使いは杖でその鍋をこつんと叩く。

 すると鍋はその場から浮き上がり、空中で静止する。

 簡単に肌で感じられるくらい、部屋の温度が少し下がる。

 そこに魔法使いが空間を軽く指でなぞると、どこからともなく水が鍋の近くに集まってくる。そしてそのまま鍋を覆って少しした後、霧散するようにして水は消えた。

 残った鍋は新品のような状態になっていた。

「ほ、本当に……魔法使い、なんですね……」

 その現実じゃありえない奇跡を目の当たりにしてやっと、女はそれを理解する。

 目の前の存在は、本当に奇跡の術を使えること。

 そして、自らの願いが本当に叶えられるということを。

 驚き、畏怖、さらには期待。それらが入り混じった複雑な感情を抱え、女は魔法使いと目を合わせた。

「願いを叶えにここに来るのに、魔法を見せると毎回同じ反応……。それまで僕は君たちの中で詐欺師とでも思われているのかな」

「え、あ、そんなつもりじゃ……」

「大丈夫、冗談だから」

 そう言って魔法使いは目元だけで笑って見せる。

「あ、そこに置いといてね」

 魔法使いがそう言った時にはもうその少女は女の真横に居た。

 ブロンドの少女の存在を目でとらえた瞬間、その場から飛び退く。

 恐怖で声も出ないという体験を女が人生で初めて経験した瞬間だった。

 少女の手にはお盆が抱えられていて、その上に幾つかの瓶があった。

 赤茶色をした葉っぱに、丸くふっくらした花弁の黄色の花と白の花。そして、一段と不気味な不格好な人形のようにも見えそうな何かの根のようなもの。

 それらの瓶の蓋を開けては、適当に放り投げるように魔法使いは、鍋に入れていく。

 それらのあまりの適当な扱い方に、大丈夫なのか心配になりながら、女はそれを見ていた。

「どのくらい本気?」

「え?」

 突然、魔法使いが背を向けたままで女に質問をする。

「好きな相手のこと、どれくらい本気なの?」

 意図はわからないがその問いには女は素直に気持ちを吐露する。

「……一生を、共にしたいくらい、です」

 その答えに「そう」とだけ魔法使いは返す。

 そして、おもむろにナイフを取り出すと、女にそれを手渡す。

 急に渡された果物ナイフほどの刃物に女はたじろぐ。

 そんな女の動揺も意に返さないまま、魔法使いは鍋を指して言う。

「血を、そこに入れなさい。君の血を」

「……ぁ、へ?」

「沢山ほしければ、その分だけ血を入れるといい。好きなだけ、ね」

 予想だにしなかった、そんなことをしなければいけないなんて。

 刃先を見つめる度、心臓がキュッとなる感覚を覚える。

どの程度の量なのか、どこの血なのか、そういった指定も無い。

 普通の感性なら出来ても指先に刃先の一ミリにも満たないくらいを突き立てるのが精一杯だろう。

それに、望んだもののため、とはいえ自傷行為を何の躊躇いもなく行うには覚悟がいる。

 鼓動はやけに早いのが分かり、その音がだんだん五月蠅くなる。

「無理はしなくていいよ」

 普通ならこの時点でナイフを手から落としているだろう。

 でも、彼女もまた、この森を抜けてきた一人なのだ。

「……………いや」

 それだけの覚悟があったからか、それとも元からイかれてたから、その刃先は、勢い良く彼女の左手首を深く切り裂いた。

 それからすぐに、蛇口を捻ったみたいにダラダラとどんどんとその液体が、鍋の中に注がれ、その中の色を一色に染め上げた。

 そんな痛々しい光景をみる魔法使いの目は、相も変わらず冷めている。

 女がフラフラと倒れそうになるのをブロンドの少女が受け止める。

「…………あ、りが」

 どうにか感謝の言葉を絞り出し、少女を見る。

 その顔に心配の色などは無く、人形みたいだと女は思った。それに綺麗だ、とも。

 もういいかと魔法使いが動こうとした、その時。

「…………まだ。……も……ちょ、っと」

 そんな女のつぶやき。

 女はそのまま同じ要領でもう片方の手に傷をつけようとしたが、深く切りすぎたせいか、ナイフをうまく握れない。

 だが、そうと分かれば行動は早かった。

 地獄の色をした鍋の上に女は右手を乗せる。

そのまま振り上げると、一息に腕を貫通させた。

 相当な痛み、のはずなのに、女はたいして声を上げなかった。

 視界が、自身が遠のいていく感覚。

 その時にはすでに女の意識は半分ほど飛んでいたから。

 半開きの口から「…………ま、だ」と漏れているのは魔法使いですら少し恐怖を覚えた。

 女の体から力が全部抜けきって、地面に倒れこんだところで魔法使いもその体を支える。

「……こんなに無茶できるなんて。恋する乙女とは末恐ろしいね」

 いつもは仏頂面の魔法使いも今回ばかりは苦い顔をしていた。





 目が覚めるとそこは自分の部屋だった。

 昨日のことが夢なんじゃと思えるくらい、いつもと変わらない朝。

「痛っ……」

 ただ、そうではないと腕に走る痛みが教えてくれた。

 見ると、左の手首には横一文字の傷、右腕の手首より少し下のあたりに細長い傷跡がある。

 治りかけのようで、少し動かすだけでも小さく痛む。

 なるだけ動かさないように気をつけつつ、顔を動かすと近くのテーブルに目がつく。

「ゆ、夢……じゃ、ない」

 そこには瓶詰になっている透明な液体があった。

 よく見るために近づくと、瓶の下に一枚、紙が挟まっていることに気づく。

 それはこの液体の取り扱い説明書のようなもので、少量で効くこと、何度も盛る必要は無いこと、保存方法などが細かくびっしりと書いてある。

裏面をには一文だけが記されていた。


『これが君の望んだもの。どう使うかは君の自由』とだけ。



 それの効果がてきめんであると分かるのは、それからたった数時間後のことである。


  

 相手が望んだ言葉をくれるというのが、どれほど嬉しいことかというのを初めて知った。

 相手の口から出るその愛の言葉に、歓喜で体が震える。

 愛おし気に触れてくれるその指先がくすぐったくてたまらない。

 抱きしめあったその温度が、ずっと胸に残り続けている。

 お互いが溶け合うまで求め合うその口づけは、まさしく極上の甘露。

 魂に刻み込むくらいに深いところまで交じり合う。

 きっとこれが「幸せ」というものだろう。

 この高揚を、多幸感を、そう呼ばずして何と言うのか。

 これまでの人生の中で一番の夜が、更けていった。

 それは紛れもない「幸せ」だったのだ。

 例え、相手の目が虚ろだったとしても。

 彼女にとっての、「幸せ」だったのだ。

 女は眠りにつく。これからの幸せを想って。



 そんな日は来ないと思ってた。

 この幸せに終わりはないのだと。

 ずっと続くと、そう思ってたのに。

 何の前触れもなく、彼は居なくなった。

 ここに居た証も、昨日抱き合ったぬくもりも、まだここにあるのに。

 彼だけがいない。

 意味が分からない。

 出て行った形跡も無く、そんな素振りも見ていない。

 どうして?

 美形な彼に釣り合うように、生まれて初めてチークとファンデーションを使った。

 慣れていなくて、肌に濃い目に色を付けてしまった時。

不安そうにしている私に優しく「大人びていて、素敵だね」とほほ笑んでくれた。

「もう離さない」と囁いてくれたのに。

 どうして?

 祭りの最中、私が貴方に触れたいと思ってもどかしくしていた時。

何も言わずに手を握って、屋台が立ち並ぶ中を一緒に隣を歩いてくれたのに。

どうして?

不安になって、夜に泣いてしまった時。

私を後ろから強く抱きしめて、頭をぽんぽんと優しく撫でてくれたのに。

なぜ?

どうして?

なんで?

 互いに名前を呼び合い、熱の籠った目を向け合ったあの時間は、偽物だったの?

ずっと一緒だと教会で誓ったあの言葉は、嘘だと言うの?

嘘をついていい日はとっくに過ぎているのに。

私は何か天罰の下るようなことでもしましたか?


あんなにも幸せだったのに。

あんなにも愛してくれたのに。

あんなにも、愛していたのに。



シャボン玉のような泡沫か、はたまた胡蝶の夢だったのか。

女の幸せはあまりにも、唐突に、終わった。





部屋中をひっくり返した。

男の実家も探しつくした。

近所に

町中に

道行く人に

聞いて回ったし、紙も貼りだした。

沢山苦情が届いたし、友人も何人か失った。

でも、そんなものよりも彼が大切だったから、好きだったから。

何よりも、愛していたから。

女はくじけまいと、できる限りのことをした。

少しの手がかりでも、見つからないかと。

自身を顧みることも忘れ、探し回った。

それでも、恋人が見つかることは、終ぞ無かった。


疲弊して、折れかけた心を埋めるのは、慣れないお酒しか無かった。

浴びるほど飲んでも  心の渇きは潤うことは無い。

吐いても吐いても気持ち悪さが拭えない。

それでも酒に呑まれるしかなかった。



少しづつアルコールが体に馴染み始めたころ。

酒量も増え、いちいち買いに行くのも面倒になり、酒場を利用するようになった。

 女一人で飲み更けていると当然、男が寄ってくる。

「お隣、いいですか?」

 それは真面目風の男だった。

あの魔法使いを少し細くして、迫力を無くしたような感じ。

そんな優男が声をかけてくる。

興味もなく、「はい」も「いいえ」も言わないでいると、男は勝手に隣に座った。

あまり広くないカウンターの席、肩の触れそうな距離に。

「…………何か?」

 不機嫌そうな低い声。

 相手にする気がないのは明白な面持ち。

「いや、女性一人は珍しいと思ってね。お邪魔かな?」

「……ええ、かなり」

「……そんなにハッキリ言われるとは、思わなかったなぁ」

 第一印象はサイアク。

 女にとってはどうでもいい。そんな男だった。



人間、話してみないと分からないものだ。

ただの空気の読めない奴と思っていたのに、話してみれば意外と気が合うらしい。

酒場に行けば必ず彼女の元に行き、他愛のない話をする仲にはなった。

面白くもないこと、興味のない彼の趣味の話、聞きたくもない女性の遍歴まで。

彼は良く喋る。

でもお酒には弱いのか、飲むとすぐに顔を真っ赤にし、同一人物なのかと疑うほど静かになる。

そして、ぽつぽつと夜逃げした奥さんのことを語りだす。

決して一緒では無いが、似たような傷を持つ者同士、共感しあえるところはあった。

そして月日を重ね、二人は体を重ねる。

互いの傷を埋めるため。

それで埋まることは無いと知りながら。

居なくなった妻を思い出して泣く彼に辟易しながらも、二人は互いの体温を確かめ合う。


「こういう時くらい、私を見なさいよ」

「…………うん」

弱々しく頷く男を見て、女は決めた。

あの液体を飲ませることを。

幸い色は透明で、どんな酒に入れても違和感は生じない。

薬を盛るのはとても簡単だった。

「私のこと、好き?」

「うん」

「前の奥さんのことは?」

「どうでもいい。今は、君しか見えないよ」

「…………そう、よかった」



次の日の朝、部屋に漂う異臭によって、女は目を覚ます。

その臭いの原因はすぐ横、男の体から。

お漏らしなんて生易しいものであったら、どれほどよかっただろうか。

男はすでにこと切れていた。

泡を吹いて、白目を向いて、心臓はすでにその動きを止めていた。

きっとお酒のせい。

女はそう思った。

そう、思うことにした。





また一人になる。

するとまた、花の蜜に寄り付くミツバチのように、男が寄ってくる。

無駄に長く太陽は照り付け、黄色い花は背を伸ばし、やたらと虫は鬱陶しくなる季節。

蠅なんかと同じくらい、鬱陶しい男が寄ってきた。

三人目は最初から魂胆が透けて見える。

下卑た笑み。チャラそうな服。割と鍛えられているがっちりした身体。

誰が見てもそう『体目当てだ』と言うだろう。

隠そうともしない下種な考え。

そんなのに付きまとわれては、気分は最悪だろう。

でも、その時にはもう誰でもよかった。

この砂をつかむように幸せが逃げていく感覚が無くなれば。

だからもう、初めから酒に盛ることにした。

男が席を外しているうちにお酒に一滴混ぜ、それをそっとテーブルに忍ばせる。

男は何の違和感も持たずにそれを口にし、二言目には私をベッドの上に誘った。

馬鹿な男だった。


性格はサイテー、腰振りはイマイチ。

だけど羽振りだけは良かった。

ねだれば何でもそろえてくれるし、それなりに良い思いができた。

でも楽しいのは一瞬だけ。

朝が来ればいつも、二日酔いよりも悪い気分になった。



そんな男が死んだと聞いたのは、何でもないお昼のこと。

買い物をしている最中、主婦たちの井戸端会議を横耳に挟んでいた時だった。

オバさまたちが「怖いわね~」と何でもない話をするように言っていた。

どうやら、誰とも知れない浮浪者がよくうろついている路地裏で死んだらしい。

恐らく、藪をつついて蛇に噛み殺されたのだろう。

羽振りがよかったのは、良くない仕事していたからか。全部推測でしかないが。

所詮カラダだけの関係だったのだと、女はチャラい男のことを忘れることにした。

本当に、馬鹿な男だった。それだけなのだ、と。

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