第80話 兵士たちの休息(3)
ここは法王庁、パウロⅢ世の執務室。法王と大司教に聖堂騎士団の幹部が集まり、緊急会議が行なわれていた。もちろんその中には、ズルニ派の指導者ラムゼイも含まれている。レーバイン教会の司教から書簡が届き、法王が読み上げていく。その内容はショッキングなもので、誰もが信じ難い顔をしていた。
「城がもぬけのからで都市部の領民が消えたとは、やはり魔物信仰の徒による仕業でしょうな、パウロさま」
「レーバイン王国の人口は激減、もはや国としての体を成しておらんな、ラムゼイ」
これは由々しき問題と、会議の場が騒然となる。
兵站糧食チームから派遣された隊員が、押してきたワゴンから紅茶とカステラを皆に置いていく。君はどう見るかねと法王に尋ねられ、隊員はそうですねと腕を組む。
「帝国の内乱自体がでっち上げで、レーバイン王国は魔物信仰の餌食になった、そう考えるのが妥当ではないでしょうか。クルガ王国も同様に王侯貴族と領民が、食い物にされるのではないかと」
フローラ軍の一員としてグリジア王国へ赴き、そのあと法王領まで従軍した当事者だ。ただの料理人ではなく軍人として、情報を分析する能力は持ち合わせている。
やはりそうかと、法王はカステラに手を伸ばした。大司教と聖堂騎士団幹部らが、どうすればと顔を見合わせる。このまま君主不在が続けば、国土が荒廃し民心が乱れてしまうと。
「失礼いたします」
「お呼びでしょうか、法王さま」
そこへ入室したのは舞踏会でフローラに話しかけた、ラビス王国の双子兄弟であった。法王領に駐在している、次男のクドルフに三男のプハルツだ。ローレン王国に悪感情を抱いておらず、むしろ国策や文化に興味を持っている。パウロは二人によく来てくれたと、席に着くよう促した。
離宮での襲撃騒ぎで帝国がおかしくなっていると、二人の王子も勘付いており内外へ密偵を放っている。敢えて説明を受けなくても兄弟は、何の話しかおおよその見当が付いていた。
「悪しき魔物信仰の件ですね、法王さま」
「話しが早くて助かる、クドルフ。この書簡を父君に届けてくれぬか」
控えていたシスターが法王から恭しく受け取り、それをクドルフに手渡す。広げて文字列を追う兄弟が、ええ? という顔をした。君主不在となったレーバイン王国と距離が近い、ラビス王国に代理統治を依頼するものだったからだ。
政治には関与しないが国主を決めるのは法王庁で、最終決定権はパウロⅢ世が握っている。打開案に異論はあるかねと会議メンバーへ尋ねる法王に、むしろ名案ですと誰もが同意を示した。
ケチが付いた国の代理統治なんて、誰だって嫌がるもの。だが法王のご指名とあらば、将来的には併合するって意味だ。領土規模で言えば大国の仲間入りで、ラビス王が選帝侯となる可能性も見えて来る。
「国境を接しておらず飛び地ではあるが、頼めるか? クドルフ、プハルツ」
「お引き受け致します、法王さま」
「お任せ下さい、兄と一緒に父と長兄をもり立て、なんとかしてみせます」
よく言ってくれたと、目尻に皺を寄せる法王さま。終わりの見えない会議になるかもと思っていた、大司教と聖堂騎士団の幹部がほっと胸を撫で下ろす。
兵站糧食隊員がどうぞと置いたカステラを頬張るも、与えられた大役に興奮しちゃって、兄弟は味がよく分かっていないようだが。
法王庁がすったもんだしている頃、アウグスタ城では舞踏会の準備が進められていた。桂林の社交界デビューであり、半月荘から三人娘の両親も招待されている。
婚約発表も同時に行なうため野営の行事用テントから、仕込んでいる料理の良い匂いが漂う。隊長たちが本当に鹿と猪の狩りへ出かけ、休暇を楽しみつつ成果を持ち帰ったから、今夜はジビエ料理となりそうだ。
「桂林きゃわゆいー! 樹里はどう思う」
「うはあ! 桂林が見違えちゃったね明雫、すてきかわいい」
兵站お針子チーム会心の作、ゴシック調ドレスに身を包む桂林がはにかむ。二人も来年は着るのよと、着付けを手伝ったお針子チームが微笑んだ。明雫と樹里もドレスを着用しているが、やはり主役は生地と柄がワンランク上、仕立ても凝ったデザインが施されている。
なお二世紀前まではコルセットで腰を矯正していたが、肋骨の変形を起こし不健康である事が判明したため廃れていた。今では女性の自然なボディラインを、魅せるドレスへと流行が変わって来ている。
「お三方、入ってもいいわよ」
ミリアとリシュルが扉を開け、ジャンとヤレルにケバブを招き入れた。扉の外で警護に就く衛兵が、心なしかによによしている。三人は案内されるまま、メイドの控える部屋に入った。
腹心であるレディース・メイドとウェイティング・メイドの自室は、女王部屋にあると言うか、扉を隔て続きの間にある。つまり女王の部屋に入らないと行けない訳でして、殿方がおいそれと足を踏み入れられない花園と言えよう。アンナに知れたら雷を落とされそうだが、今日くらいはいいでしょうとフローラが許可していた。
「ねえ、何か言ってよジャン」
「ああすまん桂林、つい見とれてしまって、これを」
ジャンに倣いヤレルとケバブも、お相手の髪にティアラを挿す。十字飾りが一個なら男爵、二個なら準伯爵、三個なら伯爵と、女性のティアラで爵位が分かるようになっている。自由恋愛の国だから無くても良いのだが、他国のお客さまには識別できるようにしておく必要があるからしゃあない。
「ミリア姉さまとリシュル姉さまには、将来を誓い合ったお相手がいたりするのでしょうか?」
樹里の問いかけに、あら言ってなかったかしらと、微笑むレディース・メイドのお二人さん。ミリアは家業の仕立屋さんを、首都一番の店にしたい。リシュルは家業の水上運送業で、独立し親方になりたい夢を持つ。
そんな二人には許嫁がいるそうで、何それもっと詳しくと、三人娘だけでなくお針子チームまで食い付いちゃった。恋バナは蜜の味だなとジャンが、人間の性だなとヤレルが、右に同じくとケバブが、揃って苦笑していた。
場所は変わってここは女王の執務室、フローラがダーシュから相談を受けていた。室内にいるのはグレイデルだけで、窓の外では懐いたワイバーンが遊んで欲しいのか、のっそのっそと行ったり来たり。
「キリアを獣人化防御の魔法無しで、精霊界に連れてって欲しいの?」
「そうなんだフローラ、彼女を長生きさせたい」
「待ってダーシュ、それキリアの同意を得てるのかしら」
「いや、確認は取ってない」
それはちょっとと、顔を見合わせるフローラとグレイデル。
精霊は基本的に人を獣人化させ、精霊界の住人に迎え入れようとする。けれどそれは精霊王オベロンのように、自らの意思で望んだ場合だ。本人の気持ちを無視しては輪廻転生の理に反し、フローラとしては受け入れがたい相談であった。
「キリアの事を思うなら、直接ちゃんと聞いてダーシュ」
「それが出来たら相談してない」
「ていっ!」
「わぎゃ!」
フローラのチョップがわんこ聖獣の頭にヒット。
本気でやった訳じゃないから物理的に痛くはないのだが、大聖女のチョップは精神的に痛いのだ。ダーシュはどうしてもかつての主人、聖ブリジットを想起してしまうから。
「人間は精霊やダーシュと違って、長生きしてもせいぜい百年だわ。短い周期で輪廻転生の生死を繰り返す、でも私はそれが良いと思っているの」
「なぜだ、人間の多くは天に召される間際、死にたくないと抗うのに」
「あなたの主人は抗ったのかしら」
言葉に詰まるわんこ聖獣。
ブリジットは教会に迷惑をかけないよう、服毒自殺をはかった。自殺は他殺と同じだが、そこに躊躇や死に対する恐怖など微塵もなかったとダーシュは思い出す。彼女は正々堂々と、神々の裁定を受けに行ったのだと。
「他界したオイゲン司祭が話してくれたの、深く縁を結んだ人は来世でも、近しい人となり再会できるって。私は母上の顔を知らないから、また親子になれたらいいなって思う。グレイデルとは実の姉妹になれたらいいし、シュバイツともまた夫婦になれたらいいなって」
「嬉しいお言葉ですが、親子が逆転したり、男女の性別が変わった場合はどうなさいます? フローラさま」
「おおぅ、それは考えてなかったわ、グレイデル。私があなたのお嫁さんって可能性も、無きにしも非ずね」
微妙な顔をする教育係に、私じゃ不満? って顔のフローラ。お稽古事の脱走常習犯でなければ、考えますと真顔で言っちゃうグレイデル。しばし見つめ合い、思わずぶははと笑い出す辺境伯令嬢と公爵令嬢の図。
「だからねダーシュ、あなたは人間より遙かに長生きするのだから、生まれ変わったキリアを見つけてあげて」
「見つけてどうする」
「男の子だったら鍛えてあげてさ」
「うん」
「女の子だったらお嫁さんにすればいいじゃない」
「ばっ!」
その瞬間ダーシュの体が、炎をまとう人型の姿に変わった。どうもフローラはわんこ聖獣が、精霊化するトリガーを引いちゃったっぽい。キーワードはお嫁さん、これで間違い無さそう。
「ヒノカグツチだな、青龍」
「精霊化しちゃったわね、玄武」
「飛び級だな、白虎」
「火属性だから、あなたのお仲間よね、朱雀」
ところがダーシュ、この姿は疲れるとこぼし、しゅるしゅるとわんこの姿に戻ってしまう。魔素を取り込む魔力の糸が確立できてないからで、ダーシュこそ精霊界に連れて行くべきと、精霊さん達が口々に言う。どのみち魔王ルシフェルを招待しての酒宴を開くから、その時ねと頷き合うフローラとグレイデルであった。
時を同じくしてこちらは正門の守衛所、衛兵らが「ふんふーん」と鼻歌交じりに通り過ぎていく、女性にしかめっ面をしていた。彼女はアヤメが象られたバッジを、どうだと言わんばかりに見せつけてくれやがりましたよ。
アヤメの花は首都ヘレンツィアの記章で、バッジを賜ったならば名誉市民であることを意味している。海龍セネラデはフローラからローレン王国の永住権と、アウグスタ城へ自由に出入り出来る特権を獲得したも同然なのだ。
「鹿料理と猪料理か、美味そうだね、キリア」
「東方の味付けが抜群に合うのよセネラデ、味見してみる?」
もちろんと頷く彼女に、ほれよと小皿に盛って差し出す兵站隊長さん。あの海龍が人型で現れた時には驚いたが、聖女たちの精霊さんを見慣れたせいか、キリアはすぐに馴染んだようだ。
「そのお召し物、何世紀前のものかしら」
「古いのか? キリアよ」
「あれをご覧になって」
キリアが指差した先にいるのは、貴族衣装でお酒の利き酒をしているパーラー・メイド、スワンであった。名目上は毒見、誰がなんと言おうと毒見ですはい。カレンとルディにイオラが、蟒蛇だわと呆れているが。
「ふむ、参考にしよう」
「……へ?」
なんとセネラデの衣服が粒子となって素っ裸に! ところが粒子が再度集まり、今風のドレスに再構築されたではないか。いや衆目の集まるところで全裸は止めて下さいと抗議するキリアに、海龍でいる時はいつも裸だがと取り合わないセネラデ。
見てしまった兵士らが呆然とする中、鹿肉のトマト煮込みをセネラデは美味しそうに頬張る。ぼんきゅっぽんで豊満だという自覚は、どうも無さそうであった。




