第90話 皇帝領ズルニ派の親分
フローラ軍が国境でネーデル軍と別れ、皇帝領に入ったのは五日後のこと。回復魔法を使った兵士のリハビリと、矢の補充に保存食の備蓄が必要だったからだ。フローラとしては予定通りで、軍団は首都にある皇帝の主城を一路目指す。
レインズ王も皇帝領へ同行することになり、先頭には各王の旗印と法王庁の旗印がたなびいている。当然ながら不戦のオレンジ旗は掲げておらず、殺るき満々のフローラ軍だ。もっとも八千の軍勢を潰された今、皇帝軍は鼻血も出ない状況だろうが。
「どうしたリーベルト、浮かぬ顔をして」
「俺どうして兵站所属なのかな、ゲオルク先生」
森の街道を行軍する中、兵站の馬車に同乗したリーベルトが唇を尖らせた。両脇を騎乗で併走するシーフのジャンとヤレルが、それでふて腐れているのかと、ゲオルクと視線を交わし合う。馬車の手綱を握るキリアは何も言わず、御者台で隣に座るダーシュはもらったリンゴをしゃりしゃり頬張る。
眠りから目覚めたフローラはアウグスタ城へ行き、ケイオスから難民手形を発行してもらっていた。これでリーベルトはローレン王国の領民扱いとなり、正式なフローラ軍の一員となったわけだ。
「ヴォルフ伯は知っているだろう」
「ゲルハルトさまから紹介して頂きました。公爵令嬢グレイデルさまの、婚約者ですよね」
「そう、彼は少年時代、兵站部隊にいたんだ」
「ほんとですか?」
「よく聞けリーベルトよ、儀式で主君を持った騎士見習いともなれば、ただ強いだけじゃだめだ。軍団全体を把握する、管理能力が要求される」
「管理……能力」
「そう、食料と水は一日どれだけ必要か、合戦で矢はいくら準備すればいいか。兵站に配属したのは、それを肌で覚えて欲しいからだ。軍団を維持するのに誰がどんな仕事をしているか、よく見ておくんだよ」
「うん、分かったよゲオルク先生!」
兵站に配属された理由を理解できたのか、ぱっと顔を輝かせるリーベルト。
変にすれていない素直な男子に、キリアがふっと微笑んだような。こんなとき上手に導けるのは、やっぱり男同士なんだと分かっているからだろう。
「そう言えば最初は基礎体力を養うのに、アリーゼが面倒見るって話しだったな、ジャン」
「そうそう、でないと剣技も教えられないからってな、ヤレル」
「アリーゼさまって、ゲルハルトさまと結婚される方ですよね?」
リーベルトの問いにそうだよと頷くシーフの二人だが、そこから先は何も言わないし言えるわけもない。ミーア派の暗殺者にして仕事人、アリーゼが考える基礎体力のボーダーが分からないのだから。
野営地を全力で十周とジャンが、腕立て伏せと腹筋百回かなとヤレルが、足腰を鍛えるならヒンズースクワットだろうとゲオルクが、思念を飛ばし合う。それで済めばいいがなと、ダーシュが混ぜっ返しちゃった。
『ラーニエ隊の娼婦たち、ああ見えて身体能力はえらい高いからな』
ダーシュだからこそ、筋肉の使い方や瞬発力がよく分かるのだ。特にブーメラン二刀流のアリーゼならば、推して知るべしと彼はリンゴを飲み込む。
訓練が楽しみと上機嫌なリーベルトに、頑張れ骨は拾ってやると、生温かい目を向けるゲオルクにシーフの二人。ゲルハルト卿の従者になったんだから当然よと、キリアのばっさり切る思念が届いた。
「そうそう、リーベルト」
「はいキリア隊長」
「今後は訓練が終わったら、スワンのところへ行きなさい」
「パーラー・メイドの方ですよね、背が高くて綺麗な」
現時点でリーベルトの身長が、スワンの胸辺りだろうか。背が高いのは間違っていないが、綺麗という形容動詞を彼は付けたのである。端正な顔立ちのスワンだけど、どっちかって言うと凜々しい姉御肌だ。
ふうんとかへえとか、そんな思念が飛び交う。スワンに恋したのかとジャンが、でも蟒蛇だぜとヤレルが、時々ぶははと笑うがなってゲオルクが、それは言わないであげてとキリアが。
「あなたはスワンから宮廷作法と、執事教育を受ける事になってるの」
「うひっ!」
「うひじゃありません。騎士たるもの公式の場では王侯貴族と渡り合うことになります。時には腹芸も必要、その点に於いてスワンは良き先生になるわ」
好きな人と一緒にいられる口実ができたじゃないかとは、言わないゲオルクとシーフの二人。後ろの馬車にいるケバブとディアスにシェリーが、四人と一匹の思念を聞いていたから、にやにやしてますがな。
そのころ女王馬車では、フローラとシュバイツ、グレイデルにクラウスが、帝国地図を広げていた。法王領へ向かうときフローラ軍は、ネーデル王国の南端を一度通過している。縦に細長い国で北端が、皇帝領と国境を接しているのだ。
「中小国家がいくつか廃国になる以上は併合や割譲、お国替えによる整理は必至になるだろう。今のうちに青写真を作っておく必要があるぞ、シュバイツ」
「あそこがいい、こっちがいいと、言い出す王侯貴族がいっぱい出そうだな。頭が痛いよクラウス」
プハルツのラビス王国は、国境を接していない飛び石の領地だ。レインズのネーデル王国に至っては、傘を広げたような形の国になってしまう。数十年計画になるだろうが、帝国に於ける国境線の引き直しは避けて通れない道だ。
「うむむむ」
「どうかしたのか? フローラ」
「お国替えでマリエラさまが、海に面した領地を要求しそうよ、シュバイツ」
そうだろうなとシュバイツは、フローラが剥いてくれたナシを受け取る。あれだけ海鮮料理に慣れ親しんだら、もう戻れないだろうと笑いながら。ところがクラウスはそれだけじゃないぞと、真顔で人差し指を立てた。
「海水塩を自前で生産出来ることになる。あっさりお国替えに乗ったのは、それがあるからだろう。将来的には海岸線の領地を巡り、各国で争奪戦が起きることも覚悟せねばならん」
あっちゃあと頭を抱えてしまうフローラとシュバイツに、まずは皇帝ですとグレイデルが釘を刺した。でないとこの二人、いつまで経っても結婚できない。たぶん皇帝はもう、生きていないのだろう。皇帝位の剥奪と皇帝領の廃国を法王が宣言する、これが大前提になるのだから。
それにしてもとグレイデルは、窓の外に目をやり眉を曇らせる。村をいくつか通過したけれど、人の営みが全く感じられないからだ。オレンジ旗を掲げてないのもあるだろうが、生命を感じられず静かすぎて気味が悪いですとこぼす。
「失礼いたします、フローラさま」
「何かあったの? ヴォルフ」
女王馬車の窓をこんこん叩いたヴォルフが言うには、街道の先に五十名ほどの集団がいるんだそうな。町人でも村人でもなく、皇帝軍でもないと彼は言う。どっちかって言うと山賊のような身なりで、武器を所持していると告げる。
「何の用向きか聞いてきてくれるかしら、気を付けてね」
「分かりました、ご心配なく」
馬を前脚旋回させ駆け足で先頭へ戻るヴォルフに、グレイデルの精霊さん達がすいっと付いていった。何かあれば魔人化しちゃうだろうし、青龍が触媒の要らない特技で蹴散らすこともあり得る。フローラが窓から手を出し、後方の軍列に警戒態勢のハンドサインを送った。
「皇帝領ズルニ派の頭目、ザンギと申します、お見知りおきを。ラムゼイさまから協力するようにと仰せつかりました、ローレンの聖女よ」
「それは大義、よろしくお願いしますね、ザンギ」
騎馬隊にロングボウと矢筒に剣を預け、フローラの前でひざまずいたザンギが、彼女を見上げ眩しそうな目をした。実はこの男こそ奇襲をかけようとして、大聖女の賛美歌を聞き、決行を断念するに至った人物なのだ。彼の配下も同様で、素直に武器を騎馬隊に預けていた。
「早速だけどこの先に、野営地として相応しい場所はあるかしら。できれば川や湖の近くが良いのだけど」
「街道から少し逸れますが、川沿いの草地がございます。ところで、そこにいる生き物はいったい……」
「あはは、害はないから気にしないで」
「こけっ」
では案内を頼みますと、にっこり微笑む大聖女さま。地図があると言っても大雑把で、野営できる開けた場所は、現地で行き当たりばったりなのだ。そんなとき土地勘のある者がいると、何かと都合が良いのである。
「これが野菜カレー、こっちがチキンカレー、そちらはキーマカレーね、ザンギ殿。このナンをちぎって、カレーに付けて食べるのよ」
「スワンと言ったか、こりゃまた不思議な料理だな」
「東方料理よ、今日はカレーの日だから」
「どれどれ……むお!」
あまりの美味しさに、静かになっちゃうザンギと幹部たち。他にタンドリーチキンとサラダもあって、これが軍団の糧食なのかと信じられないようす。まあそうだろうねと目を細め、スワンはぶどう酒を注いで回る。
「来る途中いくつかの村を見たけど、人の気配がまるでないわね」
「そりゃそうだ、スワン。男は戦場に駆り出され、女は連れ去られ、村に残っているのは年寄りばかりさ」
「連れてかれた女性たちはどうなっているのかしら?」
途端にザンギたちは渋面となり、カレーに視線を落とす。言いたくないなら聞かないけどと、スワンはにっこり微笑む。
ズルニ派は悪事に手を染めてきた、人のことは言えた義理じゃない。多分フローラには話しにくい案件なんだろうが、それを聞き出すのもパーラー・メイドの仕事である。明雫が追加でーすと、焼きたてナンがてんこ盛りの皿を置いていった。
「いや、いずれ分かる事だ。戦費を捻出するため、奴隷商人に売られている。女たちは離宮に集められ、売られるのを待ってる状態さ」
「皇帝領教会の、司教は黙認なのですか?」
「黙認と言うより、片棒担ぎだった」
「……どうして過去形なのかしら」
「ここんとこ行方不明でな」
ああそう言う事ねと、スワンは合点がいく。キリアが林ごと燃やしてやった悪しき術者が、その司教だったんだろうと。いま人身売買が停滞しているなら、リーベルトの家族救出が間に合うかもしれない。
それにしても敵の首を取ったら家族を返すなどと、真っ赤な嘘ではないか。腹立たしいのは顔に出さず、スワンは役者に徹し笑みを絶やさない。
「首都の市場は活況でしょうか」
「活況なもんか、腐ったリンゴが平気で売られている。食品はどれもこれも傷んだものばかり、それでも市民は生きるため、仕方なく買ってるんだ。軍団の食料調達をするなら、期待しない方がいいぞ」
あら残念ですわねと、スワンはザンギにぶどう酒を注ぐ。買い出しは瞬間転移で他の国々からと、彼女はフローラに報告する内容を整理していく。
皇帝の居城がどうなっているかは、ザンギたちにも分からないようであった。ただ皇帝の姿は長いことお目にかかっておらず、公式の場に出るのは長男のグレゴだと口を揃えた。
「そうそう、今夜はお風呂に入れますからね」
「な……風呂だと!?」
すっとんきょうな声を上げるザンギに、だからこその川近くで野営なんですとスワンが笑う。幹部たちも野営で風呂に入れる軍団なんて、聞いたことがないと目をぱちくり。
「皆さんちょっと臭います、服を用意しますから風呂上がりに着替えて下さいね。預かった服は洗濯しておきますから」
「お、おう……悪いな」
酒と供に雰囲気を作り、話しにくいであろう情報を引き出す。それがパーラー・メイドであり、情報戦の尖兵と呼ばれる所以である。
デザートのブルーベリーヨーグルトでーすと、桂林がザンギと幹部たちに並べていく。食後のデザートまであるんかいなと、驚いてしまうズルニ派の面々。吟遊詩人の奏でる軽快な音楽が、野営地を包み込んでいた。




