第89話 戦い終えて日は暮れて
ゲルハルトがリーベルトの胸に、夕食のワンプレートをぐりぐり押しつけていた。そこの切り株に座り食べていろと言い残し、彼は首脳陣がいるテーブルへ踵を返す。
呆けていた少年兵だが五目炒飯を頬張り、目の色を変えちゃった。更に鶏からを頬張りうわあって顔で噛みしめ、後は無言でスプーンをわしわし動かし始めた。
「一日に黒パン二個だったらしい」
「育ち盛りには可哀想ですね、ゲルハルト卿」
席に着いたゲルハルトへ、給仕をするミリアが眉尻を下げ烏龍茶を置く。
他の隊長たちがどうするんですかと、ゲルハルトの答えを待つ。いや決めかねているから本人も迷っている訳で、彼はどうしたもんかと熱い烏龍茶をすする。
「そもそも他国の領民を、軍人として受け入れる事が可能なのかどうか」
「いや、出来るぞゲルハルト卿、フローラが難民手形を発行すればよいのだ」
「それはどのようなものですか? クラウス候」
祖国に戻ると命の危険がある、又は不当な扱いを受ける可能性がある。その場合は人道的な見地から他国が受け入れ可能となる、救済措置として難民手形の存在があるとクラウスは言う。
「帝国規範の第三条にありますわね、クラウス候」
「よくご存じで、マリエラ候。この場合はフローラが、難民と認めれば良いのです」
さてどうするねとクラウスは、七味唐辛子で真っ赤っかな、叩きキュウリを頬張るフローラに微笑みかける。招かれ同席したネーデル王国のレインズ王が、何で平気なんだ辛くないのかと呆れ返っている。
「ゲルハルト卿が従者にするって言うなら、発行するわよ」
「わしに丸投げですか」
「だって決めるのはリヒテンマイヤー家の当主である、あなた自身ですもの」
隣のテーブルに座るグレイデルとヴォルフが、ブラム城にいる弟マルティンを頭に思い浮かべていた。弟の従者になったマルコとあの少年兵、歳は同じくらいだよねと頷き合っている。
決めかねているゲルハルトにレインズ王が、差し出がましいようですがと口を開いた。これも何かの縁でしょう、引き取ってはいかがですかと。
「クラウス候も隊長の皆さんも、年を取ると若者の成長に、興味を抱く事はありませんかな。この血気盛んな少年は、どんな青年になるのだろうと」
それはありますねと、隊長たちがうんうん頷く。自分の歩んできた人生に、重なって見えるんだろうなと、クラウスが懐かしそうな顔をする。
ゲルハルトは自らの人生を振り返りながら、リーベルトにとって何が最適解なのかを考えた。この時点に於いて、騎馬隊長もたいがいお人好しなのだが。
父親を早くに亡くし母と姉の三人家族だと、リーベルトはゲルハルトに話した。村外れの風車小屋を用いた粉挽きで、一家は生計を立てていたそうな。
そこへ彼がひとりで戻っても、村の人が仕事をくれるかどうかは甚だ怪しい。考えたくはないが母親と姉が存命でなかった場合、教会の孤児院へ連れて行かれるのが関の山だろう。
「フローラさま、立ち会いをお願いできますかな」
「決めたのね、喜んで付き合うわよ」
テーブルに立てかけていた剣を掴み、ゲルハルトは席を立つとリーベルトの方へ足を向けた。フローラも扇を腰帯から抜いて広げ、るんるんと楽しげに騎馬隊長の後へ続く。縁と縁が結びつく、それを見るのがフローラは好きなのだ。
「夕食のプレートを切り株に置いて、ここにひざまずけ」
「は、はい」
「わしはこの通り厳しいぞ、生半可な気持ちで仕えたら後悔するだろう。だが確固たる信念を持ち貫き通すならば、お前を一人前の騎士にしてやる。その覚悟があるか否や、ローレン王国女王陛下の御前で答えよ」
「あります! 不退転の覚悟でゲルハルトさまに付き従います!!」
そのとき二人の間に火花が散ったような、フローラの瞳にはそんな風に映った。
ゲルハルトは剣をすらりと抜き、リーベルトの右肩をぽんぽん、次いで左肩をぽんぽんと叩く。家臣となる契約の儀式であり、これで従者となることが確定したのだ。
「炒飯はお代わり自由だぞ、リーベルト」
「ほんとですか! ゲルハルトさま」
「デザートの杏仁豆腐も、もらい忘れないようにね」
「ありがとうございます女王さま、もらってきます!」
プレートを手に行事用テントへ駆け出していく、リーベルトの背中を見送るフローラとゲルハルト。食生活が悪かったせいで痩せこけており、まずは体づくりだなとゲルハルトは呟いた。
「三人とも、眠くはないのよね」
「大丈夫です、フローラさま。明雫と樹里も平気よね」
尋ねる桂林に、二人とも平気でーすと元気に返す。テーブルに戻ったフローラは、三人娘を呼んで確認を取ると、夜が更けたら半月荘へ行くわよと言い出した。
「深夜にですか?」
「そうよ桂林、大陸の西と東、時差は時計の針で六周かしら、キリア」
「そうですわね、フローラさま。深夜に発てば向こうはちょうど、朝市が立つ時間かと。海の幸と山の幸に農産物、あそこなら何でも揃いますでしょう」
さすが商人で同じ大陸でも場所によって、時間差があることを心得ていた。フローラは古文書で知ったのだが、遠距離移動するほど時刻が違うと気付いていたのだ。
御業を使えるのが、そろいもそろって買い出しメンバーである。ベッドに入ってしまえば、二日か三日は目を覚まさないだろう。
ならば時差がある半月荘へ行き、食材を調達しましょうって判断である。やっぱり糧食では兵士に苦労をさせないお方だと、軽装隊長に弓隊長の四人がしみじみと頷き合う。三人娘はお里帰りができるので、やっほうとハイタッチしてますよ。
「ところでフローラさま、折り入ってご相談が」
「急に改まって何かしら、レインズさま」
「法王庁から派遣されているエイミーのように、我がネーデル王国とも料理人の交換派遣をしていただけないかと」
言うだろうなと思っていた、クラウスとマリエラにプハルツがくすりと笑う。シュバイツも来たなと、ちらりとフローラを見やる。実は法王パウロと枢機卿ラムゼイを交え、ネーデル王国にお願いしたいことは決まっていた。
「ひとつ条件が」
「ええ、何なりと仰って下さい」
「今回の件で、皇帝位の剥奪は免れませんでしょう」
「でしょうな」
「その如何によっては」
「はい」
「国境を接するネーデル王国に」
「はいはい」
「皇帝領の統治をお願いしたいのです」
「はいはいは……ええっ!?」
「この件は法王さまからの依頼でもあります」
いえいえうちは選帝侯でもない小規模国家、皇帝領を治めるなど雲の上の話と、レインズは青くなってしまう。しかし大国の仲間入りですよとシュバイツが、選帝侯の指名もあり得ますよとフローラが、揃って畳みかけた。息がぴったり合ってるなと、クラウスもマリエラもによによしている。
「引き受けたらいかがですか、レインズさま」
「プハルツ王子まで……」
実はプハルツもクロムを安定供給する条件で、糧食チームから料理人を借り受けていた。レーバイン王国を任されたラビス王国と同じ、腹を決めるかどうかですよと、にっこり笑って鶏からをひょいっと頬張る。
糧食チームの女性たちは、宿屋を経営してたり、居酒屋を経営してたり、実家が何かしら食品に関わる業種を営んでいる。事業拡大や独立の目標を持っており、派遣手当が良いので行きたいと、手を挙げる隊員がまだ何名かいた。カレンとルディにイオラからしてみれば、夢を実現する良きお手本であろう。
「分かりました、お引き受けします、フローラさま」
「よくご決断なさいました、法王さまもお喜びになるでしょう」
「ところでその、練り切りとやらを作れる、料理人を派遣して頂けますか」
「練り切り……ですか」
フローラがどうなのとキリアに視線を投げかけたら、彼女はみんな作れますよと太鼓判を押した。それは良かったと、何故かレインズは嬉しそう。
「実は領事を務める、弟夫婦たっての願いでして。どうも姪っ子がいたく気に入ったらしくて」
隣のテーブルでグレイデルとヴォルフが、あの姉妹ねと顔を見合わせ破顔する。領事ゼオンとアビゲイル夫人の二人娘で、ワイバーンに遊んでもらった子だ。
ミリアとリシュルがすすいと動き、贈答用の箱を開けみんなに並べていく。フローラがグッジョブと、拳の親指を立て二人にウィンクを送る。主人の意を汲み言われなくても、先を読んで行動に移す。レディース・メイドの鏡、これぞ側近ねとキリアが目を細めた。
「何とも優しい甘さですな、クラウスさま。それにこの造詣、もはや芸術品」
「どうも宮廷料理の菓子は、歯が溶けるような、喉がひりひりするような甘さですからな、レインズ殿。この菓子は他国との交渉で、武器になりますぞ」
そうですねとレインズは頷くも、彼は浮かない顔をして練り切りを頬張る。
結局ネーデル王国と親交のあった国々は、援軍を出してはくれなかった。本当に信用できる相手かどうか、こんな時に分かるというもの。信義と友情を重んじる王ならば、せめて食料支援くらいはしてくれたはずだ。
「これから何を信じて他国と付き合えば良いのでしょうな、クラウスさま」
「案ずるなレインズ殿、今ここにいる王は君の味方だ。そうであろう、フローラよ」
「伯父上の仰るとおりですわ、レインズさま。お国存亡の危機とあらば、私たちは軍勢を率い、助太刀に馳せ参じましょう」
良い意味で天然な人たらしの大聖女、だがその言葉に嘘偽りは無い。こうして彼女は無自覚のまま、ラビス王国に続きネーデル王国も、大国連合に引き入れちゃうのである。どっちつかずの風見鶏な国など、フローラにとってはアウトオブ眼中なのだ。
「空中移動できるのに、馬は必要なのですかね、クラウスさま」
「私も同じ事を聞いたことがあるよ、レインズ殿」
「それで?」
「フローラいわく、馬車に馬がいなかったら格好が付かないでしょ、だそうだ」
「さ、さようですか」
買い出しに向かうためふよふよと、上昇していく荷馬車を見上げながら、クラウスとレインズが苦笑する。付き合わされる馬も大変ねと、マリエラとプハルツが顔を見合わせくぷぷと笑う。
「まだ入るんだ、三杯目だよねリーベルト」
「大丈夫です、えと……」
「フローラさまお付きのパーラー・メイド、スワンだ。どんどん盛るからストップって言いなよ」
パーラー・メイドは高身長で、男装の麗人が好まれ選ばれる。そんなスワンを見上げ、ぽけっとするリーベルト。ストップと言わなければ、どんどんてんこ盛りになるのだが。
三人娘がいなくても兵站糧食チームは、かんかかんかーん音頭で炒飯をどんどん量産していく。吟遊詩人ユニットが伴奏を加え、軍団は戦勝ムードに湧いている。兵士らがもりもり頬張りお代わりと、行事用テントに列を作っていた。




