第72話 三人の叙爵
グリジア国王ハモンドを送り届け、そこから各国の市場へ飛んだフローラと買い出しチーム。黒胡椒と唐辛子に食材を確保し、エレメンタル宮殿で行なわれた宴会もつつがなく終了した。
シュバイツときたら精霊女王にも精霊王にもタメ口で、冷や冷やさせられたフローラたち。だが水晶で見ているティターニアとオベロンは、こういう奴だと分かっているから気にしてないっぽい。おかげさまで三人娘も、精霊さん四属性持ちに。
そしてここは女王テント、フローラが法王からの書簡に目を通していた。実はパウロⅢ世と大聖女の間だけで通じる、暗号の符丁は前に決めてあったのだ。確かにご本人からだわと、安堵するフローラである。
「何と認めてあるのですか、フローラさま」
「あした法王さまが、大司教ラムゼイを連れてここに来るそうよ、グレイデル」
「ミーア派の指導者とズルニ派の指導者が一緒にですか? それまでに繭が開かなかったら……」
「万が一の事があったら魔人化も出来ないし、頼みの綱はケイトとミューレとジュリアになるわね」
ティースタンドを用意していた三人娘が、かきんと石像になってしまう。お茶を淹れていたミリアとリシュルも、大丈夫かしらって顔してる。シュバイツにヴォルフも今からお願いして、日程を変えられないかと口を揃えた。
「単一属性とは言え、三人は生活魔法を毎日駆使していたでしょ。それは兵士の食を支えるという、他者のためが根底にあるわ。完全回復魔法は直ぐに使えるはずと、ティターニアが話してたじゃない」
何かあったら後は兵士たちに、頑張ってもらうしかないわと、フローラは置かれたティーカップに手を伸ばす。回復要員はいるのだから、致命傷だけは受けないようにしてねと。
「割りと落ち着いていらっしゃいますわね、フローラさま。魔力に制限がかかっておりますのに」
「各国の市場巡りをしてね、グレイデル」
「はい」
「わたし気付いちゃったのよ」
「はいはい」
「どうにもならない時は」
「はいはいはい」
「仲間を宙に浮かして瞬間転移、安全な場所へすたこらさっさ」
いやそれ騎士道としてどうなんだとシュバイツにヴォルフが、悪党や魔物に騎士道は通じないわよとフローラが、なんちゃらかんちゃら舌戦を始めちゃった。
逃げるが勝ちってことわざもあるじゃないですかと、グレイデルがなだめに入る。その逃げるが気に入らないと反発する二人に、フローラがテーブルをぐーでぶっ叩いた。女王テントの中が凍り付き、誰もが次の言葉を失ってしまう。
「騎士として逃げは卑怯、その心情はよく分かってるつもり。でも私たちが一丸となって目指すのは、新たな千年王国なのよ。兵士を無駄死にさせてはなりません! 消耗品にしてはなりません! これだけは絶対に譲れない私の自負なの、二人とも分かってちょうだい」
行事用テントでおやつにもらったカットステーキを頬張る、わんこ聖獣が聞き耳を立てていた。これが我々の大聖女、目標を見定め迷いを振り払った今は、強いなと感じ入る。
そうだこの人はそういう人だったと、失念していた事を恥じるシュバイツとヴォルフ。戦わずして逃げるのは情けないかもしれないが、損害を抑え最終的に勝利すれば良い。戦術で負けても戦略で勝つ、逃げるが勝ちとはそんな意味だ。
「すまなかったフローラ、つい熱くなってしまって」
「俺も浅はかでした、申し訳ないフローラさま」
「いいのよ二人とも、こうやって言いたいことを、仲間で言い合うのも大事だから」
にっこり笑って尾を引かず、切り替えが早いのもフローラのいいところ。
彼女はもうひとつ書簡がありまーすと、テーブルに広げて見せた。市場巡りのついでにアウグスタ城へ顔を出したら、アンナから吉報ですと手渡されたもの。
それはキリアがミン王国へ出した商隊から届いたもので、何と三人娘の出自が地主貴族だと証明されたのだ。諦めていたそれぞれの両親が、感謝の気持ちを切々と綴っており、娘をよろしくお願いしますと結んでいた。
「これで三人はハウスキーパーにもなれるわね、ミリア」
「実質的にはもうウェイティング・メイドだけどね、リシュル」
泣きじゃくる三人娘をサンドイッチで抱きしめた、二人のお姉さまがよしよしと頭を撫でる。フローラもグレイデルも、シュバイツにヴォルフも、護衛武官のアリーゼも、ほろりともらい泣き。
ならばケイトの社交界デビューは、どんな形でと話しは流れていく。ローレン王国で預かった貴族だから、いったん首都ヘレンツィアへ戻り、アウグスタ城でやりましょうと話しはとんとん拍子に決まった。
「三人とも、これからは堂々と本名を名乗るといいわ」
フローラの言葉に、はいと答え涙を拭う三人娘。
ケイトは桂林。
ミューレは明雫。
ジュリアは樹里。
知らなかったシュバイツとヴォルフが書簡を覗き込み、良い響きだねと頬を緩ませた。そうなると調理中はメイド服でも、公式の場で着用する貴族服が必要となる。キリアに頼んでお針子チームに、仕立ててもらうことで満場一致となりました。
「正式に婚約となれば、座標を覚えにミン王国まで音速飛行かしら」
「どのくらいかかりそうなんだい? フローラ」
「やってみないと分からないけど、時計の針が五周くらいかな、シュバイツ。帰りは瞬間転移だから気にしなくていいし、座標さえ覚えてしまえばいつでも一瞬で往復できるわ」
「商隊で何ヶ月もかかる道程が、朝に出かけて昼に着くのか……」
「両親に会わせてあげたいし、婚約者の紹介もさせてあげたいしね」
んふっと笑いフローラは、ティースタンドの月餅を手に取った。そして私はシーフ二人に爵位を与えるから、シュバイツも従者のケバブに爵位を与えてねと頬張る。軍団の誰もがその働きを認めているし、いつまでも傭兵と従者にはしておけないわと。
「取りあえずここにいるメンバーとキリアも連れて、ご両親をお迎えに参りましょうか。荷馬車で半日の音速飛行、お土産には何がいいかしら」
いやお土産の事よりも音速が怖いと誰もが思ったけれど、大聖女は言い出したら聞かないので腹をくくるしかなかった。キリアが同行するなら俺もいこうかなと、ダーシュが最後のカットステーキを飲み込んだ。
その夕方ジャンとヤレルにケバブは、礼拝テントの祭壇で叙爵を受け男爵となった。俺たち遺跡と地下迷宮の探索は止めませんよと言うシーフに、もちろんいいわよと笑って返す大聖女。いつかは領地を与えるが、執事が優秀なら運営は何とかなるものですゆえ。
「おめでとう、ジャン、ヤレル」
「ありがとうございます、ゲオルク先生。でもちょっと照れるな、ヤレル」
「こそばゆいというかな、ジャン」
「何を言うか二人とも、フローラさまの側近に指輪を渡した時点で、こうなることは分かっていただろう。大いに励むといい、結婚披露宴が今から楽しみだ」
救護テントで革袋のぶどう酒を回し飲みする三人だが、ゲオルクはそれまで自分がこの世にいるだろうかと考えていた。いや考えても詮無きこと、全ては神と精霊の御心のままにと、二人に目を細めた。
そしてこちらは鍛冶工房テント、ケバブが真っ赤に熱した鋼と向き合っていた。フローラからシーフ二人に、新しい短剣を打って欲しいと依頼され、早速とり掛かっているところ。
彼自身はシュバイツから、ブラックオニキスのアミュレットを賜っていた。首から下げるタイプなので、ぱっと見はネックレス。アミュレットは魔除けとして、持ち主を災難や危機から救う、お守りみたいなもの。
ケバブに武器や防具を下賜しても、ソードスミスだから無意味なわけでして。そこでフローラがシュバイツにアドバイスし、自分の持ち物から提供したわけだ。兵站部隊には彫金細工師もいるから、装身具まで作れちゃうのがフローラ軍である。
「おめでとうケバブ」
「ありがとうディアス。そう言えば首都ヘレンツィアへ戻った時、お前を準男爵にするって、フローラさまとグレイデルさまが話していたぞ」
「俺を? 何でまた」
「実家の工房は兄貴が継ぐって、前に話してたよな」
「ああ、そうだけど」
「なら領地を授かって、自分の工房を構えたらいいじゃんか。シェリーは屋敷で、お針子教室を開くとか」
そっか、それもいいなと破顔するディアス。でもその前に千年王国だと、ケバブは真っ赤な鋼を打ち始める。おうよと頷き、ディアスは頼まれた剣の研ぎ直しに没頭していった。
その頃こちらは行事用テント、製麺機は難航しておりまだだが、他のクッキングマシンが完成していた。牛と豚の合い挽き肉に、玉ねぎのみじん切りときたならば、兵士全員にどでかハンバーグ。
今までもハンバーグは提供していたのだが、どうしても人手が足りず小ぶりとなっていた。でも今夜はちがいますよ、女性の顔ほどもあるビッグサイズ。付け合わせは茹でたニンジンとブロッコリーにジャーマンポテト、これがワンプレートにででんと乗る。もちろんご飯は神話伝承盛りで、プレートに山を築き圧倒的な存在感を示す。
「使い心地はどうかしら、桂林」
「女性でも軽く回せるハンドルで、とっても便利ですキリアさま」
明零と樹里もうんうん頷いており、瞳をきらりんと輝かせるグラーマン商会の会長夫人。このひと商売になると思って、鍛冶チームに制作命令を出したね、絶対間違いないとわんこ聖獣が笑う。
「キャベツの千切りはどうなったかしら、明雫」
「はい、千切りにしたキャベツを今度はみじん切り機に入れます。ね、樹里」
「そうそう、更に細かくしてコールスローにしてます、キリアさま」
使い方のバリエーションを自ら編み出してる三人娘に、これはマニュアルを書いて貰おうかしらと企むキリア。そこは根っからの商人だから、儲け話には敏感なのだ。
もっと細かく粉砕できれば、野菜ジュースも作れるよねと三人娘が話し出す。何それもっと詳しくと、飛びつく兵站隊長さん。哀れ鍛冶職人チーム、製麺機でも四苦八苦してるのに、終わりの見えない仕事が更に舞い込みそうだ。
そして首脳陣と各隊長が集まった、夕食の女王テント。
ハンバーグは大葉を乗せて上に大根おろしをちょんと置き、お醤油ベースのソースをかけたもの。あまりの盛りに給仕の応援に入ったメアリが、うわぁと呆れ顔をしている。もちろん男性向けなんだが、護衛武官のアリーゼも女性なら三人前だわと、笑いを隠せずにいた。
「法王と一緒に来るならば、ズルニ派の襲撃は無いのであろうか。ゲルハルト卿はどう見るね」
「我々がズルニ派の指導者を人質に出来ますからな、クラウス候。しかし……」
「アデブの指導者二人と、聖女を含む選帝侯三人がテーブルを囲む。それを嫌う勢力がどう動くかですわね」
マリエラの指摘に、いかにもと頷くクラウスとゲルハルト。分かっているから誰も口にしないが、それは悪しき魔物信仰の徒、黙っているはずがないと隊長たちも気を引き締めていた。
いざとなったら逃げる、その話しはしないフローラ。ここに居る隊長たちに伝えちゃったら、収拾がつかなくなるからだ。特にゲルハルトは本気で怒るだろうから、ヴォルフにきっちり口止めしてたりして。




