第77話 ミン王国の半月荘
再会できて嬉しそうな明雫と樹里の両親だが、ローレン王国女王の来訪に粗相があってはと、取り乱す事なく席に着いた。だがどの両親も気になるのか、どうしても我が娘を目で追ってしまうようだ。
三人娘は兵站お針子チームの仕立てた、ビクトリア朝ドレスを身にまとっていた。フローラやグレイデルに比べれば、派手さはないが貴族然としている。シルクの細長いストールを背中から回し、腕から垂らす姿は優雅で美しい。三人の母親が思わずほうと、感嘆の息を漏らす。
ミン王国の貴族は前合わせの着物に帯を結び、袴をはく民族衣装だ。体型や身長が多少変わっても着用できる構造に、キリアがえらく感心している。男性貴族は袴の色で爵位が分かり、女性貴族は未婚なら明るい赤、既婚ならえんじ色だそうで。
「突然のお話しで驚かれるかも知れませんが、こちらの三人が娘さんに求婚しておりまして」
フローラの紹介に、客間がしんと静まりかえる。そりゃそうよねと、グレイデルが笑いを堪えている。ジャンとヤレルにケバブが、自己紹介と誰に婚約指輪を渡したかを申告していく。恥ずかしいのか三人娘は、身をよじってもじもじ。
フローラとシュバイツによって男爵に叙されたから、身分は申し分なくいずれは領地持ちになりますと、キリアが補足を入れてくれた。ならば願ってもない縁談と、両親たちは頷き合う。
「でもせっかく再会できたのに、また遠くへ行ってしまうのね、桂林」
「いいえ母上、大聖女さまの御業でいつでも里帰りできるのです」
一瞬だよねと、買い出しで慣れてる明雫と樹里がわいきゃい。ローレンの聖女はキリアの商隊から聞き及んでおり、改めて実在するのだと目を見張る両親たち。差し当り桂林の社交界デビューを行ないますから、その際はお迎えにあがりますよとフローラは微笑んだ。
「失礼いたします、お館さま」
「何かあったのか」
「お取り込み中、大変申し訳ございません。漁民たちが陳情に来ておりまして」
「漁民が陳情とは珍しい、何があったと言うのだ」
「湾の入り江に海龍が現れ、漁に出られず困り果てておると」
「何だと!」
海龍って何と、フローラがみんなに思念を飛ばす。神話伝承にあるサーペントのことじゃないかと、シュバイツが返して寄こした。海に生息する大蛇のことで、怒らせると船を沈められるとか。
「取りあえず行ってみようか、みんなで荷馬車に乗って」
「そうですわね、フローラさま。漁民が困っているなら、見捨てておけませんわ」
そうこなくっちゃと、キリアも男衆も立ち上がる。荷馬車の番をしていたダーシュも聞き耳を立てており、どこへ行っても大聖女はぶれないなと笑う。
荷馬車に乗ってが牧歌的に聞こえたのか、両親たちは首を捻っている。乗って空を飛べば分かるだろうと、シュバイツにヴォルフが立てかけていた剣を手に取った。
「ばば、馬車が空を飛ぶなんて、桂林」
「落ち着いて下さい父上、これも大聖女さまの御業なのです」
「音速飛行はしないそうですから、大丈夫ですよ母上」
「その音速飛行が私には分からないわ、樹里」
フローラの安全運転で、荷馬車はふよふよと海岸線に出た。砂浜が半月状であることから陸の平野部や山林も含め、この一帯は半月荘と呼ばれているそうな。治めているのが宋家一族で、桂林の実家が本家だと三人娘は教えてくれた。
「いた! 大きいわねグレイデル」
「頭を先頭に胴体が半円をいくつも描き、沖まで続いてますわね、フローラさま」
「あれでどうやって泳いでるんだろうな、シュバイツ」
「俺に聞くなよヴォルフ、少なくとも地上の蛇とは体の動かし方が違うな」
では話しを聞きに参りましょうと、フローラは荷馬車を降下させた。果たして話しが通じるんだろうかと、顔が引きつる荷馬車の面々である。
「こんにちわ、私はフローラ。いい凪ね海龍さん」
「ほお、精霊を供にしている娘が五人もいる、愛されておるのだな。特にお前さんは四属性の高位精霊と二霊聖まで、精霊女王と知り合いなのか?」
「ええ、仲良くしてもらってるわ。見えるってことは、あなたも精霊なのかしら」
「さよう、人間界に適応し体を小さくする必要がない、その代わり姿は人間にも見えてしまうがな」
「ふむふむ、その海龍さんが、どうしてこの湾に来たのかしら」
「今は海亀の産卵期、砂浜に上がる雌亀を守っておる」
亀を食用にしているのと尋ねるフローラに、三人娘の両親は滅相もないと首を横にぶんぶん振る。長寿の象徴であり縁起の良い生き物だから、漁民は大事に扱っていると。すると海龍はたわけと、鼻から海水を吹き出した。近年になって砂を掘り、卵を持ち出す輩が現れていると怒りを露わにする。
「海亀は成長に時間のかかる生物だが、海の生態系を維持する役割を担っておる。クラゲを食べ異常繁殖させず魚の数が減らないのも、毒を持つ海綿を食べ珊瑚礁を生み出すのも、海亀の存在ありきで成り立つのだ」
海亀の卵に手を出す者は死罪に値すると、海龍は再び鼻から海水を吹き出した。これは大変ご立腹だわと、フローラ達は荷馬車で話し合いを始める。食用にしているのだろうが、普通に鶏やウズラの卵を買えよって話しだ。
「浜から卵を盗み出すのは、地元民じゃないわよね、桂林」
「どう見てもよそ者よね、樹里。領主としてお触れを出す必要があるわ、明雫のお考えは?」
「半月荘の砂浜から海亀の卵を持ち出したら重罪、それでいいと思う。宋家一族として領内全域にお触れを、場合によっては兵士を動員し、見張り番を立てるべきだわ」
娘がここまで理路整然と領地運営を語るなど、思ってもみなかった両親たち。女王の側仕えになるとこうも成長するのかと、頬を緩め嬉しそうな顔をしている。罪状は別途検討するとして、海亀の卵を守る段取りはまとまった。
「こんな風に決まったけど、どうかしら」
「精霊に愛されてるお前さんのこと、信じよう。我が名はセネラデ、生きてる間に機会があればまた会おう、さらばだフローラ」
「あら連れないわね、通る用事があったらローレン王国は首都ヘレンツィアの、ディッシュ湾に立ち寄って」
呼ぶんかいなと、呆気にとられる男衆。でもそれはそれで、来たら来たで、悪くないかもとキリアが目を細める。害がないのであれば旅人や行商人が、見物に集まり首都の海側が賑やかになるからだ。面白い娘だなと笑いながら、セネラデは沖に向きを変え湾の外へ泳いで行った。
翌日より卵の採取を禁ずる、立て看板があちこちに立てられる事となる。犯した者は十年の労役刑を課す旨も明記され、兵士が交代で昼夜監視を行なう体制だ。浜辺で領主から説明を受けた漁民たちが、これで船を出せると万歳していた。
「お土産のぶどう酒を置いてきたのにね、シュバイツ」
「逆に荷物が増えちまったな、フローラ」
空へ上昇しながら、御者台のフローラとシュバイツがくすくす笑う。海龍を納得させ、湾外へ出してくれたお礼なのだろう。もう一台の荷馬車が地場産の調味料や、加工食品で満載なのだ。イカの塩辛と明太子を樽でもらったのは僥倖と、男衆がによによしている。
地上で見送る宋家一族にまた来ますと手を振り、フローラは瞬間転移の門を開く。門の向こう側に見えるのは法王領の空、二台の馬車は輝く輪をくぐり野営地へ戻るのだった。
その頃、ここはレーバイン国の王城。
フローラの父ミハエル候が、皇帝の鎮圧命令を受けドンパチやってた国だ。その執務室に集まり密談をする三人の男が、苦虫をかみつぶしたような顔をしていた。
「ローレン王国軍が兵を引き上げるとは思いませなんだ、ジョセフ候」
「戦争による魂集めが出来なくなりましたな、ゼブラ候」
「お二人とも、それよりガバナスからの音信が途絶えたのは痛い、魔界での魔物量産が頓挫しました」
「何か妙案でも? グラハム候」
どうもこの三人がフローラ達と敵対する、魔物信仰の選帝侯らしい。レーバイン国を拠点とし、フローラの邪魔をしてきた張本人たちだ。壁際に控えているのは全て魔物、人型と人型でないもの、アンデッドから死霊まで、ごった煮である。
「ガバナスは魔王ルシフェルに、見つかってしまったのでしょうな。別に魔物量産は魔界でなくとも構いません、魔素があるなら邪神界でも外道界でも」
「なるほど、グラハム候の言う通りだ。魔物に変えてレーバイン国も、人口がずいぶん減少してしまった。偽装反乱に仕立てたクレガ国へ、居を移しますかなゼブラ候」
生け贄や戦争による魂集めから、領民を魔物化する方針へ切り替えた三人の悪党ども。他国の民を犠牲にしてでも、フローラを含む選帝侯を亡き者にしたいらしい。
「憎きはローレンの魔女だ、ジョセフ候」
「いかにも、我々が目指す千年王国を邪魔立てする、エセ聖女だなゼブラ候」
「悲願を達成するためにも、必ずや葬りましょうぞ」
グラハムの抹殺宣言に、当然と頷くジョセフとゼブラ。
精霊に愛され民衆を正しく導くのと、魔物の力を犠牲を持って借り民衆に従属を強いるこの違い。彼らはその根本的な間違いに、死ぬまで気付くことはないだろう。人徳のある君主だからこそ民衆に慕われ愛され、帝政も王政も花開くということを。
さて野営地に戻った三人娘は、早速イカの塩辛と明太子の樽を開けていた。短期保存食でそれほど日持ちしないから、軍団に振る舞いましょうって事に。
キリアが三人娘に製造方法を聞いているが、イカの肝とかスケトウダラの卵巣とかがぴんとこなくて、理解に苦しんでるもよう。これは首都ヘレンツィアへ戻った時、実際に作ってもらうようねと鼻息を荒くしている。
「ご両親の了解を得られたか、ならば正式な婚約発表だな」
我がことのように喜んでくれるゲオルクに、嬉し恥ずかしのジャンとヤレルにケバブ。救護テントのテーブルと言う名の診察台に、半月荘でもらった珍味を並べぶどう酒をちびちびやる四人。
向こうを出立するとき、宋家の女中たちが婿殿にと、ポケットにぐいぐい押し込んできたもの。そこへ混ぜてくれよとディアスも加わり、これは何だろうと盛り上がっちゃう。
「こいつはチーズみたいな味わいだな、ケバブ」
「カラスミって聞いたよディアス、原料はなんだっけ? ジャン」
「ボラの卵巣だったかな、それよりこっちは何だろう、ヤレル」
「塩ウニって聞いたけど、そもそもウニが分からん」
あの海のトゲトゲ物体かと、ゲオルクが信じがたい顔をする。帝国では食べる習慣が無かったから、これも致し方なし。そして更に謎なのが、このわたと呼ばれる珍味だ。美味いがこれはいったい何ぞやと、誰もが首を捻ってしまう。実はナマコの腸を使った塩からで、何気に婿三人は海の三大珍味を、女中からもらって来たのだ。
「桂林と明雫に樹里はこれを作れるのか?」
「作れると言ってましたよ、ゲオルク先生」
そう言ってカラスミをもりもり頬張るケバブに、お前食べ物には苦労しなさそうだなとディアスが破顔する。三人娘は食を司る女神の化身、そう信じて疑わないゲオルクであった。




