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第8話 挟撃と眠り姫

「この布を雑巾みたいに、縫えばよろしいのですね?」


 ケイトの問いに、そんな丁寧じゃなくていいよと笑う、ブラム城に残った弓兵と軽装兵。隠し通路の小穴には、光が漏れないよう黒い布で目張りをしている。ヴォルフが夜間の侵入を止めたのは、二十年も経過しボロボロになっていたから。居残り組としては本隊が入城するまでに、全て交換しておきたいのだ。


「ちょちょいのちょいよね、ミューレ」

「私たち服も縫えるもんね、ジュリア」


 布を切って針を動かす下女三人の手元を見て、ほうと感心するお留守番の面々。針仕事ができて、パンも焼けるし作る料理は美味い。これならば嫁のもらい手はいくらでもいそうだが、いかんせん読み書きが出来ない。

 大陸の言語はキリッシュ語と呼ばれており、多少の方言はあるけれど話し言葉はほぼ同じ。どうしても通じない場合は筆談となるため、そこで読み書きができないと困っちゃうのだ。市場で値札が読めないのも、日常生活では不便を強いられてしまう。


「これをやろう、分からない言葉があったら聞いてくれ」


 弓兵のひとりが、祈りの言葉を集めた小冊子をテーブルに置いた。

 いざ戦場に立てば、どんな大義名分を振りかざそうとも、人殺しは人殺し。この弓兵とて城壁を巡回する、敵兵を三人射貫き冥土に送っている。

 何のために戦うのか、それは愛する家族と民を支える国を、守りたいからに他ならない。その手を血で染めようとも心の拠り所として、伝道の書を肌身離さず持っている兵士は少なくない。


 よろしいのですかと尋ねるケイトに、俺は全部暗記したからと微笑むくだんの弓兵。二十六種類ある大文字と小文字、加えて数字と記号、これを用いているのはグリジア王国も同じ。

 この子らに読み書きを教えてやろう、そんなことを思い始めた弓兵と軽装兵。戦場でどんな状況に陥りようとも殺人鬼にはならず、けして人間性を失わないローレンの古参兵たち。縫い物に集中する下女三人に、みな頬を緩めるのであった。


 ――その頃、こちらはフローラ軍の本隊。


 石橋での攻防はグリジア側が攻めあぐね、睨み合いの膠着状態となっていた。

 兵の数では勝っているが、食料と矢の補給に困窮し、じり貧のグリジア軍。対岸に立ち登る煙は、フローラ軍が兵士へ配る糧食の煮炊きによるもの。美味しそうな匂いが漂ってきて、恨めしそうに空きっ腹を撫でている。


「修理を頼めるか、キリア隊長」

「これはもう修理じゃなくて、交換した方がいいわよ、コーギン隊長」


 よく頑張ったわねと、受け取ったラージシールド《大盾》をぽんぽん叩くキリア。矢が刺さった穴と、剣や殴打武器に打ち付けられた跡でぼろぼろだ。重装兵の戦いが如何に殴り合いか、よく分かるというもの。


 彼らが持つラージシールドは長方形で、身の丈ほどもある。軽い木材を選び動物の皮を張り付け、外周を真鍮しんちゅうで縁取りしたもの。ローレン王国軍の重装兵は大盾を朱塗りとし、二対四枚の翼を意匠としている。

 防御力を優先するならば、金属製を思い浮かべてしまうだろう。だがそんな重量物で長時間、戦闘できるわけがない。それに敢えて木製なのは、ちゃんとした理由があるのだ。受けた衝撃を吸収するのはもちろん、敵の武器が盾に突き刺さり抜けなくなろうものなら、その隙にぶん殴れる訳で。


「ラージシールドは職人が常に製作してるから、ここから新しいの持っていって」

「すまんなキリア隊長、遠慮なくもらっていくぞ。それにしても良い匂いだな、今夜の戦場メシは何かね」

「むかし東方の商人から教わった、カリーという料理よ。香辛料をふんだんに使った煮込みでね、ライスにかけて食べるの、鶏肉も入ってて美味しいわよ」


 そいつは楽しみだと目を細め、コーギンは新品のラージシールドを手に石橋へ戻って行った。この大盾にはもうひとつ、実はとっておきの使い方があったりする。

 日が傾き形骸化した停戦合意が成立し、指揮官テントで夕食を摂りながらの軍議が始まっていた。東方のカリーという料理に、みんな辛い旨いと舌鼓を打っている。


「敵は物資の支援と増援をブラム城へ要請したはず、そう思うだろ、シュルツ」

「ゲルハルト隊と鉢合わせて、潰されてるだろうな、アムレット」


 このシュルツとアムレットが、軽装兵の百人隊長だ。二人とも汗をかきつつ、スプーンをわしわしと動かしてぶどう酒をくいっと。

 オレンジ色の旗が全く信用できないから、軍団の兵士たちは持ち場で食事をしていた。深めの木皿に盛られたカリーはスプーン一本で食べられ、ライスで腹持ちがよいと評判である。


「今夜も交代で睡眠をとり、警戒を緩めないようにしよう、アレス」

「そうだなコーギン、弓隊と軽装隊もそれで構わんな?」


 もちろんと頷く、それぞれの百人隊長。敵さんが夜襲で狙うのは、ローレンの聖女に投石器だ。カウンターウェイト式の投石器が、よっぽど嫌われたらしい。鎧を脱ぎ川を泳いで、奴らは火を付けようとする。


「燃やされても構いませんけどね」

「予備はいくつあるんだい? キリア隊長」

「組み立てて直ぐ使える投石器が四基、完成していますよ、シュルツ隊長」 


 これもまた周囲に木の切り株が増える、キリア隊の特徴でもある。鍛冶職人と木工職人もようし軍団を支える、それがローレン王国の兵站部隊。運んでいるのは食料とぶどう酒だけじゃないのだ。


 そこへ遅くなりましたと、ゲオルク先生にオイゲン司祭がテント入り口の巻き布をくぐった。今夜は二人も慰労を兼ね呼ばれたのだが、上半身がゆらゆらしているフローラを、揃ってお疲れさまでしたとねぎらう。


 負傷した兵士はゲオルク先生が止血と応急処置を施し、寝ては起きてのフローラが魔法で回復させるの繰り返し。即死の場合はどうしようもなく、オイゲン司祭が祈りを捧げ納棺の儀を行なっていた。

 魔法を自軍兵士の治療に当てており、初日に炎の大技を放って以降、ローレンの聖女は敵軍に魔力攻撃を仕掛けていない。だが兵士たちにとっては傷を癒やしてくれる本物の聖女、もはや軍神に等しいと誰もが畏敬の念を抱いていた。


「キリア隊長は、よくこんな料理をご存じですね」

「私は商家の出でしたから、娘時代は父の商隊に連れられ、大陸各地を巡ったものです。その時に覚えたんですよ、オイゲン司祭」


 お代わりはいかがと微笑むキリアに、是非にと木皿を差し出すオイゲン司祭。本来は戒律があって、動物性の食品は口に出来ない聖職者。だが従軍司祭は肉や魚の喫食を、法王さまから認められていた。軍団の中にあって別メニューなど提供できないからで、ローレンの聖女さまも世俗だから食べ物に制限はない。


「フュルスティン、辛さは問題ないですか?」

「ぜんぜん平気よキリア、もっと辛くても大丈夫」


 眠気覚ましに黒胡椒と赤唐辛子を常用しているせいか、辛いものには耐性がある辺境伯令嬢さま。ならハバネロを使った火山噴火カリーを作ろうかしらと、恐ろしいことをのたまう兵站隊長さん。

 いやいや兵士が食べられる辛さにしてくれと、慌て出す百人隊長の面々。辛さで頭皮の毛穴という毛穴が開き、汗をかいているのだから。

 うんうん美味しいとフローラの四精霊が、カリーの入った鍋に集まりもりもり頬張っているのには、誰も気付かなかったりして。


 ――翌朝、敵をゲルハルト隊と挟み撃ちにする刻限が来ていた。合図は単純明快、到着したグレイデルが風の大技を放った時だ。


「五列縦隊!」


 アレス隊長のかけ声と共に、軽装兵が重装兵の隊列に入った。投石器は軽装兵に代わり、弓兵が受け持つ事になる。


「テストゥド《亀》!」


 コーギン隊長の号令で外側の重装兵がラージシールドを構え、内側にいる重装兵が空に構えた。これがもうひとつある、大盾の使い方。隊列の四方と上を盾でぐるりと囲い、敵陣に突っ込むローレン軍の戦法だ。


「諸君、重装隊と軽装隊が敵陣に突っ込んだら、投石器はもう使えん。我々は橋上に移動し、援護射撃を行なう」


 デュナミス隊長の指示に、おうと声を上げる弓兵たち。


「落ち着いてやれよ、間違っても味方を誤射しないようにな」


 アーロン隊長の注意事項に苦笑する面々だが、この頃には新兵らも慣れてきて、笑えるようになっていた。陣形の変化にグリジア軍も気付き、対岸が慌ただしくなっている。そこへ木々を薙ぎ倒す、風の車輪が現れた。待ってたわよと、騎乗のフローラが口角を上げる。


「私も同じ技で行こう、ジャイアントスイング(風の大車輪)!」


 空気が高速で回転し景色が歪むため、車輪に見える風属性の大技が発動。石橋を舐めるように渡り、敵兵を鎧ごと切り刻んでいく。


「怯むな、陣形を立て直せギバス」

「グラハムさま、後方から敵の騎馬隊が、挟まれました」

「何だと!」


 騎乗のゲルハルト隊はハルバードを使い、後方の雑兵を蹴散らしていく。かかれと扇を橋にかざすフローラに応じ、亀状態の重装兵と軽装兵が突撃して行った。


「グレイデルさま、俺の傍を離れませんように」

「私を守ってくれるの? ヴォルフ」

「淑女をお守りするのも騎士の役目ですから」


 ハルバードの槍部分で敵兵を突くヴォルフに、それはどうもと返すグレイデル。彼女は長柄武器を扱えないが、自衛にホイールウインド(風刃の車輪)をあと何発かは撃てる。でもまあ、お言葉に甘えておきましょうと、グレイデルはヴォルフの後を付いていく。


「グラハムさま、軍団が総崩れです、お逃げ下さい」

「くっそう、ローレンの魔女めぇ!」


 統率を失った敵の軍団は瓦解し、日暮れまでには決着が付いていた。石橋の両岸で勝ちどきの声が上がり、フローラ軍は勝利したのだ。だがやはり処刑されると思い込んでいるのか、鎧を着たまま川へ飛び込み入水自殺する者が後を絶たなかった。


「嫌な軍人教育だな、ヴォルフ」

「全くですね、隊長。捕虜は従軍司祭と従軍外傷医に、負傷兵のみです」


 ローレン王国に奴隷制度は存在せず、捕虜となった敵兵は一定の労役を経た後、解放される決まりだ。グリジア王国へ帰るもよし、ローレン王国に定住するもよし、それは自由。同じ神と精霊を信仰する民だ、処刑なんかしないのにと、ゲルハルトとグレイデルにヴォルフは肩を落とす。


「死者に敵も味方もありません、グリジア兵の遺体は穴を掘って埋葬するように。捕虜には黒パンと燻製肉を支給してちょうだい、人の道にもとる行為は禁止よ」


 黒胡椒の粒を頬張る聖女さまに、御意ぎょいと応じる百人隊長たち。騎乗のフローラはお願いねと念を押し、ゲルハルト達の所へやってきた。


「よくやってくれました、ゲルハルト卿。グレイデル、ヴォルフ、仇討ちはできたのかしら」

「父アーノルドの無念は晴らしました、フローラさま」

「俺も胸を張って家族に報告できます、フュルスティン」


 そんな二人に、ただ黙って頷くフローラ。彼女はズッカーから降りると、手綱をゲルハルトに渡した。


「悪いけど騎馬隊に、もうひと仕事して欲しいの」

「何でしょう、フローラさま」

「敵の指揮官グラハムが僅かな手勢で、川沿いに南へ逃亡したわ。落ち武者狩りをしてちょうだい」


 相変わらず人使いの荒いことでとは、間違っても口に出さないゲルハルト。敵軍の残した軍馬が揃っており、追跡に支障はない。お任せ下さいと拳で胸を叩き、配下に指示を出す騎馬隊長であった。


 そして翌日、全ての処理を終えたフローラ軍は、一路アルメンを目指す。石橋は予行演習に過ぎず、本番はブラム城での籠城戦だと、軍団の士気は高い。


「あーあ、こんな良いお天気なのに、どうして私は装甲馬車に乗ってるんだろう」


 またそれですかと、吹き出しそうになるグレイデル。


「戦が無かったら、何をしたかったのですか?」

「まずはお忍びで、首都ヘレンツィアの食べ歩き」


 ああそれ分かりますと、同意を示すグレイデル。使用人たちがこぞって、フローラを城から出そうとしないからだ。だが聖女さまが次に発した言葉で、グレイデルは開いた口が塞がらなくなる。


「あの崖をもう一回登りたいのよね」

「……はい?」


 精霊を得てクリアした歴代シュタインブルク家の女子で、あの崖に再チャレンジした者はいない。誰だって、もういいでしょうって気持ちになるからだ。


「異界の森って魔素が強いせいか、胡椒の木や茄子科の植物が無いのよね。じっくり探索してみたいなって、思ってるの」

「その代わり鹿や猪を呑み込んじゃう、巨大な花があったりするじゃないですか」


 あれは危険よねと、ころころ笑う辺境伯令嬢さま。ちなみに茄子科とは、ナス・トマト・トウガラシ・ジャガイモ・ピーマンといった植物だ。


「あまり長居すると、角や尻尾が生えてきちゃいます。人間界に帰ってきても、元へ戻るのに何年もかかると古文書に」


 振り返ったグレイデルだが、フローラはクースカピーと眠りに落ちていた。グリジア軍の負傷兵にも、回復魔法を使ったからなんだが。これは野営地点まで起きそうもないなと、肩をすぼめるグレイデルであった。

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