第95話 亡国の兵士
下級メイドの序列には、スカラリー・メイドというポジションがある。キッチン・メイドの配下としてお料理を学びながら、後片付けと食器を洗うのが主な仕事だ。
ところがフローラ軍ときたら三人娘が、水属性の力で一気に食器を洗い、風属性の力で一気に乾燥させてしまう。三人娘が手を放せない場合は、フローラかグレイデルがほほいとやっちゃう。千人を超える軍団の糧食事情に於いて、歩く食洗機が五人もいるのは大きい。
ランドリー・メイドと呼ばれるポジションもあり、こちらは洗濯を請け負う縁の下の力持ち。三日も風呂に入らず同じ服を着ていれば、臭うし不衛生な事この上ない。その洗濯を移動遊郭の娼婦たちがやってくれるので、フローラ軍は稀に見る清潔な軍団と言えるのかも。
「母さん、姉さん、よくぞご無事で!」
「おおリーベルト、よく顔を見せておくれ」
「リーベルトも無事だったのね、良かった」
床に膝を突いて抱き合う親子の再会に、心温まる首脳陣と隊長たち。
ズルニ派の親分ザンギから情報が寄せられ、離宮を守備するのは一個中隊、約百名と判明した。そこで離宮をぐるりと取り囲み、フローラは降伏勧告を突きつけたのである。
白旗が揚がるのにたいして時間はかからず、大聖女は無血開城に成功したのだ。フローラ軍は野営を展開せず、離宮を軍団の拠点として今に至る。
幸いなことに人身売買が停滞したことで、リーベルトの母マーガレットと姉のセシリーは、売られることなく離宮に留め置かれていた。
「我が名はゲルハルト・トゥ・リヒテンマイヤー、縁あってリーベルトの主人となった。配下の家族であれば君らもわしの家臣だ、今後どうしたい?」
ぽかんと口を開ける母と娘の図。リーベルトがローレン王国の領民となり、大貴族の家臣となったのだ、そりゃ驚いて開いた口も塞がらないだろう。そして極めつけはリーベルトが、紹介しますとスワンを手招きしたことだ。
「僕は成人したらこの人と結婚します」
「スワンと申します、どうぞお見知りおきを」
騎馬隊長の従者で更に婚約者の登場と、理解が追い付かないのも頷ける。ここで笑っちゃいけないと、首脳陣も隊長たちもメイドたちも、お腹に力を入れてぐっと我慢です。
「こんな立派なエメラルドの婚約指輪、いったいどうやって? リーベルト」
「女王陛下が出世払いでいいと、僕に与えてくれたんです、母さん」
出世払いは建前で、フローラとしてはスワンを幸せにしてくれたなら、それでチャラにするつもりでいた。けれどリーベルトは律儀な性分らしく、絶対お返ししますと思っているようだけど。
「それで母さん、姉さん、どうしたい?」
「一緒にいたいけど、私たちに出来る仕事といったら、スカラリー・メイドかしらセシリー」
歩く食洗器が五人もいるので、そこは間に合ってます。とは口に出して言わない皆の衆。家族で一緒にいたいだろうけど、相応しい役割りが思い付かないのだ。
「あとはランドリー・メイドかしら、母さま」
お洗濯は移動遊郭の娼婦たちがやってくれるので、そっちも間に合ってます。とも口に出して言わない皆の衆。さてどうしたもんかと、ゲルハルトがアリーゼと顔を見合わせる。
「私は兵站隊長のキリアよ、ちょっとお尋ねしてもいいかしら、マーガレット」
「はい、何なりと」
「家族で製粉をしていたのよね?」
「そうです、麦にそば、きびやひえにあわまで」
実は麺料理を導入したことから、製粉をやってくれる人員が不足していたのだ。これも天の采配かしらと、キリアはフローラに目線で合図を送る。もちろんオッケーよと、フローラも頷き目線で返す。
「マーガレットとセシリーを、兵站部隊の糧食チームに欲しいです。よろしいでしょうか? ゲルハルト卿」
「もちろん異論はない、面倒を見てやってくれ、キリア殿」
よし製粉の心配は無くなったと、三人娘がガッツポーズしてたりして。職人チームが製粉機を追加で作ってくれたけど、誰でも良いってわけじゃないのだ。
加減が分からない人だと、目が細かすぎたり粗くなったりと、品質が安定しないのである。喉から手が出るほど経験者が欲しかったところに、ぴったしかんかんの人材が来ましたってこと。
「シルビィ、解放した女性たちのケアを、お願いしていいかしら」
「もちろんですともフローラさま、私と配下にお任せ下さい」
出身の村へ帰すのは簡単だが、そんなお役所仕事で世の中丸く収まるなら、誰も苦労はしない。恐怖と絶望に打ち震え、傷ついた女性の心を癒さねばならない。世の中の酸いも甘いも噛み分けた、暗殺者の娼婦ならば、カウンセラーとして適任だろう。
「では皆さん、参りましょうか」
フローラに促され、首脳陣と隊長たちは中庭に出る。そこには武装を解除され、捕虜となった皇帝軍兵士が集められていた。白旗を揚げ投降したとき、誰がどこの王族かは聞かされている。特にネーデル王国のレインズ王は、言いたいことのひとつやふたつはあるはずで、捕虜たちは恐々としていた。
「もう不要かとは思いますが改めて、私はローレン王国女王、フローラ・エリザベート・フォン・シュタインブルク。法王さまの名代として、あなた方に尋ねます」
何を聞かれるのだろうと、ごくりとつばを飲み込む捕虜たち。彼らの処遇をどうするか、首脳陣は話し合い既に決めていた。これからフローラが問うのは、僅かでも人間性が残っているかだ。
「人身売買を由としない者、前へ出なさい」
非人道的な行為と分かっていながらも、忸怩たる思いを抱えていた捕虜が前へ出た。約半数でしょうかと、クラウスにマリエラが囁き合う。後は任せたわよと、フローラはシュバイツに繋ぐ。
「ブロガル王のシュバイツ・フォン・カイザーだ。皇族の血筋として、いま前へ出た君たちに尋ねる。皇帝陛下にお目にかかり、事の真相を知りたいと欲するならば、更に前へ出よ」
はっと息を呑む捕虜たちに、シュバイツは間髪入れず畳みかける。陛下の演説を聴いたのは何年前だ、お顔を拝見したのはいつだと。お前たちが忠誠を誓った陛下は、人身売買を行なうような人物だったのかと。
「中隊長のゲッペルスです、何を仰りたいのでしょうか」
「それを確かめるために、俺たちはここへ来たんだ。君たちの主人は陛下であり、長男のグレゴではあるまい」
「まさか……」
「そのまさかだ、もう一度聞く。陛下の安否を確認をしたい者は、更に前へ出ろ」
人間性の残る捕虜が顔を見合わせ頷き合い、陛下への忠義を尽くそうと揃って一歩前へ出た。つまり全く動かなかった捕虜は人間性も、主君に対する忠誠心も無いわけだ。武人として終わってるなと、ゲルハルトが苦虫を噛み潰したような顔になる。後はよろしくと、シュバイツはフローラに引き継いだ。
「動かなかった皆さんは、早急に離宮から出て行くように、背後から追撃するような事はしません。ただし肝に銘じておきなさい、長男グレゴ側に付いて私たちと戦火を交えるならば……」
そこまで言ったフローラから、強烈なコアシャンが放たれた。味方ですら畏怖の念を抱かせるのだ、ローレンの聖女を快く思っていない者であれば、恐怖のどん底に落とされる。
「私は白旗を認めません、我が軍団は殲滅戦を敢行し、一兵たりとも残さず葬り去るでしょう。生きて会うことは二度とないわね、さらばです亡国の兵士らよ」
切り捨てたようにも見えるが、それは苦渋の決断であった。最初にフローラが前へ出ろと言ったのは慈悲であり、それを蹴ったのであれば救いようがないのだ。彼女は修羅となりて首都サウロスを、武力によって陥落させるだろう。白旗を認めないと宣言したのは、けして脅しなんかじゃない。
「食料の備蓄はどうだった? キリア」
「期待はしていませんでしたが、酷いものですフローラさま」
「奴隷商人に売りつけるなら少なくとも、健康状態は維持するものでしょう。食料の調達と配給はどうなっていたの? ゲッペルス隊長」
「そ、それは」
どうして自分はこの場に呼ばれたのだろうと、身の置き場がないゲッペルス。キリアが豆しかありませんと報告し、なんだそれはと隊長たちが憤る。領民の税負担は物価はどうなっていると、矢継ぎ早に聞かれもはや針のむしろ。
「税負担率は変わっておりませんがインフレが進み、白パンをひとつ買うのに銅貨五枚なのです。無理な軍事運用を強行し、全てに於いて物資が不足した結果かと。我々兵士とて長いこと、まともな食事を口にしておりません」
ネーデル王国を占領すれば解決する、そんな思惑もあったのだろうと、首脳陣も隊長たちも言葉を失う。一番面白くないのは被害者であるレインズ王で、こめかみに手を当て盛大なため息を吐いている。
そこへお待たせしましたと、ワゴンを押して来た三人娘が、ワンプレートをみんなに並べていく。プハルツが食べたいとリクエストしていた、ハンバーグプレートである。まとまった牛肉が中々手に入らなくて、延び延びになっていたのだ。もちろんゲッペルスの前にも、ポタージュスープと一緒に並べられた。
プハルツの要望だから奇をてらわないプレーンハンバーグ、白米は神話伝承盛りで付け合わせに茹でたニンジンとブロッコリー。大根サラダにちょんと乗る、プチトマトの赤もきれいで見た目も美しい。
「肉汁があふれて白米にもよく合う、美味しいよ桂林、明雫、樹里」
大絶賛するプハルツに、お褒めにあずかり光栄ですと、にっこにこの三人娘。チーズや大根おろしを乗せたりカレーをかけたりと、色んなバージョンがあることを後で知り、プハルツは驚愕することになるのだが。
「あの、すみませんフローラさま」
「どうかしましたか、ゲッペルス隊長」
「兵士たちにはどんな食事を?」
「同じものですよ、あなたの部下も、捕らわれていた女性たちも」
彼の手からフォークが滑り落ち、床でからんと音を立てた。給仕に就いていたミリアがすすいと動き、フォークを新しいものと取り換えていく。
なんだこれは、一体どこから食料を調達していると、ゲッペルスは動揺を隠せないでいた。しかも千を超える人員に同じ食事などあり得ない、どれだけ戦費があるのかと混乱してしまう。
ゲッペルスもひとかどの貴族で領地を持ち、運営するための経済くらいはかじっている。ただひとつ分かることは、国力の差がありすぎる現実だ。フローラ連合を敵に回して勝てる勢力が、果たして大陸に存在するのだろうかと。
「失礼いたします」
「あらスワン、どうかして?」
「警戒態勢中ですけれど、ぶどう酒を三杯まで許可していただけないかと。兵士たちが飲みたがっておりまして」
「あなたも飲みたいのでしょ、シルビィも」
あらバレちゃいましたかと悪びれないスワンに、いいわよと許可を出すフローラ。それではとミリアにリシュルが、みんなに杯を置きぶどう酒を注いでいく。兵士に酒を振る舞う余裕すらあるのかと、今度はスプーンを落としてしまうゲッペルスであった。