第91話 いよいよ皇帝領の首都へ
ここは夕食でにぎわう野営地の、兵站エリアにある女王テント。首脳陣と隊長たちが集まり、和やかに手とスプーンを動かしていた。今日はカレーの日、それぞれが三種の本格カレーを満喫している。
フローラとグレイデルのカレーだけが、マグマが如く燃えたぎる灼熱の赤、三人娘に言わせると七辛だそうで。事ここに至ってはレインズも、気にしたら負けだと思うようになっていた。
「カレーの日はこれが出るわけですね、フローラさま」
「カレーにも色々と種類があるのですよ、レインズさま。当日の夜、出て来てからのお楽しみなの」
「なん……ですと?」
「俺はもったりしたビーフカレーも捨てがたいと思うんだぜ、ヴォルフは?」
「俺の推しは豚しゃぶカレーと牛すじ煮込みカレーだ、シュバイツ。あれは食べ物じゃなくて飲み物、そう思わないか」
言い得て妙だなとシュバイツが目を細め、顔ほどもある大きさのナンを千切る。牛丼の具をトッピングしたカレー、あれは罪ですよねとグレイデルがころころと笑う。
隊長たちがトッピングならトンカツにハンバーグ、鶏からにメンチカツもとあーだこーだでカレー談義が止まらない。給仕をするミリアがシーフードカレーも、リシュルが野菜ごろごろカレーも、忘れちゃいけませんと話しに輪をかける。
「マリエラ候にも、好きなカレーはあるのですか?」
「よくぞ聞いて下さいました、プハルツさま」
「ほう」
「まだ一度しか出てないのですが」
「ほうほう」
「マサラ黒カレーと、マサラ赤カレーがお気に入りですの」
「それは興味がありますね、ウェイティング・メイドの三人に、リクエストしてみようかな」
クラウスとキリアが、おやまあと顔を見合わせる。どちらもスパイシーで辛め、特に赤の方は名前が示す通りでマニアックな辛さ、美味しいのだけどね。こうして三人娘の手により、みんな辛いのに慣らされてしまうのだろう。
「キリア殿、カレーは領事館に派遣して頂いた料理人も、作れるのですか?」
「もちろん各種作れますよ、レインズさま。今頃は姪御さんの為に、甘口のカレーを提供していることでしょう」
「野菜嫌いのはずなんだが、大丈夫だろうか……」
ぜんっぜん問題ないですと、満面の笑みを浮かべる兵站隊長さん。お子ちゃま向けは何の野菜か分からなくなるほどの、超が付くみじん切りにしているからと。
お肉はでっかく野菜は細かく、子供が嫌いがちな野菜をたっぷり忍ばせる。知らず知らずのうちに子供たちは、苦手な野菜を摂取してるって寸法だ。私もそれでキリアにやられたのよねと、フローラがくぷぷと思い出し笑いをする。
「失礼いたします、フローラさま」
「あらスワン、向こうはいいのかしら」
「腹も満ちたようですので、臭うから風呂に行かせました。ゲオルク先生が石鹸の使い方を教えてやろうと、申し出て下さいましたので大丈夫です」
そう言ってスワンは、メモをフローラに手渡した。
村々が閑散としている理由、
婦女子がさらわれた経緯、
人身売買が行なわれている件、
皇帝領教会の司教が噛んでいた事実、
けれど行方不明になっておりキリアに葬られたという予測、
首都の市場は期待できず他国で集める旨の進言、
皇帝は公の場に姿を見せておらず長男が表に出ている不可解さ、
これらが簡潔にまとめられていた。
ざっと目を通したフローラは、みんなで回し読みをとシュバイツへ渡す。スワンが口頭ではなく文章で報告したのは、全軍へ知らせる前に首脳陣で、意思決定をして欲しいから。
今ここには各国の護衛武官が、それぞれ主人の後ろに控えており、テントの前には衛兵もいる。口は堅いだろうけど中途半端な情報が、兵士らに漏れれば要らぬ憶測や流言飛語の元となるだろう。そこはパーラー・メイド、軍団には正しい情報と、自分たちが何をすべきか、前もって方向性を首脳陣に示して欲しいのだ。
「よくやってくれたわ、スワン。ところでリーベルトのようすはどう?」
みんなが読み終えるのを待つ間、尋ねたフローラにスワンはそれがですねと、眉を八の字にした。何か問題があるのですかとグレイデルが、読み終えたメモをヴォルフに手渡す。
「へろへろになってて、宮廷作法を教えるどころじゃないのです。少し手加減して頂けませんか、ゲルハルト卿、アリーゼさま」
どんな訓練をと尋ねるゲルハルトに、護衛武官としてフローラの後ろに立つアリーゼは、そこの川を平泳ぎで五往復とのたまう。確かに水泳は全身運動で理に適っているが、結構な川幅があるだろうと呆れる首脳陣たち。
この人ローレン王国の軍事教練学校よりもスパルタだと、開いた口が塞がらないヴォルフと隊長の面々。それが彼女の考える基礎体力なんだと、額に手を当てるシュバイツとクラウス。
マリエラとプハルツにレインズも、手の動きがすっかり止まっていた。まさかそこまでやるとは思っていなかった、ゲルハルトがげふんげふんと咳払い。
テントの外で聞き耳を立てていたダーシュが、やっぱりなとタンドリーチキンをわふわふ頬張る。メイド専用テントへふらふらと向かう、満身創痍のリーベルトを見かけたからだ。
「流れは緩いですし足を付けば立てる深さ、溺れ死ぬことはありません。でも教育に支障が出るのであれば、明日の朝は三往復にしといてあげましょうか、あなた」
「そうしてくれアリーゼ、根性だけで騎士は育たぬからな。お前の家臣でもあるし、心が折れない程度で頼む」
承りましたと、にっこり微笑むミーア派の仕事人。何をどう承ったのか、不安でしかないフローラたちである。多分アリーゼは頭の中で、別の鍛錬メニューを組み立てているに違いない。
こりゃ明日も使い物にならないと思ったのか、スワンはへにゃりと笑い女王テントを辞した。出た先で切り株に座るリーベルトを見れば、腕が上がらずナンを千切るのさえ苦労しているもよう。見かねたシーフの二人が、病人を介抱するが如く食べさせてあげていた。
「では皆さん、まずは私の考えから」
「是非とも聞かせてくれフローラ、ここにいるのは君と命運を共にしたい仲間だ」
クラウスに促されフローラは、メモを読み終えたみんなの顔を、ひとりずつ見ていく。誰もが付いていくよって、頼もしい表情をしていた。ここにいるメンバーが、新たな千年王国を築く柱になってくれる。そう思うとフローラは、胸の奥から嬉しさが込み上げて来た。
「離宮で捕らわれの身となっている、女性たちの救出を優先しましょう。皇帝の居城へ踏み込むのは、その後でどうかしら」
「首都サウロスは城壁で囲まれた都市です、城壁外にある離宮から落とすのは賛成ですね、フローラさま」
「成る程、それで首都の城壁はどれほどのものでしょう、レインズ殿」
「攻城戦をやるつもりで、ゲルハルト卿」
皇帝の居城であるエンペス城に城壁はないが、代わりに都市を囲むそれが要塞並みだとレインズは話す。そこまで強固なのか上等だと、隊長たちのテンションが上がっちゃう。いえいえちょっとお待ちをと、マリエラがぶどう酒の杯をことりと置いた。
「まずは城壁を守る兵員の把握でしょう。その上で都市の自警団と聖堂騎士に繋ぎを取ってはいかがかしら」
「つまり内部から自警団と聖堂騎士に蜂起させるのですね? マリエラさま」
「その通りですグレイデルさま、多くの血を流す必要はありません。内側から城壁の門を開けてさえもらえれば、こっちのものでしょう」
ならば繋ぎ役はザンギとその配下で決まりねと、フローラが人差し指を立てる。皇帝領の住人なのだから、出入りは自由で怪しまれないでしょと。適任ですねと隊長たちが頷き合い、あしたザンギを交え詰めようと口を揃えた。
「失礼致します、まかないにマサラナンを焼いたのですけど、よろしければ皆さまも召し上がってみませんか?」
ひょこっと顔を出した桂林に、なんですとと顔を綻ばせる面々、ナンだけに。
マサラナンは生地にジャガイモを加え、スパイシーな味付けで焼き上げたナンだ。他にもガーリックナン、チーズナン、グリーンナンと、三人娘はレパートリーをいくつも持っている。
実は兵士らへ行き渡らせるには材料が少なく、まかないになる料理がけっこうあったりして。そのまかないを胃袋に収めるのは、もちろんメイド達と兵站糧食チーム、加えて抜け目のないケバブである。
「このままでも美味いナンですね、フローラさま」
「ナンの上に豚の角煮やハンバーグを乗せる食べ方もあるのよ、レインズさま」
「それはまた、東方料理は奥が深いですな。ところでハンバーグとは?」
実はアリスタ帝国に、ハンバーグなる料理は存在しない。挽肉を固めて焼いた、バンズに挟むパテとしてはあるのだが、三人娘の作るそれは全く次元が異なる。
割れば肉汁があふれ出し、白米と合うように味付けされ、ソースやトッピングは多岐に渡る。小っちゃい子でハンバーグが嫌いな子、私は知りませんと桂林が、にこにこしながら行事用テントへ戻って行った。
「ところでシュバイツ公」
「呼び捨てでいいと言ってるじゃんか、レインズ」
相変わらずのタメ口に苦笑する皆の衆だが、これがシュバイツだと理解しているから何も言わない。戦場で死地を感じさせない、背中を預けられる盟友。女装趣味はあるけれど、彼こそ皇帝に相応しいと誰もが思っている。
「皇帝となった暁には」
「うん」
「真っ先にどんな勅令を出したいですか」
「奴隷と人身売買の全面禁止」
速攻で答えたシュバイツに、そう来ましたかと微笑むレインズ。出会ってまだ日が浅いから、キングオブキングスとなる皇族の持論と矜持を知りたかったのだろう。
「自分で言っといて何だけど、その前にやることがあるんだよな」
「ほう、やることとは?」
「最底辺で暮らす貧困の民は、奴隷になった方がマシかもと考えてる。実際にそうだからな、嫌な世界だぜ、俺はまず帝国から貧困を無くしたい。領民あっての王侯貴族だ、内政が民を向いてない王なら、俺は迷わず粛正するかもな」
でないと勅令を出しても、奴隷と人身売買の全面禁止なんて絵に描いた餅、そう言ってシュバイツはぶどう酒を口に含む。その研ぎ澄まされた瞳は悪しき信仰の輩だけではなく、だらしない国王どもにも向けられていた。
「ネーデル王国が窮地に陥った時、親交のあった国々は援軍を出す事も、物資援助をすることもなかった。旗色が良くなったのを見てこれから仲良くしましょうなんて、今さら遅いと思うだろ? レインズ」
「わはは、シュバイツは口さがないですね」
これがシュバイツ・フォン・カイザー、帝国に信義を問う血筋の飾らぬ発露。そんな熱い彼の顔を、隣のフローラは眩しそうに眺め頬を朱に染めるのだった。
「リーベルトがここにいると聞いたのだが、ゲオルク先生。おおいたいた」
「いま湿布薬を貼ってるところです、ゲルハルト卿」
「ゲルハルトさま、僕にご用でしょうか」
「ああ、両手を広げて出せ」
まだ腕がぷるぷる震えているリーベルトの手に、ゲルハルトは布袋をふたつちょんと乗せた。中身のひとつはフローラ軍に従軍する者へ与えられる俸給、もうひとつはゲルハルトの従者として与えられる俸給だ。
「こんな大金、生まれてこのかた僕は見たことないです」
村育ちのリーベルトにしてみれば、銀貨と大銅貨は大金なのだろう。だがそれで満足するなと、ゲルハルトは釘を刺す。母と姉を救うことができたら、貴族の臣下となったお前が養うのだからと。
「僕が……家族を養う」
「当然だ、自分の未来を見据え己を鍛えよ。励め」
そう言い残し、ゲルハルトは救護用テントを出て行った。ぶっきらぼうな騎馬隊長ではあるが、彼も中々に熱い武人である。良かったなとゲオルクが、リーベルトの背中をぽんぽん叩くのだった。
第三部 法王領の光と闇(了)
ここまでお付き合い頂き、誠にありがとうございます。
第三部も単行本一冊分に相当する、約140,000文字の分量となりました。ネーデル王国のレインズ王と、ゲルハルトの従者になったリーベルト、そこへズルニ派のザンギ一党も加わりました。フローラ軍がますます賑やかになりましたが、帝国の世直しはこれからが本番となります。どうぞお楽しみに。




