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辺境伯令嬢フローラ 精霊に愛された女の子  作者: 加藤汐郎
第3部 法王領の光と闇
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第69話 舞踏会

 マリエラの母マチルダと、シュバイツの母クローデを、それぞれの城へ送り届けたフローラ。そのあと彼女は軍団を率いて、舞踏会の会場となる離宮へ移動していた。

 開催は明後日なんだが、早めたのは湖の畔でお風呂に入れるから。法王庁では井戸水を汲んできて、体を拭くだけだったのだ。


「太陽がまだ沈んでないけど、もう風呂に入れるのかい? キリア」

「先ほどフローラさまが、浴槽に張った水をお湯にしました。いつでも入れますよ、ラーニエ」

「そいつは嬉しいね、石鹸を支給してもらえると有り難いんだが」


 するとキリアは箱を開け、ラベンダー・カモミール・レモングラス・バラ・ローズマリー・セージ・ペパーミント、どの香りがよろしいですかとにっこり。入浴できる日はこうして、兵站部隊が事前に出しておくのだ。


「全くもう、こんなに種類があると迷っちまうぜ」

「んふふ、ローレン王国の首都ヘレンツィアを訪れた商人は、必ず全種類を買い求めていきますわ」


 ローレン王国では草木を燃やした灰と油脂で、昔から石鹸が作られている。香り石鹸の製法も、フローラが持つ外交カードのひとつ。市販されるのは女性の拳大だが、軍団用は一回で使い切れるよう紙石鹸にしてある。


 帝国に石鹸は普及しておらず、それ以前にお風呂という概念が無い。桶に汲んだ湯で髪を洗い、かけ流す程度なのだ。ローレン王国だけ入浴習慣があるのは、温泉地が多いからと言われている。他にも東方から訪れる商人や旅人から、文化の影響を受けたって説もあるが。


「バラの香りにしとこうかね」

「はいどうぞ、ところでラーニエ」

「なんだい」

「クラウス候から、求愛されているのではありませんか」

「どうしてそれを聞く」

「暗殺集団アデブは淘汰されるべきもの、あなたはそう仰いました。ならばご自身も幸せになって良いのでは? シェリーやアリーゼのように」


 ラーニエは微笑むだけで答えず、お風呂テントへ行ってしまった。


還俗げんぞくしたくない理由でもあるのかしら」

「違うと思うぞ、キリア」

「あらダーシュ、聞いてたのね」

「女を武器にして暗殺を行なう家業だ、まして相手はヘルマン王国の君主。自分はクラウス候に相応しくない、そう思ってるんじゃないかな」


 シェリーやアリーゼに比べ心に築いた壁は厚そうだと、わんこ聖獣はジュリアからもらったリンゴをしゃりしゃり頬張る。

 還俗とは聖職者が、一般人に戻るという意味。法王庁からペナルティを受ける訳でもなく、むしろ尼僧が王侯貴族に嫁ぐのは喜ばしい事とされている。家族と臣下を正しき信仰に導く、母なる伝道師となるからだ。


「目の前に幸せがぶら下がっているのに」

「うまく行かないもんだな」

「何かきっかけが必要なのかしら」

「だがよっぽどの事でもない限り、あいつが意思を変えることはないと思うぜ」


 そしてこちらは女湯テント、フローラが一番風呂に浸かっていた。

 三人娘は夕食の準備に入ったため、行事用テントでかんかかーんかん。今夜はカツ丼と野菜炒め、スープは豚汁だそうで。タマネギを煮込む時の匂いが、兵士たちの胃袋を刺激してくれやがります。


「ふひぃ」

「フローラ、変な声ださないでくれよ」

「いいじゃない、お風呂って気分がほぐれるのだから」


 そこへラーニエがお邪魔するよと入り、飛び込んできた光景に目を白黒させてしまう。なぜならシュバイツも一緒に入ってるからで、あんた達に羞恥心はないのかいと呆れてしまう。


「レディース・メイドの二人とグレイデルにアリーゼは? シュバイツ」

「離宮の下見に行ったよ、ラーニエ」


 体のいい人払いをしたんだなと、修道女長はピンとくる。今は野営と夕食の準備で忙しく、移動遊郭の娼婦たちも営業の準備で、女湯に来る者はまずいないからだ。


 フローラは父ミハエルと、お風呂には毎日一緒に入っていたと話す。そしてシュバイツはと言えば、沐浴で体を洗ってくれるのは若いメイドだったそうな。子供時代から習慣となっているため、それで二人とも無頓着なんだとラーニエは理解する。


 シュバイツが皇帝にならないと、二人の結婚どころか婚約すら王侯貴族は認めないだろう。事が成就するまで公表はするなと、法王から釘を刺されている。好き合っているのに可哀想だなと、ラーニエの胸がちくりと痛んだ。


「出直そうか」

「いいのよラーニエ、お話ししましょう。ね、シュバイツ」

「ああ、気にしないでくれ、俺に見られるのが嫌なら引き止めないが」

「あたいは体を武器に暗殺を行なう刺客、男に肌を見せるのは慣れてるよ」


 そう言って湯船に視線を落としたラーニエは、おやシュバイツ最大になってるねと目を細めた。抜き方は教えたはずだがと、彼女はフローラに視線を向ける。


「その、してあげたんだけど、小さくならなくて」

「へえ……賢者タイムなしの絶倫なんだ」


 賢者タイムって何ですか絶倫って何ですかと、食い付くローレン女王とブロガル国王。純粋で罪がないというか何というか、そう心中で呟き懇切丁寧に説明する修道女長である。


「婚約前に大聖女が妊娠出産したら、分かるよなシュバイツ」

「帝国が大騒ぎになる、その位の分別はあるよラーニエ」

「理解してるならよろしい、一時の感情で突っ走っちゃだめだよ。あんたが好きになった人は、こうして鎮めてあげようと……」


 見ればフローラが石鹸を、もりもり泡立てている。

 シュバイツはその後フローラの手により、小さくなるまで五連射しました。おやまあ本物だわとラーニエが、滅多にいない逸材と感心しきり。

 ローレンの聖女は長生きできず、生涯の出産回数には限りがある。しかも子供が成人まで生き残る確率は低く、シュバイツは一発必中の種馬として優秀なわけだ。女湯で行なわれた課外授業、これは三人だけのひ・み・つ。


「うまいうまい、大盛りお代わり」

「これで三杯目ですが、大丈夫ですか? シュバイツさま」

「もちろんだよキリア、体が肉を欲しがってるんだ」


 ソースカツ丼も捨てがたいけど、卵でとじたカツ丼が王道よねと、三人娘が丼にでんと盛る。ケイトがいれば火は要らないわけで、卵とじ用の鍋がフル回転。女王テントに集まった隊長たちへ、出来たてを提供していく。


 野菜炒めもがっぽがっぽ頬張るシュバイツに、キリアは何かあったのかしらと首を傾げてしまう。ダーシュは知ってるけど思念を発することなく、わんこ聖獣モードで茹でた豚バラ肉をわふわふ頬張っている。

 精霊さん達も余計な事は言わず、単品のトンカツ用に出されたカラシに集まりもぐもぐ。ご立派さまと絶倫さま、どっちが上かなんて甲乙つけられないもんねと。


「舞踏会にはローレン王国として、酒や料理も振る舞うのだね? フローラ」

「はい伯父上、法王さまからのご依頼ですから。それに私たちの食文化を、帝国に知らしめる良い機会となります」


 そうかとクラウスは豚汁をすすり、ちなみに献立は何かねと三人娘を振り返る。すると彼女らは各国の首都にある市場を、回って見てからですがと顔を見合わせた。


「手で摘まめるお料理が主体になるわよね、ケイト」

「サンドイッチはありきたりだから、にぎり寿司や巻き寿司にしようかしらミューレ。ジュリアはどう思う?」

「なら押し寿司やいなり寿司も加えたいね、ケイト。聖職者が食べられるお皿には、目印に小旗を立てるとか」


 ガリはもう仕込んであるようで、あとはお魚次第ですと、三人娘は満面の笑みを見せる。舞踏会場が戦場になるかもしれない、それは知ってるはずなんだが、やはり彼女たちは根っからの料理人であった。


 ――そして舞踏会が幕を開けた。


 弓兵と軽装兵は離宮の外へ注意を払い、騎馬隊員と重装兵は建物の中に神経を集中していた。法王領に駐在している王侯貴族の馬車が、次々到着し正装に身を包んだ紳士淑女が中へ入っていく。


「あの中にどれだけ敵がいるんだろうな、アリーゼ」

「分からないけど、魔物化したら全て灰にするまでよ、ゲルハルト」


 そしてこちらは舞踏会場のフロア。

 社交界デビューなので、もう仮面は被っていないフローラ。あれがローレンの聖女かと、そんな声が参加した貴族たちから聞こえて来る。もっとも初めて口にするお寿司に心を奪われ、フローラに寄ってくる者はまだいない。


 むしろお寿司に手を付けず、選帝侯の三人と法王を遠目で見ている者が怪しい。目を離すなよとラーニエが、メイドに扮し壁際で接客する娼婦たちに耳打ちして回る。

 そんな中で肝心の法王はと言えば、サラダ巻きとカッパ巻きに夢中。他の聖職者も皿から離れず、三人娘が追加でせっせせっせと握っている。


「少しお話しをしてもよろしいでしょうか、僕はラビス王国のクドルフ、こっちは弟のプハルツです」


 初めてフローラとシュバイツに、接触してきた兄弟。

 仲間たちが緊張に包まれ、ワゴンに忍ばせた武器へ手を伸ばそうとする娼婦たち。そんな彼女らに、ラーニエが待てとハンドサインを送った。人間モードのわんこ聖獣が、心配ないとマリエラを落ち着かせる。グレイデルとヴォルフ、そしてクラウスも慌てず、成り行きを見守っている。


「そっくりだな、双子なのかい?」

「そうなんですよ、シュバイツ殿。弟は耳にほくろがあるんで、家臣たちはかろうじて見分けてますが」


 聞けばラビス国王の次男坊と三男坊だそうで、父から法王領の駐在を命じられたんだとか。二人は異国文化に興味があるようで、辺境伯領ローレン王国の話しを聞きたいらしい。


「料理にも驚きましたが、お風呂ですか、フローラさま」

「そうですよクドルフさま、体を清潔に保てますし、健康にも良いのです」

「その石鹸とやらは、お風呂で体を洗うのに使うのですね?」

「それだけではありません、プハルツさま、泡立てて洗濯や食器洗いにも使います。他にも……」


 そこまで言って言葉に詰まるフローラと、思い出して血液がどっかに集中する感覚を覚えたシュバイツ。どうしたんだろうと、クドルフにプハルツが首を傾げる。わさびが盛られた小皿に集まっている、精霊さん達がによによしてます。


 楽団がワルツを演奏し始め、中央のダンスフロアで踊り始める貴族が何組か。私たちも踊りましょうと、フローラとシュバイツ、グレイデルにヴォルフ、ダーシュとマリエラが中央へ向かう。


「踊りますか? クラウス候」

「もちろんだシルビィ、それにしても」

「どうされたのですか、じろじろ見て」

「それが女性司教の正装なのか、中々に美しい」

「後で蹴っ飛ばしてやる」


 美しいと褒めたのにそれはないだろうと言いつつも、蹴られるのも悪くないとクラウスは笑う。そして言葉を繋ぐ、私は君の心根に惹かれたんだと。


「私のことが嫌いかね」

「嫌いなら踊ってないよ」

「なら、ちゃんと考えてくれ」


 そのころ離宮の外では――。


「やけに狼の遠吠えがするな、ジャン」

「首都の近郊に狼はいないはずだぞ、ヤレル」


 嫌な予感がすると、二人は隊長たちの元へ走る。もしや内と外からの同時襲撃ではと、頭の中で危険信号が点滅していた。

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