第71話 精霊の進化
お寿司をほとんど口に出来なかった、フローラとグレイデルが朝食をもりもり頬張っていた。献立はサバの味噌煮ときんぴらごぼうに、白菜のごま和えと豆腐のお味噌汁。サバ味噌には七味をどっさりの二人、サバも煮汁も真っ赤になってます。
三人娘はサバを三枚に下ろさず、豪快に筒切りで味噌煮を作る。背骨に対し中骨や腹骨といった骨が、繋がったままになるわけだ。そうすると身を剥がしやすく、むしろ食べやすいのだとか。骨まで食べられる圧力鍋が開発されるのは、もうちょい先の話となる。
「夕べそんな話しをしてたんだ、キリア」
「ええフローラさま。ズルニ派の指導者、大司教ラムゼイに会うべきだと」
ふむと頷くフローラがしばらく考え、法王さまへ書簡を届けましょうと味噌汁をすする。ところでクラウスとラーニエの仲はと尋ね、キリアが良い雰囲気ですとにっこり微笑む。
「ラーニエが伯母さんになるのか」
「この場合はお義姉さんでもよろしいのでは? フローラさま」
「望んでいた事だけど、ちょっと複雑だわね、グレイデル」
確かにとキリアがクスクス笑い、一緒に食べていたシュバイツとヴォルフも可笑しいのを堪えている。しかしあれだけの手練れが妻になれば、心強いですよねとレディース・メイドがお茶を置く。ミリアとリシュルも会場で給仕をしていたのだが、終始メイドに扮した娼婦に守られていたからだ。
「婚約は人質に出されているお子さんに、ラーニエを紹介してからとクラウス候はお考えのようですが」
実質的には大司教クラスの尼僧を娶るのだ、長男のハミルトンも長女のアンネリーゼも反対はすまい。だがそのために預け先の国が、二人を国許へ帰してくれるかどうかだ。調べたところ教会はミーア派だが、聖職者は政治に関与しないから如何ともしがたい。
「国同士で人質交換をするの、私は廃止したいな、キリア」
「俺もフローラに賛成だな、野心を持って他国を侵略しなければいいだけだろ」
「なら早く皇帝にならないとな、シュバイツ」
「簡単に言ってくれるなよヴォルフ、でも将来的には……」
敵対する選帝侯を潰せば枠が空く。ハモンド王が帝国に加入する意思を持つなら、グリジア王国も大国だから彼を選帝侯にしたいとシュバイツは言う。フローラを大聖女であり盟友と認めているのだ、きっと好ましい選帝侯になると。
「ローレン王国とヘルマン王国、そしてグリジア王国が隣国同士で同盟を組むようなもんだな」
「そう、そこへ皇帝領のお国替えで周りを固めちゃう。古い人質交換のしきたりなんて、軽く消し飛ぶだろ」
ならマリエラのルビア王国もお国替えしたらとフローラが、後で打診してみましょうとグレイデルが頷き合う。ローレン王国が大陸の中心地となり、もはや辺境伯領とは呼べなくなる。まあそん時は、別の爵位に切り替えれば良いだけの話しだ。
そこへ三人娘が入り口の巻き布から顔を覗かせ、キリア隊長に来て欲しいと異口同音。上から順にケイト・ミューレ、ジュリアの顔が縦並び、それが何とも微笑ましくほっこりしてしまうフローラたち。
レディース・メイドに後を頼み来てみれば、兵站馬車のひとつに糧食チームが集まりえらい騒ぎになっていた。どうしたのと尋ねるキリアに、これを見て下さいとひとつの木箱を指差す糧食チームの女性たち。
中味は三人娘が何やら仕込んでいた大豆なんだが、ぜーんぶネバネバに。これは捨てるようかしらと吐息を吐くキリアに、捨てるなんてとんでもないですとケイトが声を上げた。
「いま……何て?」
「美味しいのですよ、キリアさま」
「でもでも、腐ってるじゃない」
「腐敗と発酵は違います、ヨーグルトやキムチと一緒ですから」
納豆って言うんだよねとミューレが、白米に合うんだよねとジュリアが、スプーンを差し入れもーぐもぐ。うっそと糧食チームの女性たちが、お腹を壊さないのかしらと心配顔してる。だが精霊さん達は何も言わないから、食用なんだとキリアは信じるしかなかった。
行軍中ではない野営地の場合、昼食も普通に配膳される。献立は鶏の唐揚げ塩味にナスの揚げ浸しとマカロニサラダ、お味噌汁は油揚げでお新香が付く。そして生卵に納豆と相成りましたよ。
ちなみに割る前の卵はミューレが、水属性の力で高圧洗浄するから生食しても大丈夫。鶏卵の殻は表面がクチクラ層と呼ばれる、抗菌物質で覆われており洗うと剥げ落ちてしまう。なので殻を割る直前に洗うのが、ミン王国の常識なんだそうで。
匂いが嫌いな人は卵二個でもいいですよと、糧食チームが並んでる兵士たちに声がけしている。だがそこはフローラ軍でくさやの干物や、魚醤を使った鍋も食べた事があるから、あんまり気にせず納豆を取っていく。
「まずは百回かき混ぜるんだっけか、ヤレル」
「そうそう、そしてお醤油と好みでカラシだな、ジャン」
初めて食べる発酵食品だと、ゲオルクがぐるぐるかき混ぜる。そう言えばあの国のシュールストレミングスは、臭かったなとジャンが思い出し笑いをした。そんなに酷いのかと尋ねるゲオルクに、あれ以上に臭い食べ物を俺たちは知りませんと、ヤレルが渋い顔になる。
「お、ぜんぜんオッケーだよジャン」
「白米とよく合うな、ヤレル。ゲオルク先生はどうですか」
「うん美味い、これは醤油があってこそだろうな」
こりゃいいねと周囲の兵士たちも、賑やかに掻き込んでいる。まずは納豆を試し、次は卵かけご飯、鶏カラもあるからご飯三杯はいけると。中には納豆と卵を両方ご飯に乗せる開拓者もいて、それは盲点だったと行事用テントへ走る兵士がちらほら。
「ところで鍛冶職人チーム、ここんとこ忙しそうにしとるな」
「挽肉を作るミートチョッパーと製麺機だっけか? ヤレル」
「そうそう、ミートチョッパーは想像できるが、製麺機って何だろうな、ジャン」
実のところ帝国には、麺料理ってもんが存在しなかったりする。小麦は焼いて白パンにするもの、そんな固定観念が邪魔をしてお料理が発達しないのだ。
三人娘がブラム城にいた頃は細々と作り、糧食チームのまかないにしていた。その女性たちが、うどんとそばにスパゲッティが恋しいと言い出したのである。
だが全兵士の分となれば、大量に作れる機械が必要になるわけでして。そこでキリアの出番、制作に取りかかりなさいと隊長命令が下りましたとさ。
「他にもキャベツを千切りにするのと、タマネギをみじん切りにするのも制作してるぜ。試行錯誤を重ねて、何度も作り直してるよ」
隣のテーブルに座るケバブから、最新情報が寄せられた。つまり男性も含め包丁を握ったことのない素人でも、糧食チームを手伝えるって事になる。こりゃ兵站部隊が様変わりするなと、顔を見合わせるシーフ二人とゲオルクであった。
夕方になり行事用テントでは、串焼きの準備が始まっていた。ネギマ串・皮串・焼きとん串・野菜串・レバー串・つくね串を炭火で焼くもよう。串は矢を作った端材から、木工職人が削り出したもの。
そんな中、女王テントでちょっとした問題が。
フローラの四属性さんと、グレイデルの風属性さんが、蚕みたいに繭となってしまったのだ。もしかしてこれが精霊の進化なのかしらと、二人は目を丸くする。
「繭の状態でもふよふよ付いてくるから、どっか行っちゃうことはないけど」
「私は風属性の技が使えなくなりました、さっき試したら冷凍の肉を切れませんでしたから。フローラさまは四属性の全てではありませんか?」
「何か知ってるかな、天使ちゃん、悪魔ちゃん」
「くっぴぴくぴぴ」
「くぴっぴくぴくぴ」
進化に悪影響が出るから、繭化すると魔力を通せなくなるらしい。最近はグレイデルもくぴぴ語が分かるようになり、意味はだいだい把握したっぽい。そこへ行事用テントへつまみ食いに出ていた、繭にならなかったグレイデルの精霊さん達が戻って来た。繭を見てわーい進化だ進化だと、まるで自分のことのように喜んでいる。
「オメガ、孵るのにどのくらいかかるの?」
「五日かな、グレイデル」
「私のお祖母ちゃんは、進化したの二十台後半だったわ。こんなに早い理由を知ってる? アルファ」
「回復魔法をいっぱい使っているからよ、フローラ。自分のためではなく他者のために力を使う、それが親密度を上げる最短コースなの」
そこでラムダが人差し指を立てた、この分だと飛び級があるかもねと。それって何かしらと、フローラもグレイデルも目をぱちくり。例えばフローラの祖母であるエルヴィーラは、サラマンダーからケルベロスに進化した。今までの経過を見ると、更にそのワンランク上になる可能性があるとラムダは言う。
「具体的には、どうなるのかしら」
「東西南北の四方を守る、青龍・白虎・朱雀・玄武だね、フローラ。グレイデルのシルフも、青龍になるんじゃないかな」
ほうほうほうと、頷くフローラとグレイデル。それにしてもこの精霊さん達、本当に嬉しそうだ。その理由を尋ねたら、とんでもない事実が。
次の進化は四属性がひとつになり、霊鳥か神獣か竜になるんだそうな。フローラには天使と悪魔がおり更なる進化があって、神霊になるとかなんとか。精霊としてのランクが上がる、だから自分の事のように喜んでいるみたいだ。
「あは、あはは」
「大丈夫ですか? フローラさま」
「精霊界に行って、桃源郷の桃いっぱい食べようね」
あいやそうだったと、グレイデルの顔が引きつる。ならば食べに来ればよいと声が聞こえ、見ればテーブルに双頭のドラゴンが鎮座してるじゃあーりませんか。
「ヒュドラ、いつの間に」
「ティターニアさまからお祝いの言葉を預かってきた、二人ともおめでとう」
それはあくまでも表向きで、酒宴の催促だとは言わないヒュドラ。まあ勘のいいフローラとグレイデルだ、ならお料理の準備もしないとねって、空気を読んであげる。
「魔人化させたシュバイツとヴォルフも、呼んだ方がよかろう。あれもけっこう寿命を縮めるからな」
「いいの?」
「オベロンさまが構わないと言っておられた、遠慮するでない」
「ありがとう、準備があるから三日後でどうかしら」
「分かった、ティターニアさまもオベロンさまも、お喜びになるだろう。そうそう、あの三人娘にも四属性を揃えられるよう、頼んでみるといい。高位精霊が増えるのは精霊界にとって慶事、お二人はきっとお許しになるはず」
ではなと言い残しヒュドラは、瞬間転移の輪を作り精霊界に戻って行った。
さて胡椒と唐辛子の在庫はどのくらいかしらと、フローラは衛兵にキリアを呼んでと頼む。空中浮遊と瞬間転移は霊鳥サームルクの魔力だから、買い出しには支障がないフローラ。場合によってはあちこち集めに行かねばならず、三日後にしたのはそのためだった。




