第75話 魔王閣下
朱雀はまるで孔雀のような美しい姿をしているが、その本質は炎であり敵対する者を焼き払う。高位火属性が持つ特技であり、意図しなくてもそれが発動する。ワクシャが次々炎に包まれ、悲鳴を上げながら落ちていく。
白虎はその名が示す通り、大いなる白い虎。極寒の吹雪をまとい氷結させてしまう、高位水属性の特技を持つ。絶対零度の凍結なので、ちょっとショックを与えれば粉々になる。地面に落ちたワクシャが粉砕し、飛び散るのが見える。
玄武は重力を扱える高位地属性の持つ特技で、敵対する者に原形を留めないほどの圧縮をかける。人間と変わらないサイズの鳥が、拳大までぎちぎちに固められ肉団子になるのだ。
青龍は高位風属性で、空気の断層を自在に生み出す。もはや空飛ぶカマイタチであり、不用意に近付けば五体がバラバラになる。カマイタチとは怪異現象のひとつで、遭遇したら刃物で切り付けられるのと同じ。
それぞれの特技を無意識のうちに、発動しちゃう精霊さん達。玄武だけ少し遅いけど、みんな空中を自在に飛んでいる。ワクシャなどもはや相手にならず、虎パンチで叩き落とす白虎なんて恐ろしい子。青龍も尾で薙ぎ払い、鳥どもの翼をへし折る。
「終末の使徒、意味をまだ聞いてないわよガバナス!」
「きさまに答える義理はない!」
精霊さん達が繭から孵りフローラは、従来の四属性スペルが使えるようになっていた。ガバナスと魔力弾の打ち合いで、縦横無尽に空中戦を展開している真っ最中。ワクシャは精霊さん達が請け負ってくれてるから、フローラはガバナスにタイマン勝負を仕掛けていた。
こっちは音速よ当たらないわと躱しまくり、フローラがジャイアントスイングを連射する。それをガバナスはマジックシールドでレジストするが、フローラの魔力が勝っているのか防ぎきれていない。
「ぐはっ」
「聖職者が使うシールドに比べて、ずいぶんと貧弱なのね、ガバナス」
「うるさい黙れ!」
憤怒の形相で火炎弾を放つガバナスだが、フローラはひょいひょい躱す。そこへ脳天に響く大音声が響き渡った。「これはいったい何事か、我が領域で魔法戦を無許可で行なうなど、命知らずであるな」と。見上げればそこに、銀白色に輝く三対六枚の翼を広げた、大天使と見紛うほどの存在が出現していた。
「罪深き者たちよ、その身を微粒子レベルまで分解してやろう。魂は地獄の最下層、コキュートスで永遠に幽閉だ」
突き出す手のひらに、青白いエネルギーが集まっていく。その魔力は恐ろしいほど膨大で、肌にぴりぴりと伝わってくる。この人は誰と思念を送ったフローラに、魔界を統治する魔王の頂点、ルシフェル閣下ですと精霊さん達から返ってきた。
「お待ちください閣下!」
「おお、精霊界のヒュドラではないか、久しいのう」
「お久さしゅうございます閣下、あの者はローレンの聖女にございます」
「ほお、何代目かは知らぬがなぜここに?」
「魔界で魔物を生み出し、人間界へ放つ張本人を見極めに来ておるのです」
いつの間にか現れたヒュドラの取りなしに、ほっと胸を撫で下すフローラ。問答無用で微粒子レベルに分解とか、勘弁して欲しいです魔王さま。彼はワクシャが舞い上がってくる、地面の蜂の巣へ視線を落とした。
「近ごろ魔素の動きがおかしいと思っていたら、そこな男が原因であったか。ならば天罰を与えてやろう」
「ひいっ!」
「お待ちくださいルシフェル閣下」
「なぜ止める、ローレンの聖女よ。敵対者は抹殺する、これが力の法則ぞ」
「その男には聞きたいことが山ほどあるのです。ここは私の顔に免じて、身柄を預からせてもらえませんか」
射貫くような視線を向けるルシフェルと、おっかないが正面から受け目を逸らさないフローラ。彼女の精霊天秤は法にも力にも偏らないど真ん中、絶対に曲げられない強い意志が魔王を見返す。やがて魔王の手に集まっていた、青白いエネルギーがふっと消えた。
「これは愉快、そなたには新たな千年王国を築く素養があると見た。近う寄れ」
ちょいちょいと手招きされ、ふよふよと傍に行くフローラ。するとルシフェル閣下は、彼女に六芒星のベンダントを握らせた。チェーンが付いており、首にかけておけってことなんだろう。
「困ったことがあればこれに念じるがいい、私に直接繋がる」
「相談に乗ってくれるのですね、閣下」
「力が必要な局面では遠慮なく言え。時にそなた……」
「フローラです」
「花と春に豊穣を司る女神か、良き名だ。風の噂で聞き及んだのだが」
「はい」
「精霊界で酒宴を開いているそうだな」
「あは、あはは、お望みならご招待しますよ、ねえヒュドラ」
「ティターニアさまもオベロンさまも、歓迎するでしょう」
なら約束だぞと、ルシフェルは光の粒となり、虚空へ消えていった。同時に恐ろしいほどの重圧が地面にのしかかり、ワクシャの蜂の巣をことごとく押しつぶしぺしゃんこにしてしまう。
気付けばガバナスは、虹色の糸で拘束されていた。体の自由を奪うと言うよりも、魔王によって魔力を封印されたようだ。スペルが使えなければただの人、哀れなものである。
「冷や冷やしたぞ、フローラよ」
「助かったわヒュドラ!」
フローラに抱き着かれ、目を白黒させる右のアモンと左のマモン。彼女が無条件に注ぐ親愛の情に、精霊さん達はほだされてしまうのだ。本人に自覚は無く、無邪気な大聖女である。
重力無視でガバナスをひょいっと持ち上げ、フローラは転移の門を開く。するとどうしたことか、翼竜まで付いて来ちゃったよ。正式にはワイバーンと呼ぶらしいが、人間界へ連れてく訳にはとフローラが頭を抱えてしまう。
「主従契約を交わしているのだろうな、白虎よ」
「主人であるガバナスが魔力を封じられているから、解除出来ない状態ね、朱雀」
「ちょちょ、それじゃどうしたらいいの? みんな」
「契約の上書きかしら、玄武」
「グレイデルも空を飛べた方がよかろう、彼女のペットにしてしまうのはどうだろうか、青龍」
それでいいのかいなと、フローラは呆れてしまう。しかしガバナスが処刑されれば野良ワイバーンとなり、人間の村や町が襲われると精霊さん達は口を揃える。
ならば新たな契約者の管理下に置いた方がいい、大食いだが雑食だから飼いやすいぞと、ヒュドラが真顔で言ってくれやがります。そんなヒュドラから契約のスペルを教えてもらい、転移の門をくぐるフローラであった。
――そしてこちらは野営地。
ディフェンスシールドが破られ、第二ラウンドが始まっていた。狙われているのは言うまでもなく、法王と選帝侯だ。ゲルハルトもヴォルフも、各隊長も集まり、要人をお守りするべく聖堂騎士と共闘していた。
そこで異彩を放っているのが、大司教のラムゼイだったりして。モンクと言えば良いのだろうか、両手両足が武器で拳法の達人なのだ。拳で突き蹴りを放つ技から、流れるように次の技を繰り出している。殴られ蹴られ弱ったヤクシャの、首に腕を回し骨をこきっと折る辺りはやはり暗殺者だった。
「見事な体術ですな、ラムゼイさま」
「武器がなくとも戦えますからな、クラウス候。教会が持つ武力は、聖堂騎士だけではございません」
追加のワクシャが飛んで来なくなり、大聖女が元を絶ったと確信したフローラ軍の兵士たち。ならば先は見えたと、一気に畳みかけて行く。グレイデルの繭も孵り、こちらも飛び級で青龍ちゃんだった。人間界なので親指サイズだが、存在自体が飛ぶカマイタチだから、ワクシャをずたずたに切り裂いていく。
そこへただいまーという声の後に、エグゾーストのスペルが響き渡る。空が夕焼けが如くオレンジ色に染まり、焼け焦げたワクシャがぼとぼと落ちてきて灰と化す。更に魔力の触媒が要らない特技で、精霊さん達がワクシャを全滅に追い込むのだった。
「これを……私が飼うのですか? フローラさま」
「グレイデルも空を飛べた方がいいでしょ、よくよく見れば愛嬌があって可愛いじゃない」
ワイバーンを前にして、茫然自失のグレイデル。これでフローラ軍に、新たな居候が増えちゃう訳だ。雑食性で何でも食べると知ったキリアが、便利かもと肯定的な意見を。調理で出る野菜くずや肉の骨など、処理してもらえれば助かるからだ。
「わ、分かりましたフローラさま、契約のスペルを教えて下さい」
「そうこなくっちゃグレイデル、では始めましょう」
見た目はトサカのないでっかい鶏、それがワイバーンだ。グレイデルが主人になれば、兵站エリアをのっそのっそと歩き回る事になる。ダーシュとは違った意味での生き物枠に、ゲオルクとシーフの二人が思わず笑ってしまう。
矢の補充と装備の修理が必要で、フローラ軍は当面の間、法王領の首都から離れられそうもない。ヒールで回復した負傷者のリハビリも必要で、皇帝領へ向かうのはその後になる。
差し当たって捕らえたガバナスは、檻に入れ尋問は明日以降にしたフローラ。当事者であるグリジア王国のハモンド王を立ち会わせたいからで、それには法王も隊長たちも同意を示した。ハモンドが一番の被害者なわけで、言いたいことは少なからずあるだろうからと。
「三人とも、ヒールを使いまくって眠くならない?」
「それがフローラさま、ぜんぜん平気なんです。ね、桂林」
「ディフェンスシールドが崩壊する前は、すごく眠かったんだけどね、明雫」
「新たなワクシャの飛来が途絶えた後、目が冴えて来たんですフローラさま」
樹里がそう答え、兵士たちの晩ご飯となる牛肉の筋に包丁を入れる。今夜は分厚い牛ステーキになるようで、炭に火が起こされていた。他にも豚ロースや鶏もも肉など、桂林と明雫が手際よく下処理していく。兵站糧食チームはソースと炊飯に取りかかっており、どうも夕食は肉肉肉で攻めて来るもよう。
これはルシフェル閣下の恩恵なのだろうかと、フローラは首から下げた六芒星のペンダントに手を添える。何にしても聖女の弱点を緩和してくれるのは有り難く、エレメンタル宮殿での酒宴では最大級のおもてなしをせねばなるまい。
「お二人とも、法王庁へ戻らなくてよろしいのですか?」
「固いことを言うなマリエラ候、こんな良い匂いが漂えば帰るに帰れんわ、なあラムゼイよ」
「いかにもですなパウロさま、除け者にしないで頂きたい」
ご飯を待つわんこの尻尾ふりふりに見えたマリエラが、思わず吹き出してしまう。気持ちは分からないでもないと、へにゃりと笑うクラウス。法王も大司教も、野営地を離れがたいみたいだ。
ちなみに聖職者向けは豆腐ステーキにナスの揚げ浸し。こっちは味噌味で、それはそれで美味しそう。両方制覇だねと、ラーニエが瞳をきらりんと輝かせていた。




